第5話:種を蒔くもの
火事場の馬鹿力というか、死に物狂いの抵抗で何とか怪物を撃退した大樹は、呆けたように自分を見上げているコハルに手を差し伸べる。その手が光り輝いているのを見て、アフターエフェクトを切り忘れて居ることに気が付いた大樹は慌てて演出効果を解除した。一体どこの世界にキラキラな光を纏わり付かせて動き回る人間がいるのか。いきなり不審者度がアップしてしまったと思った大樹は後悔するが、やってしまったことは今更取り戻せない。コハルは相変わらずぼーっとこちらを見つめたままだし、一体どうすれば良いのだろう。そう考えていた矢先、けたたましい足音と共に一人の若い男が転がり込むように家に飛び込んできた。
「コハルっ!! 大丈夫かっ!?」
それはコハルの兄、オスカーであった。全身傷だらけで、肩で荒い息をしながら仁王立ちするオスカーは、まさに手負いの猛獣といった感じで、その勢いの凄まじさに大樹は思わず数歩後ずさる。オスカーは大樹の存在に気づき、血走った目で彼を睨みつける。
オスカーの目には、天井と壁を破壊され、家中無残に荒らされた痕、泣き腫らした顔で地面にへたり込んだ妹、そして妹にその魔手を伸ばす、緑の髪の奇妙な男が映されていた。それを見た瞬間、妹が無事であった安堵と、それと同じくらいの怒りがこみ上げてきた。
「てめえっ! 俺の妹に何しやがんだコラァッ!」
オスカーは両足で大地を踏みしめ、持ち手の部分にゴテゴテしたチューブのような物がたくさん付いた、チェーンソーのような物を大樹へ向ける。その瞬間、刀身がけたたましい唸り声を上げながら高速で回転しはじめる。さっきの怪物の激怒の咆哮が可愛く思える位の悪鬼のようなその姿に、涙目になった大樹が土下座をしようとしたその時、横から救いの手が差し伸べられる
「お、お兄ちゃんっ! 違うよ! この人が助けてくれたの!」
慌てて兄を止めようとするコハルの姿が、大樹にはまるで、アフターエフェクトも無いのに後光が差している女神のように見えた。
「心配すんなコハル! 今兄ちゃんがこのキマイラをぶった斬ってやるからな!」
しかし女神の言葉は手負いの猛獣には届かなかった。ああ無情。
「ち、違います! ぼ、僕は怪しい人間じゃないんです! 本当です! 本当です!」
「言い訳なら地獄で聞いてやる! もっとも地獄行きはお前だけだがな!」
「お兄ちゃんっ! だから違うってば!」
――結局、コハルの言葉がオスカーの耳に届くまで、若干の時間を要したのであった。
「ハッハッハ! 全く人騒がせな奴だな! それを先に言ってくれよ」
ようやく今までの成り行きを理解したオスカーは、爆笑しながら満面の笑みを浮かべる。大樹としては濡れ衣を着せられたことが不満だったが、恐ろしいので態度には出さない。ひとしきり笑い終わったオスカーは真面目な表情になり、大樹に深々と頭を下げる。
「すまん。ヒロキって言ったな。俺の妹を守ってくれてありがとう……本当にありがとう」
先程までの豪放磊落な態度を急に改められて、大樹は困惑すると同時に、少しだけくすぐったさを覚えた。今までこんなに面と向かって真摯な態度を取られたことが無かったからだ。最初の印象では、話を聞かない暴走機関車みたいな人間だと思っていたが、自分に対して敬意を示してくれたことが大樹の警戒心を少しだけ和らげる。
ちなみに今現在、家の中には大樹、オスカー、コハルの三人しか居ない。騒ぎを嗅ぎ付けた村人が不安そうに大樹達の居る家を取り囲んでいたが、オスカーが「キマイラが忍び込んでやがったが、俺がブッ倒した!」と堂々と宣言して、砕けた顎の破片を皆に見せたので、各々の家へと戻っていった。大樹を村へ連れ込んだことは、ガラクタ山に同行したメンバーと、村長と呼ばれる人間に報告しただけで、他の人間にはまだ知らせていない。なのでオスカーが倒したということにして、これ以上の混乱を避けることにしたのだ。
「ところで、お兄ちゃんの方は大丈夫だったの?」
相変わらず家の中はぐちゃぐちゃのままだが、兄が戻って来て、ようやく落ち着きを取り戻したコハルがオスカーへ問いかける。
「ああ、放牧地の方は何とかなったぜ。一応説明しとかないとな」
オスカーの説明はこうだ。いつものように家畜の放牧地に四匹のキマイラが出現し、防衛線を張っていた。何とか撃退に成功したと思ったら、今度は村の奥から凄まじい爆発音が聞こえてきた。その音の方角が丁度自分の家の方だったので、全力疾走で戻ってきたら、爆心地のはずの家は壁が壊れている位で、中を見たら大樹がコハルを襲っているように見えた。という訳だ。
「しかしあの爆発は何だったんだ? あんだけ凄ぇ音がしたのに何にも壊れてねぇんだもんなぁ……」
本当に不思議そうに辺りを見回すオスカー、コハルも同じ疑問を持っているようだが、大樹としてもどう説明していいか分からない。何とか話の方向性を変えるべく、無理矢理話題を作り出す。
「で、でもこの村の人たちは凄いんだね。そんな武器振り回してあの怪物を倒しちゃうんだから」
「ん? 薬剣のことか?」
「ヤッケン?」
「こいつだよ」
こいつと言いながら、オスカーは元怪物で現在植物のオブジェから腰を上げ、壁に立てかけていたチェーンソーのような物を大樹に見せ付けるように振り回す。
「こいつの取っ手の部分に、穴が開いてるだろ? ここに黄色い水の入ったパックを放り込んでスイッチ押すと、こうなるんだよ」
そういってオスカーは、無造作に薬剣と呼ばれたチェーンソーもどきを持ち上げ、スイッチを押す。チューブから刀身全体に琥珀色の液体が供給され、輝いているように見える。
「仕組みはよく分かんねーけど、キマイラ共はこの黄色い水が嫌いみたいでよ、こいつを使えばまぁよく切れるんだ」
「お兄ちゃん、薬液は貴重品なんだからあんまり無駄遣いしないでよ」
自慢のおもちゃを自慢する子供のように、オスカーは目を輝かせて大樹へべらべらとしゃべり続けていたが、妹に窘められてしぶしぶ薬剣を地面へ降ろす。
「で、でも幾らその武器が怪物……キマイラ? に効果があるって言っても、よくあんなのと斬り合いしようなんて思うね。ここの村の人は皆凄いんだなぁ……」
大樹としては、仮に同じ効果のロケットランチャーがあったとしても絶対に相手にしたくない。あんな訳の分からない怪物と同じ戦場に立つことすら嫌だ。
「いえ、この村であれが使えるのはお兄ちゃんだけですよ」
「そうなの?」
コハル曰く、キマイラに効果的なダメージを与えるためには、苦手な薬液を使った武器を使うしかない。そして防衛担当の村人の殆どは、ガラクタ山で発掘した銃を使っているが、遠距離から少量の薬液を混ぜた程度の発砲では、あくまでお茶を濁す程度だ。唯一オスカーの持つ薬剣だけが、その破壊力でキマイラを倒すことが出来るのだが、規格外の生物であるキマイラ相手に突撃していく無鉄砲な人間などオスカー一人しかおらず、そして、彼一人ではどうにもならないというのが現状らしい。
それでもこの村が壊滅していないのは、キマイラ達に村を壊滅させる気が無いからだ。彼らとしても、大して脅威でもなく定期的に家畜を供給してくれる場所を潰すのは得策では無いと理解しているようだ。キマイラは見かけは不気味だがかなりの知能を持っているらしく、弱いものを嬲って楽しんでいる風にすら思える。基本的には家畜しか襲わないが、稀に嗜虐心を持つ個体がこっそりと乱入し、人間に危害を加えるのだ。今回はそのターゲットがコハルという状況だったのだが、生憎大樹がそこに居たために野望は潰えた。
「つまり、俺達は生きるために狭い世界で家畜を飼って、キマイラ共は俺達を家畜として飼ってんだよ」
心底気に入らない、といった感じで吐き捨てるようにオスカーが漏らす。コハルもそんな兄をどこか辛そうに眺めている。
「でも仕方ないんです。今は……ううん、昔からもこれからもずっとこうするしかないんです」
「コハルっ! またお前、そんなこと言うのやめろよ!」
「だってしょうがないじゃない。今までだってどうにもならなかった……」
「チッ……」
コハルは疲れきった老婆のような声で答え、オスカーは黙って舌打ちする。大樹はそのやり取りをただ黙って見ていた。狭い世界で自分を守ることに必死で、それ以外に何の希望も持てない。その姿はまるで自分を見ているようだった。しかし自分に何が出来るのか。そんなこと無い。希望を持って頑張れ。なんて言葉を掛ける資格なんて自分には無い。第一、今の自分の状況すらまるで分からないのだ。
結局重苦しいムードのまま夕暮れになってしまい、コハルとオスカーは状況報告も兼ねて村長の家に呼び出されていった。恐らく二人はそのまま仮眠施設で一夜を明かすことになるので、大樹はコハル達の家へ留まるよう命じられた。オスカーとコハルは最後まで申し訳なさそうだったが、大樹が人目に付くことは現時点で極力避けたいということと、存在を知っている人間達も、二人以外はまだ完全に信頼しないだろうというのが理由だ。
知らない場所に一人で置き去りにされることに恐ろしさは感じたが、周りの状況がまるで分からない大樹としては条件を飲むしかなかったし、一人になって考えを整理したいという部分もあったので、とりあえず適当な家具で壁の穴を塞ぎ、もう一つの無事だったベッドへ横になった。
大樹は、このベッドはひょっとしてコハルの物なのではないか等というどうでもいいことを思いついて若干緊張してしまう。こんなことを考える余裕があるなんて、意外と自分は図太いのかもと苦笑するが、これ以上物事を考えると頭が完全にパンクしてしまうので、無意識に脳が思考にブレーキを掛けているのかもしれないなとも思った。
考えることは山ほどあるが、結局、とにかく今は何もかも忘れて眠ることにした。ベッドは固くゴワゴワとしていてお世辞にも寝心地が良いとは言えなかったが、張り詰めていた精神の疲労はとっくに限界を超え、体は泥のように疲れていたので眠気はすぐにやってきた。大樹は目が覚めればまたいつもの日常に戻れるようにと祈りながら、心の片隅で、あの日常へ戻って何になるのかとも思いつつ、意識を眠りの海の底へと沈めていった――
「……だ! なんだこれ……!」
「ちゃ……兄ちゃん……!」
「お前ら……! 知って……!?」
「……凄い! こんなの初めて見……!」
夢も見ない程深い眠りに就いていた大樹だが、周りから感じる気配と喧騒により目を覚ました。何やら家の周りに人垣が出来て凄い騒ぎになっているようだ。窓を覆う新緑が、眩しい朝日を程よい暖かさと明るさに和らげて大樹を照らし、爽やかな風がその青葉を揺らし、静かな子守唄のような葉擦れの声を上げている。ふかふかとした感触のベッドに包まれて本当に心地が良い。こんなに気持ちよく眠れたのは久しぶりで、その安眠を妨害された大樹は苛立ちを覚えた。
だが、ここで大樹はようやく違和感に気がついた。何故植物があるのか。何故あんなにボロボロになった家の中で木漏れ日が自分を照らすのか、何故葉擦れの声が聞こえるのか、そして何故あんなにゴワゴワした寝苦しいベッドがこんなにもふかふかになっているのか。何だか嫌な予感がしたが、仕方なく恐る恐る目を開く。
「どぅわああぁぁあああぁ!?」
大樹は目を見開き、素っ頓狂な声を上げる。狭い家の中、小さなジャングルが形成されていた。家具、破壊された瓦礫、そしてベッド、その全てが、覆い茂る花・草木・蔦・苔といった無数の植物に侵食され、家の中はさながら人の手の付いていない原生林の如き様相を示していた。
「何!? 何なの!? 何なんだよぉぉ!?」
大樹はもはや涙声だ。昨日から驚きの連続で少しは耐性が付くかと思っていたが、それ以上の事態が波状攻撃で襲い掛かってくる。本当にもう勘弁して欲しい。落ち着け落ち着けと必死に心を宥め、あまり回転が速いとは思っていない頭をフル回転させて原因を模索する。
「多分このキャラクターが影響してるんだ。でも何かあったっけ? 昨日キマイラに蒔いた宿り木の種が成長したとか?」
「でもあれは使った後に消滅したみたいだしなぁ……ん? 種? あ……種って!!」
そこで大樹は重大な部分を考慮していなかったことに気が付いた。ゲーム内のステータスが影響を及ぼしている可能性は高い。アフターエフェクトも発動できた。アイテムポーチも使えたし、その中のアイテムも問題無く使用出来た。ならこれが出来ない方がおかしい。
「多分、所持スキルだ……」
大樹はサンクチュアリの要素の一つ、「スキル」の存在を完全に失念していた。というか、そこまで考えている余裕が無かったのだ。大樹の使用キャラクターの種族は<神精族>であることは以前述べたが、サンクチュアリではさらに種族の中で、サブ属性が設定されている物が多い。例えば<火の神精族>、<水の神精族>等で、大樹はその中の<地の神精族>という属性に分類される。
そして、鳥人族は空は得意だが夜が苦手、竜人族は荒野は得意だが寒冷地に弱い等、それぞれの種族に得意・不得意なフィールドが設定されている。大樹の種族である地の神精族は森や草原といったフィールドで能力強化ボーナスが得られるのだが、当然苦手とするフィールドも存在する。だが、それを少しだけ是正することが出来るスキルがある。その名は――
「……種を蒔くもの」
地の神精族が取得できるスキルの一つ<種を蒔くもの>である。サンクチュアリのスキルは二種類に分かれ、基本の体力を増強したり、一定確率で拾えるアイテムの数が増えたりと、特別に意識しなくても常に発動しているタイプの<常時型スキル>という物と、伐採や採取、そして攻撃時など自分が意識して発動させるタイプの<能動型スキル>という物がある。
<種を蒔くもの>は前者の方に該当し、効果は『一定確率で自分の周りに森林・泉のフィールドを作成する』という物で、これが発動すれば、苦手なフィールドもたちまち自分の得意フィールドに変えてしまうことが出来る。ただし発動率は完全にランダムで、作成されたフィールドは一定時間で消えてしまう欠点はあるが、スキルにポイントを振り分けて強化をしていくことで効果範囲・発動率・接続時間を強化していくことが出来る。
急に森林が出来ると視界の邪魔になるし、逆に弱体化するプレイヤーも出てくるためパーティーを組む人間には不人気なスキルなのだが、大樹はほぼ一人で活動していたため大きなデメリットも無く、限界まで強化していた。そして、多分そのスキルが発動してこうなったのだ。
「でも、何で森が消えてないんだろう……?」
大樹の記憶では、<種を蒔くもの>の接続時間は最大で二十分だったはず。自分が寝ている間に発動したのであれば、余裕で効果時間をオーバーしている。にも関わらず、周りの植物達は大樹を守るかのように取り囲み、消える様子は全く無い。ゲームの能力が影響しているはずなのに、完全には一致していない。それが大樹には恐ろしく感じたが、彼の視界の片隅に、もっと恐ろしいものが迫っていることに気が付いた。
「おい……これ、お前がやったのか?」
「ヒロキさん、貴方は……」
密林と化した家の外、本来の家の持ち主達であるオスカーとコハルが入り口に立っていた。二人とも険しい顔をしている。その表情を見て大樹は背筋が凍る思いだった。昨日家が破壊されたのはキマイラのせいでもあるし、特に言及されることもなく安堵していたのだが、今日のは明らかに自分が原因である。しかも、家を壊したというレベルではない。この家に住めというのは、未開のジャングルの木の洞で過ごせと言われるような物だろう。
「いいい、いや、その、多分僕が原因なんですけど、決して悪気があった訳じゃなくて!」
大樹は目を白黒させながら必死に言い訳を考えるが、そんな言葉は全く二人の耳に入っていないようだ。
「来い……」
「えっ?」
「いいから早く来い! 村長の所に行くぞ!」
「え? わっ! ちょ、ちょっと!」
言うが早いか、オスカーは凄まじい力で若草に包まれたベッドから大樹を引っ張り出す。力任せに腕を引っ張られ、大樹は前につんのめりそうになりながらも、転ばないように必死に足を回転させる。興奮剤を打たれた暴れ馬のような勢いで家を飛び出してきたオスカーと、それに引っ張られる緑の髪の謎の青年に驚き、家の前に固まっていた人間達が蜘蛛の子を散らすように退散する。そして、その後をコハルが慌てて追いかける。
「ごめんなさい! 謝るから! 家を滅茶苦茶にしたこと謝るから!」
「喧しい! 今急いでんだ! 話なら後で聞いてやるよっ!」
「お兄ちゃんっ! ヒロキさんっ! 待ってよー!」
けたたましい勢いで走り去っていく三人を呆然と見つめる野次馬の人たちの視線を背中に感じながら、大樹は公開処刑される前に市中引き摺りまわしをされる罪人ってこういう心境なのかなと思いつつ、泣き出しそうな顔で処刑場へ強制連行されていった。