第二話
目の前には特注と言うデザート皿の上に色とりどりのアイスとフルーツ、生クリームで飾られベリーソースとチョコソースがかかり、カラースプレーとアザランでさらに飾り付けられた、甘味の塊があった。
口元を押さえ、うげぇと呻く正樹とは違い彼を真っ直ぐ睨みつける蒼が切り出した。
「あなたが、新城正樹…兄さん?」
訝しげに、けれど、目の前の地味な男―青年が新城正樹であることは認めたくないけれど認めるしかないのだろう。
連絡が取れなくなるまで七年、七年もの間、新城正樹と言う人間を見てきた。
たとえば、バツが悪くなると耳たぶをいじり始める癖など、目の前の男がせわしなくやっている。瓶底眼鏡越しに見える目はきょろきょろと定まらない。
なんとか現状を打開しようとしている癖。
そして、
「ああ。俺がお前の言ってる新城正樹だ」
大きくため息をついて肩を落として、『さわやか』に笑う。これはもう、言い訳を放り投げたときの癖だ。まったく悪びれた風もなく大きめのスプーンでアイスを掬い取り皿にアイスを落とす。クリームとフルーツも乗せ、
「蒼の分」
と言って蒼の前に置き自分の分も取る。
「早く食べないと解けてぐちゃぐちゃになってストローで啜る羽目になるから解ける前に完食しないといけないから」
俺のおごりだ、と言ってスプーンでクリームを掬って口に含む。
眉間に皺を寄せて、さらに一口、二口と口に含む。
「正樹兄さん、大丈夫ですか?」
甘いの嫌いでしょう?
目を潤ませて、甘さに耐える正樹は、大丈夫だ。と手のひらでジェスチャーする。
ガツガツと食べ始め、そこに会話はない。
けど、泣きそうになりながら、冷たいアイスとクリーム。フルーツを食べ、熱いコーヒーを啜る正樹に蒼は問い詰める気力を失ってしまった。
そして、自分の取り皿の上の中を少しでも減らすためにスプーンを動かした。
「……げふ」
二人同時に音を上げて、口元を押さえる。当分甘いものはいらないな、と蒼は水を飲みながら胸中呟いた。
「はーい。完食おめでとうー。これはサービスね」
出されたのは真っ白のティーカップに入ったハーブティー。ぷかぷかとミントの葉がトッピングされている。
「ミントのブレンドティでパフェで胸焼けした胃をすっきりしようね」
「勝手に注文取ったウェイトレスが出したサービスなんて怖くて飲めねえよ!」
チャイナボーンのカップの中でぷかぷか浮かぶミントの葉に興味を引かれたのか、蒼は喚きたつ正樹の怖くて飲めないの意味を深く考えずに口をつけた。
すっきりとした喉越し。蒼はわずかに目をはった。
これは、
「……おいしい…」
ぽつりと呟かれた言葉に、女性はぱぁあと顔を輝かせた。
「でしょ!」
君いい子ね~~~。と笑う女性に苦虫噛み潰したような顔をする正樹。恐る恐る自分に出されたカップに口をつけ、一口飲み込む。
むせた。
「げふっがは。あまーーーー!!」
カップを乱暴にソーサーに置き、
「甘すぎ!!まず!!」
叫んだ。女性はにっこり微笑みながら、
「葛木スペシャルだから。おいしいでしょ?」
笑い出すのを堪えるかのように、顔を背けた。ハーブティーに大量に砂糖を入れたのだと笑って言う。蒼は慌てて自分のグラスの水を渡した。
「…悪いな。桃果。後で覚えてろよっ」
グラスを受け取り、水を飲み干すと恨みがましい声で女性―葛木桃果に告げるた。桃果は人の悪い笑みで厨房に向かって声を上げた。
「マスター、フルーツパイ一ホール追加ね~」
「やめてくれ!!」
正樹の悲痛な叫び声が店内に響いた。くすくすと喉を鳴らして桃果は笑うと、
「さて、と。ランチの時間になるから、叫ばないでしーずかに話し合ってね」
パン、とトレイを手のひらに叩き付けて桃果はカウンターの中に戻っていた。
顔を引きつらせて、位置のずれた瓶底眼鏡を直しつつ、咳払いをし正樹はぽかんとして毒気の抜けた蒼を見た。
蒼は困惑した表情で、何を一番初めに問うべきか悩む。
そして、
「正樹兄さんに、僕は何かをしたんですか?」
視線を落として問う。何かして、嫌われてしまったのだ、そう――そう思いたかった。
嫌われる要因があったのだと。でなければ、
「違う」
ズキリと胸が痛んだ。
なら、どうして。と、大声で叫びたかった。けれど、じっと真剣な眼差しで二人を見つめる桃果の視線を感じ蒼は堪えた。堪えて、
「じゃあ…どうして、会いたくないってっ。実家の方にも戻って来ていない…兄さんは」
「俺の都合だ。悪いな」
さらりと告げられた言葉に、ならどうして。と言葉が募る。
「そんでもって、蒼には関係ないことだ」
その言葉に、心が凍った。
関係ないと、言われた。
そうだ。どうせ近所の年下の血の繋がらない赤の他人だ。
たとえ、兄弟のように親しく付き合ってくれていても結局は『赤の他人』なのだ。血の気が引く――。
事実を突きつけられて。
震える手を、心を、隠すために強く拳を握りしめた。
そして、震える喉は声に出して「碧なら――」と問いただしたかった。けれど、もしもここで『駒形蒼』だけ関係ないと言われたら――。
泣きそうだった。
「……そうですか…」
会話することを投げ出し、唯一の荷物である鞄を掴んで財布を取り出し席を立つ。
「すみませんでした…」
そう言ってお札をテーブルに置いて逃げるように店から出て行った。兄と尊敬していた正樹の呼びとめる声は―― 一切聞こえなかった。
呼びとめられなかったのだから、聞こえるはずなかった。そのことに、悲しくなって――情けなくも視界がこらえていた涙で歪んだ。
駅の切符売り場で財布の中身を見て蒼は焦った。
入れていたはずの一万円札がない。喫茶店で正樹と居るのが苦痛で逃げ出してきたときにテーブルに置いたお札の種類を思い出そうとするが、紙幣を置いた感触しか思い出せない。
けれど、置いたと思っていた千円札は財布の中に納まっている。
どうすればいいのか、どうしようか、蒼は行き交う通行人の邪魔にならないように壁側による。家族に、父に電話をかけることだけない。それならば迷惑を知っても兄妹の世話をしてくれている正樹の父親か…。それか妹――、碧にかけるしかないだろう。からかわれるのがオチだが背に腹は変えられないと、電話帳の中から碧の名を探し通話ボタンを押す――、瞬間、腕が引かれた。
驚いて腕を引いた人間を見ると、息を切らした―正樹がずれ落ちる瓶底眼鏡の位置を直しながら、
「……おつり」
と9450円を蒼の手の平に押し付ける。荒い息を整え、乱暴に蒼の髪をかき回し、
「元気でな」
口元を微笑ませて、目元を―悲しませて――。
背を向けた正樹の右腕を蒼は本能で掴む。
なんで、そんな、めで、
(『俺』をみるんだよ?)
驚いて振り返った正樹が腕を振りほどこうとしたので、左腕を掴もうと腕を伸ばした。
伸ばして、むに、っと柔らかいものを鷲掴みした。
「え?」
「ぃひっ」
むに、とするそれを何度か揉みながら、目を丸くして、
「え、…むね?」
ご、という音が鼓膜を震わせたかと思うと、こめかみが傷み、そして―視界が黒く染まった。