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第33話:折れない刃

「だあああああああっ!」


 自身を奮い立たせるようにコハルは叫び、ヤタガラスへと飛び掛る。その姿はまさに疾風迅雷。先程までの脆弱な生き物のそれではない。ヤタガラスも向かってくる『敵』に対し迎撃の構えを取る。


「カァッ!!」


 ヤタガラスは大きく息を吸い込むと、その口から放射状に霧のような物を吐く。毒蛇が吐き出す刺咬毒(しこうどく)と呼ばれる物質だ。人体に当たれば肉を溶かし、神経を麻痺させる極めて危険な猛毒。それを数百倍に強化した物をコハルに叩きつける。だがコハルはスピードを緩めるどころか逆に加速し、死の霧へと飛び込む。すると、薄緑色に輝く皮膜が優しくコハルの体を包み込み、毒霧はそのまま雲散霧消した。撃ち出された一本の矢となったコハルは、体重と速度を乗せた突きを放つ。


「鬱陶しいんだよぉ! このハエ!」


 ヤタガラスは表皮を甲虫のように変化させコハルの攻撃を防ぎ、丸太のように太く硬化した腕でコハルをなぎ払う。如意宝珠の剣と防御障壁の併せ技でコハルはその強烈な一撃を受け止めるが、体重の差は如何ともし難く、まるでバットで打ち返されたボールのように宙を舞う。数メートルの高さまで打ち上げられたコハルは宙返りで体勢を整えると、猫のように華麗に地面に着地した。


「わ、私凄い!」


 自分の行った動作だが、まるで信じられない超常現象を見たかのようにコハルは驚嘆する。<天使のゴシックドレス><如意宝珠の剣>の装備による大幅なステータス上昇補正、さらに世界の壁を破り、限界突破した<運命の(リンク・リング)>により、馬鹿馬鹿しい程の能力強化を得ているのだ。もしも今のコハルのステータスを数値化し、サンクチュアリのユーザーに見せたなら、十人中十人が二度見した後、苦笑いを浮かべるだろう。


「そうさ、コハルは凄いんだ。さぁ、一気にケリを着けるよ!」

「う、うん!」


 頭の中で短いやり取りを交わすと、コハルはヤタガラスへと剣を構え、再突撃のために低く身構える。その顔には愁いも迷いも無く、ただ己の全力を尽くすだけという強い意志が漲っている。


「……ムカつくなぁその顔。自信満々気力充実ってか? いいよ、何度でも来るといい。その(なまくら)の付け焼刃、へし折ってやるよぉ!」


 コハルの瞳に無性に苛立ちを感じたヤタガラスは、敢えて自分から攻撃せず、迎撃体制のままで居た。何度挑戦しようが、蟻の穴から千里の堤を崩すことなど出来ない。無駄な物は無駄なのだ、何をどうしても、どうしようもない事がこの世にあると叩き込むために。


 そんな言葉に取り合わず、コハルはその華奢な足で大地を踏みしめ、強大な敵へと立ち向かう。その動作は素人そのもので、直線的で、何の捻りも無く、馬鹿正直に真正面から突っ込むだけの愚直な物だ。自分の持てる力を全て攻撃に回しているため、回避行動も一切取れない。これではカウンターのいい的だ。そして、それをただ黙って見過ごすほどヤタガラスは馬鹿ではない。


「熱意だけで壁が砕けりゃ苦労しねぇんだよぉ! お嬢ちゃん!」


 ヤタガラスは五本の指を錐のように尖らせ、イソギンチャクの触手のようにコハルに踊りかからせる。五本の毒指がコハルの体を貫こうとするが、再び障壁がヤタガラスの指を弾き飛ばす。


「ちぃっ!」


 <如意宝珠の剣>を横薙ぎに振るうコハルの攻撃を、今度は硬化させた頭突きで迎撃する。剣を振り抜き隙だらけ、直撃コースであった攻撃はまたも障壁に防がれた。数メートルほど吹き飛ばされた物の、コハルは無傷で再び体勢を整える。


「ヒロキ君……さっきからちまちま邪魔してるのは君かい?」


 <如意宝珠の剣>と化した大樹は何も答えない。ヤタガラスの言うとおり、今までの防御障壁は全て大樹が張った物だ。今の大樹はコハルと意識を共有しているが、同時に別々の意思を持っている。コハルがその力を全て攻撃に回しているように、大樹は自分の力を全て防御に回している。言うなれば、コハルは目的地を目指し、ただひたすら車を運転し、大樹は助手席に座り、地図を見て、周りの障害物を伝え補佐をする、完全な役割分担だ。大樹(ひろき)は今、生まれたての若芽を嵐から守る大樹(たいじゅ)となり、コハルの盾となっているのだ。


「ありがとう……ヒロキ」


 コハルは軽く目を閉じ礼を言うと、再び剣を水平に構え、己を阻む障害へと挑んでいく。コハルは前を見据えて何度も突撃し、その度にヤタガラスに弾き返される。何度も何度も、馬鹿みたいに同じ突進を繰り返す。それはまるで、己の運命を阻む固く閉ざされた扉を、勢いを付け体当たりで打ち破ろうとするような、そんな動きにも見えた。


「ほら、どうしたお二人さん、大分お疲れのようだけど大丈夫かいぃ?」


 しかし、何時までもそのような無謀な突撃が続くはずも無い。ヤタガラスの言うとおり、コハルには明らかに疲れの表情が浮かんでいる。呼吸は乱れ、その綺麗な黒髪は汗と泥に塗れ、べったりと額に張り付いている。纏った際には染み一つ付いていなかった<天使のゴシックドレス>も、今ではもう所々破れ、その美しい乳白色は泥と土でくすんでいる。


 大樹の方も限界に近かった、障壁を出す度に意識を失いそうになり、刀身の輝きも鈍くなっている。体力か精神力がゼロになると戦闘不能と見なされ、セーブポイントに戻されるサンクチュアリの仕様が生きていたら、もう何十回戻されているか分からない。大樹もコハルも限界が近い。それに対して、永劫の時を生き、あらゆる生命の力を持つヤタガラスの体力は底なしだ。持久戦になれば成程不利になる。


「コハル、これ以上はジリ貧だ。後は……」

「分かってる……二人でやろうね」


 言葉は要らない。コハルが薄く笑うと、手にした<如意宝珠の剣>がきらりと輝いた。コハルは目を閉じ精神を集中させ、先程まで片手持ちだった剣の柄を両手で握り締めた。雰囲気の変化にヤタガラスも気が付き、表情を引き締める。


「どうやら君たちも本気みたいだねぇ――じゃあ僕の方も本気でやるとしようか」


 両者の距離は十メートル程。ヤタガラスとコハルはお互い睨み合い、暫し無言で立ち尽くす。まるでガンマンの早撃ち比べのような数秒が流れた後、先に動いたのはコハルだった。先程までと変わらず、何の捻りも無い直線的な飛び込みだ。もう何度も見せ付けられているその動きは、ヤタガラスの動体視力で十分に捉えられる物になっていた。


「さっきまでとなぁんにも変わらないよぉ?」


 ヤタガラスは左腕を硬化させ、コハルの刺突を受け止めた。後は先程までと同じように打ち弾いてしまえば良い。だが、ここで変化が生じた。


「ぐぬっ!?」


 これまで通りコハルを振り払おうとしたヤタガラスだが、その腕が動かない。皮膚の部分で受け止めてはいるため痛みは無いが、凄まじい圧力に逆に押し返されそうになる。これまでは剣による防御、そこに大樹の防御障壁の力を上乗せして攻撃を防いでいたが、防御に回していた大樹の残り僅かな力を、コハルの力に上乗せする形で、全て攻撃力に変換しているのだ。この攻撃が本当に正真正銘最後の一撃。この一撃が決まらなければ大樹達の負け確定だ。


「くううううううううぅうぅぅぅ!!」

「クソガキいぃぃいぃいいいぃぃ!!」


 コハルと大樹は、生命力の最後の一滴まで搾り出すように、ヤタガラスの皮膚に刃を突き立て、ヤタガラスは己の力全てを集結させ刃の侵入を拒む。まるで剣豪同士の鍔迫り合いのように二人とも微動だにしない。


 永遠とも思える刹那の時間が経過し、その拮抗状態が崩れ始める。<如意宝珠の剣>がみしみしと嫌な音を立て、その刀身に少しずつひびが入り始めた――



「……きろ! いつまで寝てんだ! 起きろぉ!!」


 コハル達の戦闘から少し離れた場所、先程ヤタガラスの爆破攻撃を食らって半死の状態になっていたオスカーとクオンの腹を、オミナエシが、臓器が飛び出すのではと不安になるほどの勢いで踏みつける。


「ブふぉ!?」」

「うぅ……? お、おいナエ……俺達マジで死にそうなんだから、もう少し優し……ぶわっ!」


 余りにも暴力的な気つけで意識を取り戻した二人の顔面に、オミナエシは大樹から受け取っていた中級ポーションを思い切りぶち撒けると、体が砕け、バラバラになったゴンベの頭を、容赦無くサッカーボールのように蹴り飛ばす。


「あんたもだよ! まだ動けるだろ!」

「ちょ!? 姫……拙者もう限界……」

「あたしはか弱い乙女だっつってんだろ! 肉体労働やらせんじゃないよ! でも、あの弱虫達があんだけ頑張ってんのに、あたし達だけ寝てる訳にゃいかないだろ!」


 そう言われてオスカー、クオン、そして首だけになったゴンベがオミナエシの目線の先を追う、そこには泥と埃に塗れ、全身に傷を作ったコハルが、ヤタガラス相手に青刃を突き立てようと足掻く姿があった。気を失っていたオスカー達にはどういう状況なのかはっきりとは理解できなかったが、コハルが最後まで運命に抗おうとしていること、そしてその抵抗が風前の灯である事は見て取れた。


「クソがぁっ! このオスカー様を舐めんじゃねぇ!」

「仕方が無イ……もウ少しだケ悪あガきするカ」

「姫! 拙者を! 拙者を奴に向かって蹴るでござる!」

「あたしも黙って見てるのはここまでみたいだねぇ」


 倒れていた四人が再び闘志を燃やし、無様な姿で立ち上がる。現実は冷酷だ、もはや気力だけではどうにもならないほどに消耗は激しく、とても戦闘に参加できる状況では無い。しかし、醜く足掻くことで、開ける道だって現実には必ず存在する――


「えっ!? これって……!?」


 コハルが驚愕に目を見開く、ひびだらけになり光を失いかけていた如意宝珠の剣が、ほんの少しだけ輝きを取り戻したのだ。オスカー達が戦闘不能状態から復帰したことで、失われていた四人分の<運命の(リンク・リング)>の効果が再びコハル達に上乗せされる。たった四人、雀の涙程のステータス上昇が、コハルと大樹の心に、再び勇気の灯火を燃え上がらせる。


「うああああああああああああああああぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!」


 喉が潰れる程にコハルは叫び、砕けかけた<如意宝珠の剣>に全体重を乗せる。先端がヤタガラスの左腕の分厚い皮膚を貫き、そのまま腕を突き通そうとした瞬間――


「このぉぉぉぉぉぉクソガキがあああああああああぁぁぁぁぁ!!!」


 コハルの叫びをかき消すほどの絶叫、いや、もはや衝撃波と呼べる程の咆哮と共に、ヤタガラスが力任せに左腕を横薙ぎに払う。


「「うあああああああぁぁ!!」」


 力比べに負け、振り払われた衝撃で、<如意宝珠の剣>の刀身は完全に打ち砕かれた。精霊武器が強制解除され、コハルと大樹は絡まり合うように、そのまま地面に叩き付けられた。ヤタガラスは荒々しく蒸気を吐きながら、無様に地を這い(つくば)る二体を見て、文字通り耳まで張り裂けた表情で、狂ったように高笑いする。


「ぃひーひぃひひひゃひゃひゃはあああぁ!! やった! やったぞぉ! これで僕の完・全・勝・利だあああああああああああぁ!!」


 今までのどんなゲームよりも難易度が高く、かつて無いほど刺激的なゲームをクリアしたヤタガラスが、その高揚感に身震いする。


「さぁさぁどうしたのヒロキ君、コハル君、君たちは勇者じゃないか。まさか悪の魔王に負けて終わりなんて事は無いだろう? さぁ次はどうするんだい? さぁさぁさぁさぁ!!」


 もはや勝利が確定したヤタガラスにとって、この時間はロスタイムのような物だ。己の勝利に酔いしれ、己のためだけに用意された時間。対する大樹はコハルに抱き起こされ、肩を借りながら何とか立ち上がると、ヤタガラスに短く告げる。


「……終わりだよ」

「あっれぇえぇ!? おっかしいなぁヒロキ君! そこは『まだだ、まだ終わりじゃない!』とか言うところじゃないのぉ? あんだけ大言壮語を吐いといて、『終わりだよ』だって! だっせぇ! ひぃーひゃっひゃっひゃあぁぁ!」


 声を掠れさせながら笑い続けるヤタガラスに対し、大樹は何も返さない。その目に屈辱感は無く、それどころかどこか哀れんでいるようにすら見える。


「終わりだよ……あんたがね」

「……へぇ?」


 ヤタガラスは笑うのをぴたりと止め、空気が抜けたような声を漏らす。自分を打ち砕くと豪語した刃は、結局こちらに数センチの傷を付けただけ。幾ら大樹が虚勢を張ろうと、さすがにもう何も出来ないはずだ。だというのに大樹もコハルも心はまるで折れていない、それが疑問で、そして不愉快だった。ヤタガラスがそんな思考を巡らせているうちに、大樹はコハルの目を見て頷き、コハルも真剣な表情で頷き返した。


「「特殊スキル発動! <破魔の瑠璃光(オールイレース)>!」」


 大樹とコハルが『力ある言葉』を叫んだ瞬間、ヤタガラスの体が蒼い光に包まれた――

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