第七話
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「だれ、これ」
碧は、ポテトを咥えながら固まる新城正樹を指差し問う。
だれだと、これは。知り合い?と視線で蒼に問う。碧の中では正樹は輝くほどの存在だった。アイドルや女性に人気の俳優の輝きすらかすむほどの存在だった。だから、この、ぼさぼさ頭で瓶底眼鏡で、ダサい服装で、昔の洒落っ気も何もない、変わり果てた新城正樹を正樹だと認識できてはいない。
そして何故、自分の大学近くマク○ナルドに幼馴染の兄妹がいるのか。蒼は呆然としている正樹から視線をはずした。
「……あお~?」
蒼のジャケットの袖を引く碧にはっと我に返る正樹。咳払いをして、席どうぞ。と四人席に座っていた正樹は二人に席を譲る。正樹の名を呼びかけた蒼を睨みつけてどうぞどうぞと席を立った。が、
「正樹、なにしてって、幼馴染君?また来たの?ひまだね―げふ」
トレイを持ちながら相沢翔が驚いた声を上げた。上げて、正樹の正拳突きが腹部にヒットした。トレイの食べ物が床に落ちる前に素早く正樹が回収し、トレイの上に上がっているアップルパイ、ショコラパイとストロベリーシェイクを見てげんなりとした。
「…まさき?」
眉をひそめ碧は蒼と正樹を交互に見る。そして、正樹?と呟く。
「正樹、なの?」
「ひ、ひひひとちがいですよ?」
「その癖、正樹だ」
視線をせわしなくさ迷わせる正樹の癖に、碧が目を吊り上げて、
「何その格好っ。ダサいよ!ダサダサだよ!どこの苦学生って感じだよっ!あと。不潔!前髪長いし眼鏡かけているのもそれが悪いんじゃないの?コンタクトにしなよ。そうだ、わたしが正樹のコーディネートしてあげる!」
両手を叩き、いいことを思いついたと明るい声を上げた。碧は膳は急げと正樹の左手を掴み、
「どんな正樹でもわたしは正樹のお嫁さんになるしわたしは正樹の理解者だよ!」
正樹大好きっとぎゅっと正樹に抱きついた。碧は、正樹の匂いを胸いっぱい嗅ぎ―、頬に当たる柔らかい固まりに目を瞬かせた。ふにふにとする二つのそれを両手で同時に鷲掴み、
「っひ」
痛みと羞恥と、その他もろもろの悲鳴を上げかけた正樹の胸を揉みしだく。そして、
「びー。…Bね」
とサイズを言い当てた。トレイを持ったまま固まる正樹の顔をまじまじと見つめ問う。
「正樹なの?オマカさんになっちゃたの?それでもわたしは正樹を出来るだけ理解するわ。どんな正樹でも否定しないし、正樹が女の子になりたいならなればいいけど戸籍の妻の欄だけは絶対譲れないから!」
しがみつく碧を正樹から蒼は引き離し、席に座らせる。立ったまま意識が飛んでいる正樹は翔に慰められるかのように肩を叩かれた。
「現実逃避するな、現実を見ろ。もう隠し通せないだろう?」
「なに、あなた」
馴れ馴れしく正樹の肩を叩いた翔を碧は睨みつけた。翔は、こわっ!と胸中逃げ腰になりながらも虚勢をはって笑う。
「新城正樹の恋人の相沢翔で正樹の始めては全部俺がおいしくいた―」
さわやかに挨拶するその頭上からストロベリーシェイクがぶちまけられた。
「…っひ、つめっおま、正樹?!…まさ、き…くん?」
向けられた眼差しが、怒りと軽蔑に染まって般若のごとく歪んだ顔つきで、
「……気色悪いこと言うんじゃねえよ」
今にも縊り殺しそうな雰囲気でシェイクの容器を握りつぶした。
「……ご、ごめんなさい」
稀に見る正樹の怒りに震え、
「いやだって。俺お前の旦那候補一号だろ?なら別に」
「はぁ!?いつ!そんなことになった!?」
「え。言ったじゃないか。正樹が正樹でいたいなら協力するよって」
な。とシェイクを垂らしながら笑う翔に正樹は、そのときのやり取りを思い出そうと思考を巡らせようとした。が、
「……蒼…?……み、碧?」
厳しい顔つきの蒼と、般若のような顔つきの碧。碧は笑顔を無理やり貼り付けて、
「どーいう、こと、なのかな?ねえ。正樹ぃ…」
ガタンと椅子から音を立てて立ち上がった。
「そうですね。正樹兄さん、どういうことですか?先週は詳しく聞くのは憚られたので問い詰めませんでしたけど。彼、兄さんの中でどういう位置づけですか?恋人?」
「オカマさんになってるのはショックだけど、正樹の全部はわたしのものなの。それなのに、旦那一号?優しい顔して正樹に近づいた悪い男じゃないっ。わたしは認めないし、正樹はわたしの旦那さんになるのよ。旦那さんになる正樹が,
あなたのお嫁さんなんて認めないんだから!だいたい、日本じゃ同性結婚はできないんだよ!カナダにでも移住する気?そんなことはわたしがさせない。わたしがさせるわけないわ!県外の大学行っただけでも寂しかったし悲しかったし悔しかったのにっ!連絡がなくて心配してたのに、男の恋人!?」
ヒステリックに叫びだした碧に、翔と正樹は周囲に頭を下げる。女性店員が困ったように介入するべきか戸惑い、お客様。と声をかけた途端、
「ひどいっ!ひどいよっ。わたしの初めて全部取ってたのにっ。一緒にお風呂だって入ったのにっ」
ぼろぼろと泣き始めた。女性店員の冷ややかな軽蔑の眼差しと翔の冷やかすような眼差しと、呆れたような蒼の視線に正樹は発狂しかけた。
「せきにんとってよぉうう」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼす碧に、正樹は咳払いして、
「男に抱かれる趣味も、男を抱く趣味もないし。あと、お風呂に入ってたのは小さい頃だし始めてって誤解を受ける言い方はやめろ。あと、周りを味方に付けて貶めるやり方は褒められたやり方じゃないぞ。俺はそういう出任せとか、嘘とか嫌いだ。だから、いまの碧は、俺が嫌いな人で、碧のこと嫌いなっちゃうぞ」
碧の頭を撫でて、嫌いなってもいいならいいぞ?と涙でくしゃくしゃになっている顔を覗き込む。いやぁーと泣き声を上げて正樹に抱きつき、謝罪を繰り返す。
まるで、幼い子供の扱いだ。
(自分がどれだけ好かれているかピンポイントで攻めてくる戦法かぁ)
生ぬるい視線を碧をあやす正樹の背に向けた。全力で好かれているし、たぶん正樹も好きだろう。
(俺も半分、本気なんだけどなー)
かといって、友達として、だ。
男女の関係になるかは、付き合ってみないと分からない。正樹なら友好な関係を気づけると思っていたし、正樹も気兼ねなく生活できるだろうと踏んでいた。ので、伝わっていなかったことに少なからずショックを受けていた。
ため息をつくと、翔は未だに厳しい視線を『翔』に向けてくる蒼に気づく。おや、と思いながらも、そろそろこれ以上はまずいだろうな。と周囲を見た。大学に近いマクドナ○ドだ。
正樹の地味さは有名だ。さらに、オカマだの同性愛だのの話題がくっつくと厄介だなぁと正樹の露払いを一身に受ける翔は月曜日からの苦労に重いため息をついた。
ぽたりと垂れてくるストロベリーシェイクだった液体を服の袖で拭っていると、女性店員がタオルを持ってきてくれた。礼を言ってすぐに出ますとつげ、頼んだパイやポテトなど、トレイの品物をすべて紙袋に詰めて周りのお客と店に謝罪をしながら、四人のうち大学生組みは逃げるようにマク○ナルドを離れた。
先日着た時と変わらず、すっきりとしたロフト付ワンルーム。
碧は正樹の住む部屋、と言うことにテンション高く、さきほど泣いていたのが嘘のようにすごいすごい、と言葉を繰り返す。そんな碧に正樹が何がすごいんだ?と苦笑いを浮かべる。
「正樹の部屋だからすごいんだよ~」
碧はソファーベットに飛び座り、スプリングの跳ね具合を見た。
「おお~」
「碧、行儀が悪いぞ」
蒼の窘めに、笑顔で返事をした。そして、
「あー、ねえ。正樹、どうしてあの人付いてくるのか?」
翔を指差して、いらないのに。と悪態をつく。翔は肩を落として苦笑いを浮かべ、
「あのー。君らの食べ物持ってるの俺なんですけど?」
がさがさと紙袋の音を立ててキッチンのカウンターに置く。正樹の幼馴染の兄妹の辛らつな視線を受け、翔は面白くない。そりゃ、兄の方は泣かせたし、妹の方は勘違いを利用した。嫌われても仕方ないが、その突き刺すような視線が面白くなかった。さらに面白くないのが、そんな二人を窘めない正樹だ。まるでダメだ。しょうがないな~と、二人を可愛がる。まるで注意をしない。
(面白くないなぁ…)
なので、とりあえず爆弾をひとつ置いていく。
「じゃあ、俺。帰るな」
「ああ。悪いな。今日―」
「仕方ないよ。近所の『ただ』の幼馴染が『突然』『連絡』もなく、遊びに来たんだから。『親友』の俺がお前のことを判ってやれなくて誰がわかってやれるのは俺だけだからな。じゃあ、明後日大学でな」
手を振って兄妹が何かを口にする前に、逃げるように部屋から出ていた。
出て、アパートの廊下を走り、階段をおり、人気の無い路地を走り、しばらくして――、
「こ、怖えええええええええええええええええええええっ」
マジで怖い!あの兄妹怖い!!
身を震わせた。嫌味を言ったのは大人気ないが、
「あの目。あの視線!殺すって言ってた!!」
背後を気にしながら、喫茶・アルトに駆け込んだ。店員である葛木桃果にすがりつくように怖い怖いを連呼し、もっと怖くしてあげると苛め抜かれたことは――、正樹が知る良しもない。