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第6話:竜虎相搏つ

 オスカーに腕を引っ張られ、有無を言わさぬ勢いで市中引き摺りまわしの刑に処せられた大樹は、老朽化し崩れかけた灰色の建物が並ぶ通りの中、比較的まともに見える建物の前へ連れてこられた。結構な距離を走ってきたためオスカーの息は荒いが、それ以上に精神が高揚しているのが原因のようで、額に玉の汗をかきつつもその表情は明るい。その反面、大樹は自分が殆ど呼吸を乱していないことに驚いていた。


 大樹が全力疾走をさせられたのは数年ぶりだが、見るからに生命力に満ち溢れたオスカーの暴走ダッシュに付いていけるということはありえない。これもサンクチュアリの能力が反映されているのが原因だろうが、果たして一体どの辺りまで反映されているのか分からず、大樹は強化された自分の肉体に喜びよりも戸惑いを感じていた。


 そんな大樹の内なる思いなどまるで把握していないオスカーは、ドアを蹴破る勢いで建物に飛び込み、大樹が思わず耳を塞ぐような大声で叫びを上げる。


「おい村長! 行ける! 行けるぜこれは!」


 オスカーは待ちきれないとばかりに一方的に叫びつつずんずん部屋の中に進む。反面、大樹はどうしていいか分からず入り口に立ち尽くしている。


「落ち着けオスカー。行ける行けると言われても意味が分からん」


 落ち着いているがよく響く低い声が建物の上方から聞こえてきた。オスカーと大樹が声のする方へ顔を向けると、部屋の奥にある階段から一人の男が降りてくる姿が見えた。大樹は何となくヨボヨボのお爺さんを想像していたのだが、目の前に姿を現したのは、予想に反して割とがっしりとした体格の男性であった。側頭部以外の髪は抜け落ち、わずかに残っている部分も殆ど真っ白であるが、背筋はしゃんと伸び、茶色の瞳からはその意思の強さが感じられ、全体的に引き締まった印象を与えている。


 村長と呼ばれた男性が大樹達の目の前に降りてくると同時に、息も絶え絶え、半死半生の体のコハルがようやく追いついてきた。それを視認したオスカーは口元を吊り上げ、再び村長の方へ体を向き直す。


「んじゃ、役者も揃ったみてーだし、本題に入るとしようぜ」



 大樹、オスカー、コハルの三名は、奥まった部屋の一室に通された。壁には黒板のような巨大な黒い板が掛けられ、部屋の真ん中に長いテーブルとくたびれた椅子が何個も置かれているが、それでも村長を含めて四人だけだとかなりの広さがある。もしかしたら会議などで使う部屋なのかもしれない。


 この部屋に限らず、村長の家はオスカー達の家と違って、全体的にかなり広くて綺麗な造りになっている。地面もむき出しでは無く、床はリノリウムのような材質でコーティングされ、天井には電灯のような明るい光を放つ物が付いている。単純に家の内装的だけなら大樹の居た世界に非常に似通っているが、家具として置かれている物は殆どが錆びていたり年季の入ったものばかりだ。中には何に使うか全く想像も付かない精密な道具もちらほらと見受けられる。

 

 あまり考えたくは無かったが、改めて大樹は自分が異世界というか、全然知らない場所に来てしまったことを認めざるを得なかった。サンクチュアリからログアウトが不可になったという方が説明が付くのだが、幾ら世界観を無視し続けるサンクチュアリの世界でも、こんなフィールドは実装されていない筈だ。だが自分はサンクチュアリのキャラクターの姿のままで、さらに諸々の能力も持っている。世界と自分の立ち居地がかみ合わず、全体的にチグハグで説明が付かない。そんなことを考えていた大樹だが、オスカーが早口で捲くし立てる声に意識を引き戻された。


「だからよ爺さん、行けるって! これなら絶対行けるんだよ!」

「行ける行けるとさっきから煩い奴だ。一体どこへ行くと言うんだ?」

「決まってんだろ。ガラクタ山の荒野の向こう、あのバカでかい山脈の向こうにだよ!」


 そう言うとオスカーは椅子から立ち上がり、部屋の両開きの窓を一気に開け放ち、びしっと指を突き立てた。指の先が示す方向には、以前ガラクタ山でオスカーとコハルが話題に上げた、赤茶けた巨大な山脈が太陽に照らされてくっきりと映っていた。


「……どういうことだ?」


 これまで淡々と聞き流していた感じだった村長の声に、何か鋭い物が混じるのを大樹は感じた、その不穏な空気をコハルも感じ取っていたが、オスカーは知ってか知らぬか、へっ、と笑い、さらに饒舌な口調で話を続ける。


「話の分かんねぇ爺さんだな。つまりチャンスが来たからには今あそこを越えるしかねーだろってことさ」

「……チャンスとは何だ?」

「こいつだよ」


 こいつ、とオスカーに言われ、大樹は肩にポンと手を置かれた。え? 何? 何の話? 大樹は訳も分からずオスカーの顔を見て、次に村長の顔、最後にコハルの顔を見る。皆それぞれ作っている表情は違うが、言わんとしていることは理解できているらしい。恐らく大樹が鍵になっている話だとは思うのだが、肝心の大樹本人が全く展開に付いていけていない。


「俺の家がでっかい樹に埋もれたのを爺さんも見ただろ? しかもどこから沸いたんだか知らないが、小さいけど綺麗な泉まで出来てやがった」

「それだけじゃないですよ。その辺りで見たことも無い赤い木の実が沢山取れたんです。ちょっとだけ食べてみたけど、あんなに甘くて美味しい果物初めてでした!」


 オスカーが状況を説明し、それにコハルが補足するように言葉を重ねた。余程その果物が美味しかったのか、その感覚を思い出してコハルは恍惚の表情を浮かべている。大樹としては<種を蒔くもの>の追加効果で、果物や薬草といったものを一定確率で採取できることを知っているので、果物の存在自体は驚きではない。だがサンクチュアリで食物はあくまでステータスや能力を一時的に強化できる消費アイテムという形であり、食べる振りは出来ても味覚などは再現出来ない。彼らがその前提を平然と無視していることに驚いていた。しかし、それが「行ける」という事と一体どう関連するのかは相変わらず理解できない。


「オスカー、お前の言いたいことは大体分かった。つまり、そのヒロキという物の能力を借りて食物や水場を確保し、あの荒野を渡りたいということだな?」

「ヒュウッ! さっすが爺さん! 頭の回転が速くて助かるぜ!」


 我が意を得たりとオスカーは指を鳴らして満面の笑みを村長に向ける。


「駄目だ」


 そんなオスカーに冷水を浴びせるかのように、村長はぴしゃりとオスカーの言葉を跳ね除けた。オスカーは何を言われたか理解できず一瞬固まっていたが、理解が彼の頭脳に追いつくと、さきほどの笑顔から一転、般若の形相を作り村長を睨みつける。


「おい爺さん……そのつるピカ頭の中身までツルツルになっちまったのか?」

「生憎、まだお前よりは頭に自信はあるぞ」

「そうかい。その自信の割には耄碌しちまったような言葉が聞こえたけどな」

「何度も言わせるな。駄目なものは駄目だ」


 村長とオスカーの間にめらめらと炎が燃え立つように感じられて、大樹とコハルはあたふたしているが、もはや村長とオスカー、完全に二人だけの世界に入っているようで気にも留められない。大樹としてもその世界に割り込みたくないので、事の成り行きを見守るしか無い。


「正体も分からぬ物の力を使い、さらにその先に何があるかも分からない場所へ、貴重な村の資材を投入するなど愚の骨頂だ」

「俺の妹を助けた! ちゃんと意思疎通だって出来る。おまけにあんな凄い力を持ってんだ。そんな力があるのに今使わないでどうすんだよ!」

「その力をこの村の中で有効活用すれば良いのだ。村の資源が潤えば、それだけ家畜や人間を養うことが出来る。そうすればキマイラによる被害も減るだろう」


 ここで大樹はようやく話の内容が漠然と理解できた。オスカーは村を飛び出すため、村長は村を維持するため、大樹の力を使おうとしているらしい。大樹はそこに自分の意思が含まれて居ないことに若干の苛立ちを感じるが。今までの人生で大樹の意思が反映されたことなど数少ない。小さな頃からの積み重ねにより、自然と他人の意見に従うようになってしまっていた大樹だが、ここでもその処世術が発動してしまい、結局口を出すことが出来なかった。


「これから一生あの不細工共に怯えながら、こんな狭っ苦しい籠の中で暮らすのかよ!? キマイラをぶっ倒す強力な武器とか、まだ知らないもっと住みやすい場所とか、とにかく色々可能性はあるだろ」

「そんな物など無い。私はお前の三倍以上生きているのだ。今居る場所に納得し、如何に住み良くするか、それをどう維持していくかを考えるのが正しいのだ」

「そうやって先祖代々、何百年も同じ事を繰り返して来たんだろ? それで何か良い事あったのかよ?」

「良いも悪いも無い。私達はここに生まれてきたのだから、分相応に生きるだけだ」

「それが『生きる』って言えんのかよ!」


 二人の意見は平行線だ。大樹としてはこんな険悪な場所からは出来る限り早く抜け出したい所だが、何せ自分が論点の中心なので下手な動きは出来ない。大樹自身はどちらに協力するべきか、それともどちらにも協力しないか、そもそもそれらが出来るのか自分でも考えが纏まらないまま状況だけがどんどん進んでいく。誰か時間の流れを止めてくれないかと大して信じてもいない神に祈りを捧げる程度が関の山だ。


「おいジジイ……あんまりしみったれた事ばかり言ってると本当にぶっ飛ばすぞ」

「私も昔はキマイラ相手に取っ組み合いをしていたが、言って分からぬ生意気な小童も力で分からせるしかないか……」


 村長とオスカーは、両手をテーブルについてゆらりと立ち上がるが、お互いの背中にそれぞれ竜と虎を背負っているようなドス黒いオーラを放っている。大樹としてはサンクチュアリ内のPvP(プレイヤー間の対戦)観戦だったら、アフターエフェクトで重苦しい効果音でも出して演出してやりたい所なのだが、現実だと考えると胃が痛くなってくるだけだ。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 流石に見かねたのか、コハルが怯えつつも慌てて男二人の制止に入る。


「そ、そうだ! 色々バタバタしていたせいで大樹さんに村を案内してませんでした。この村のことを知らないと、大樹さんも何をしていいか分からないと思います。そ、村長様、この村を案内する許可をいただけないでしょうか」


 コハルが二人を宥めるために苦し紛れに発言したのは見え見えではあったが、大樹としてもその申し出はありがたい。村と言われても殆ど状況が把握できていないし、何よりこの場を抜け出す口実が出来るのが一番大きい。


「ふむ……報告は大体聞いているが、確かに凶暴性は無さそうだな」


 村長は珍しい動物でも見るように大樹をじっと見つめる。自分の外見が浮いている事は大体把握できているが、大樹はあまり人の視線に晒されることに慣れていないので、気恥ずかしいような、責められているような何とも言えない気分になる。


「分かった。ではそのヒロキとやらの扱いはコハルに一任しよう。万が一危険を感じた場合のために救援信号を出せるブザーを渡しておくが、必要ないことを祈っておるよ」


 村長はそう言いながら、テーブルの脇の引き出しから小さなブザーを取り出してコハルに手渡す。やっぱり完全に信頼はされないんだなと大樹は少し落ち込むが、現状では仕方ない、村を見回せる許可を貰えただけでも良しとしようと考えた。


「私のほうは大丈夫ですけど、その……何といいますか……」


 コハルが言いあぐねていると、その内心を察したように村長が笑顔を見せる。


「なに、暴力沙汰は起こさんから安心しろ。さっきのはちょっとした冗談だ」

「嘘つけ爺さん! お前さっき俺のことぶっ飛ばす気満々だっただろうが!」

「まぁ降りかかる火の粉は払わねばならんからな。私の方から手出しはせんよ」

「俺だって人間相手に無駄に暴力振るったりしねえよ……」


 ワンクッション置いて少しは落ち着いたのか、村長とオスカーはコハルに苦笑を浮かべる。まだ若干不安は残るが、とりあえず先程の一触即発な雰囲気は無いことにコハルと大樹は安堵の表情を浮かべる。


「それじゃ、ヒロキさん行きましょう。村の案内をさせて貰いますので」

「あ、は、はい! よろしくお願いします」


 大樹は慌ててコハルに頭を下げる。その慌てぶりがおかしかったのか、コハルがくすりと笑みを浮かべる。それを見て大樹は赤面するが、決して悪い気はしなかった。


「んじゃ、俺はもうちょっと村長と話をしてくから、後でまたここに戻ってきてくれや。ヒロキ、お前うちの妹に手出したら真っ二つにするからな」


 冗談めかして声を掛けてくるオスカーに何と返事していいか分からず、大樹は曖昧な笑みを浮かべて手を振る。そして、なるべく突っ込まれないうちにそそくさと村長の家を出た。明かりは取り入れているが、それでもやはり薄暗い家を出れば、空には青い空と、雲ひとつ無い晴天が広がっていた。そのどこまでも広がる青空の下、埃っぽく瓦礫まみれの道の真ん中にコハルが立っていた。コハルは大樹に向き直り、柔和な笑みを浮かべて口を開く。


「では改めまして。ようこそ、私達の村へ!」



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