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エピローグ:それぞれの明日へ

「ん……」


 短い唸り声と共に大樹は目を覚ました。未だ意識はぼんやりとしているが、自分が布団のような物に転がっていた事に気がつくと、頭を軽く振りながら身を起こす。大樹の目の前には広大な荒地や森は存在せず、すぐ近くには見慣れた壁があった。煎餅布団の敷かれた何の飾り気も無いパイプベッド、毛玉だらけのカーペット、その上を乱雑に走るケーブルの類、飲み終わった缶コーヒーの空き缶。忘れる筈も無い、懐かしくも陰鬱な自分の部屋だ。


 大樹が枕元にちらりと目をやると、サンクチュアリのプレイ用体感ヘッドギアが無造作に転がっていた。さらにその奥で、無骨なデジタル時計が黙々と時を刻んでいる。液晶画面に表示された時刻は午前三時、大樹の記憶が正しければ、あの日、異世界へと連れ込まれた時間から殆ど進んでいない。


「もう、いいよな……」


 大樹は力無く声を漏らし、再び薄っぺらい布団にぼすんと身を投げ出した。眠ったのも気が付かないほどサンクチュアリに没頭し、夢でまで現実逃避を始めたか。お前は馬鹿か白野大樹。自分の頭に浮かんだ考えを、嘲笑いながら否定する。


 ――あれが夢の訳無いだろうが。


 あんなに痛く、あんなに辛く、あんなに恐ろしく、あんなに哀しく、あんなに楽しかったのに――あれは決して夢ではない。理屈ではない、心がそう訴える。


「……うぅ……あああああああああああああっ!!」


 薄暗く狭苦しいアパートの一室で、大樹は一人泣いた。ここには自分以外誰も居ない。自分を守る者も、責める者も、そして自分の愛した者達も。誰にも褒められる事も、見咎められる事も無い。だから、もう何も我慢する必要は無い。大樹の心に積もり、冷たく凝固した澱を洗い流し、全てを吐き出すように大樹は号泣し続けた。


 ――どの位の時間が経ったのか、体力を使い尽くす迄泣き続けた大樹は、ふらふらと立ち上がった。あまりにも長時間泣き続けたため、喉がひりひりし、焼け付くような渇きを覚えたからだ。勝手知ったる我が家の台所へと移動し、流れるような動作で、安物の茶葉にお湯を注ぎ、喉を潤す。


「……美味しい」


 大樹は安物のパックのお茶を飲み、思わずそう呟いた。何故こんな安物が、こんなにも美味しいのだろう。そこで大樹はようやく気が付いた。最後にお茶を飲んだのは、一体いつ以来だったのだろう、と。そして思い立ったように、湯気の立つカップを片手に、大樹は恐る恐る、窓のカーテンに手を掛けた。


「ぅ……」


 網膜を()く日差しに目が眩んだが、大樹は恐々と目を開く。目の前には荒れ果てたガラクタの世界は存在せず、狭苦しく密集した建物たちが、陽光に照らされ、一日を始めるために目を覚ましていく姿が見えた。窓から下を覗き、くたびれたバイクに跨り、新聞を配って行くジャージ姿の男性の姿を確認し、ようやく大樹は、自分の世界に戻ってきたのだなと実感した。徐々に力を増していく太陽を見つめながら、完全に冷めてしまったコップに目を向ける。


「何で、こんな事に気が付かなかったんだろう……」


 大樹はぽつりと呟いた。ボタンを押せばお湯が出て、精製された茶葉はどこでも買えて、人が視界にわんさか居る。それは当たり前で、大した価値も無い、時に邪魔だとすら思っていた事。それがどれほど素晴らしく、凄い事なのか。今になってようやく気が付いた、いや、思い出した。


「この世界を楽しんで……か……」


 大樹がコハルに告げた最後の言葉、殆ど無意識に言ったその言葉を反芻する。あの世界に比べ、この世界が素晴らしいと簡単に言い切ることは出来ない。何処に居たって自分は自分だ。けれど、その情けない自分でも、あの世界で懸命に抗ったではないか、何処に居たって自分が自分であるのなら、この恐ろしくも美しい世界でも、きっと戦うことは出来る筈だ。出来なくたってそうしなければならない。『この世界を楽しんで』、その言葉を、もう会えない最愛の人に伝えたのは、他ならぬ大樹自身なのだから。


「コハル、皆……僕も戦うよ」


 誰に聞こえるでもない宣言を、自分自身に言い聞かせるように大樹は囁く。もう会う事の無い、遠い世界の戦友達に恥じないよう、この世界で、自分だけの冒険をして行く。そう心に誓うために。


 その時、サンクチュアリの体感ヘッドギアに接続されている、液晶端末がちかちかと点滅していることに気が付いた。ゲームに直接ログインしなくても、公式からの通知等は液晶端末から確認する事が出来る。だが、この世界の時間は殆ど経っていない筈だ。疑問に思いつつ、大樹は端末を手に取り画面を覗くと、彫刻のように固まった。



 ――新着メッセージが一件有ります。差出人名「コハル」



 あやうく端末を床に落としそうになった大樹は、読み込み時間すらもどかしく、メッセージ表示ボタンを連打する。ほんの数秒が異様に長く感じられ、ようやく画面が表示されると、文字化けや空白、文法も字も間違いだらけの(いびつ)なメッセージが表示された。間違い無い、これは自分の遠恋の人から送られた物だ。大樹は解読に数十分費やし、苦労して要約したが、内容は以下のような物であった。



 『ヒロキ。お元気ですか? ヒロキが私達の世界から消えてから、随分時間が経ちました。貴方は元の世界に帰れたのでしょうか? それとも、どこかで私達を見守ってくれてるのかな? どっちでもヒロキが元気なら嬉しい。


 お兄ちゃん達は皆元気でやってます。最初は、人間と合成獣が一緒に暮らすなんて信じられなかったけど、皆、少しずつ上手くやれる方法が分かってきたみたい。私達は今、ヒロキのお陰でとても幸せだよ。


 あ、そうそう! ヒロキから譲ってもらったポーチ、私が開けられるようになったんだよ! でも、説明っぽい物が全然分からなくて、一生懸命文字を読もうと勉強してるけど、なかなか上手く行かないよー。なので、私は今こうして、貴方に手紙を書く事にしました。勉強にもなるし、気持ちの整理にもなるから。


 上手く行かないことも多いし、転んじゃうこともあるし、辛いことも沢山ある。何より、ヒロキが居ないのは寂しいけど、私達は私達の道を歩むから、だから……心配しないでね』



 覚束ない文体で書かれたそのメッセージを見て、大樹の目尻から再び涙が零れた――この気持ちを何て言おう。コハルと初めて会ったあの日、怯えてへたり込んだ少女の盾となり、良く分からない何かに突き動かされ、彼女を守った。思えばあの瞬間から、白野大樹はいかれていたのかもしれない。良く分からなかった何か、今ではそれがはっきりと理解出来る。


「さて……」


 大樹は再び液晶端末を凝視する。そう、このメッセージには返信機能があるのだ。それがまともに機能するかは定かではないが、チャンスとしてある以上、返信しない訳が無い。しかし、どういう内容で返せばよいのだろうか。僕も元気だよ? こちらの現状の報告? 何かが違う気がする。大樹は頭から煙が出そうな程に考え、何度も何度もメッセージを読み返す。


「うん、決めた!」


 そして大樹は答えを出した。自分達のやりとりは『あれ』しかないだろう。そう決断すると、大樹は素早くモニターへと手を伸ばした――



 ◆ ◇ ◆



「おい爺さん! ハヅキ! お前らもちょっとは手伝ってくれよ!」

「すまんなぁオスカー、わしら爺さん婆さんだから、肉体労働は苦手でな」

「ええ、ええ、そうですねぇーお爺さん」


 巨大な麻袋を、汗だくになりながら抱えているオスカーを尻目に、古ぼけた長椅子に、オスカーの村の村長と、合成獣の長ハヅキが、優雅にお茶なんぞを啜りつつ、のらりくらりと並んで座っている。


「おいジジイ! お前まだまだ現役みたいな事を言ってたじゃねーか! それにハヅキ! お前のどこが婆さんだ!」


 歴戦の古強者(ふるつわもの)のように引き締まった体躯の村長と、まるで少女のように張りのある、つやつやした肌をした二人組みの冗談めかした発言に、思わずオスカーは声を荒げる。


「まぁそう言うな、その荷物は、お前達が個人的に使うものだろう? 好きなだけ資材を提供しているのだから、それだけでもありがたく思わんか」

「へいへい、俺が前に村を出た時は、『ダメだ』で終わったもんな」

「合成獣でも人間でも、過ぎ去った過去を引き摺る男はモテんぞ?」

「うるっせー!!」


 皮肉をあっさりと流されたオスカーは再び怒鳴るが、村長もハヅキも何処吹く風、五月蝿い蝉が鳴いている程度にしか感じていないようで、あっさりと次の話題に移る。


「そういえば、クオン達はどうした? あいつらも行くのだろう?」

「ああ、あいつらなら……」


 オスカーがそう言い掛けた時、少し離れた茂みの奥から、子供の声が聞こえて来た。


「とぁーっ!」

「甘イ!」


 森の中で、アネットとカリック、そして沢山の子供達が、棒切れ片手にクオンを取り囲み、四方八方から攻撃を仕掛けるが、クオンには掠りもしない。子供軍団の中には、キマイラの子供まで混じっている。


「クオンにーちゃん! 当たってくれないと練習にならないでしょー!」

「戦士ガそう簡単に、攻撃を食らウ事ナド出来るカ!」

「……クオンにーちゃんってかっこいいけど、空気読めないよね」

「ねー、一回くらい死んでくれてもいいのにねー」

「ギィー! ギィー!」

「ねぇクオンにーちゃん、一回だけ死んでよ!」


 しーね、しーね、と子供達はクオンに死ね死ねコールを浴びせ掛ける。クオンはほとほと困ったように辺りを見渡すが、誰も救援に来ないことを絶望顔で確認すると、しぶしぶ前に歩み出て、アネットにぽかりと頭を叩かれた。


「ガあああぁあアアァ!」


 そしてクオンは雄叫びを上げて大地を蹴り、きりもみ回転をしながら横っ飛びで地面にダイブする。子供達はきゃっきゃと喜び、倒れたクオン相手に集団リンチを始める。


「うウ……何故俺がこンナ事ヲ……」


 体の痛みは無いが、屈辱による心の痛みで、零れそうになる涙を堪えながら、あと少し、あと少しの辛抱だと自分に言い聞かせ、子守を押し付けた忌々しい男の名を叫ぶ。


「うオォーー! ゴンベェー!! まダカーーっ!?」



 ◆ ◇ ◆



「よし、まぁ概ねこんなもんだろう」


 オミナエシが満足そうに頷く。オミナエシの後方、かつて大樹が操縦していた、空飛ぶコンテナハウスの一角に、得体の知れない機械工場のようなスペースが追加されている。ヤタガラスの遺した施設や、オミナエシ達が住んでいた地底から持ち込んだ、長期の移動に耐える、ゴンベのための本格的な整備施設だ。


「かたじけないでござるな、姫」

「全くだよ……あたしゃ、ようやく楽できると思ったんだけどねぇ。あんたが行くなら、芋づる式にあたしも行かないと駄目だろ」

「本当……申し訳ないでござる」

「何、遠慮する必要は無いさ。今度は後顧の憂い無く行けるからねぇ。それに、あたしも言ってやりたいことが沢山あるからねぇ……」

「ふっふっふ……では準備も出来たし、主役を呼ぶでござるか」



 ◆ ◇ ◆



 清水湧き、小鳥が歌い、花咲き乱れる静謐な森の片隅で、コハルは<世界樹の釣竿>を両手で持ち、竹刀の如く必死に素振りする。その表情は真剣そのものだ。


「二十一、二十二、二十三……!」


 しかし、頭の片隅で警鐘が鳴る。これは多分、こうやって使う道具では無いと。


「うーん……お兄ちゃんは、ヒロキがこの道具を振ってたって言ってたけど……」


 違う、何かが決定的に違う。だが、どう違うのか具体的に分からない。ヒロキとパートナーになり、道具を受け継いだのは良いのだが、使い方が分からない物ばかりなのだ。手に取ると、不思議と頭の中に文字が浮かんでくるのだが、何を意味しているのか完全には読めず、宝の持ち腐れとなっているのが現状だ。それが何とも歯痒くもどかしい。


「はぁ……ヒロキ、教えてよぉ……」


 コハルは、これまで何百回呟いたか分からないその言葉を、優しい木漏れ日を注ぐ、緑の天井に投げかける。けれど森は、たださわさわと心地よい葉擦れの音を返すばかりで、誰も何も答えない。コハルも返事を求めた訳ではない。


「ふぅ……」


 沈みそうになる気持ちを振り払うようにかぶりを振り、コハルは再び釣竿を構えようとした、その時、腰に回していたポーチがぼんやりと、淡い光を放っていることに気がついた。不思議に思ったコハルがおもむろに中を覗き込むと、光の原因は、コハルが練習兼日記用に使っている、古ぼけた紙を束ねて作ったノートである事が分かった。


「え……う、嘘……!?」


 吸い込まれるような、淡い光を放つノートを開き、そこにコハルは信じられない物を見た。自分の書いた日記に、何者かが追記した後があるのだ。そして書き込まれていた物は、コハルの日記に対しての添削だった。旅の中で何度も何度も見た、見間違える筈も無い、あの人の描く○と×マークだ。こう見ると大部分が間違っていて、見るのは大変だったろうなとコハルは一人赤面する。


「あ……」


 恥ずかしくなりながらも最後まで見ていくと、『上手く行かないことも多いし、転んじゃうこともあると思う、辛いことも沢山あると思う、何よりヒロキが居ないのは寂しいけど、私達は私達の道を歩むから、だから……心配しないでね。』この部分には、全く×が付いていなかった。勿論文字は間違っていると自分でも分かるのだが、この一文をぐるっと覆い囲むように、大きな○が付けられていた。


「……っ! ヒロキぃ……!」


 それを見て、コハルの抑えていた感情が、熱い涙と共に溢れ出した。ヒロキは何処かで生きていて、今も自分を見守ってくれている。もう会うことは出来なくても、それだけで自分の心は満たされる。それでもう十分だ。そう思ったその時――


「お、居た居た! おいコハル! 行くぜ?」

「お兄ちゃん!? え……行くって、何処へ?」

「この世界の果てまでも。まだ見ぬ場所、ヒロキ殿の世界に行く手段を探しにござるよ」

「へ……え、ええ!?」

「あノ男、勝手に格好付けテ、勝手に俺達を繋イダ癖に、勝手に一人で消えタノダ。此方カら出向いて文句を言っテヤる」

「向こうの世界から、この世界へヒロキを呼び寄せたんだ、なら、この世界から向こう世界に行く方法だって、広い世界にゃあるかもしれないだろう?」


 オスカーの後ろで仲間達が口々にそう告げると、コハルの中の熱いものが胸から溢れ出し、ぐるぐると体を駆け巡った。そして、深呼吸を一つ、コハルはツギハギだらけのドレスの裾で、ぐしぐしと涙を拭う。


 コハルは強く思う、力も無いのに夢を見て、分不相応にも幸せになりたいと思い、何か変わるのではと、希望を抱いて狭い世界を飛び出した。けれど、それはまだ終わらない。これからも続くのだ。大樹に再び会えるのか、そんな事は誰にも分からない、けれど、どこか遠い世界で戦い続ける大樹に、心から褒めてもらえるように、胸を張って「凄いでしょ」と言えるように、今はまだ虚仮(こけ)だけれど、虚仮(こけ)が真実になるように、(こけ)大樹(たいじゅ)になるように、そうして生きて行きたいと。


「今行く!」


 コハルは手に持った(しな)びたノートを大切に、大切にポーチにしまうと、仲間達の元へ、勢い良く走り出す。余りにも勢いが付きすぎて、コハルは笑える程派手にすっ転び、地面に顔を打ち付けた。仲間達が驚き、慌てて駆け寄ろうとするが、コハルはすぐに跳ね起きて、泥だらけの顔のまま、燦然と世界を照らす太陽に負けないほどの、輝く笑顔で笑いかけた。



これにてこの物語は終了です。最後までお付き合い頂きありがとうございました! 楽しんで頂けたなら幸いです。感想等気軽に頂けると作者が喜びます。

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