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第3話:良く分からない何か

 大樹はぼんやりとした意識の中、今までに感じた事のない安らぎを覚えていた。上質な羽毛布団に包まれているような、とても暖かく心地よい感触。何だか体がフワフワして気持ちがいい。目覚めたくない。この浮遊感を感じていたい。でも何者かが無理矢理にこの快感を奪おうとしている。暖かな感触は徐々に薄れ、強制的に意識が覚醒していく。不快感を覚え抵抗を試みるも、大樹の意識は否応無しに現実へと引き戻されていった。


「うぅ……」


 四角い穴から自分の顔に降り注ぐ強烈な光を浴びて、ああ、もう朝なのか、別に用事も無いが、洗濯物が干しっぱなしだったから取り込まないと。そう考えてしぶしぶ薄目を開ける。そこで彼が目にしたものは、あまりにも予想外な物であった。


 女の子だ。目の前に女の子が立っている。くどいようだが目の前に女の子が居るのだ。それも寝起きの自分の至近距離に。大樹にとっては天地がひっくり返っても起こりえない事態だ。一体何が起こっているのか脳が処理できない。そして、目の前の女の子も大きな目をさらに大きく見開き、大樹と同じような反応をした。


「わ……わひゃわっ……!」


 訳の分からない叫び声を上げて、女の子は物凄い勢いで大樹から離れ、少し先にある古ぼけたロッカーのような物の影に隠れた。脱兎の如く、という表現はこういう時に使うのだろう。


 頭で考えるより先に、女の子にドン引きされてしまったことに無意識的に傷ついた彼だが、改めて状況を確認すると何だか凄まじい事になっている。薄汚れた暗い部屋の中、どうやら自分はベッドのような物に寝かされているようだ。女の子と一つ屋根の下、ベッドと来るとちょっとアダルティなことを想像してしまうが、自分の携帯電話に女性が一人も登録されていない辺りからその可能性は除外する。


 まだ完全に覚醒していない頭を回転させ、状況を把握しようと努力するが、何だかもう本当に意味不明である。凄まじい混乱の波状攻撃の中、彼はようやく一つの結論に辿りついた。


「貴方もプレイヤー、ですか?」


 大樹は若干掠れた声で、物陰に隠れた女の子に質問を投げかける。自分は確か、意識を失う直前までサンクチュアリをプレイしていた筈だ。唐突に運営がトラブルを起こし、データの処理が滅茶苦茶になって見知らぬ場所に飛ばされたのかもしれない。そして、目の前の女の子も同じ被害に巻き込まれた。これなら一応説明は付く。その声に反応するかのように、おっかなびっくり、といった感じで、女の子は顔半分だけ出しながらこちらの様子を伺っている。何だか小動物っぽくて可愛いが、サンクチュアリその他MMOでは、キャラクターの見た目がイケメンや美少女でも、中身はおっさんだったりすることはよくある。自分もその一人なのだが、やっぱり気弱そうな女の子の姿で嫌悪されるのは悲しい。その悲しみをなるべく顔に出さないよう無言で返答を待っていると、今度は手首の先だけ物陰から突き出し、相変わらず怯えた表情のままピースをしてくる。何だかシュールな光景だ。


「これ……いくつに見えます?」


 大樹は一瞬質問の意味が理解できなかったが、これ、と言われて件のピースサインを見る。


「二、でいいのかな?」


 そう答えた瞬間、女の子は少しだけ安堵したようで、先程よりは落ち着いた口調で大樹に話しかけてくる。


「よ、よかった。言葉ちゃんと通じるんですね……あの、私のこと、食べたり、しませんよね?」


 一体何を言ってるんだこの人はと大樹は思う。サンクチュアリは各国でサービスは展開されているが、その国ごとに運営会社は違うので、同じ国のプレイヤーしか会う機会はない。だから言葉が通じるのは当然だし、キャラクターを食べるシステムなど存在しない。それとも不思議ちゃんキャラなのだろうか。そこまで考えてから、大樹はあることに気がついた。


「……キャラクターネームが表示されてない?」


 そう、目の前の女の子にはゲーム内であるべき物が表示されて居ないのだ。それは、キャラクターネームと呼ばれる識別子。プレイヤー同士で円滑にやりとりが出来るように、使用しているキャラクターの頭上には名前が表示されるはずなのだ。しかし、彼女にはそれが見当たらない。


 立ち上がってよくよく辺りを見回してみると、部屋の中も何かがおかしい。何というか、妙にリアル過ぎるのだ。いくらVRMMOが現実のようなリアルさを追求していると言っても、むき出しの地面から巻き上がり、日の光にきらきら舞う砂埃の一粒一粒、頻繁に変わる女の子の表情、所々に置かれた正体不明の機械の赤錆の一つ一つ等、そこまで細かい再現が出来るわけが無い。どんどん困惑を増す意識の中、女の子が頬を赤らめながら大樹にとどめの一言を投げかける。


「そ、その、綺麗な方だったので女の人かと思ったんですけど、あ、あの……何というか、男の方だったんですね」


 そう言いつつ横目で彼を見る女の子の視線の先に、大樹が生まれたときから持っている物の、ゲーム内で表現されてはならない物が存在していた。それは転身システムのときにも表示されなかった光の最終防衛ラインを易々と突破し、大樹の股の間に存在していた。何ということだ。


 だが、恥ずかしさよりも混乱が大樹の頭を支配していた。サンクチュアリでこんな仕様を無断で実装したら、それこそ新聞沙汰である。一体なんだ。何が起こっている。恐怖で頭が一杯になる。何でもいいから今の立ち位置を確認できる物が欲しい。その動揺が伝わったのか、目の前の女の子が震えながら部屋の隅へ逃げ出していくが、生憎気遣う余裕が無い。凄まじい焦りに駆られて部屋を見渡し、そして部屋の壁に掛けられたひび割れて少し曇った鏡の中、とんでもない物を見た。


 鏡の中には、新緑色の短髪、深緑色の目、中性的な顔の綺麗な青年が驚いた顔でこちらを見ていた。もう何千回見たか分からない、もう一人の自分、サンクチュアリの自分の写し身であった。しかし先程までの証拠と照らし合わせると、ゲームの中では無い筈。大樹の困惑度はついに限界値を振り切った。


「な、何なんだ!? 一体何なんだよおおぉぉぉーー!!!」


 全裸のまま頭を抱えて絶叫する大樹、その瞬間、前を隠していた手が離れて全開モードになる。


「うきゃあああああああああ!!」

 薄暗く土ぼこりの舞う部屋の中、二人の絶叫が木霊した。



「えと、コハル、さん? 何かもう色々すみません……」

「いえ……こちらこそ取り乱しちゃって……ヒロキ、さんでしたっけ?」


 二人はお互いにたどたどしい挨拶をし、目の前の熱いお湯を冷ましながら飲み始める。いきなり取り乱したと思ったら、今度は唐突に放心したように力無くベッドに腰掛ける大樹を見て、よく分からないが恐ろしさよりも同情心が勝ったコハルは、部屋にある唯一の贅沢品である、水を入れると一瞬でお湯になる機械を使い、大樹に飲むように勧めた。自分よりも年下に見えるコハルが、怯えつつも気を遣ってくれたことに多少なりとも罪悪感を感じた大樹は、そのお陰で少しだけ冷静さを取り戻す事が出来た。ちなみに全裸はまずいので、大樹はコハルの兄のゴワゴワした良く分からない素材で出来た服を身に纏っている。ただ、サイズが合わないので少しだぶついているが。


 少しでも現状を把握したいと思い、コハルを質問攻めにした大樹だったが、コハルにサンクチュアリの事を聞いても首を傾げるばかりで、得られた情報は自分が何かの機械の中に入っていた事、その自分を引き摺り出して彼女の村に運んだ事、誰も引き取りたがらなかったので、彼女と兄に責任を押し付けられた事などである、肝心な部分はまるで分からない。


「でも、キマイラじゃなくてよかった……お兄ちゃん私一人にするの凄く心配してたし」

「キマイラ?」

「大樹さんは知らないんですか? この辺り一体にたまに出てきて、家畜や人を襲ったりするんですけど……」


 そんな話をしていたら、外から凄まじい音が聞こえてきた。パトカーのような、消防車のような、これはまるで――


「け、警報です! キマイラが近くに居るみたいです!」


 噂をすれば何とやら、この辺り一体の情報はまだまるで聞いていないが、コハルの慌てぶりと家畜や人を襲うという生き物が近づいているというだけで、大樹は身震いしてしまう。ただでさえ訳が分からなくてパンク寸前なのに、余計な空気をさらに注入するのは本当に勘弁して欲しい。


「だ、大丈夫です。今はお兄ちゃん達が警備を担当しているはずですから! お兄ちゃんはいい加減だし頭もあんまり良くないし無鉄砲だけど、武器の扱いと気合だけは村一番なんです!」


 自信たっぷりに言い切るコハル。兄を随分信頼し褒めているようだが、微妙にけなしている気もしないでもない。


「だから、今はお兄ちゃんや防衛してくれている人たちを信じましょう! 私達が出て行っても足手まといになるだけです」


 無論、大樹は最初からそんな危険な場所に出て行く気など無い、近所の吠え立てる犬にすら怯むほどの自分がそんな物を相手に出来る訳が無いし、物見遊山で見に行く精神的余裕も無い。だが、どうも不幸という物は、起こる時は連続して起こる物らしい。


 ギィイイィィイィィィィィィィィ!!


 金属をこすり合わせたような耳障りな音が耳朶を打ち、大樹たちの居る家の天井を突き破り、何者かが轟音と共に落ちてきた。先程大樹が寝ていたベッドは無残に瓦礫に埋もれ、あと少し目覚めるのが遅かったらと背筋が凍る思いだった。


「な、何あれ……!?」

「キ、キマイラ!? ここまで来るなんて!」


 家畜や人を襲う、と言っていたので、大樹は狼や猪のような物を想像していたのだが、目の前のキマイラと呼ばれた生き物は、何と表現していいのか分からない醜悪なデザインをしていた。全身が灰褐色、顔はカマキリのような獲物を切り裂く鋭い顎、胴体や腕は毛の薄い猿のようで、そこから四本の丸太のように太い腕が伸びている、そして大地を踏みしめる二本の足は、はちきれんばかりの筋肉に覆われたバッタのようだ。大きさは一メートルくらいしか無いが、醸し出す凶悪な雰囲気からずっと大きく見えるように錯覚してしまう。


「は、早く逃げないとっ!」


 コハルはけたたましく叫ぶ物の、大樹もコハルも足がまるで縫い付けられたかのように動かない。逃げるために後ろを振り向いた瞬間、飛び掛ってくる姿がちら付いて動けない。大樹はこんな生き物など生まれて初めて見たが、この醜悪な生き物の恐ろしさは、天井を破壊して飛び込んできた威力と、凶悪そうな外見で嫌というほど想像できた。今漏らしていないのが不思議なくらいだ。


 こんな訳の分からない場所で、訳の分からないまま死んでしまうのか。ネガティブな想像ばかりが頭脳を凄まじいスピードで塗りつぶしていく。次々と起こる理不尽な展開に脳が完全に置き去りにされ、次第に思考回路がショートし始める。混乱が恐怖を塗りつぶし、大樹を逃走へと駆り立てようとしたその時、


「うううぅ……おにいちゃん……たすけて……」


 自分の後ろに、へたり込んで泣き出してしまったコハルの姿があった。恥も外面も無く、幼子のように恐怖に怯え泣いている。その姿に、大樹の蚤の心臓と、芥子粒程のプライドが刺激され、彼を無謀な行動へと駆り立てる。


 大樹は壁に立てかけたあった、薪のような棒切れに手を伸ばし、両手で竹刀のように構える。大樹に武術の経験など全く無い。これまでの現実の人生で取り扱った事のある武器は、幼少の頃、ヒーローごっこでおもちゃの剣を振り回したのが最新の記憶だ。


 ギィイイ?

 

 何をしているんだこの馬鹿は。そう嘲笑うかのように目の前の怪物が顎から奇声を搾り出す。大樹自身も馬鹿なことをしていると思う。自分でも笑ってしまうくらい全身が震えている。今、全てを放り出し全力で逃げ出せば、この怪物はもしかしたらコハルの方に攻撃を加え、自分は助かるかもしれない。今さっき知り合ったばかりの人間だ。多少罪悪感は覚えても責められる謂れは無い。


 しかし、それでも大樹は逃げなかった。仮に逃げ出しても、ここが何処かも分からない今の状況では無謀すぎるし、コハルを襲った後、自分が逃げ果せるかも疑問だ。だが、そういった理性的な理由は後付けだ。


 大樹を逃げ出させなかったのは「良く分からない何か」としか表現出来ない感情であった。恐怖、混乱、理性、なけなしのプライド、逃げ続けてきた自分への嫌悪感、そしてほんの少し、本当に少しだが久しぶりに触れ合った人間への愛着、そういった様々なものがグチャグチャとドロドロに交じり合い。それでも捨てきれない「何か」が彼を立ち向かわせた。


 勿論、どんな感情を持とうが現状が変わるわけではない、目の前の怪物は明らかに余裕をぶっこいているように見えるし、へたりこんだコハルも、ガタガタと震えながら棒きれを構える大樹もそのままだ。


 そろそろ茶番は飽きた、とでも言うように、怪物はバッタのような足の筋肉に力を込め、その醜悪な全身を弾丸と化し、凄まじい速度で大樹たちへ飛び掛った。


「う、わああああぁあぁっっ!!」


 それに何とか反応し、大樹はろくに敵も目視せず、やけくそで手に持つ棒をバットのように振り回した。


 ――めぎょ


 形容しがたい嫌な音が両腕に響くのを大樹は感じた――

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