第15話:刃の心
「始まったみたいだね……」
微かな地鳴りが巣穴に響いたのを感じ取り、オミナエシが天井を睨む。地下深くにあるこの場所にまで振動が感じられる所から、地上では相当激しいやりとりが繰り広げられているのだろう。
「ナエおねーちゃん、コハルおねーちゃん……わたしたち死んじゃうの……?」
「うぅ……」
アネットとカリックが涙目で二人を見上げている。オミナエシは何も言わず無言で二人の頭を撫でていたが、そこにコハルが二人に目線を合わせるように屈み、優しく笑いかける。
「大丈夫! 死んじゃうんじゃなくて、生きるために三人とも戦ってるんだから」
「ほんとに……?」
「本当だよ。お兄ちゃんはちょっと単純だし、ヒロキさんはちょっと弱気だし、ゴンベさんはちょっと怪しいけど、皆凄く強いんだから!」
「何だか物凄く微妙な連中だね」
「……ゴンベにーちゃんそんなに強くないよ」
オミナエシとカリックのツープラトン突っ込みに一瞬空気が固まるが、コハルは気を取り直して笑みを浮かべる。よく見ると若干引き攣っているが、これが今の彼女の精一杯だ。
「だ、大丈夫! きっと大丈夫よ! きっと!」
「ま、あたしらがここでどうこう言っても仕方ないか……喧嘩を売って勝てる相手とも思えないけどね」
オミナエシが手入れされていない髪を気だるそうにかき上げながら、いかにもどうでもよさそうに欠伸をする。もはや野となれ山となれという心境なのだろう。
「でも……やらなきゃ可能性すらないじゃないですか。だから今は信じましょう」
「信じる……生きるために戦う……ねぇ……」
オミナエシはぽつりと呟いたが、コハルの耳には入らなかったようで、絶えず微かな振動を伝えてくる天井を見上げ、地の底からでは見えない天へ祈りを捧げていた。
(ヒロキさん、お兄ちゃん、それにゴンベさん……頑張って。私も役に立ちたいけど、何も出来ない……でもいつか必ず役に立てるように……その『いつか』が来るように、今は祈ります……)
地上からもたらされる不気味な振動の恐怖に耐えながら、少女はただひたすらに仲間の無事を祈り続ける。
(大丈夫……ヒロキさん達ならきっと……きっと大丈夫!)
◇
「「「死ぬうううううぅううううううぅぅぅ!!」」」
荒廃したビル郡を掻き分け、大樹達は全力でセンガンコウから逃げ回っていた。負傷したゴンベとオスカーを両肩に抱えているにも関わらず、サンクチュアリから引き継いだ優れた筋力で、大樹は原付並みの速度で朽ち果てた道路を爆走する。追走するセンガンコウは見た目どおり鈍重ではあるが、歩幅が余りに違うため、両者の距離は付かず離れずのままだ。
「ちょ、ちょっ! ヒロキっ! 前見ろ前! 壁にぶつかるううぅ!」
「ぬおおおぉぉ! ヒロキ殿っ! 後ろ! すぐ後ろにセンガンコウがああぁ!」
「二人ともちょっと黙っててえぇぇ!」
大樹は耳元で喚き立てる二人の声を遮り、走ることに集中する。というか、走ることに集中していないとバランスを崩して即座に転んでしまいそうなのだ。二人を抱えていてもそれほど重さは感じないが、如何せん大樹自身が自分の力を上手くコントロール出来ていない。今まで遊園地のゴーカートの運転しか出来なかった小学生が、レーシングカーを運転しているような危なっかしさである。加えて老朽化した道路は走り辛く、さらには瓦礫が散乱しているので足場も非常に悪い。
――ブルォォオオオオオオオオォーーーーッ!
後ろからセンガンコウが大樹たちを踏み潰そうと、ひしゃげたスレッジハンマーのような前足を地面へと叩き付けながら猛追する。その都度地面が砕け散り、建物の抜け殻が轟音と共にその寿命を終わらせていく。
(どうする?! どうする!? どうするどうすればいい!?)
大樹はまるで岩を這い回るフナムシの如く足を高速回転させながら、それに相反するように恐怖で鈍った頭を必死で回転させる。
(建物の中に逃げ込む……のは駄目)
ここまで逃げる途中、冷蔵庫の隙間に逃げ込むゴキブリの如く、建物の路地裏に潜り込んでやり過ごそうとした。しかし巨獣はそんな物など歯牙にもかけず、その固い頭と巨大な体躯で、老朽化した建物をまるでパサパサになったビスケットを砕くように簡単に破壊した。もし建物の中に逃げ込んでいたら、大樹達の墓標を建てる必要も無くなっていただろう。
(アフターエフェクトで目晦まし……これも駄目!)
村の小型キマイラ相手に使った爆発エフェクトで、相手の視界を奪って逃走する方法も思いついたが、この案も大樹は却下する。あのエフェクトは自分を中心に三百六十度効果がある。つまり自分の目の前も見えなくなる。こんな足場の悪い所で、万が一瓦礫に足を取られて転んだら、これまたゲームオーバーだ。
「しょうがねえ……こうなりゃ戦うしかねぇか……」
「それはもっとダメだよ!」
「じゃあどうすりゃいいんだよ!」
「僕も分からないよ! 何とかしてアイツの足止めが出来ればいいんだけど!」
オスカーが大樹の肩の上で身を捩るが、その声にはいつもの生命力が篭っていない。先程のダメージがまだ回復していないのだ。こんな状態で戦える訳も無い。ポーチから何かアイテムを取り出そうにも、両手が塞がっているし、二人を下ろしている余裕も無く、まさに手が足りない。万事休すだ。
「ここは拙者にお任せあれ!」
二人のやり取りで何かを閃いたのか、ゴンベが残された右腕で、巻きつけていた布の胸元を弄った。そして、手のひらに収まるほどの灰色の玉を取り出し、大樹に抱えられたままの情けない格好で、弱弱しくも自信ありげにその玉を天へと掲げる。
「ダーク・ドラゴン特製の魔煙玉! これは地面に投げつけることで凄まじい勢いで煙を……!」
「説明はいいから早く!」
「知ってる! つーか俺達の前でやってただろ!」
大樹とオスカーの猛烈な突っ込みに、ゴンベは慌てて灰色の玉を地面に叩き付けた。その瞬間、大樹達の後ろに凄まじい煙が充満し、後ろを追いかけてきたセンガンコウの顔面が白煙に覆われる。一瞬怯んだセンガンコウは急ブレーキを掛け、煙を払うために首や尻尾を滅茶苦茶に振り回す。その煽りを食らった周りの建物が、まるでおもちゃのように粉砕されていく。ようやく忌々しい煙幕が消え、センガンコウが正面を確認すると、三匹の虫けらは既に消えていた。
「た、助かった……本当に死ぬかと思った……」
荒い息を吐きながら、大樹は埃っぽい地面に座り込んだ。どうやら下水道のようであるが、既に水は枯れている。どの辺りまで逃げたか分からないが、センガンコウが足を止めた瞬間、すかさず大樹はビルとビルの合間の小さな隙間に入り、迷路のように入り組んだ狭い道を当ても無くひたすら全力で走った。そして、センガンコウが追ってこないことを確認し、瓦礫に埋もれたマンホールのような物に慌てて飛び込んだのだ。
「オスカー、これを飲んで」
「ん? 何だこれ? ……って美味いなこれ!」
大樹はポーチから青透明の液体が入った小瓶を取り出し、オスカーに手渡す。巷で言う回復ポーションと呼ばれるアイテムだ。サンクチュアリに限らずゲームでは一般的な回復アイテムだが、ゲームのように、飲んだら傷が即効で塞がって元気百倍! ……という訳には行かないようだ。ただ、少しは効果はあるのか、オスカーの顔色は大分良くなった。現実に体力ゲージなどある筈も無いので、どの程度の効力なのかは分からないが、大樹はとりあえず『物凄く即効性のある強壮剤』程度に考えておくことにした。
「あのデカブツ、まだ諦めてねえみてぇだぜ」
オスカーはまだ完全には力が戻らないのか、大樹同様に地面にへたり込んでいるが、その眼光は死んではいない。遠くから響いてくる地響きと、時折響く不気味な咆哮、そして何かが崩れる凄まじい音に注意を払っているようだ。
「ゴンベも飲ん……って飲めないか」
「どうやら完全に奴を怒らせてしまったようでござる……」
大樹が手渡そうとしたポーションには目もくれず、ゴンベは力無く呟く。先程から聞こえてくる破壊音は、恐らく石の下に隠れている虫――大樹達を探すために建物を崩している音だろう。
「奴が本気で暴れだしたら、多分一日も掛からず、この廃ビル街は完全に瓦礫の山になってしまうでござる……」
突然、ゴンベが瘧に掛かったようにぶるぶると震えだしたかと思えば、いきなり地面に突っ伏した。致命傷でも受けていたのかと思い、大樹は慌てて駆け寄ったが、近づいてはっきりと分かった。機械は涙を流さない――だが多分、ゴンベは今泣いているのだと。
「ううううううぅ!! 拙者は……拙者は不甲斐ない奴だ! 格好を付けても結局何も出来ん……力も無いのに蜂の巣をつついたせいで、姫も、皆も守るどころか破滅させてしまったのだああぁあぁ!!」
それは絶叫であり、慟哭であった。残った右腕を渾身の力で地面に叩きつけ、あらん限りの力で呪いの言葉を吐くゴンベ。ロボットに魂と呼ばれる物があるのか大樹にはよく分からない。だが、目の前の鉄の塊に、大樹は何故か人間以上の人間らしさを感じ取っていた。
「こうなったら、拙者ニンジャらしく責任を取って切腹を!」
「わあああ! ちょっと待った!」
一通り叫んだゴンベは、唐突に腰にぶら下げていたニンジャ・ピストルを自分の腹に押し当てて切腹? を試みたが、大樹に羽交い絞めにされて止められた。
「離すでござる! 拙者、このまま生き恥を晒していても仕方ないでござる!」
「そんな事しても、何の解決にもならないよ!」
「解決するしないの問題ではない! これはニンジャの責任の取り方なのだ!」
「ち、違うよ! それは多分全然違うよ!」
大樹を振り払おうと暴れていたゴンベだったが、最後の言葉に首を傾げる。
「違う? ニンジャは失敗したら責任を取って腹を切るのだろう?」
「多分忍者は腹は切らないと思うけど……って、そうじゃなくて! そうじゃなくて……その……」
大樹も特に明確な答えがあった訳ではないのだが、『責任を取って死ぬ』というのは何かが違うと思った。大樹は自分の考えを纏めて口に出すということは苦手だが、それでも真剣に答えなくてはならない気がしたので、大樹なりに必死に言葉を吟味する。
「その……上手く言えないんだけど、責任取って自殺するっていうのは、なんか凄くずるい気がするんだ」
「ずるい!? ヒロキ殿! 拙者を愚弄するのか!」
「だって、それって責任取るんじゃなくて、自分が恥ずかしいから、全部投げ出して逃げたいっていう気持ちがあると思うんだ。そんな事しても相手が付け上がるだけだよ」
さすがに切腹はしたことはないが、大樹にも似たような経験がある。団体行事などで、自分が参加すると足を引っ張るから、雰囲気が悪くなるから、皆のためという大義名分をつけ、衝突を極力避けた。だが、今思い返してみれば、それは自分が傷つかないように、ちっぽけなプライドを守るためではなかったのか。目の前の困難を避け、自分が楽だと思う道を選び続けてきた結果、得をしたのは周りの人間達で、大樹には敗北感しか残らなかった。あの時、自分の心を素直に開放できていたら、何かが変わったのかもしれない。
「多分、責任を取るって言うのは、凄く地味で、格好悪くて、恥ずかしくて、辛いことなんだと思う……」
「………………」
「ゴンベ、忍者の『忍』って言うのはね、『刃の心』って文字を書くんだよ」
「刃の……心……でござるか?」
「『耐え忍ぶ』なんて言葉もあるけど、刃みたいに研ぎ澄ました心で耐える者……多分それが忍者なんだよ。ゴンベは忍者なんでしょ? だったら、その刃で、自分の腹なんかより切る物がある筈だよ」
「ヒロキ殿……」
何だか雷に打たれたみたいにゴンベが打ち震えだした、怒りに打ち震えているのかと思い、内心かなりびびっていた大樹だったが、ゴンベは怒っている訳では無さそうなので、心の中で安堵の溜息を吐いた。
「へぇ……ニンジャってそういう意味があったのか。ヒロキは物知りだな」
先程まで黙って聞いていたオスカーだが、感心したように頷いた。正直に言うと、大樹が今適当に思いついたトンデモ理論なのだが、ゴンベも大分落ち着いたみたいなのでこれで良しとする。それに、あまり悠長にもしていられない。
「とにかく、俺達はまだ生きてんだ。誰も死んじゃいねぇ! さっきは何も考えず突っ込んで失敗しちまったが、これからまた取り返せばいいだろ」
オスカーが白い歯を剥き出しにして不敵に笑う。まだ完全に回復はしていないだろうが、その自信たっぷりな姿を見ていると、大樹の心の中の不安が少しだけ薄らいでいく。
「しかし、現実問題どうするでござる? センガンコウは全力で襲い掛かってくるだろうし、拙者たちもかなりボロボロでござる」
「それは知らねえ! だが勝つ!」
背景にどどーんとでも効果音が付きそうな勢いで、オスカーは赤い外套を纏い直して腕を組み、自信たっぷりに根拠の無い勝利宣言をする。
「オスカー殿、何も考えずに突っ込んだから失敗したって、今さっき言ったばかりでござるよ?」
「俺は考えるのは苦手なんだよ!」
ゴンベが落ち着いたのはいいが、今度はオスカーと狭い下水道の中でやかましく騒ぎ出した。絶望的な状況である筈なのに、何だかそのやり取りがおかしくて、大樹は少し噴き出してしまう。そして、こういう時の方が不思議とよいアイディアが浮かぶものなのだ。
「考えはあるんだけど……」
自信無さげに大樹がぽつりと呟いた。すると、今までぎゃんぎゃん言い合っていた二人が同時に大樹の方向を見て、凄まじい勢いでにじり寄って来る。
「え、マジで? マジであのデカブツをぶっ倒せる方法があんのかよ?」
「ヒロキ殿! 冗談ではないのだな!?」
「い、いや、かなり危ない上に、上手く行くか分かんないけど……」
「いいから教えてくれよ、ヒロキ!」
二人に詰め寄られ、若干後ろに引きつつもヒロキはたどたどしく説明をした。
◇
「――っていう感じなんだけど、どうかな?」
「おし、それで行こうぜ」
「拙者もそれに賭けるでござる」
あまりにもあっさり意見が肯定されてしまい、大樹は逆に面食らってしまう。今まで生きてきた中で、大樹がなけなしの勇気を振り絞って意見を挙げても、それが採用されるという経験が殆ど無かったからだ。
「僕のこと……信じてくれるの?」
「お前が居たから俺たちは今此処で生きてるんだろうが。信頼しない方が変だろ?」
「それにオスカー殿に任せると、先程のように突撃自殺になってしまうので、それよりは余程安全かつ信頼出来るでござる」
「お前だってさっき一緒に突っ込んでただろうが!」
自分の意見の成功率云々より、意見が受け入れられたという事に、大樹は思わず嬉し泣きをしそうになってしまったが、今はそれを堪える。信じてもらえたからこそ、それに応えて成功させなくてはならない。歓喜の涙はその後で流せばいいのだから。
「じゃあ三人でやろう! 超大型キマイラ『センガンコウ』の討伐を!」
大樹は目の前の二人と、そして自分に言い聞かせるように声を張り上げた。ゲームのサンクチュアリですら、協力プレイで大型モンスターの討伐などしたことが無い。そんな自分の作戦が上手く行くのだろうか、そんな限りない不安とほんの少しの希望を胸に秘め、大樹達三人は下水道を飛び出した。