第十六話
十二月二十四日、クリスマスイブと言う名の恋人たちのお祭り―極端に言うと日本限定の―クリスマスケーキのバイトを終え、予約していたケ○タッキーのバリューパックを受け取って一人もりもり肉を食らう。
(むなしい…)
昨年、一昨年と相沢翔がクリスマスの虚しさに付き合ってくれていたのだが、今年はバイト先の後輩が風邪でダウンしたとのことで急遽朝方連絡が入った。三人前頼んでいたチキンを一人で食べる羽目になり、他の友人をチキンで釣ろうにも肉食ではなく草食―サラダを持参してきそうな感じで、さらには世話焼きの葛木桃果がホールケーキを携えてきそうな勢いなため、一人寂しいクリスマスイブとなった。
もりもりと鶏肉を胃の中に収めながら、パソコンのテレビ画面からはクリスマスイブに合わせたバラエティ番組が流れてきた。いつもなら深夜に放送する番組だがクリスマス特番と言うことで時間が繰り上げられている。下卑た笑を浮かべた芸人がタレントの男女関係を問いただし、ゲストが騒ぎ立てるという内容だ。
番組を変えてもニュースの時間帯と言うことで正樹はとりあえずその番組をつけたままもくもくと鶏肉を租借する。ウーロン茶で喉を潤しながら一パック空け、二パック目に手をつけようとするとドアベルが鳴った。視線は棚の上に置かれたデジタル時計に向けられた。二十三時十五分。首を捻りながら、油の付いた手を布巾で拭い「はーい」と声を上げた。そして、ドアの穴から夜遅く来た来訪者の姿を捉え―チェーンを外そうとしていた指先が固まった。コートを着た碧と、ダウンを着た蒼だ。
瞬時に正樹は自分の姿を見た。前開きのパーカーを羽織っている。中はトレーナーだ。ズボンはジーンズ。よし、いつもの格好。
(それでも見っとも無いんだけどなぁああ)
それでも二人には極力良い自分を見せたいという見栄がある。よし、と意気込んでチェーンに指がかかるが、脳裏に浮かんだ―蒼との最後。再び指先が固まる。
二人できたということは、
(まさか。絶交!?)
を言い渡すつもりじゃ!
正樹は震えた。震えて、居留守を使うにしても先ほど返事をしてしまったことを後悔した。と、突然、玄関のドアをぶち破るのではないかと言うほどの音が響く。誰かが扉を蹴った。誰か―、多分、蒼だ。碧が扉を蹴るという行為を結びつけることが出来ない故に、蒼だと決め付ける。正樹は音に驚いて、チェーンに触れていた指先が誤ってチェーンを外してしまった。チャリ、とかすかな音が響くと同時に、ガチャと鍵が回される。
「!?」
もちろん、正樹が回したのではない。内側でなく、外側から鍵が開けられたのだ。
「な、なん、な!?」
なんで?!
叫びかけた声が、飛び込んできた影によってかき消された。暖かな温もりが正樹を包む。
「まさきぃ!!」
とても嬉しそうな、いや嬉しがっている声だ。碧は正樹を抱きしめて、
「久しぶり!頑張ったよ!頑張ったんだからねーー!今日のために勉強頑張ったよー!補習なしっ!」
と主張する。目を白黒しながら、正樹は碧を抱き返した。冷たい鍵が閉まる音が室内に響くと、正樹は脅えたように震えた。その震えが碧に伝わったのか、
「ごめんなさい。寒かったよねっ。あ、チキーーン!蒼、チキンだよ!え?三パックもある?なんで?正樹三パックも食べるの?胃もたれしない?だよねー。するよね!胃もたれ!私が手伝ってあげるっ。あ、紋樹堂の正樹の好きなレアチーズケーキ買って来たよ!正樹はそっちね!蒼、包丁とお皿用意!はやくはやく!」
嵐のような問いかけに一切口が挟めず、正樹はチキンを見つけた碧がテーブルに飛びき、蒼の持つケーキ箱を示しながら、蒼に包丁や皿の準備を促し急かす様を唖然と見ていた。そんな正樹を呆れたように見た。テーブルにケーキ箱を置いた蒼がダウンを脱ぎ、台所の棚を引き皿と包丁を準備したところで慌てた。慌てて、
「え、は?!ちょ!なんでいんの!?」
「え?今来たよ」
「ほら、碧。お皿」
正樹の叫び声に碧はきょとんと瞬きしながら答え、蒼は碧が手にしたチキンの受け皿を渡す。
「ありがとう、蒼。蒼も食べよう」
「夜の11時だぞ。明日胃もたれするぞ」
「大丈夫だよー。あ、正樹はケーキね。ほらほら見てみて!真っ白で、イチゴが乗ってるの!」
レアチーズケーキを碧は見せる。それどころではない正樹はケーキに一瞬視線を移しながら、再びケーキに視線を移した。
「だからっ、…ちょ。これ、クリスマス限定?」
「限定だよー。蒼が並んで買ってくれたの!」
「え。まじ?あそこの店この時期超混んでるだろう?お前風邪引かなかったか?」
ケーキのために並ぶ蒼を想像し、問いただしたい事など綺麗さっぱり忘れて身体のことを心配する。むすりとしている蒼に正樹は、体調が悪いのか?と額に手を伸ばした。手の平から感じる体温は外から来たためにやや低めだ。蒼がさらに不機嫌な顔になる。そんな蒼と正樹を碧はニコニコしながら微笑んで、
「大丈夫だよ。蒼は元気がとりえだもん。この間なんて課外授業で学校で出たお弁当で皆食中毒になったのに蒼だけならなかった―」
「しょ!食中毒!?」
んだよ。と自慢気に告げる碧の言葉を悲鳴で遮り蒼の肩を掴む。掴んで揺らして、大丈夫なのか、病院ちゃんと行ったのか!?と鬼気迫る顔で問い詰める。蒼は問い詰める正樹に顔を寄せて、唇を啄ばんだ。ちゅう、と音が鳴る。目を丸くして固まった正樹に碧が「ずるーい」と声を上げ、背中に抱きついた。
「正樹、私もキ――」
碧が凍る正樹の唇に唇を寄せるが、蒼が手の平で遮った。瞬時にむくれた碧だが、背後から正樹をぎゅうと抱きしめて蒼に「ふふん」と鼻を鳴らして勝ち誇った笑みを浮かべた。その表情に眉を跳ね上げ、正樹を抱きしめる碧の手首を掴み引き離そうとした。
「やー。なにするのっ。まさきぃいっ。蒼がいじめる~~」
「正樹が困っているだろ。離れろ」
「困ってないよね?正樹は困ってないよね?」
腕に力を入れて全力で抵抗する碧に蒼が叱咤する。正樹はぽかんと成り行きを聞いていたが、頭の中は真っ白だった。真っ白で、
(え?なに?なに?え?なに?)
蒼のキスで微かに湿った唇を感じ、蒼と碧の攻防を右から左へと聞き逃していた。聞き逃していたために、あざけるように笑う碧と苛立ちをまったく隠さない蒼を見ることはなかった。
「まさきぃい」
悲鳴のような碧の呼び声で我に帰る。碧から蒼を引き離そうとすると、顎を掴まれて上向きにされ正樹はぐげ、と奇声を上げた。上げ、不機嫌そうな顔つきだった蒼があからさまに怒った顔で正樹を見ていた。その視線に言葉を失ってしまい、次の動作が遅れた。遅れたために、再び口をふさがれた。驚愕した。始めの触れ合うようなキスではない。背筋に言いえぬ悪寒が走る。逃れようと抵抗を試みるが碧がしっかりと正樹を抱きしめて離さない。悲鳴を上げたかった。どういことだ、と。おまえら何してんだ、と。けど、
「ん、んぅ…っ」
思考か痺れる。蒼の舌先に翻弄され、未知の感覚に恐怖した。女性と付き合ったことの無い、女性経験皆無の正樹は知識はあってもそれをすると、どう感じるかは分からなかった。溢れ出る唾液を舌で舐め取り、長く感じたキスは再び触れ合うだけのもので終わりを告げた。ちゅ、と言うリップ音で現実に戻る。蒼の親指が正樹のだらしなく開いた口からこぼれた唾液を拭う。
とたん、とてつもない羞恥心に襲われた。まるで赤ん坊にするような、幼い子供にするようなもので、碧の拘束を何とか解き手の甲で、服の袖で口を拭う。拭って、
「ぁああ、あおっ」
動揺し、困惑し、泣き出しそうになった正樹に碧が明るく声を上げた。
「ケーキ食べようよっ!」
といいつつ、チキンにかぶりつく。ん~~~っおいしぃい!と次々食べていく。
ケーキといいつつチキンにかぶりつく碧に正樹はいつもの碧でほっとした。
「蒼も食べようよ。正樹も~」
二人の分を皿に置き碧は渡す。布巾で指先を拭き、蒼の準備した包丁でケーキをカットする。カットしたケーキをお皿に置こうとして、
「お皿ないよ、蒼」
「そもそも、枚数が少なんだよ」
「えー、正樹。お皿もっといっぱい買ってよっ。蒼と私の分!」
お箸とか、おわんとか茶碗とか!明るく言う碧に、先ほどの蒼からの濃厚な口付けが嘘ではないかと――クリスマスが見せた幻ではないかという気になってきた。正樹は現実逃避をすることにした。そう、忘れるのだ。碧が『蒼』とキスしたことを何も言わないのは可笑しい。一人で見た、幻で――。そうだ、これは幻だ。
正樹は無言で碧の要求に頷く。頷いて、チキンにかぶりついた。
「あのね、あのね。蒼はお得だよー。彼氏にしちゃいなよ~」
むせた。
むせて、正樹は化け物を見るように碧を見た。碧は微笑んでいた。いつもの微笑だ。笑顔だ。笑顔で、
「碧、余計なこと言うな」
「えー。だって絶対正樹、蒼とのキスなかったことにするつもりだよっ。私だって正樹とキスしたことないのにっ」
むくれる碧に呆れる蒼、そして――、
(げ、げんじつかーーーーーー!?)
胸中絶叫した正樹。正樹はチキンを両指で持ったまま、
「な、ナニ、イッテルノカナ…。ミドリ…」
「蒼は正樹のことが好きだから、蒼と正樹が恋人になって、結婚すれば私は正樹の妹になれるじゃない?これって良いことだと思うよね!」
軋むような動作で蒼のほうを見る。呆れていた蒼は、正樹と視線を合わせると露骨に不機嫌になった。その不機嫌な様に、正樹は震えた。
今日来てからからずっと不機嫌だ。正樹は脅えた。
嫌われた―?怒らせた―?
正樹のすべてを肯定して(好いて)くれと思ってはいないが、否定される(嫌われる)ことは耐えられない。
「正樹、正樹は蒼のこと、きらい?」
その言葉に、正樹は首を横に振る。横に振って、
「……よく考えろ。…蒼は、男だ」
「正樹は女の人だよね」
碧の言葉にぐ、と呻く。現実を見ろといわれた気がした。
「いや、いやいやいや。よく考えろ。俺は男から女になったんだぞ!なんていうか、偏見的な見方でいうけど、ちゃんとしたもともと女の子とどうにかなったほうが―」
「正樹が男でも女でも、俺は正樹が好きだ」
真っ直ぐと告白してくる蒼に硬直する。いつの間にか「僕」という言葉を使い始めた蒼。礼儀正しい蒼。「よく正樹の乱暴な口調が移らなかったな」と揶揄されたときがあったが、蒼は礼儀正しく「正樹兄さんはちゃんと場をわきまえて言葉を使ってますよ」と答えた。つまりは、砕けた物言いのときは気心知れた人たちと一緒の時だと言ってくれたのだ。感動した。感動したので、言われたとき蒼と碧の前で乱暴な口調を使っていたことに激しく後悔し動揺した正樹は、蒼の前では自分らしくいようと決めたのだ。
「……『正樹』って…『俺』って…」
蒼の「俺」や「正樹」という呼び捨てを再び聞き、彼の中で新城正樹は「兄」でなくなってしまったことを再度思い知る。なら、蒼の中で新城正樹という存在は何になった?
「………なんで…?」
なんで、そんなのことになったんだよ。いったい。
正樹の指先から力が抜けて、チキンがぽとりと床に落ちた。つけたままのテレビ画面から笑い声が響く。碧も蒼も何も言わない。正樹はわけが分からないとうつむいた。うつむいて、顔を上げさせられた。不機嫌そうな、蒼と視線がかち合う。あからさまにため息をつかれた。
ビクリと正樹は脅えた。
「正樹兄さんを別に女性として扱うつもりはありません。ただ、正樹が好きなんだ。一緒にいたい」
「それは、へんだ―」
「どうして?」
「だって」
視線だけが碧向けられる。その意味を蒼は知っているのだろう。両手で正樹の頭を挟んで視線を自分だけに向けさせる。
「碧のことですか?兄妹で折り合いをつけました。兄さんは碧から手を離したんでしょう?なら碧が誰を選ぼうと兄さんには関係ないでしょう。兄さんが碧がしがみついて離さなかった手を振り払ったのなら、僕が兄さんの手を掴んでもいいでしょう?」
よくない、と出かかった言葉を飲み込んだ。飲み込んで、
「碧の代わりにおまえがって言ってるようなもんだぞ」
「代わりになるつもりはないよ、俺は」
なんだそれは。というか、これは蒼なのか?俺の知っている蒼はもう少し優しい男の子だった。なんだこれは。おかしい、おかしい。なにもかも、おかしい。
混乱している正樹を絡め取るように額に口付けを落とし、爆弾を投げつけた。
「前に言った通りお正月までお世話になります、兄さん」
はぁ!?という言葉は、碧のケーキコールによって遮られた。正樹の顔を抑えて上げさせていた蒼の両手が離れると二人でチーズケーキを数少ないお皿に置いた。混乱して言葉を失っている正樹に、碧がフォークで細かく切ったチーズケーキを刺して笑顔で「あーん」と言った。食べさせてくれるのだろう。ぼんやりとしていた正樹はいつもの癖であーんと口を開けた。が、その開けた口に別方向からチーズケーキを刺したフォークが乱暴に差し込まれた。
「むげっ」
「あーー!」
正樹の奇声と碧の非難の声。蒼は碧に対してふんっと鼻を鳴らして勝ち誇ったように笑う。そんな蒼に、厳しい表情を向け、
「……そう。でも、正樹は私のなんだからっ!正樹!一緒にお風呂入ろっ!」
チーズケーキを租借していた正樹が咳き込む。咳き込んで、信じられないものを見るように碧を見て、
「ちょ、なにいってんの?!」
悲鳴を上げた。碧は胸を張って、
「正樹は女の子。私も女の子!一緒に入って何が悪いの!?恥ずかしがることも男女だからってお風呂に入らなくなったのも、もう関係ないもーん!」
全力で正樹にタックルし、抱きしめた。ぐえ、という悲鳴を無視し、正樹を押し倒した状態で「正樹と洗いっこできるんだよねっ。二十歳にならなくても、うれしいことだよね!」と笑顔で言う。そんな碧を蒼が無理やり引き離した。「やーだー」と騒ぐ碧に、近所迷惑だろ!と叱責し、正樹に謝ると碧はむくれたまま静かになった。正樹の立場を悪くしたくないのだろう。そんな小さなことに正樹はじーんと胸を打たれ、ほだされる。チョロイと思われていることは本人は知らない。
「いっしょにはいろっ」
上目遣いで碧が正樹のパーカーの裾を掴む。大好きな幼馴染(妹)にそんなことされれば縦に頷かざるえない―が、
「バスルームが狭くて二人は無理だし、風邪を引くから駄目だ」
と、正樹の腰を引き寄せてぽすりと胸に抱きかかえる―これまた大好きな幼馴染(兄)。
蒼の体温を感じ、正樹は思考を彼方へ飛ばすことにした。




