第9話:見果てぬ夢
「はぁ~……」
月と星々の光、そして静寂の闇だけが支配する荒野の真っ只中、その空中にぽつんと浮かぶ物の上、大樹は大きく溜息を吐いた。今はオスカーもコハルも居らず、周りは植物に覆われ、小さな庭園のような様相となっている。
あの宣誓から半日が経ち、勢い良く村もガラクタの山も飛び越えた大樹たちであったが、コンテナの動力源となっている<魔法の絨毯>の魔力のエネルギーが無くなってしまい、今は進行を止めている。魔力は放っておけば自然に回復するし、進むことは出来なくても空中に浮かせる位なら残った僅かな魔力でも可能なため、キマイラの襲撃を避けるために二十メートル程の高さに浮かんでいるのだ。
進行を停止した後、あまりにも殺風景だったコンテナに見かねた大樹は、アイテムポーチからベッドやテーブル、果てはシャワーに至るまで様々な装飾用アイテムを取り出し、コンテナの内装を一新させた。そのため、今のコンテナの中は一流ホテルもかくやと言う程の設備が整っている。
さらに、コンテナ部分だけではさすがに窮屈だったので、コンテナの上にログハウス風の建物を増築するというトンデモ技をやってのけた。今は一番下のコンテナがリビング、その上に大樹、オスカー、コハルの個別の部屋があるという状態だ。
一番上のスペースが余ったので、そこには土を蒔き、<種を蒔くもの>以外の大樹が持っていた植物の種を少しずつ植えてみた。大樹のステータス補正により蒔いた種は一瞬で若木に育ち、もう少しすれば新鮮な果物や野菜も収穫できそうだ。
纏めると、一番下に乙女チックな柄の絨毯、二番目に荒々しい虎の描かれた巨大コンテナ、そこから上に木製ログハウス風の部屋が三段重ねで、一番上が畑という滅茶苦茶な物体になっている。しかもこれらが高速で空中を飛び回るのだ。誰かに見られたら不審に思われて打ち落とされても文句は言えないなと大樹は思ったが、とにかく居住性が第一だということで見た目は二の次にした。そのうち余裕が出来たらカスタマイズをしたいと言うのが大樹の隠れた野望である。
「ヒロキ……お前、本当に無茶苦茶やるんだな……」
「す……凄い……ヒロキさん凄すぎです……」
太陽が紅く染まってから、日没までの僅かな時間でこれら全てを大樹はやってのけたのだが、それに対して二人はただ絶句していた。生活系プレイは得意だったので、ちょっと調子に乗りすぎたかと大樹は不安に思ったが、単に二人の思考が追いついていなかっただけで、暫くすると、二人とも新しいおもちゃを貰った子供よりもはしゃぎ回って魔改造コンテナを走り回っていた。
これらは全てサンクチュアリのクエスト報酬などで貰える建築用素材を使った。ソロプレイのみの大樹には、家の素材などは最低限あればよかったのだが、貧乏性なので捨てるに捨てられずアイテムポーチの肥やしとなっていたのだ。それが今こんな形で日の目を見ることになったのだから、人生とは万事塞翁が馬である。
大樹はサンクチュアリで作った物が、ここまで喜ばれたことが無かったので、とても上機嫌だった。表には出さなかったが、内心でゴールを決めたサッカー選手もどん引きする程のパフォーマンスをしていたのは内緒である。
そんな慌しくも楽しい時間が過ぎ、大樹は一人、屋上の小さな庭園で過ごしているのだ。作られたばかりの真新しい欄干に寄りかかり、寒々しく荒野を照らす月明かりの下、その新緑色の髪に手を伸ばし頭を抱える。
(僕の馬鹿! 馬鹿! もっとしっかり考えて行動すればよかったのに!)
内心で大樹は自分を責める。村で髭の男の挑発に乗るような形で力を誇示し、皆を驚愕の渦へ巻き込んだ。さらにオスカー達に仲間と呼ばれた感動で、そのまま村もガラクタ山も一気に飛び越した。その後は内装を喜ばれた高揚感に支配され、全体的に暴走したテンションで今日一日を過ごしたと言える。
だが、少し冷静に考えてみれば、そうするべきでは無かったのだ。そもそも自分はガラクタ山から発掘されたのだから、まず第一に現場を調べるべきではないか。自分が入れられていた機械を調べれば、元の世界へ帰れる手段も見つかったかもしれないし、少なくとも手掛かりや、紛失した装備くらいはあったかもしれない。そういった可能性を全く考慮せず、ただその場の感情に任せて行動したことを大樹は後悔していた。
自分はいつもそうなのだ、AとBという選択肢を相手から突きつけられた時、ほんの少しだけ考えを巡らせれば、もっと良いCという選択肢が少し離れた場所にあるのに、そこに気がつくことが出来ない。そういった頭の回転が鈍いから自分は駄目なのだ。一人きりで夜の闇の中に取り残され、大樹の気持ちが暗く塗り潰される。
「ヒロキさん? どうかしたんですか?」
そんな時、後ろから声が聞こえてきた。少し躊躇うような、それでいて大樹を気遣うような声、その声に反応して振り向くと、そこにはコハルが立っていた。
「コ、コハルさん!? 寝てたんじゃなかったの?」
「お兄ちゃんは下で爆睡してましたけど、私は色々なことがありすぎて眠れなくて……それより……」
「え?」
「『さん』はいらないって言ったじゃないですか」
コハルは苦笑を浮かべながら、大樹の横へ寄り添うように立った。大樹の方が少し背が高いので、下から見上げるような形になる。そういったシチュエーションに慣れていない大樹は少し緊張してしまうが、何とか返事をする。
「あ、いや! 別に嫌ってるとかそういうのじゃなくて! ただあんまり人の事呼び捨てにするの慣れてないから……」
「あはは、別に責めてませんよ。ちょっと意地悪でしたね」
「それにコハル……も僕のこと『さん』付けで呼んでるじゃないか」
「あ! そういえばそうですね。実は私もあんまり慣れてなくて……」
そう言ってコハルは軽く笑う。大樹も釣られて少しだけ笑うが、その後の会話が続かない。まずい。何かコハルを楽しませることを言わないといけないのだろうが、元の世界の同性とすら滅多に会話しないのに、異世界の女の子相手に何が受けるのかなど、大樹にとっては猫が何を考えているのか想像するより難しい。
「ヒロキさ……ヒロキ、少し聞いてもいいですか?」
「ん?」
大樹が頭の中をフル回転させているのを尻目に、コハルの方から話題を投げかけてきた。コハルはどう言い出すか考えているような、ほんの少しの沈黙の後、大樹にしっかりと目線を合わせて口を開いた。
「ヒロキの世界の事を教えて欲しいんです」
「僕の……世界?」
「はい。だってヒロキは凄いから、そっちの世界って凄く幸せな世界だったのかなって思って」
「………………」
「私達にも力があれば、もっと皆幸せに暮らせるのかなって思って。でも私達はそもそも何が幸せなのか分からなくって、だから、ヒロキの世界の事を知れば、何かヒントになるんじゃないかなって思って……」
コハルは大樹の気を悪くしてしまったのかと不安になりながらも、じっと返答を待っている。至近距離で下から縋るように見つめてくるコハルを見ていると、大樹は改めてコハルの容姿を意識してしまう。コハルはとても綺麗だ。化粧っ気などまるでないのに、その素朴さがとても似合っていると感じてしまう。
「あの……ヒロキ?」
返事がない事を不安に思ったのだろう、コハルがその鳶色の瞳で不安げにヒロキを見上げてくる。月の光に照らされ、綺麗な短い黒髪が柔らかな光を反射している。その姿を大樹はただ黙って見ている。
大樹は考える。自分の世界とは一体何なのかと。仮想ゲームの世界サンクチュアリの話をするべきだろうか。だがサンクチュアリでも、楽しんでいるプレイヤーを妬んだ足を引っ張る行為をする者、個人情報を特定して晒し上げる嫌がらせ、弱い種族はパーティから排除、一部の強権を持ったプレイヤーがレアアイテムを独占する等、決して楽しいばかりの場所ではなかった。実際大樹はサンクチュアリでも浮いていたのだから。
やはり元の世界の現実のことだろうか。だが、そこでも様々な問題があった。いじめ、汚職、環境破壊、戦争……強いものが弱いものを踏みにじり、富める者はますます肥え太り、貧しい者はどんどんやせ細る。その世界からはじき出されてサンクチュアリに逃げ込んだ人間が白野大樹なのだから。
「コハル……僕の世界は……」
「結局、どこに居てもそれなりに面倒ってことか」
大樹が考えの纏まらないまま言葉を発しようとした時、樹の陰からオスカーが声を掛けてきた。その姿には、大樹よりもコハルが驚いたようであった。
「お、お兄ちゃん!? 聞いてたの!?」
「いやまぁ……なんつーか、ついさっきここに来たんだが、お前らがいい雰囲気だったから出て行き辛かったっつーか……」
オスカーも盗み聞きをするような形になった事を悪いと思っているようで、少し歯切れ悪く答える。
「でもよ、ヒロキが言いづらそうにしてる所を見てたら、ああこいつもこいつで大変なんだなって思ってよ」
「ヒロキ、やっぱりそうなんですか?」
「うん……」
オスカーが話の流れを作ってくれたお陰で、大樹もすんなりと肯定をすることが出来た。コハルに夢のある作り話をするべきか、それとも現実を伝えるべきか迷ったが、結果的には後者の流れになってしまった。コハルには悪いかもしれないが、大樹としては嘘を吐かなくてよい分幾分気楽にはなった。
「あの、僕の世界はね……」
「ヒロキさん、もう言わなくていいですよ」
「え?」
「ヒロキさん、何だか辛そうな顔してるから……」
自分はそんな顔をしていたのだろうか、大樹には良く分からないが、今の決して楽しくない気持ちから考えると多分そんな顔をしているのだろう。そんな事を考えていたら、突然オスカーが大樹とコハルの首に腕を回し、三人で小さな円陣を組むような形になる。
「まぁ何だ! 辛気臭い話はやめようぜ!」
「オスカー……?」
「お前の事について細かくは聞かねぇよ! 人間生きてりゃそれなりにしんどいもんだろ」
「お兄ちゃん?」
「だから、ありもしない天国なんて期待してないで、俺達で天国ってのを作ろうぜ!」
そう言ってオスカーは不敵な笑みを浮かべる。自分たちで天国を作る。大樹はそんなことを考えもしなかった。ぼんやりとそんなことを考えていると、オスカーにヘッドロックをかけられた状態で反対側の欄干へと連れてこられた。
「ほら、お前が……俺達が今日一日でやったことが見えるだろ」
「わぁ……」
そう言われ大樹とコハルはオスカーの示す方角へと目を向けた。その目の前の光景に、コハルは感嘆の声をあげる。大樹達の乗るコンテナから俯瞰して見ると、今まで進んできた道に、緑の点が出来ていた。それは大樹のスキル<種を蒔くもの>により作られた森や水場である。広大な荒野に比べてあまりにちっぽけではあるが、どれも青々とした生命力に満ち溢れている。
「今はまだ全然大したことねぇけどよ、こうしてどんどん進んで、進んで進んだその先にきっと何かあるんじゃねえか? 少なくとも俺はそう思う」
「うん……僕もそう思う」
「私も……」
大樹は思う、自分の前に広がる未知があまりにも巨大すぎて、その不気味さに恐れおののいた。だが、そんな巨大で正体不明な敵に対して、自分達はほんの僅かだが抗ってもいたのだ。自分はその事にまるで気がつかなかったのだと。
今までだって訳の分からぬ漠然とした恐怖に追われ、後ろ向きで生きてきた。だが、それで何かいいことがあったのだろうか。何もありはしなかった。だから、今は過ぎた事を嘆くより、前に進むことを考えよう。前に進むこと力を持てれば、きっと来た道を戻る事だって出来るはずだから。今の自分がどうであれ、そんな自分を必要としてくれる人が居て、出来る事がある。今はそれでいい。
――満天の星空の元、三人は今日進んできた道を、高い空から満足げに見下ろした。