第14話:岩を穿つ甲羅
太陽が徐々に顔を出し始め、薄紫色の空を徐々に青色に変えていく。その曙光の中、倒壊したビルが幾重にも重なり合い、まるで物見台のように積まれた瓦礫の上、三つの人影が立っている。
影の一つはオスカーだ。防塵と防寒を兼ねた真紅の外套を身に纏い、薬剣を背負いながら仁王立ちの姿勢を取っている様は、まさに威風堂々という言葉が相応しい。外套は大樹のポーチに残っていた装飾用の物で、大した防御性能は無いが、無いよりましということで譲った物だ。もう少しマシな性能の物もあるのだが、オスカー曰く「派手な方が気合が入る」とのこと。
もう一つの影はゴンベ。相変わらず工事現場のコーンのような黒と黄色の布を体にぐるぐる巻きにしているが、今はそれに追加で右手に無骨な鉄パイプ、左手には二メートルを超えるゴンベの体をすっぽり覆うほどの巨大な盾を持っている。一見するとタワーシールドと呼ばれる盾にも見えるが、そんなお洒落なものがこのガラクタの世界にあるはずもない。そこら辺にあった頑丈そうな鉄のドアを引っぺがし、取っ手を溶接しただけの粗雑な物だ。ドアの表面には頭の悪い暴走族が書いたみたいに、忍者シールドの証としてスプレーで「刀」「心」と縦に書かれているが、放置することにした。
最後は大樹。大樹自身は村で借りたオスカーのお下がりの服に、自前のポーチを腰に巻きつけているだけだ。下手に武器など持っても、大樹ではまともに使えないので携帯を拒否した。防具に関しては無いことも無いのだが、個人的な理由で極力使いたくないのだ。
コハルも来たがっていたのだが、正直な所、彼女が居ても何も出来ないため、オミナエシと共に地下で待機してもらった。大樹としては戦力外通知を出される側の寂しさも理解できるのだが、こればかりは譲れない。
「ここで待ってりゃ、そのセンガンコウとかいう奴は来るんだろ?」
「そのはずでござる。奴は縄張りを荒らされる事を嫌うようだから、拙者たちが目立つ位置で騒いでいれば、向こうからこちらに来るはず」
「まぁ僕たち目立つしね……」
大樹はそう呟くと、改めて自分たちの姿を見直す。オスカーはド派手な赤いマントを靡かせているし、自分は新緑色の髪だ。さらにゴンベはその巨体に加え、これまた目立つ布を身に纏っている。ここだけ見るとまるでハロウィンの仮装パーティだ。
「来た……!」
大樹は視線の遥か先、砂塵の中で蠢く影を発見した。オスカーとゴンベもその声に反応し、武器を構えて戦闘態勢を取る。だが、その姿が砂埃のベールを脱ぐにつれ、大樹とオスカーは表情を訝しげに歪めた。何故か、それは、山が動いて迫ってきていたからだ。比喩ではない。少なくとも、大樹には山が砂煙を巻き上げながら、ゆっくりと上下に動いて迫ってくるようにしか見えなかった。そんな二人の態度に疑問を感じたゴンベは、首を傾げながら二人に声を投げかける。
「ヒロキ殿、オスカー殿? お主らはセンガンコウを倒したのだろう? 何故そんな蛙の面に小便を浴びたような表情をしているのだ?」
「それ違う……いや、そんなことはどうでもいい! 何あれ!?」
「おいいいぃ!? キマイラと全然違うじゃねーか! つーかデカすぎだろ!」
「ちょ、ちょっと待てお主ら! キマイラとはセンガンコウの事ではないのか!?」
ここで大樹たちは、致命的な認識違いを犯していたことに気付いた。何百年も交流が無く、離れ小島に分断されて生きてきた人間達だ。同じ物でも地方の方言では全く呼び名が違うように、村でキマイラと呼んでいた生物が、こちらではセンガンコウと呼ばれているという程度の認識しか無かったのだ。
グルルルルル――
だが、喉を震わせながら姿を現した目の前の生物は、村で見かけた小型の怪物とは全く違う。全体像は豚のように丸々とし、弛んだ肉を纏わりつかせた不恰好な姿だが、その前半身はゴツゴツとした岩のような皮膚に覆われている。いや、岩を食すのだから本当に岩で出来ているのかもしれない。身も蓋もない表現をすると、フルフェイスの兜と全身鎧を上半身だけ装着し、下半身はまわしのみで四つんばいになって這い回る相撲取りのような、そんなアンバランスな姿をしている。
しかし、その醜悪な見た目が問題なのではない。岩石の蹄で瓦礫を踏み砕きながら、ゆっくりとこちらへ迫るその体は、あまりにも巨大であった。周りのビルも高いものでは数十メートルはあるが、目の前の岩豚とでも呼ぶべき生物は、少なくとも体高十五メートルはありそうだ。全体のボリュームとしては、五階建て団地丸ごと一棟分くらいは有るのではないだろうか。何だか特撮映画のワンシーンのように見えて現実感が無い。
センガンコウは自分の食事に止まっている五月蝿い蝿を追い払うべく、地響きをおこしながらずんずんと三人へ向けて進んでくる。
「オスカー! どどどどうする!? ねぇ! どうするっ!?」
「お、落ち着け! よ、よしヒロキ! お前、村でやったみたいにあいつの足を木にしてくれ。木になった部分を、俺とゴンベでぶっ壊す!」
「そんなの無理だよ!」
「何ぃ!?」
そもそも、<ドキドキ種もみ袋>の宿り木に相手を木にする能力など無い。相手に植え付けることで徐々に体力や俊敏さを奪うことを目的とする、言わば遅効性の毒だ。この世界でサンクチュアリの時より効力が高かったことや、一袋丸ごと投げたこと、色々考えられるが、大樹が村でキマイラを石化ならぬ木化させて撃退できたのは本当に偶然だ。一袋丸ごと投げて小型のキマイラ一匹なのだ。センガンコウの巨体に効くとは到底思えない。
「お、お主ら! は、話が違うではないか!」
「そりゃこっちが言いたいよ!」
大樹は思わず叫んでいたが、頭の片隅ではゴンベを責めるのは間違いだとも思っていた。ほんのちょっと想像力を働かせれば、ビルを壊すほどの怪物が巨大であることなど容易に想像できたはずだ。だが大樹はオスカーの自信に満ち溢れた態度に依存してしまい、最悪オスカーやゴンベ達が何とかしてくれる、何とかなるだろうと考え、思考を停止させて自分の意見を挙げなかった。しかし、今更どれだけ悔やんでも犀は投げられてしまったのだ。
「クソがぁっ! こうなりゃ先手必勝! 喧嘩はデカけりゃ強いわけじゃねーってことを教えてやる!」
オスカーはそう叫び、目前まで迫った巨体に向かい駆け出した。まるで軽業士のように瓦礫と瓦礫の間を飛び超えながら。疾風の如くセンガンコウへと突撃する。
「ま、待ってくれオスカー殿! 拙者も行くでござる!」
「あ、ちょ、ちょっと! 二人とも待ってよ!」
大樹が止める間もなく、ゴンベもがしゃんがしゃんと足音を立てながら瓦礫の山を駆け下りて行く。オスカーのように曲芸めいた動きではないが、瓦礫の移動には慣れているらしく、鉄の塊にしては軽快な動きでオスカーを追いかける。
グルルル――
センガンコウは横を駆け抜けるオスカー達に首を僅かに傾けたが、すぐに大樹のいる正面のビルの瓦礫へ向き直る。どうやら他の二匹の小虫より、自分の食事にまだ群がっているハエ――大樹が鬱陶しいらしい。
「野郎……舐めやがって……! どんだけデカかろうが、足の腱を切っちまえば立ってられねぇだろうがっ!」
信じられないほどのスピードでセンガンコウの後ろ足へと回り込んだオスカーは、前傾姿勢で走りながら、器用に背負った薬剣を両手に持ち、スイッチを起動する。刀身に薬液が満たされ高速回転を始めた。オスカーは電光石火で走る勢いを殺さず、けたたましい駆動音を響かせながら、目の前に聳える巨大な肉柱、センガンコウの後ろ足へ力任せに薬剣を躍らせる。
ぶぢゅぅぅうううううう!!
オスカーの一閃はセンガンコウの後ろ足を、まるで紙を千切るように易々と引き裂いた。ぶよぶよとした肉が裂け、まるで腐ったトマトを潰したような水っぽい音が響く。嫌な臭いと感触がオスカーに伝わる。
「どうだっ!」
オスカーは得意げな声を張り上げるが、次の瞬間苦々しい表情を浮かべ舌打ちをする。
(傷が小さすぎる!)
オスカーの予想通り、岩の皮膚に覆われていない部分は非常に柔らかい。しかし彼の獲物に比べて相手があまりに大きすぎるのだ。例えるなら、ノコギリでも小枝くらいなら刃を数回往復させれば切り落とせるが、屋久島の千年杉が相手では焼け石に水のような物だ。
「クソがっ! だったら何度でもやってやらぁっ!」
センガンコウの肉自体は見た目どおり柔らかいのだから、一回で駄目なら十回、百回と切りつければ良い。確かにこいつは巨体だが、それ故に小回りが利かない。踏み潰されないように気をつければそれほど怖い相手ではない。オスカーは冷静さを取り戻し、体勢を立て直して外套の裏に仕込んだ薬品の瓶を取り出し、薬剣のカートリッジに詰め直そうとする。
「オスカー殿っ! 後ろっ!」
ゴンベの叫び声に反応してオスカーが振り向くと、鞭のようにしなる物体が襲い掛かってくるのが見えた。それはセンガンコウの尾であったが、鞭などという生易しい物ではなく、頭と同様に岩のようにごつごつとした皮膚に覆われており、電柱を数本を束ねた程太く頑強だ。牛が自分の手の届かない部分を刺す虫を尻尾で払うように、その無骨な尾をオスカーに向かって力任せに叩き付ける。
「ぬううううううううううううううぅぅうっっ!!」
反応が遅れたオスカーにその凶悪な尾の一撃が叩き込まれる瞬間、ゴンベがその手にしたドアシールドに渾身の力を込めて割って入る。しかし、その程度で食い止められる程軽い一撃ではない。
「――があああぁっ!?」
硬質かつ鈍い音を響かせ、頑丈な鉄製のドアの盾が、まるでダンボールで出来た板のようにくの字に折れ曲がる。盾を持っていたゴンベの左腕も取っ手ごと引きちぎられて吹き飛んだ。あの巨体から繰り出された一撃を食らってそれで済むはずも無く、ゴンベとオスカーは、まるで人形のように軽々と吹き飛ばされ、地面を転がりながら、瓦礫の壁にぶつかって止まった。ゴンベが盾を使って受け止め、その横でオスカーが反射的に薬剣の腹で尾の動きを逸らさなさなければ、二人はそれこそ新聞紙で叩き潰された蝿のように潰れていただろう。かろうじて二人とも生きてはいるようだが、衝撃に体が痺れて碌に動くことが出来ない。
「ち……ちきしょ……!」
オスカーもゴンベも四肢に力を入れ、何とか立ち上がろうとするが、ダメージが回復しきっていないため、まるで生まれたばかりの小鹿みたいに地面をもがいている。特にゴンベは左腕を失ったこともあり、殆ど痙攣するように動いているだけだ。だが、そんな事にはまるでお構い無しと言わんばかりに、瀕死の虫けらに止めを刺すべくセンガンコウの尾が無慈悲な追撃を行う。一撃目と同じく、単調だが強力な岩の鞭が振るわれ、オスカーとゴンベの体はまるで枯葉のように空高く宙へと舞った。
「うおっ!? な、何だぁっ!? 何でござる!?」
だが、それはセンガンコウの尾に弾かれたからではない。何かに勢い良く引っ張り上げられ、二人の体が空へと飛び上がったのだ。ゴンベが驚愕の叫び声を上げ、オスカーは目を白黒させている。そしてセンガンコウは一瞬で足元の小虫二匹を見失い、足元をキョロキョロとさせている。
「ヒロキ!?」
十数メートルはあるセンガンコウの頭上の空まで引っ張り上げられたオスカー達は、先程まで自分たちが待機していた瓦礫の上で、大樹が何か細い長い棒のような物を持って立っているのを見て取った。棒の先はこちら側に向けてしなり、先端からは時折きらりと銀色に輝く糸のような物が見える。
「オスカー! 喋ると舌を噛むよっ! しっかりゴンベを持ってて!」
「うおわっ!!」
碌な説明もせず、大樹はその細長い棒を渾身の力で引っ張る。するとオスカーの外套が限界まで引っ張られ、二人は弾丸のように空気を切り裂いて大樹の足元へと引き戻された。
大樹が今使ったのは、サンクチュアリで<世界樹の釣竿>と呼ばれるアイテムだ。文字通り魚釣りをするための道具なのだが、釣竿によって耐久度が違うため、あまり重い物を釣り上げると壊れてしまう。大樹は生活系に能力や資産を割いているため、釣竿も最上級では無いが、かなりの重量を釣り上げられる物を使っている。ぶっつけ本番だが、あの二人程度なら何とかなるだろうと思っていた。
さらに、釣り系スキルは単純に釣りだけではなく、一応戦闘に役立つスキルも存在する。それが今大樹の使用したスキル<釣竿移動>だ。一定距離内に居る仲間を自分の手元に一瞬で引き戻すスキルである。これは、戦闘系プレイがメインになってきた後期のサンクチュアリにおいて、初期から居た生活系プレイ優先のユーザーも戦闘で遊べるようにと、後付けで無理矢理に追加された戦闘補助スキルの一つだ。
尤も、これを使うために貴重な装備欄の一つを釣竿で埋めなければならないことや、そもそも戦闘系スキルに<瞬間移動>という上位互換の移動方法が存在すること等の理由があり、結局公式の目論見は失敗するわけだが、そんなことは今どうでもいい。
「た、助かった……すまねぇヒロキ……」
「まだっ!」
これで初期の配置には戻ったが、戦闘開始数分でオスカーは大ダメージ。ゴンベも盾と左腕を失った。状況は最悪だ。センガンコウは低い唸り声を上げながら、鼻息荒く蒸気を噴出させて、落ち着き無く前足で地面を踏み鳴らしている。
怪物の気持ちなど大樹には理解出来ないが、自分の部屋に蝿が紛れ込んできたが、良く見たら針で刺す蜂だった。そして、慌てて叩き潰そうとしたら逃げられたときの気持ちを考えた。自分なら全力で叩き潰すか追い出すだろう。センガンコウもどうやらその意見に賛成らしい。怪物と気が合っても全然嬉しくないが。
「オスカー、ゴンベ、逃げるよ!」
「逃げる!? こうなりゃ戦うしかねぇだろうが! ちょっと待……!」
「ひ、ヒロキ殿!?」
二人の意見は聞かず、大樹はゴンベとオスカーの両肩に抱え、脱兎の如く駆け出した。どこに逃げればいいか分からないが、ここに居たら確実に死ぬ。大樹は危なっかしく瓦礫の山を飛び降り、とにかくセンガンコウとは逆の方向へと走る。
グルオオオオオオオオオオオーーーーッ!
それが合図となったのか、センガンコウも雄叫びを上げて三人の後を追う。情けないとか格好悪いという感情が浮かぶ暇も無く、恐怖に突き動かされた大樹と、センガンコウの死の鬼ごっこが開始された。