第17話:約束と希望
センガンコウを倒し、ぼろぼろになりながらも三人が地下室へ戻ってきた時、オミナエシは信じられないという表情でただ呆然と立ち尽くし、コハルは目にうっすらと涙を浮かべて大樹に無言で抱きついた。突然のことに大樹は訳が分からなかったが、横でオスカーがにやにやと薄笑いを浮かべていることに気がついて、脳がようやく現実を認識した途端、気恥ずかしさを感じた。無論抱き返すなどという度胸は残念ながら大樹には無く、コハルの服が汚れてしまうからと宥めて引き剥がした。後程、どさくさに紛れて抱きついておけばよかったと心底後悔したが、それはまた別の話だ。
「まさか……本当にあの化け物を倒してしまうなんてね……」
「だから言っただろ! 俺達は強ぇってな!」
「いや、実はオスカー殿のせいで一回えらい目にあったのでござるが」
「だから! それはもう言うなって言ってるだろうが!」
「ま、まぁ落ち着いてオスカー」
オミナエシが噛み締めるように呟いた瞬間、大樹達が一斉に騒ぎ出した。霊安室のようだった地下室が急にやかましくなり、その五月蝿さが地下室に纏わり付いた淀んだ空気を吹き飛ばした。
「皆さん、本当にお疲れ様でした!」
「ゴンベにーちゃんたちすごい! 意外とすごい!」
「すごい……」
コハルが大樹たちに労いの言葉をかけ、それに付随してアネットとカリックも賞賛の言葉を送る。
「意外と、というのがちと引っかかるでござるが……まぁいいか」
「あっ……!」
「ん? どうしたでござる?」
「ゴンベ……あんた腕!」
センガンコウを倒した騒ぎで興奮していたので、オミナエシ達はゴンベの左腕がもげている事に今更ながら気が付いた。そして、これまでに無い慌てぶりでゴンベに駆け寄った。
「ああ、これは名誉の負傷という奴でござる。何、拙者はロボット。痛みなど感じな……」
「馬鹿っ!!」
「ひ、姫!?」
「あんたね! あたしがどんだけ心配したか分かってんの!? あんたが壊れたらあたしは誰を頼って生きればいいのよ! 何が名誉の負傷よ! 馬鹿じゃないの! 本当に馬鹿! ポンコツ! 死ねばいいのに!」
オミナエシは一気にそう捲くし立てると、ゴンベに掴みかかり、ぼろぼろと大粒の涙を流して泣き出した。今まで緊張と不安に押しつぶされないよう、無理に軽薄な態度を取っていたオミナエシだが、センガンコウという怪物が消え、張り詰めていた緊張の糸が一気に切れてしまった。ゴンベの胸にその華奢な拳を叩きつけながら、心に溜まっていた澱を全て吐き出すように支離滅裂に喚き続けた。
「すまぬ……拙者、姫を悲しませるような事は、今後絶対にしないと誓うでござる」
「姫って言うな……」
ゴンベの錆だらけだが、分厚い鉄の胸板に顔を押し付け、鼻を啜りながらオミナエシが悪態を吐いた。
◇
「はは、格好悪いところを見せちゃったね」
暫く経ってから、オミナエシが気恥ずかしそうに髪をくしゃっとかき乱し、いつもの適当な調子で、誤魔化すように大樹たちに苦笑する。
「そんなことないよ、ナエさん今まで本当に良く頑張ってたし。格好いいよ」
「あ、でも格好いいというより可愛いかったかも……」
大樹が何とかフォローしようとしたが、コハルがストレートな感想を述べてしまったので、オミナエシはばつが悪そうにそっぽを向いた。泣いた後ですんすん鼻を鳴らすオミナエシは大樹的にもちょっと可愛かったのだが、口にすると怒られそうなので黙っていた。そんな事を悶々と考えていた大樹だが、ようやく当初の目的を思い出した。
「とにかくセンガンコウは退治した訳だし、これで安心して子供達を起こせるね!」
「緑の兄さん……ヒロキだっけ? そんな単純なわけ無いだろう」
大樹のうきうきと弾んだ台詞を、オミナエシがあっさりと地に叩き落す。
「え? な、何で!?」
「何でだよ?」
「な、何故でござる!?」
「ヒロキさん達、肝心な事忘れてるんじゃ……」
男三人は自分達の苦労が無駄だったのかと慌てふためくが、コハルが遠慮がちに説明をしてくれた。確かにセンガンコウを倒したことで、自分達の住む地下の世界が埋め立てられる脅威は無くなった。しかし、元々の問題である十三人の居住スペースや生活物資など、生きていく手段が解決したわけではない。
「そういやそうだった。すっかり忘れてたぜ……」
「じゃあ、僕達の苦労って一体……」
「拙者の捨て身の特攻は何だったのか……」
「ああ! 落ち込まないで皆さん! センガンコウが居なくなれば色々出来ることが増えるじゃないですか! わ、笑って笑って!」
ずーんという効果音と共に、暗い闇を背負ったような三人衆をコハルが必死に激励する。凄いことをやってのけたのは事実なのだが、敵を倒せば全部解決すると思っていた大樹たちは、自分達の思慮の浅さに落ち込んでいるようだ。
「で、でもさ、センガンコウを倒したから、地上に出て行くことも可能だよね?」
「出て行ってどうするんだい?」
「だから、地上に住めばいいじゃないか。そりゃ確かに地上は荒れ果ててるけど、僕の力で緑を増やせばいいし、家だって僕なら建てられるよ」
「あんたの申し出はありがたいよ。でもさ、幾ら住処があっても、今まで地下室で冬眠してた子供集団が、いきなり地上に出て生きていけると思うかい? あたしとゴンベは生活能力なんて皆無だよ」
「う……」
大樹の提案をことごとくオミナエシが撃墜していく。勿論オミナエシとて悪気があってそう言っているわけではない。大樹がただ楽観的すぎるだけだ。
「つってもよ、そうなると結局あのデカブツ関係無く現状維持のままじゃねぇか」
「まぁ当面そうするしか無いでござるな。だが、センガンコウが居なければ周囲の探索も容易になるし、ヒロキ殿の力も借りればいい方向には向かいそうでござる」
「けどよぉ……」
オスカーは不満げに愚痴をこぼす。そこにいる誰もがオスカーと同じ気持ちではあるが、ある日いきなり問題が全てが解決する。という訳には行かないようだ。
「だったら、私達の村に連れて行ったらどうですか?」
「コハルさん達の村に? でも、あそこも子供を受け入れる余裕なんてあるのかな?」
「多分無いと思います。でも、今はヒロキさんのお陰で果物とかも採れるようになりましたし、この子達が大きくなれば、村にだって損は無いはず」
「あの爺共がそんな先行投資するタマには思えねぇが……ま、俺もコハルに同意だ。いざとなったらヒロキに脅して貰えばいいしな!」
「脅すって……でもそれが一番いいのかもしれないね。ナエさん達はどう思う?」
大樹がオミナエシ達へ意見を求めるが、オミナエシ達はただ無表情で突っ立っているだけだ。
「あの、ナエさん……?」
「あたし達。ここから出られるのかい?」
「え?」
「本当に、あたし達ここから出られるのかって聞いたんだよ」
「今話した通りだけど……嫌なの?」
何か機嫌を損ねることでも言ってしまったのかと大樹は不安に思ったが、オミナエシが鏡で今の顔を見たら、自分にこんな表情が出来たのかと驚く程輝かしい笑みを浮かべ、殆ど体当たりのような勢いで大樹に抱きついた。
「そんな訳ないだろう! ありがとうよヒロキ!」
「ちょ! ナ、ナエさん首、首絞めないで……!」
「ちょっとナエさん! ヒロキさんから離れてください!」
「あ、姫! 拙者には連続パンチだったのに!」
「よっしゃ! 話も纏まったみてえだし、さっさと寝た子を叩き起こして村に行こうぜ!」
再び狭い地下室の中、皆が皆好き勝手に叫び声を上げる。大樹はこういった馬鹿騒ぎは苦手なのだが、今は全然嫌な感じはしなかった。そして、ひとしきり騒ぎ終わると、オミナエシは機械を操作し、大樹にはとても覚えられないような複雑な手順を踏んで子供達を冬眠から目覚めさせた。幸い今回目覚めない子供は居らず、センガンコウと村の話をすると、皆一様に目を輝かせた。そして、意気揚々と村に向かった。
「――ってなる筈だったんだけどなぁ」
「おいいいい! 何なんだよこのコンテナはよおおぉ!」
雲ひとつ無い青空に、両手で頭を抱えたオスカーの絶叫が無慈悲に吸い込まれて行く。出来ることなら大樹も同じ気持ちで悲鳴を上げたい気分だ。
地下室で子供達を目覚めさせた後、大樹達は子供達を連れてぞろぞろとコンテナへと押しかけた。その奇抜なコンテナを見たオミナエシ達は眉を潜めたが、中を覗いた途端、今まで見たことも無い、素朴だが住み心地良さそうな空間に心を奪われた。最初に乗り込んだオミナエシが、床に敷かれたふかふかのカーペットにゴロゴロ転がって中々出てこなかったので、外で待機している子供達が「ナエおねーちゃん頭おかしくなった……」と不安に思った程だ。
しかし能天気に浮かれていたのはそこまでで、問題が発生したのだ。大樹、オスカー、コハルの三人が乗り込み、オミナエシとゴンベが乗り込む。ここまでは良い。しかし子供達が数人乗った段階で、不思議とその後の人間がコンテナに乗ろうとしても、まるで見えない壁でもあるかのように近寄れなくなってしまったのだ。
「何故でござる? 十分過ぎる程スペースはある筈でござる」
「多分、人数制限の問題だと思う」
大樹はサンクチュアリの仕様を思い出しながらそう答えた。コンテナの原動力になっている<魔法の絨毯>に重量制限は無いが、乗員は八人までという制約がある。一度にコンテナに乗れた人数が八人だった所を見ると、そう考えて間違いないだろう。
(何でこういう所だけゲーム仕様なんだよ!)
大樹は内心で舌打ちするが、子供達を不安にさせないように表情には出さない。この結果、計画を最初から練り直す必要に駆られ、一度地下室へ戻る羽目になった。子供達はもう全員起こしてしまったし、余りのんびり戦略を練っている余裕は無い。
「こうなりゃ何回かに分けて往復するしかねぇな」
「そうだけど、私達も子供を一杯連れて、そう何度も往復してる余裕は無いかも……」
「そりゃ分かってるけどよ! じゃあもう一度あのクソみたいな箱に押し込めるってのかよ? 何か、何かいい方法があんだろ!」
「私だって考えてるよ!」
コハルとオスカーが言い争いをし、他のメンバーともアイディアを出し合ったが、結局他にいい方法は無く、食料や安全その他諸々の不安はあるが、数回往復する方向で話が纏まろうとしていた。その時、子供達が口を開いた。
「わたしたち、もう一度眠るから大丈夫だよ」
「だいじょうぶ」
子供達を代表し、アネットとカリックがはっきりとそう言い切った。一瞬何を言われたのか理解出来なかったが、真っ先に口を開いたのはオミナエシだった。
「あんた達、もう我慢しなくていいんだよ。後はあたし達に任せておけば大丈夫だからね」
「ナエおねーちゃんこそ、我慢しなくていいんだよ?」
「あたしは我慢なんかしてない」
「してた。だってさっき村に行けるって聞いたとき、ナエおねーちゃんが一番喜んでた」
「……………………」
その言葉に沈黙してしまったオミナエシを横目に、アネットがオスカーの方へその小柄な体を向ける。
「オスカーおにいちゃん」
「あん? 何だ?」
「オスカーおにいちゃん達、皆で『楽園』を探すってさっき話してたよね?」
「ここに来る途中話したけどよ、それが何だ?」
「だから、そこにナエおねーちゃんとゴンベにーちゃんを連れてって欲しいの」
「……お前らはどうすんだ?」
「わたし達、ナエおねーちゃんとゴンベーにーちゃんのジャマしたくない。だから、一番がんばった二人を、一番先にそこへ連れてって欲しいの」
「バカだね……」
先程から無言でアネットとカリックのやりとりを聞いていたオミナエシが、声を震わせながらアネットに言葉を被せる。
「『楽園』だって? そんなものあるかどうかも分からないんだよ」
「無いかどうかもわからないよ? だってヒロキおにーちゃん達がずっと遠くからここに来て、神様みたいに化け物をやっつけてくれたよ? だから、きっとあると思うよ」
「……………………」
「だから約束して。わたし達、ナエおねーちゃんとゴンベにーちゃんに真っ先に楽園を見せてあげる。その後でわたし達をそこへ連れてって欲しいの。それまで待ってるから」
気がつけば、子供達はオミナエシを囲んでいた。オミナエシを見上げ、目を赤く腫らしながら、けれど大好きな姉を激励するように真剣な眼差しを向けている。
かつて栄華を誇ったであろうビルの死骸は、大樹の<種を蒔くもの>の効果で殆どが緑に埋もれ、廃墟の街は今や小さな森のようになっている。その優しくも峻厳な雰囲気の中、彼女はどれだけそうしていただろうか。随分と長い時間のようにも思えるし、意外と短かったのかもしれない。誰も言葉を発しない中で、オミナエシは喉から搾り出すように小さな、しかしよく通る声で呟いた。
「皆、本当に……本当にいいんだね?」
「大丈夫、ナエおねーちゃんたちのこと信じてるから」
「分かった……約束する」
オミナエシはそう呟くと、子供達一人ひとりと小指同士を絡ませた。その様子を大樹たちは、少し離れた場所でただ黙って見ている。オミナエシの言うとおり、この世界に楽園なんて無いのかもしれないし、そもそも大樹は楽園を探すために旅をしている訳ではない。けれど、先の事が分からないからこそ、人は希望を持って進むことも出来る。そして、その先に自分が想像している以上の絶望もあるかもしれないが、もしかしたら、信じられないような希望だってあるかもしれない。今までの人生で殆ど考えもしなかった『希望』という言葉の意味について、大樹は漠然と、だが不思議と悪くない気分で考えを巡らせていた。
◇
「――ヤタガラス様」
光の全く差し込まない黒に塗りつぶされた空間の中、一つの無機質な声が響く。
「ん~? 何か用? 私、今すんごい機嫌悪いんだけどおぉ!」
「PCGノ生体反応ガ異常終了シテイマス」
「もおおおおぉぉおおぉ! あんなの頻繁に死んだり生まれたりするじゃん! そんなこといっちいちいちいち報告しなくていいってのぉ! それともキミはアレか? アレなのか? 髪の毛一本抜けた程度で逐一私に報告するタイプなの!? ねぇそうなの!? ……ってPCG? PCSじゃなくて?」
「ハイ、PCGニ間違イアリマセン」
無機質な声を掛けられた方の影が、神経質に足をとんとん踏み鳴らす。その瞬間、真っ暗闇だった空間全体に、まるで星空をちりばめた様な無数の光の粒が表示される。良く見ると星の一つ一つは糸の様な線で繋がっており、その光と線を俯瞰して見られたなら、信じられないほど緻密に枝分かれした樹形図であると辛うじて理解できるであろう。その樹形図の中で一際大きな一つの光が、まるで濁った血を浴びたかのような赤銅色に明滅していた。
「おお本当だ! ん~む、PCGは活動限界に大分余裕があったはずなんだけどなぁ……となると、別のエラーが発生したってことになるな。成程こりゃ報告するやね。髪の毛じゃなくて爪が剥がれたくらいには重要な出来事だ。うん、爪が剥がれるのは痛いからね。そりゃ報告もしたくなるよね。そうだね? ねっ?」
「ハ、ハイ――」
答える声は相変わらず無機質であったが、どことなく怯えているような響きも感じられる。そんなことを気にも留めず、もう一つの影は早口で独り言を喚き立てる。
「こりゃ、ちょっち楽しみが出来たかもしれないね。障害対応は嫌だけど、世界がこうも天下泰平世は事も無しだと、さすがに退屈しちゃうからねぇ! ふひっひっひ!」
既に樹形図の光は消えており、再び闇に塗りつぶされた空間に、粘ついた不気味な笑い声が溶け込んで行った。