第19話:濃血者(インブリーダー)
明るい日差しの差し込む木目調の部屋の中、大樹とコハルは木で出来た小型の椅子に腰掛け、テーブルを挟んで黙々と何かを作業している。二人とも会話は無く、ただかりかりとペンが紙の上を走る音だけが響く。
「出来ました! ヒロキさん!」
「じゃあちょっと採点してみるね」
コハルが必死に何か書いていた紙を手渡し、それを大樹が受け取り目を通す。そして開始一行目にして大樹の顔が微妙な表情を作り、結果を察したコハルの表情が曇る。大樹が手にした紙の一行目には、いびつな文字がこうのたくっていた。
――ヤイワエオ
「や、やっぱり何も見ないで書くのはまだ難しいかな……」
「はぅ……」
大樹が慰めるように微笑を浮かべるが、コハルの気分は逆にずぶずぶと沈んでいく。今、大樹とコハルが行っていることは「お勉強会」である。コハルは大樹の出す書き取り問題に挑戦し、その間に大樹は即席の仮名辞書もどきを必死に作っているのだ。大樹がコハルにドレスをプレゼントしてから数日が経ち、コハルが自分も何かをしたいと言い出したのだ。最初はキマイラと戦闘があった時に役立ちたいという思いから、戦い方を覚えよう考えていたコハルだが、生憎戦闘技術を教えられる人間が誰も居なかった。
オスカー曰く、「戦いってのは度胸なんだよ度胸! こうシュッと相手の近くに潜り込んで、ズバーッと一刀両断する。後は気合で押し切る!」終始こんな感であったし、彼はコハルが戦いに参加することに猛烈に反対した。
ゴンベはそもそも、センガンコウと対峙した時くらいしかキマイラと相対した事が無く、平和な国育ちの大樹はそれにさらに輪を掛けて戦闘経験は無い。
そんなわけで戦闘は諦めて、まずは文字の勉強をすることになったのだ。大樹にとって意外だったのが、この世界の人間は殆ど文字が読めないという事だ。生活のためガラクタを掘り返して修理を試みてはいたが、殆ど失敗する上に勘でやっているらしい。オミナエシも文字が読めるという訳ではなく、象形文字のような記号として、どちらかというと絵として覚えているだけだそうだ。
大樹はこの世界が果たして何処で、何と言う場所なのかは未だに把握していないが、不思議と文字が、自分の世界と共通する物が多い事は前から気になっていた。無論見たことも無い文字も多いのだが、少なくとも平仮名・カタカナは存在する。
簡単な文字だけでも覚えられれば何かの役に立つかもしれないし、そうして大樹から知識を吸収していけば、今までコハルが使用不可能だった道具も使えるようになるかもしれない。そんな試みで始めた国語の勉強会だが、状況は余り芳しくない。例えばこんな感じである――
「これは『リ』、リンゴのリだよ」
「あの、リンゴって何ですか?」
「そうか……そこから説明しないといけないんだった。えーと、赤くて甘い果物で……」
「あ! もしかして村で取れたあれですか?」
「そうそれ! 確か昨日も<種を蒔くもの>の効果で採取できたはず」
あれだのそれだの、具体的な単語の出ないあまり知的ではない会話が続く中、大樹は部屋の横に備え付けてある小物入れに手を伸ばし、中から瑞々しいリンゴを一つ取り出してコハルの前に置く。
「あ、やっぱり村で食べた果物ですね。これ美味しいんですよね!」
「そう、これがリンゴって言ってね……」
「リンゴ……甘くて……おいしい……」
「……食べる?」
「え!? そういう訳じゃなくてですね! でも食べたくない訳じゃなくて! ただ今は勉強中だしそういうの良くないかと思ってですね!」
「いいよ。僕も疲れたしちょっと休憩しよう」
殆どトランス状態でリンゴを凝視していたコハルに大樹は軽く笑うと、その綺麗なリンゴをコハルの手に納める。コハルは大樹の表情をちらりと窺った後、まるでひまわりの種を貰ったハムスターみたいな勢いで食べ始めた。その様子を大樹は微笑ましそうに見ている。
(しかし、文字を教えるのがこうも難しいとはなぁ)
大樹は目の前のコハルから目を離し、テーブルの上にある平仮名やカタカナの書かれた紙の束へちらりと目を向ける。改めて思うが、文化があまりにも違いすぎる。平仮名カタカナ、その他簡単な文字なら楽勝で教えられると高をくくっていたのだが、先程のやり取りのように、「これはAだ」という例え話を出しても、大樹の世界ならごくごく一般的な例え話が全く通じないのだ。さらに「Aとは何か」という事に答えると、その中にコハルが興味を引かれる単語が大抵潜んでいて、その説明をせねばならずどんどん脱線していく。
こうして面と向かって、同じ時間を過ごすようになってから分かったが、コハルは決して愚鈍ではないが、お世辞にも頭の回転が速いとは言えないようだ。もし大樹の世界に居たら、大人しく勉強でもしてそうなイメージを勝手に抱いていたのだが、座学もあまり好きではないようだ。最も、大樹自身も勉強が苦手かつ、教えるのが下手と言うのも自覚はしているのだが。
「お二人さん、よく頑張るねぇ」
大樹とコハルが上からの声に顔を向けると、天井に付いている屋上に続くドアから、逆光を背にオミナエシが覗き込んでいるのが見えた。相変わらず野暮ったい丸眼鏡を掛け、髪の手入れはいい加減だが、栗色の髪が陽の光に透けて、金の糸のようにも見える。
「ナエさんも一緒にやりませんか?」
「面倒だからパス。あたしは自分の機械が操作できればそれでいい」
気だるげにオミナエシが答える。彼女としては別段知識を付けたいとかそういう願望は無く、ゴンベのパーツや、子供達の眠る冬眠装置を操作できる現状の知識があれば良いというスタンスらしい。
「うぅ……ナエさんずるい。そんなに適当なのにヒロキさんの道具をポンポン使えるし、背も高いし胸も大きいし……」
テストの結果がいまいちだったコハルが、まるで背中に岩でも背負ったかのように机の上に突っ伏していく。
「だ、大丈夫だよコハルさん! コハルさんにもいい所あるよ! 僕はコハルさんの方が好きだよ!」
「え!? ヒ、ヒロキさん」
「ひどいねぇ大将、こんな美人を袖にするなんて」
口に出してから自分でもひどいフォローの仕方だと思ったが、コハルから視線を離して上を仰ぐと、案の定、にやにや笑いを浮かべながら面白そうに見下ろしているオミナエシ。横には大樹の言葉に過剰反応して硬直したコハル、前門の虎後門の狼とはこういう状況なのだな、と大樹は内心で頭を抱えた。
「そ、それはそうと、僕に何か用があるんじゃないの?」
若干上ずった声で大樹がオミナエシに声を掛ける。コハルはどうだか分からないが、話を逸らすための無茶振りであることは、オミナエシには簡単に見透かされていた。しかし、これ以上苛めるのも可哀想だと思ったのか、オミナエシは素直に大樹の問いに答える。
「あーそうそう、オスカーの馬鹿がヒロキを呼んでくれって騒いでるんで、ちょっと屋上に出てきてくれるかい?」
「分かった。今行く」
「あ、ヒロキさんちょっと待って!」
何となくいたたまれない雰囲気になったので、大樹は早足で、屋上に続く梯子に身を躍らせる。後ろから物問いたげな視線をコハルが投げかけてくるが、大樹はどう反応していいか分からないので、とりあえず今はあえて気付かない振りをした。
「オスカー、どうしたの?」
屋上へと続く梯子の穴から、モグラ叩きのモグラのように、ひょこっと顔だけ出しながら大樹がオスカーに問いかける。屋上に植えた植物は完全に成長し、今では活力に溢れた小さな森林のような様相になっている。その木々が、荒野の世界に吹きすさぶ荒々しい暴風を、心地よい微風へと和らげ、その新緑の空気が大樹の頬を撫でると、大樹の心は徐々に落ち着いく。オスカーは欄干に身をもたれ掛け、何やら地面の方に視線を向けている。その横にはゴンベが座り込み、壊れた左腕をオミナエシが修理して貰っているようだ。
「おう、勉強中に悪いなヒロキ、ちょっとあれ見てくんねぇか?」
「あれって?」
オスカーは振り返らずに声だけで答え、片方の手で大樹を手招きする。不思議に思いつつも大樹が近づき、オスカーの指差す方向へと目を向け、そして眉を潜める。
「キマイラ……だよね?」
「間違いねぇな。ただよ、俺も小せぇ頃から連中は見てるが、あいつ等はなんか違うんだよなぁ」
空中に浮かぶコンテナハウスから地面に目を向けた先には、大樹の<種を蒔くもの>の効果によって作られた即席の森と、小さいが清らかな泉がある。その森の中、数匹のキマイラが集まっていた。大樹たちにとっての安らぎの場所は、生物であるキマイラにとっても絶好の休憩場所でもあり、割と高確率でキマイラとかち合ってしまう。これ自体は旅の道中で何度か目にした景色だ。
「確かにうちの村で出たキマイラ達に比べて、随分落ち着いた感じがしますね。後ろに連れてるのは……もしかして家畜ですか?」
いつの間にか大樹の後ろに現れていたコハルが感想を述べ、その感想に大樹も同感だった。村で見かけたキマイラは、知性は感じられるものの「凶暴な野獣」というカテゴリーに分類してもあまり違和感は無かった。だが大樹達の下に居るキマイラ達は、姿こそ村で見たカマキリ顔の醜い生物であることに変わりは無いが、動作の一つ一つが洗練されているのだ。粗暴な部分がまるで無く、リーダーらしき個体が指示を出しているようで、後ろに連れているコブだらけの牛のような生物を時々撫でたりもしている。
「キマイラが家畜? ありえねぇだろ」
「でも私も家畜の世話してたから分かるんだけど、何となく雰囲気が似てるなぁって」
「あたしはあんな生物初めて見たけど、そんなに馬鹿には見えないけどねぇ」
工具を手にしたままでオミナエシも会話に参加する。
「あ、奥の方に小さいキマイラも居ますよ。何かちょっと可愛いかも」
「……可愛い?」
コハルの美的センスはさておき、確かにオミナエシの言うとおり、家畜らしき生物にちょっかいを出している小型のキマイラがおり、たまに蹴飛ばされてこける姿などは少し微笑ましい。少なくとも「凶暴な野獣」とは一線を隠す存在であることは間違いないだろう。
「それで、どうするよヒロキ」
「うーん……」
オスカーの言わんとしている事は大樹にも理解できた。つまり、あのキマイラ達を始末するか否かを聞かれているのだ。今までのオスカーは、キマイラ発見即殺害、という感じで一人で勝手に突っ込んでいたのだが、センガンコウとの戦い以降、大樹に意見を求めてくるようになった。
「確かに、奴等はこちらに気が付いて居ないようでござるな。しかし忍者が名乗り上げずに不意打ちを仕掛けるのはあまり気が進まぬが……」
ゴンベの意味不明な言葉はあまり考えないことにして、大樹は如何にすべきか考える。<種を蒔くもの>は限界まで取得しているので、スキル発動率は決して低くないが、発動がランダムなため出ないときには全く出ない。飲料水、シャワー用の水、食料は可能な限り補給しておきたい。今まではキマイラが森に来た場合は、彼らが居なくなった後に少しだけ残った物をちまちま回収するか、静止を無視したオスカーが突っ込み、大樹がそれを補佐する形で蹴散らすというスタイルを取ってきた。
極力戦闘行為は避けたいが、下を見る限りでは相手はこちらに気付いておらず、仮に気付かれても、子連れなら相手も動き辛いだろう。先制攻撃には絶好のチャンスだ。
「よし、じゃあ攻撃を仕掛けよう。ただし相手が逃げるようだったら追わないように」
「了解! じゃあ早速ぶった斬るとするか!」
「だから、無駄に攻撃しちゃダメだってば……」
血の気の多いオスカーを宥め、大樹はコンテナを徐々に降下させる。こんな馬鹿みたいに目立つコンテナではあるが、キマイラは空から敵が来るなどと全く思っておらず、しかも向こうからは生い茂る樹木に視界を遮られ、相手はこちらの接近に全く気が付いていない。
オスカーと大樹なら十分に飛び降りられる程の高さまでコンテナの高度を下げ、二人は地面に降り立った。大樹は若干着地に失敗して危うくこけそうになったが、オスカーはまるで猫のようにしなやかに着地する。ゴンベは腕が完全に修復されていないため、オミナエシとコハルの護衛も兼ねて待機だ。
(よし……それじゃ行くぜ、ヒロキ)
(分かった)
気配を殺し、樹木に身を隠しながら、獲物を狙う肉食動物のようにじりじりとオスカーと大樹がキマイラに近づいていく。オスカーの手には薬剣、大樹は片手に<黒曜石の鍬>、背中には<世界樹の釣竿>を背負っている。オスカーが突っ込み、大樹が補助をする。それがいつの間にか自然と出来た役割だった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
オスカーが裂帛の気合と共に、薬剣を起動させながら飛び出す。標的は一番手近に居た、家畜を世話している大人のキマイラだ。重量級バイクのエンジン音のような爆音と共に回転を始めた薬剣が、オスカーの疾風のような突進と共にキマイラに襲い掛かり、歪んだその体を紙を千切るように切り裂く。
「ギィイイイイアアア!!」
「ちっ!」
しかしキマイラは一瞬早くこちらに気が付き、深手を負ったものの、致命傷には至らなかったようだ。薄紫色の粘液質な液――恐らく血液であろう液体を、噴水のように噴出しつつも、オスカーから必死で距離を取る。その間、大樹は他のキマイラがオスカーに襲い掛からないよう目を光らせていたが、どの個体も震えているだけで、襲い掛かってくる気配はまるでない。
(何だこれ……?)
大樹は緊張に身を固めつつも、違和感に内心首を捻る。これではまるでコハル達の居た村と同じだ。あの時と違うのは、攻める側と攻められる側が逆転しているだけだ。
「オラァっ!」
オスカーが深手を負ったキマイラに止めを刺すべく追撃を加える。瀕死のキマイラは逃げようと手足を必死に動かすが、もはや手足の機能は完全に停止している。キマイラに刃が届き、死の世界へ誘おうとした瞬間、オスカーは刃を止めた。
「……テメェ、何のつもりだ?」
「キィ……」
薬剣の刃が凄まじい唸りを上げて回転する、そのほんの数センチ下に、小さな生物が割り込んだ。それは先程コンテナの上から見えた、キマイラの子供らしき個体であった。瀕死の大人のキマイラを庇うように、震えつつも毅然と仁王立ちしている。もともと小型のキマイラの子供なので、その体は非常に小さく、直立しても人間の幼児程度の大きさしかない。
「どかねぇと、お前からぶった斬るぞ?」
「キィィ!!」
オスカが威嚇するように薬剣を子供キマイラにちらつかせるが、子供はその都度びくりびくりと体を縮み込ませるだけで、決して大人のキマイラの前を離れようとしない。その態度にオスカーは少しだけ困惑するが、そこはやはり憎いキマイラである。困惑よりも憎しみが勝る。
「……そうかよ、じゃあな」
オスカーは先程までの感情を消し、驚く程平坦な声で薬剣を振りかぶる。薬剣が轟音と共に回転を始め、刀身に対キマイラ用の薬を漲らせて行く。それはまるで、獲物を待つ獣の勝鬨の咆哮のように聞こえた。この薬剣が振るわれれば、柔らかい子供キマイラの肉体など、豆腐の盾ほどにも役に立たず、親子共々切り裂かれるだろう。周りのキマイラは完全に腰が引けていて、遠巻きに震えることしか出来ない。
「殺しちゃダメだ!」
「うおわっ!」
オスカーが薬剣を叩きつけようとした瞬間、彼は空中に突然投げ出された。大樹が後ろで釣りスキル、<釣竿移動>を使い、オスカーを引っ張ったのだ。オスカーはまるで糸の切れた人形のようにぐるぐる空を舞いながら、近くの茂みへと投げ出された。
「痛ぇな! 何すんだよヒロキ!」
激昂するオスカーには取り合わず、大樹は子供キマイラと、その後ろに横たわる瀕死の大人キマイラに足早に近づいていく。
「どいて」
オスカーよりも優しく、しかし厳しい口調で大樹は子供キマイラに話しかける。こちらの言葉が分からないのか、はたまた大樹も敵だと思っているのか、子供は頑なに位置を譲ろうとしない。抵抗する子供キマイラを、大樹は無理矢理に引き剥がす。
半死半生のキマイラの口に、大樹は上級の回復ポーションを捻じ込む。センガンコウとの戦いの際にオスカーに与えた物だが、上級アイテムは大樹も余り持っていない。しかしこれだけの傷を治すためには、これを使うならしかないと大樹は踏んだ。すると、荒々しく息をしていた瀕死のキマイラの呼吸が徐々に落ち着いていき、若干ふらついているが、ゆっくりと体を起こした。
「ごめんね」
大樹がぽつりと呟いた。キマイラ達は不安げに、そして不思議そうに大樹を一瞥すると、後ろで鬼の形相で薬剣を抱えているオスカーに気が付き、家畜を連れて蜘蛛の子を散らすように森の茂みへと姿を消した、茂みに入る前に、子供キマイラが一瞬大樹を振り返ったが、千鳥足で歩く傷ついた大人キマイラに促され、そのまま去っていった。
「おいヒロキ、一体どういうことだ?」
「……ごめん」
オスカーは不快げに大樹に怒りをぶつける。その怒りに対し、大樹はただ謝るしかない。正体不明のキマイラを庇い、味方であるオスカーの妨害をした。大樹がやった事はどう考えても間違っている。下手をしたら二人とも死んでいたかもしれない。
「あのなぁヒロキ、お前のやってることは自己満足だぞ? 確かにあいつらは他の奴らと違ってたかもしんねぇけど、かといってキマイラはキマイラなんだぜ?」
「分かってる」
「分かってんなら何で邪魔すんだよ! お前は甘いんだよ! 俺達だって生きるか死ぬかでやってんのに、あんな訳の分かんねぇ連中を庇ってどうすんだよ!」
「……ごめん」
オスカーの罵声が大樹に浴びせられるが、大樹はただ俯くだけだ。自分だって何故ああしたのかは分からない、深い考えがあった訳ではない。だが、何故かあのキマイラ達を殺してはいけないと気が付いたらあんなことをしてしまったのだ。
「オスカー殿、その辺にしておくでござる」
茂みの向こうからゴンベ達が姿を現した、キマイラが森を抜け出して逃げていくのを見てコンテナから降りてきたゴンベ達は、大樹の行動を一部始終見届けていたのだ。
「拙者もオスカー殿の意見に賛成でござるが、過ぎたことを言っても仕方なかろう。とにかく無事にキマイラ共を蹴散らし、誰も怪我無く済んだ事を良しとすべきでござるよ」
「けどよぉ……クソっ!」
オスカーはまだ納得行っていないようだが、渋々と矛を収めた。薬剣を乱暴に振りかざし、そこらの草木を切りつけてキマイラの血を拭うと、乱暴に薬剣を腰に戻した。
「とにかく、早いところ物資を回収しようか。あたし達はそのためにここに来たんだからねぇ」
オミナエシがそう言ったのを合図に、各自黙々と必要な果物を探したり、水を汲んだりし始めたが、大樹は地面を見て、無言で立っているままだった。
「……………………」
「ヒロキさん……」
コハルは手を動かしつつも、不安そうに大樹の事を眺める。ふと頭上を眺めると、先程大樹と勉強をしていた時に晴れ渡っていた空は、今は分厚い雲に覆われ陽の光を遮っていた。もしかしたら雨になるかもしれない。コハルは慌てて作業に戻っていった。
◇
「まぁ大体こんなもんか」
目の前に置かれた果物の山や、コンテナの横に付いている水量メーターを見て、オスカーが投げやりに言い放つ。キマイラを襲撃してから既に数刻が経ち、空は相変わらず雲に覆われているため太陽の位置は分からないが、かなり暗くなって来ていることから、夜が近づいていることが分かる。今回はキマイラに荒らされる前に森を散策出来た為、予想よりかなりの量の物資を手に入れることが出来た。最も、あれから皆殆ど口を利かず、黙々と作業をしていたためかもしれない。しかし、手に入れた物資の量に反して、皆の顔は余り晴れ晴れしくは無い。
「とにかく今日はもう暗くなってきたし、キマイラとも戦ったしで疲れたでしょう? もう休みましょう」
コハルが場を和ませようと皆に促す。特に反論する物は無く、大樹たちは無言で物資を抱えてコンテナを目指す。最も、大樹とオスカーの内心ではお互いに「あれが『戦った』と言えるのか」という疑問はあったのだが。ちなみにこの二人、キマイラ襲撃以降、一言も口を聞いていない。小さな森を抜けようと、先ほど来た道を戻っている途中、大樹はふと立ち止まった。
「どうしたんです? ヒロキさん」
「何か居る」
大樹の視線を追うように皆が闇を凝視すると、確かに何か生物の気配を感じた。サンクチュアリ譲りの優れた視力を持つ大樹に言われなければ、恐らくそのまま通り過ぎていただろう。
「ほウ、気が付イタか……」
若干耳障りな音の混じる声が暗闇の中から聞こえた。既に深遠の闇に支配された森の中に、二つの赤い光が大樹達に見開かれた。その燃えるような真紅の目は闇の中でも爛々と輝き、まるで猫のような縦長の瞳孔を映し出している。
「何だてめぇは!」
オスカーが反射的に薬剣を構え、大樹とゴンベはオミナエシとコハルを庇うように前に出る。オスカーが吼えた瞬間、闇はその暗さを一層黒く塗りつぶすような殺意を放ち、憎憎しげにこう答えた。
「先程はやっテクれたナ、濃血者」