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「学校に行こうと思います」
異なる世界から帰還して数日――美しい緑の髪を持つ者は手に持った書籍からこちらへと向き直り、言った。
「働こうかとも思案したのですが、やはり学校と言う場所がこの世界を知る、基、慣れるには最適かと――」
「分かった」
箸を置くこと無く緑の言葉を肯定の意で遮る。
それが指し示し、同時に意味するのは信頼だ。
「実は既に決めてあります」
「いいよ、どこでも」
「そう言われると思っていました。では、食事が済み次第向かいましょう」
「……どこに?」
「学園にです」
「成程」
事の詳細は分からないが話から察するにもう既にその段階にまで進めているということであろう。
実際、緑がこの世界に来てから主にやっていたことと言えば、図書館に通い、書籍から知識を得て、それを実践し深めるという行為――今、食べている料理もその行為の一端だが――もうそれは十分であるとの判断から今回の行動であると考えれば、それは実に納得のできるものだ。
入学に関する諸々も今の緑であれば何の障害にも成り得なかったであろうことは容易に想像出来る。
そうして、早々に食事を済ますと、どこに仕舞ったのか自分でも忘れていたようなスーツを緑が用意してくれたのでそれに袖を通し、二人して家を出発――先導する緑の後を追う様にして電車に乗り込み、気が付けばその学園とやらがあるであろう駅に降り立っていた。
「ここなのか?」
別に聞かずともと思われる様なことをふと隣の緑へと聞いてみる。
「はい。ここからは徒歩です」
それから一応登下校の時間には学園までのバスが出ていると緑は付け加える。
「この辺りにクズさんは詳しいですか?」
「いや、全く」
「成程。地図は覚えていますので引き続き先導します」
「頼む」
言って、また先程までと同様に歩き始めるが、普段着慣れないスーツのためか妙に落ち着かないがこれはもう仕方の無いことであろう。
仮にこの場で着心地の良い、仕事で着慣れた作業着を身に纏っていたところで、何者かに襲われでもしない限りその有用性は無いに等しい。
それに今回ばかりは緑がスーツを用意した所からもこの格好がこれから行われるであろうことに相応しい事は明らかだ。
そして何より、この世界で、というよりもこの国で街中を歩いていて襲われる等という事は滅多にないと言える。
つまり何が言いたいのかと言うと――作業着最高。
そこまで考えたところで、今まで歩いていた歩道から車道へと向きを変え、勢い良く飛び出す。
案の定、というよりもそうなる様にしたのだが車へと吸い込まれるようにして激突――宙を舞った。
上手い事やったつもりだがはてどうか、とそのまま体勢を立て直し着地。失速した車を追って走り出す。
目線の先には既にこちらの意図を汲み取っているのか緑が車と並走し、その後、後部座席の扉へと手を掛け乗り込んだ。
それに合わせてこちらも速度を上げ、反対側の座席へと素早く乗り込む。
「状況は今しがた理解しましたが、まずはここを離れるのが先決かと」
「あぁ、そうだな」
言って緑が運転手の男に声を掛けると失われていた速度が再びその勢いを取り戻し、何事も無かったかの様に車は走り出した。
「どうされますか?」
それはこの状況に対してであり、前の座席に座る二人の男に対してであり、自身とこちらとの間に挟まれている者に対してのものでもあろう。
「そうだな。ある程度走ったら……って暴れるな暴れるな」
身動き出来ぬ様しっかりと拘束されているのにも関わらずなんとかその状況から抜け出そうと緑とこちらとの間で足掻いているそれ。
「まずはこちらが先の様ですね」
「致し方ないな」
一応の配慮として緑が暴れるその者の拘束を解いていく。
「それで――」
「あ、あなたたちは何者ですか! この様な事をして――」
「黙りなさい」
「私達に――」
「黙れと言っているのが聞こえないのか? それ以上戯言を私の耳に届けるならば貴様の舌を引き千切る」
言って無理矢理口の中に手を突っ込むと舌を掴み、座席へと身動き出来ぬ様押さえつける。
その言葉に――人間からすれば正気とは思えない緑の狂気に、しかしそれが本物であると理解出来てしまうが故に――ただの人間が耐えられる筈も無く、その場が涙と共に抑えきれず溢れ出たもので満たされ、濡れて行く。
「やりすぎだ」
「……信じられません」
「何が?」
「クズさんのその言葉です」
「スーツが濡れた」
「なるほど」
それで緑は手を放す。
「そう言えば、今気付きましたがこの制服、これから私が袖を通す予定のものに酷似しています」
「…………まぁ……問題無い、だろ……」
「分かりました。では、この辺りで降車して再び目的地を目指しますか?」
「いや、問題無いとは言ったが手は打っておくべきだ」
「分かりました」
そうして続けるようにして――間に挟まれ目線を落とし震えている者を一瞥――こちらに「任せます」と言い、前へと向き直った。
対してこちらはというと、任せると言われた以上どうにかせざるを得ないのだが、これからやる事を考えると如何ともし難く気が進まない。
だがしかし、今はその様な事を理由に手を拱いている暇などない。こちらには後――学園――が控えているのだ。
ならば――
「先程、私達――と言ったか? 他にも囚われているのならば手を貸そう」
それなりに優しく話しかけたつもりだが反応は無い。
どうやらこれでは足りないらしい。
「お父さんか? お母さんか? それとも兄弟か? 近しい人だろう。助けたくは無いか? いつもの様に何事も無く笑って過ごせる日常に戻りたいとは思わないか?」
「ぉ……とう……さん……」
「勿論助ける」
「ぉ……かあ……さん……」
「心配ない。まだ間に合う」
「た……たすけて……おねがい……お願いします……お願いします……お願いします……」
聞きようによっては脅しとも捉えられかねないこちらの言に、触れはしないが手繰る様に縋る様にして伸ばされた手を彷徨い行き場を失ってしまう前に掴み取りそのまま抱き寄せる。
「っ……」
「もう大丈夫だ」
「ぁ……」
「必ず助ける」
「……はい……」
もうこれで問題ないと緑に目で語りかける。
そこからは早かった。
緑が指示し、車が元々目指していた目的地へと走る。
途中、二人の意見の一致から多少の危険はあれど車でそのまま目的地である建物の内部へと突っ込むことに決定し、前席の二人と見張りと思われる者達は負傷したが人目に付く事無く乗り込む事に成功した。
「ここは私が」
言った傍から曲がった扉を強引にこじ開け、車から降りると轟音と共にその姿を消した。
残されたこちらはというと、同じ様にして反対側をこじ開けこちらへと掴まる女生徒と共に降車。
前席の二人を車から引きずり出し、車から離れた場所へと気を失っている見張り共々並べていく。
そうこうしている内に用を済ませたのか――行き際に作られたのであろう天井の大穴から――緑が人を二人抱えて戻ってきた。
「この二人で合っていますか?」
同じ轍は踏ままいと女生徒に対して優しく語り掛ける。
「……はい……あの……ありがとうございます……」
緑に応える女生徒に若干のぎこちなさはあるものの震えはもうない。
「緑」
「はい」
もういいと声を掛け、緑が精神に対する拘束を解くと同時、抱えられていた二人が意識を取り戻す。
「あ……え……ッ! 桜!」
「お父さん! お母さん!」
親子の感動の対面。三人で抱き合い、泣き、現実であることを確かめ、喜び、その身で生を実感する。
その繰り返し。繰り返し。繰り返し。
そうして何度目かの終わりの見えない繰り返しを静観した後、こちらの時間が来たのでそれにどうにか割って入る。
「悪いが手と口を止めて耳を傾けてくれ」
「あ、あなたたちが――」
ガンッと口を開いた男が緑に因って無理矢理壁際に押さえつけられ、驚きの表情を見せる。
「聞きなさい」
自身の娘と近い歳にも見える者に片手で押さえつけられるという異常性に幸いにも気付けたためか男は首を縦に振った。
そうして聞く体制が整ったのを確認した後、分かり易く緑を指差しながら一方的に告げる。
自分と――その者の事を話せば殺す――と。
それから顔を覚えたぞという意味も込めて三人を順に見回していき、その場から離れる。
同時に、入れ替わる様にしてに外部から人々が続々と現れ、その流れからもって救助されたであろうことを技能にて感じ取り、道すがら口を開く。
「……そういえばあの制服、金持ちが――」
「良いって言いましたよね?」
こちらが言い終えるよりも前に、颯爽と両手を後ろに回し、横からくるっと前に躍り出てこちらへと振り返った緑はとても良い笑顔を添えて言葉と共に進路を遮った。
「ふふっ、大丈夫ですよ。授業料は免除ですからっ」
「……」
「どうかしましたか?」
「……いや、随分と嬉しそうだ」
「あ、これはその、一応言っておきますけど学校に通えるからではないですよ? クズさんには理解出来ないかもしれませんが、何と言うか、その、以前を思いだしまして、その、やっぱりいいなって思いました」
近づいてくる緑。
「あの――いいですか?」
こちらを伺う、上目遣いの緑。
そこまで来てこちらもようやく思い出した。
この後の展開はこうだ。
ガブッ――
「や、やっはりおいひいてふ!」
「……」
思い返した出来事が既に目の前にて起きている現状に、未だ人気の無い場所に居るとは言え迂闊な行動は避けるべきだとか何だとかその様な些細な事がどうでも良くなりこれまたあの時と同じようにまぁいいかと思う自分にやけに納得してしまう。
「食いながら喋るのはあんまりよろしくないぞ」
そう言ってまたいつかと同じように空を見上げる。
そこには世界が違うだけで何も変わらないものが広がっていた。
そうしてきっとこちらを見下ろす空も思うだろう――そこには何も変わらない二者が居た――と。




