A reserved eye
「じゃあ、死んだら遺るわね」
私が笑った。彼はきょとんとしたけど、やがてぎこちなく頷いた。
ある日の昼下がりだ。彼と私は講堂の脇道にいた。特に意味は無い。ただの用事の延長線だ。突然、彼のきれいな手が私の髪に触れた。断って置くならば、私たちは恋人同士ではない。敢えて言うなら仕事仲間だった。
仕事仲間にしては、やけに親しいことを否定はしない。だが馬が合う、と言うだけの間柄、なだけだ。本当に疚しいことなど、今のところ一切無い。
だから、彼が私の髪に触れたことも何の情緒も多分含まれていなかったはずだ。私は元より、彼、も。
「落ち葉。飛んで来たのかな?」
彼の私の頭から離れた指に摘まれたのは何処からか降って来た葉っぱ。秋ではないので、その色は青々としていた。……ほら、ね。
「ん。ありがと」
「どういたしまして」
緩く微笑んだ、彼。形の良い指が葉をひらり落とすと新たな役目として己の眼鏡を押し上げた。
「襟曲がってる」
「ああ、……ありがとう」
仕草を目で追っていた私が今度は彼の襟を正す。弛められたネクタイはどうしたものか。コレはわざとだから良いか、と襟から手を放した。刹那、彼の目がきらりと光った。
彼は目が悪い。それは単純に視力の問題ではなく。私は彼を見上げた。どうした? と、問う彼を放置して私は一点を見詰めた。彼の、先程光った目だ。この目は、私や、彼自身のもう片方の眼球に比べ 透明感が強い。 それはそうだろう。
だって、義眼だから。
彼は幼い時分、事故に遭って片方の瞳を失った。目を潰したどころか汚染による炎症を起こして取り除いたらしいのだと言う。いつだったか、何の機会だったか忘れたが、やはり今日と同じように二人でいたとき聴いた。
私はこの話を聞いて以来、彼の片目を殊更注視するようになった。
物めずらしさ、と言うより僅かな愛着で。
「ねぇ、」
「んー?」
私が仰ぎ見、彼が少し体を傾け覗き込む。その距離感が、私は好きだった。私は、私が好きな距離感で喋った。
「右の目」
「これ?」
彼の顔にも声にも拒絶は感じられない。むしろどこか揶揄さえ見え隠れしている。彼は眼窩を埋めるための代替品を恥じていない。尋ねられたら正直に答えるし平然とネタに出来る。彼にとって義眼は卑屈になる要素ではないようだ。わざわざ触れ回ったりしないけれど。腫れ物みたいに扱う者に関しては別だけど。
「何? これがどうかしたの?」
「……。ね、死んだら遺体って焼くじゃない?」
彼の重ねた質問をスルーして私は質問で返した。さすがに彼は目を見開く。また義眼がきらり、反射した。
「焼くね」
だけど律儀な彼はきちんと応答してくれる。私は再度質疑した。
「あなたも焼くでしょう?」
「そりゃあね。別に神道を信仰してないから土葬にする予定は無いかな」
訳がわからないままだろうに、彼は私へちゃんと一問一答を守ってくれる。私は笑みを浮かべて続けた。
「じゃあ、遺るわよね、それ」
「え、」
「だって遺体焼くんでしょ?」
「いや、まぁそうだけど」
「じゃあ、死んだら遺るわね」
私が笑った。彼はきょとんとしたけど、やがてぎこちなく頷いた。
「や、でもわかんないよ? 指輪とかも遺るらしいけど変形するらしいし……」
「それでも良いの。ね、それなら
私にちょーだい。
遺った、その眼を」
さすがに彼も目を瞠った。きらっと、三度目光る。
「え、そ、れは、何で……」
吃って発せられる疑問。私の口角は更に吊り上がる。私の笑みに連れ彼の戸惑いも深くなったろう。常に飄々としている彼らしくなくてつい、可愛いなぁ、と思ってしまう。
「欲しいから?」
「……これを?」
訝しげな彼へ私は変わらず微苦笑した。確かに、おかしいなぁと自覚は在る。義眼とは言え他人様の目玉をくれ、などまるで不気味なマッドサイエンティストだ。強ち遺伝子工学専攻の私は間違いではない気もするが。
「そう、欲しいの」
「……」
「嫌?」
「嫌って、言うか……」
眉間に皺を作りながら口籠もる彼もまためずらしかった。可愛いなぁ、とやはり思う。
「て言うかさ、」
「うん」
「新しいものを買うとか、もっとインテリア? と言うかそう言う飾り的な用途で作られたものを買えば良いんじゃない……?」
「それは嫌。それなら要らない」
考えながら提示された意見をさらっと即座に却下すると、彼の表情はますます困惑に染まった。私はわらった。
「どうして……これが、欲しいの……?」
「欲しいから───あ、けどね、今欲しい訳じゃないの。だからわざわざ新しいのに替えないでね。
あなたが死ぬ、そのときまで、あなたに寄り添ったものが欲しいんだから」
「……」
「何?」
「いや、凄いプロポーズみたいだな、と……」
彼がぎくしゃく油も注していない機械のような所作で呟いた。私はここまでとは違っておかし過ぎて笑い飛ばした。
「やぁーね。プロポーズなんて例え、世のカップルに失礼よ。
もっと身勝手で残酷だわ。
あなたの一生に添う気も無いくせに、あなたを死んでからも縛るんだから」
「……」
そう。そんなロマンチックじゃない。
私は随分非道なことを要求しているのだ。
生きている間、私は彼と共にする気が今のところ微塵も無い。今後は不明だけど。もしかしたら何か必要に迫られていっしょにいるかもしれない。
だけども、そこはかとなく、いっしょにはいないだろうと思う。ただ、たまに時間を共有するだけだ。
残酷とも言える残念な私の申し出を黙考の末、彼は仕方ないね、とばかりに了承した。
「遺言にでも書けば良いのかな」
「“義眼は友人に譲る”って?」
「そうだね。……本当に、全く以て、きみは変わっている」
嘆息めいた、独り言のような一言に私は思いっ切り微笑んだ。
彼は誉めた訳では無いだろうけれど、私には誇らしく思えたから。
持ち主に同意するように、眼鏡の奥で彼の眼がきらっと光った。
【Fin.】