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Jewel/box  作者: しろ
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第四話


* * *



 ゆっくりと蒼は瞼を持ち上げた。

生暖かいタオルが額の上に上がっていたのでそれを手で取る。

天井の明かりと、カーテンからかすかに見える暗闇が夜だということを示していた。ぼんやりとした意識でゆっくりと身を起こすとスプリングが軋んだ音を立てた。

ソファーベットの――あまり寝心地のいいとは言えないベット――上に蒼はいた。

周囲を見回すと、ワンルームの小さな部屋。

玄関を隠すように衝立が置いてあった。

ソファーベットとローテーブル。デスクトップのパソコンがテレビ台の上にあり、あとは本棚と備え付けのクローゼット。

見える限りではそれだけで、カウンターキッチンの奥のほうで何かごそごそと音がしている。

そして良い匂いもする。

食欲を誘う匂いだ。蒼は空腹にお腹が鳴った。

慌ててキッチンの方を見ると、調理しているであろう人物は蒼の腹の音には気づいていない。

その方向をじっと見ていると、ぼさぼさの髪の毛が見えた。よし、と声が聞こえるとなぜかサーロインステーキ(生)が台の上に置かれた。置かれて、


「ううう。蒼~~。いま良いモン食わせてやるからなぁ~~…」


泣きそうな、いや泣いたのだろ。鼻声の聞き覚えのある声が耳を震わせた。たまねぎとにんじん、などなど。野菜がどんどん台の上に載っていく。そして、包丁を持った正樹が立ち上がった。

涙に濡れた目が、身を起こしてカウンターを見る蒼を捉え包丁を放り出す。カン、と包丁がフローリングの床に突き刺さるが正樹は蒼の側に駆けつけ、まだ寝てろ!ときつく言い、生ぬるくなったタオルを再度濡らしこめかみに置いた。


「ごめん。ごめんな、蒼っ」


ぐずぐずと鼻を鳴らす正樹に蒼は状況をようやく理解した。そうだ、


「僕は兄さんに殴られたのか…」


「ごめんーーーーーーーーーーっ」


ぽつりと呟いた言葉に正樹は過剰反応して土下座する勢いで謝った。そんな正樹に蒼が慌てた。じゃらけあって叩かれるということはあっても、本格的に気を失うほどのものは人生初体験だったが――思わず自分の右手を見る――、たぶん。殴られてもしかたないことをしたのだと、思う。あの、柔らかさは…。


「兄さん、あの」


「ごめんな。俺、思わず殴っちまって。…そしたら蒼、気を失って。あ、ちなみにここ俺の部屋な。狭いけど結構気に入ってるんだ。何もないけどな~。ちなみに、天井のロフトは物置だから」


肩を落として正樹が謝る。ロフトを指差して物置と言う正樹に聞きたいことはそんなことじゃないんだけど。と、キッチンから黒い煙がもうもうと出ている。


「兄さん!!なべ?!」


「え、あ!!」


慌てて立ち上がろうとした正樹がズボンの裾を踏み、鈍い音を立てて倒れた。ぎゃっと、悲鳴が上がると同時に、蒼はすばやく立ち上がりキッチンのコンロの火を止めた。

鍋の底の具材がこげているが、食べれなくはないだろう。


「兄さん、大丈夫みたい……だよ…?」


倒れたまま起き上がらず丸まったままそのまま、蒼にかけられていた毛布を掴み、身体を隠すように丸まった。まるで、ダンゴだ。その様に蒼は開いた口が塞がらない。塞がらず、


「にいさん?」


問う。どうしたのかと。

けれど、正樹は答えず、丸まったままだ。丸まったまま、動かない。


「打ちどころが悪かったんですか?!」


蒼があわてて駆け寄ると、首を横に振る正樹のかすかの動作が伝わる。ならどうして?と蒼は不安になる。


「悪い…みっともないとこ見せた…」


苦しそうに呟いた正樹は、丸まったまま蒼に告げる。そして情けない、と心の中で泣く。みっともないところを蒼に見せてしまった。蒼の前では完璧な『兄』でいなければならなかったのに。悔しさと、情けなさに、顔向けができない。

丸まった正樹にどうすればいいのか、困惑し、そして―。


「兄さんが…」


息を吐く。


「今の兄さんがみっともないのなんて、知ってますよ」


その言葉に、酷く正樹の胸が痛んだ。


「大体なんですか、そのぼさぼさの髪。まえの兄さんだったら、すっきりさせてましたよね?それにそのダサい眼鏡。いまどきどこの苦学生ですかって感じです」


容赦ない感想を述べる蒼の言葉の刃に目の前が真っ暗になる。

震えるダンゴのような固まり。そのダンゴ、正樹は一切反論しない。蒼は眉をひそめて、


「兄さん―、兄さん?」


無言の正樹を何度か呼ぶ。けれど、ダンゴは震えるだけだ。


「それに…、前から兄さんが努力家だって知ってましたよ。僕にりんごのウサギを食べさせるのに手を血まみれにしたとか、カレーを作るのに鍋3つ分作ったとか、グリルが使えなくて焼き魚が炭になったとか」


ダンゴが驚くほど震えた。震えて、ぶるぶると動く。


「小テストで思ったほど点が取れなかったら寝る間も惜しんで勉強して、授業中に爆睡して先生に怒られて授業についていけなくてエンドレス、とか」


ダンゴの震えが止まる。


「授業で跳び箱飛べなかったからって向きになって練習して跳び箱に突っ込んで膝を五針縫ったり」


ダンゴが、かすかに動く。


「全部、おじさんから聞いてます。いまさらですよ」


呆れたため息をつく蒼の言葉に微かに掛かる、怒りの声。

あんの、


「クソ親父がああああああああ!」


毛布を跳ね飛ばして、固定電話に飛びつき番号を素早く押し通話ボタンを叩き壊す勢いで押した。コール音のあと、


《ただいま留守にしております。御用の方は――》


「腹下せ!!クソ親父!!二度といらねえもん送ってくんじゃねえ!炭にして返すぞ!」


機械音声に罵声を向けて受話器を本体へと叩き付けた。

肩で息をしながら、ちくしょうっと吐き出す正樹をまじまじと蒼は見つめた。耳まで赤く染めて、


「恥ずかしいぃ…」


そう言って、キッチンへと逃げ込む。


「に、兄さんっ」


慌てて追いかけようとすると、


「蒼、ストップ!来るな!俺いま、超情けないっ」


「なにが…」


「悪い。ずっと、お前のいいアニキでいようと思ってたのにっ。すごく情けないっ」


言葉の語尾が震える。震えて、


「ほんっと、ごめん」


泣きそうな声色に、蒼が顔をゆがめる。謝ってほしいわけじゃない。情けなくてもいい。

それでも、駒形蒼にとって新城正樹は、――。


「謝らないでくださいっ!」


苛立ちも混じった声で叫んだ。


「情けなくても、みっともなくても、僕の兄さんは正樹兄さんだけなんですからっ!碧だって兄さんは正樹兄さんだけだって言いますっ!僕等兄妹は、正樹兄さんに憧れてずっと、一緒にいたくてっそれで、でも、――」


カウンター越しにかすかに動く音がする。


「とりあえず、大好きで尊敬する兄さんなんです!だから、いまさらみっともないとか恥ずかしいとか、情けないとかで謝らないでください!」


ぴょこんと黒の髪の毛が見える。


「……だから…」


「…もういい」


言い募る蒼の言葉に正樹は耐え切れなくなり、ゆっくりと立ち上がった。


「もういい…。ばかばかしい…」


顔を真っ赤にして、


「恥ずかしいわ、俺。情けない…。すっげー、見栄っ張りがバレバレだったなんて…」


頭を抱える。


「それでも、碧も僕も兄さんが大好きです」


「俺もお前らのこと好きだから、こんな俺を見せたくなかったのに…」


そうですね。と、頷くところだったが蒼は堪えた。

堪えて、


「……様変わりしてますね…兄さん。悪い方に」


「うるさいよ!いいだろ。こっちのほうが色々楽なんだからっ」


吐き捨てるように言うと、飯にするぞ!と無理やり話を切り替えた。


「あ、蒼。お前の携帯勝手に使って碧と連絡取ったから。今日は俺んち泊まって明日帰れな。明日蒼の学校創立記念日なんだってな。秋期講習休んで、受験生だろ?こんな時期にこんなところ来て何やってんだか」


「……碧…」


蒼と同じく、正樹が大好きな蒼のひとつ年下の妹の駒形碧は久々の正樹との電話でよけないことをぺらぺら喋ったらしい。


「俺なんかより優先することがあったはずだろ?」


「音信不通で生きてるか死んでるか分からない兄さんより優先することなんてありませんよ」


カチンときたのでつい口調を強めていってしまった。

その言葉に、正樹は視線をさまよわせる。癖が発生した。


「まあ、それはそうとして」


「その姿を見せたくないだけですか?兄さんは」


そのために二年半も音信不通になってたんですか?

視線で問うと、正樹は咳払いをしながら、


「とりあえず今日は肉だ」


と言ってフライパンでサーロインステーキを焼き始めた。ジュウジュウと音が響き一切の質問を寄せ付けない。ステーキを適当なサイズに切り分け、レタスサラダの上に乗せる。ポン酢のおろし醤油のタレを器に入れてステーキの皿とタレの器、白飯の茶碗とみそレトルトをローテーブルの上に並べた。


「……本当はあっさりしたものがいいんだけど…」


肩を縮こませて正樹は告げる。


「ここに連れてくるとき、なんか細いなって…思って」


肉にした。と、言うと蒼は苦笑いを浮かべた。

別段、栄養不足というわけでもない。体重も身長から割り出した平均値より少し上だし、筋肉もついている。別にやせ過ぎているわけでもないのだ。


「大丈夫ですよ。家でもきちんと食べてます。今じゃあ碧はフルコースだって作れるくらい凝った料理が出来るんですよ」


兄さんなんて目じゃないです、と笑う。そんな蒼の笑顔に正樹はほっと胸を撫で下ろす。

目元を緩めて、そっか。と微笑み、


「…食べれるか?」


心配そうに問う。蒼は苦笑いを浮かべ、


「兄さんの料理を残すなんてしません」


いただきます、と行儀よく両手を揃えて食事に箸を向けた。


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