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第35話:白野大樹

「おいナエ! 何とか……何とかなんねぇのかよぉ!」

「黙ってな! 今やってる!」


 ヤタガラスとの戦闘場所から少し離れた森の中、かつて無い程狼狽するオスカーと、相槌を打つ時間すら惜しいという感じのオミナエシの声が響く。オミナエシは額に玉の汗を作り、崩れていく大樹の体にポーションを振りかけ、薬草を塗り、包帯を巻き、光の浸食を食い止めようとするが効果は薄い。再生していく速度より、体の組織が崩れていく方が速いのだ。大樹は回復剤が勿体無いから止めろと言ったのだが、仲間達全員から凄まじい勢いで怒鳴られてしまい、されるがままになっている。


 大樹は既に覚悟出来ていた。何故なら、これは戦闘における負傷とは違うからだ。コハルとパートナー契約を結んだことで、アイテムの共有等、様々な事が可能になるのだが、精霊武器の譲渡だけは、少し勝手が違うのだ。<精霊武器システム>は、ユーザー間では通称『引退システム』と呼ばれている。


 引退――ゲームに飽きた、現実の生活が忙しくなった等、様々な理由でその世界から去る行為を示す言葉だ。そして引退の際、残った仲間に対し、さながら形見のように、自分の持っているアイテムを譲るのがユーザーの慣習となっていた。それなのに、最も大切な存在であるパートナーに対し、汎用アイテムを渡すだけでは味気無いという意見が公式で採用され、実装されたのが<精霊武器システム>だ。


 ゲーム内で手に入る武器とは違い、同じ種類の物でも、精霊武器で作られた物にはパートナーの名前が刻まれ、追加能力や色合いが変わり、サンクチュアリで唯一無二の装備となる。ただし、この精霊武器の作成には大きな代償が必要だ。全てをパートナーに委ねる事で、育てたキャラクターを消失(ロスト)してしまうのだ。今の大樹の(うつ)し身はサンクチュアリの<地の神精族(アーススピリット)>、それはつまり、大樹自身の死を意味する――


「あはは……お姫様の膝枕で最後を迎えるなんて、男冥利に尽きるね」

「何を馬鹿な事言ってるの! 何で……何で言わなかったの!?」


 少しでも場を和ませようと、大樹は慣れない軽口を叩いたが、顔をくしゃくしゃにして泣くコハルは余計に涙を溢れさせる。


「僕が消えることまで言ったら流石に躊躇したでしょ? 仕方なかったんだ……」


 そう言いつつも大樹は今になって思う、もっといい方法は幾らでもあったと。ヤタガラスに陣取りゲームを申し込まれた時、表向きは従い、一旦退いた上で対策を練ればよかったのだ。そうすれば自分もこんな目に合わずに済んだ。それを感情に任せて相手を挑発し、結果、皆を危機に追い込んで、自分自身をも破滅させる。本当に愚行極まりない。


 自分はいつもそうなのだ、AとBという選択肢を相手から突きつけられた時、ほんの少しだけ考えを巡らせれば、もっと良いCという選択肢が少し離れた場所にあるのに、そこに気がつくことが出来ない。そんな風に悩んだ事もあったが、結局、馬鹿は死ぬまで治らなかったようだ。けれど仲間達の生き方を馬鹿にされ、それに対して心底怒り、そして立ち向かい、誰も死なせなかった。例え世界中からお前は馬鹿だ、間違っていたと中傷されても、その事だけは誇りに思う。


 自分のした事は本当にちっぽけな事だ、この広い世界の片隅に、ほんの少しの種を蒔いただけ。たかがそれっぽっちの行為に全力を費やし、一番大切な物を守るため、一番大事な物を投げ出す大間抜け。それでも、白野大樹にしては上出来だ。良くやったと自分を褒めてやりたい。まるで麗らかな日差しの高原でただ一人、極上のハーブティーを飲んだような、とても清清しく、どこか切ない、そんな気持ちが胸に芽生える。けれど、まだ大樹にはやらなければならない事がある。


 大樹は徐々に薄れていく意識の中、自分を囲み、心配そうに見下ろす五つの顔を見た。単純だけど、兄のように自分を引っ張ってくれた短髪の男、ぶっきらぼうだけど、今も必死に大樹の命を繋ぎとめようと奮闘するぼさぼさ頭の女性、奇天烈な言動をするけど、鋼鉄の体に熱い心を持ったロボット、そしてそのロボットの頭を横抱きに持つ、冷徹そうに見えて、どこか抜けている合成獣――本当に濃い面子が揃ったものだ。そして――


「馬鹿……馬鹿……」


 自分の真上、膝枕をしながら大樹を力なく責める少女。仲間達に……この子にこんな顔をさせたまま消えるのは絶対に嫌だ。ガラクタ同然の死に体でも、少しでもその悲しみを軽減させたい。今になってようやく大樹は気がついた。元の世界に戻るとか、戻らないとかは二の次で、この子達と一緒に希望に向かって歩くために、自分は歩いていたのだと。


「もう大丈夫だね」

「え?」

「僕がこの世界に来た理由、『本当の事』を話す時が来たんだ」


 だから大樹は嘘を吐く。自分のために死力を尽くしてくれた仲間達に、最後まで自分も死力を尽くすため。


「ヒロキ殿! 何を弱気になっているでござる!」

「ヒロキ! 奴ヲ全力で叩き潰ソウとした気迫ハどうシタ!」

「馬っ鹿野郎っ! おめぇはまだ、やらなきゃいけねぇ事があるだろうが!」

「あんたね! こんだけあたし達を炊き付けといて、はいサヨナラって言うのかい!」


 オスカー達が、口々に大樹を叱咤激励をするが、大樹はただ嬉しそうに柔和に笑うだけだ。その落ち着き払った態度に、四人が再び口を開こうとしたその時、


「皆、黙って」


 コハルが短く言い切った。その声は決して大きく無かったが、四人の心に不思議と入り込む物であった。森は風一つ吹かず、ただただ静寂に包まれている。そして、コハルは無言で大樹の髪を優しく撫で、最期の言葉を促した。それを合図に、大樹はたどたどしく言葉を紡ぐ。


「僕は、サンクチュアリと言う世界からやってきた<地の神精族(アーススピリット)>、神の子の一人だよ」

「神の子? ヒロキはやっぱり神様なの?」

「へへ、本当の僕は神様なのさ。でも僕は落ちこぼれだったから、皆と上手く付き合うことが出来なくて、一人で世界の片隅に籠もってたんだ」

「それで……?」

「そんな僕を見かねたのか、天は僕に特別に使命を与えた。『この荒廃した世界を立て直せ』とね。最も、その使命が果たせるまで、僕は記憶を封印されてたらしい。今思い出したんだ」

「え? でもヤタガラスはヒロキを捕まえたって……」

「あれは僕の方から機械に飛び込んだんだよ。まさに渡りに船さ。僕の言う事とあいつの言う事、どっちが正しいと思う?」


 嘘八百を大樹はこれでもかと並べる。格好付けろ、虚勢を張れ、この子達の心を少しでも軽く出来るなら、どんな大嘘でも吐いてやる。神様にだってなってやる。己自身を鼓舞し、騙し、大樹は演技を続ける。


「そして、その使命は今終わった――という訳だよ」

「……どういう事?」

「つまり、僕の力はもう必要無くなった。ここまで出来れば、後はこの世界の住人だけで大丈夫だよ」


 そうだ、神や英雄の登場が望まれ、持て囃されるという事は、それだけ世界が不幸で乱れているという証だ。だから神である自分が消えれば、それだけ世界に希望が生まれたという証明になる。役目を終えた船は海底に沈められ、人前には二度と姿を現さない。けれど、そこは沢山の魚達の楽園となる。コハル達を勇気付けられるのなら、そんな役回りをするのも悪くはないだろう。大樹はそんな事を考えていた。


「私、まだヒロキに教えてもらってないこと沢山あるよ。文字も、道具の使い方も、それに……ほ、ほら! このドレスも着たばっかりでもう古着みたいになっちゃったから、綺麗に直さないと! ヒロキのポーチなら直せる道具があるんでしょ? それをしないと! だから……だから……」


 コハルの声はだんだん小さくなり、それ以上は言葉にならなかった。やっぱり自分には話術の才能は無いようだ。大樹も胸が張り裂けそうになりながら、今まで使ってこなかった一生分の根性を、この瞬間に全てつぎ込み、涙を堪える。


「もう……会えないの?」

「あはは……僕は死ぬんじゃないんだよ? この地上の穢れを一度持ち帰って、新しい体に生まれ変わらないといけないからね」

「地上の穢れ? 生まれ変わる?」

「そう、悲しみとか、辛いこととか、そういった諸々だよ。だからコハルがそんな風に泣いてると、僕はまた戻って来て、ボロボロになるまで戦い続けなきゃならない」


 既に日は傾きかけ、森を真っ赤に染め上げる西日が差し込んでいる。サンクチュアリに存在するプレイヤーはそれぞれが神の子であり、一度、日没と共に神の世界に帰り、俗世の穢れを祓い、明けの明星と共に再び純粋な体を手に入れ、この世に舞い戻る。確かそんな設定があった筈だ。大樹自身、まさかここでその死に設定を思い出すとは思わなかった。


「だから……笑って送り出してくれると嬉しいな」

「ううぅぅ……!」


 コハルは唸り、ドレスの裾で、ぐしぐしと子供みたいに涙を拭う。拭っても拭っても次から次へと溢れてきて、何時までたっても上手く行かない。けれど、何度も何度もそれを繰り返し、綺麗なドレスの裾がぐちゃぐちゃになった頃、泣き腫らした顔で、無理矢理に、それでも笑ってくれた。


「わかった……わかったよぉ……! 頑張る……私、頑張る!」


 再び目尻に涙を浮かべながらも、泣き笑いでコハルは答えた。大樹も多分同じような表情をしていただろうが、乾いた大地みたいにひび割れた手を伸ばし、コハルの頭をそっと撫でた。


「オスカー、ナエ、ゴンベ、クオン……」


 大樹は全員の顔を見て、はにかむように笑いかける。


「後……頼むね」

「「「「任せとけ」」」」


 打てば響くように、四人から力強い返事が帰ってきた。その返事に満足した大樹は、最後に、膝枕のままのコハルを真正面に見上げ、上手く笑えているか分からないが、可能な限り明るい笑顔を強引に作る。


「じゃあ元気で、僕は君の事が大好きだよ。だから幸せに、この世界を楽しんでね……」

「うん……! うん……!」


 歯の浮くような台詞だが、人生の最後くらい良いだろう。大樹は、彼なりの愛の言葉を囁くと、漏れ出す力に対する抵抗を止めた。すると急激に光の粒子が溢れ出し、大樹を構成する物質が、光り輝く綿毛のように空へと還っていく。


「あ、ヒ、ヒロキ!? その姿……」


 淡い光の奔流に包まれながら、コハルは驚いた様子で大樹を覗き込む。大樹には何となく理解できた。狼である<地の神精族(アーススピリット)>の化けの皮が剥がれ、脆弱な羊である白野大樹の姿に戻ったのだと。


「幻滅した?」

「ううん……前に言ったじゃない、何があってもヒロキはヒロキだって!」


 コハルの力強く言い切るその台詞に、大樹は不意打ちを食らったかのように目をぱちぱちと瞬きさせた後、照れ臭そうにはにかんだ。


「そっか、そうだね……ありがとう、コハル」


 それから数秒もしないうちに、白野大樹である部分も光に飲まれた。白野大樹の欠片は、一握の輝く砂となり、コハル達の頭上にふわりと舞い上がると、一陣の微風(そよかぜ)に吹かれ、掻き消えるように消滅した。


「さようなら……私の愛しい人」


 コハルは虚空を見上げ、もう何処にも居ない想い人に向け、滂沱の涙を流しながらうわ言のように呟いた。オスカー達も、何かを堪えるような表情で、どこまでも続く茜色の空を睨む。赤々とした太陽が、己の役割を終えたように地平線へと消えていき、徐々に紫色の空に変わる、そんな凪いだ刻に、白野大樹は消滅した――

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