第13話:センガンコウ
「あたしの知ってる限り、センガンコウは一匹しか居ない」
センガンコウと呼ばれた怪物についてオミナエシが開口一番に発した言葉は、意外と言えば意外であった。
「一匹!? たった一匹にビビってんのか?」
オスカーは思わず素っ頓狂な声を上げたが、オスカーが声を上げなければ、大樹の方で同じことを言っていただろう。その反応を見越していたのか、オミナエシは特に不快そうな顔もせず話を続ける。
「そうだよ、たった一匹だ。けれどあたし達にとっては絶望的な一匹なんだよ」
「センガンコウの恐ろしさが分からんからそんなことが言えるのだ」
オミナエシに対し、ゴンベは憤懣やるかたないと言わんばかりに肩をいからせている。大樹たちは、二人の口ぶりからただの一匹では無いことはある程度把握したものの、あまりピンと来ないというのが正直なところだ。恐らくキマイラのような生物なのだろうが、オスカー達の村を襲っていたキマイラ達は複数で襲い掛かってきた。一匹だけに怯えているという状況がいまいち理解出来ないのだ。
「奴は建物を壊し、それを食っているようでござる」
「建物って? あんな岩の塊みたいなものをボリボリ食べるんですか?」
「その通り。途中で幾つか倒れているビルがあったでござろう? あれは自然に壊れた物もあるが、殆どはセンガンコウの奴が崩した物でござる」
「あんな固い建物を食べる……あ、でも、岩を食べるってことは、人間は食べないんじゃないですか?」
ゴンベの解説にコハルが疑問を投げかける。確かに、草食や肉食動物ならぬ、岩食動物なら人間は食べないのかもしれない。それとも雑食なのだろうか。その疑問に答えるように、無言で聞いていたオミナエシが首を振った。
「何を食べるとか食べないじゃなくて、建物を壊すこと自体が問題なのさ。もしあたし達が隠れている巣穴の上を崩されたら生き埋め。今は建物が多いから狙われては居ないけど、数が少なくなったらどうなるか……」
オミナエシは投げやりに言い放ち肩を竦める。まるで樽に剣を刺して中の人形を飛び出させるゲームだ。最初は当たる確率は少ない。しかしゲームが進めば進むほど『当たり』を引く確率は上がっていく。それが今日なのか一年後なのかは分からない。だが、遠くない未来のうち、必ず負けが確定しているゲームである。しかも審判は居ない。不平等もいい所だ。
「けどよ、たった一匹だろ? それこそ隙でも見て全員で逃げちまえばいいんじゃねぇの?」
「何処へ? さっきも言ったけど、この巣穴を出て何処へ行けってのさ! あんた達だってその緑の兄さんが居なけりゃ今も自分の村とやらでウダウダしてた癖に! あんまり軽はずみな事を言うんじゃないよ!」
「……すまねぇ」
オスカーが声を掛けた瞬間、今までのどこか投げやりな態度を豹変させ、オミナエシは突然声を張り上げ、オスカーにその渦巻く負の感情をぶちまけた。嫌なことを酒を飲んで意識を酩酊させて誤魔化すように、もしかしたらオミナエシの今までの態度も一種の自己防衛だったのかもしれない。一度感情の箍が外れてしまうと抑える事は難しく、オミナエシは目尻に少しだけ涙を浮かべ、鬱血するほど拳を固く握りながらわめき続ける。
「あたしだってこんな所にずっと居て、朽ち果てて死んでいくのなんて嫌だ! けどあたしには何にも出来ない! 何にもしてやれない!」
「………………」
地面を睨みつけながら肩を震わせて叫ぶオミナエシに、誰も言葉を掛けられなかった。大樹たちは勿論、ゴンベも、アネットとカリックも、ただ無言でオミナエシを取り囲んでいる。
「一度だけ……ゴンベを見つける少し前、一度だけあたし一人でここを抜け出そうとしたことがあるの。でも怖くてすぐ止めた。子供たちを見捨てることが怖いんじゃない。いつ後ろからあいつが追ってくるかを考えると、それだけでもう何も考えられなかった。怖くて怖くて、結局あたしはここに戻ってきた」
そう懺悔するオミナエシの声は涙声だ。かろうじて泣くのを堪えてはいるが、子供達を見捨てて逃げたこと、自分の情けなさが許せないのだろう。
「酷い話だろう? あたしは逃げ出すことすら出来ないんだ……ここには何にも無い。あるのは絶望だけさ」
「そんなことありません!」
「そんなこと無い!」
「そうでも無いぜ」
三つの大きな声がさほど広くも無い部屋に響き、オミナエシは目を丸くする。ゴンベも表情は分からないが、目を点滅させて驚き、アネットとカリックは脱兎の如くゴンベの後ろに隠れる。
「ナエさんもゴンベさんも今、この場所を守ってるじゃないですか! それがどれだけ他の子たちの助けになっているか分からないんですか!」
コハルが珍しく声を荒げている、オミナエシに対して怒っているというより、その影に潜む、理不尽に対して怒っているようだ。
「そうだよ。こんな所に押し込められて、おかしくならないほうがおかしいよ。ナエさんもゴンベも卑下する事なんか無いよ!」
大樹も思わず声を張り上げてしまった。誰にも見つけて貰えない、日の当たらない場所でずっと耐えていたオミナエシ達、その姿に自分が重なって見えたのだ。無論、自分の苦しみなどオミナエシに比べたら笑ってしまえる程度の物だったが、それでも、世界から切り離された辛さの一端は理解できる。そんな人間が、さらに自責の念に駆られている姿をとても見ていられなかった。
そして大樹はこうも思う。オミナエシ達は見えない鎖に縛られている。以前の失敗が怖くて、またそれを繰り返すのが怖い。恐れているうちに恐怖は尚更膨れ上がり、世界そのものが恐ろしくてどうしようも無くなる。そうなると、本来なら鼠のような物が、恐怖という名の怪物に進化し、襲い掛かってくるような錯覚に囚われる。それを自力で振りほどく事は、簡単でもあり、とてつもなく困難でもある。そんな気持ちは大樹の元の世界でも、この世界でもきっと共通なのだろう。
「……はは、ありがとう。でも温かい言葉だけじゃ何も変えられやしないよ」
オミナエシは呆けたような表情を浮かべた後、赤く腫れた目を照れたように擦り、自嘲するように笑った。確かにオミナエシの言う通り、言葉だけでは何も変えられない。大樹に案が有る訳でないが、それでも放っておけなかった。だが、一体自分に何が出来るというのか。
「だったら、実力で変えればいい」
声の主へ皆が目を向ける、こんな発言をする人間はここには一人しか居ない。そう、オスカーである。オスカーは不敵な笑みを浮かべ、大樹の肩へと手を伸ばした。
「センガンコウだか洗顔料だか知らねぇが、その化け物を、俺とヒロキの二人でぶっ倒せばいい」
「え、ちょ、ちょっとオスカー……!?」
「……またお兄ちゃんの癖が」
いきなり肩を組まれた大樹は驚いたが、コハルはこういった光景を見慣れているのか、こめかみに手を当てて目を閉じた。
「貴様ら正気か!?」
「いやいや、正気じゃないだろう」
ゴンベが目をちかちかと点滅させて驚きの表情(?)を浮かべているが、オミナエシは半目を開き、先程までのぶっきらぼうな口調で哀れむような、蔑むような表情を見せた。
「オスカー、それはさすがにちょっと……」
「何言ってんだ。俺もお前も何匹もキマイラをぶっ倒しただろう。たかが一匹、ぱぱっと片付けてやろうぜ」
大樹が村でキマイラを倒せたのははっきり言って偶然だし、そもそも大樹は一匹しか倒していない。どうもオスカーの中で大樹は過剰評価されているようだが、確かにオスカーと二人で一匹だけなら何とかなるかもしれない。コンテナの上で星を見ながら考えたこと、弱弱しい白野大樹ではなく、『ヒロキ』となった自分に出来ることをやろう。そして、それが今なのかもしれない、ともすれば口から飛び出しそうな不安を押し込み、大樹はそう考えた。
「キマイラ……? あんた達の村ではセンガンコウをそう呼ぶのかい?」
「あの化け物を倒したのか? 拙者にはいまいち信じられぬのだが……」
「まぁ俺達の村の奴は岩は食わないし、ちょっと違うのかもしれねぇが、キマイラはキマイラだろ? 何とでもしてやるよ」
オスカーは自信に満ちた表情でそう答える。そんな表情をされてしまうと、オミナエシもゴンベも毒気を抜かれてしまう。幾許かの時間が経過し、根負けしたようにオミナエシがほうっと溜息を吐いた。
「……好きにしな。早く死ぬか遅く死ぬかの違いだし、丁度いい幕引きかもしれないしね」
「あ、てめぇ俺達の実力を信じてねぇな? 馬鹿にすんな!」
「お兄ちゃん、守ろうとしてる人に喧嘩売っちゃ駄目でしょ」
目の前でやいのやいの騒いでいる光景をゴンベはただ黙って見ていた。その後ろでアネットとカリックが、不安そうな、それでいて少し期待するような視線を向けていることにゴンベは気がついた。話を全部理解したとは思えないが、今までとは何か違うことが起ころうとしていること、それが何かしらの希望を含んでいることを感じ取ったようだ。ゴンベはまるで目を閉じるように光を消したかと思うと、カッと強い光を目に滾らせて、その重厚な一歩を踏み出す。
「拙者も……拙者もセンガンコウ退治に協力させて貰いたい!」
「……ゴンベ? 何言ってるんだい?」
「拙者は忍者ダーク・ドラゴン! そして忍者とは、己の名誉の為に正々堂々命を賭ける物! 今、センガンコウ退治の千載一遇のチャンスが来たというのに、ここで隠れていては忍者の名折れ!」
「……だからあんたは農作業用ロボットゴンベだって何度言ったら……」
「とにかく! 拙者はあ奴ら……! いや、ヒロキ殿とオスカー殿に力添えをしたいのでござる! 先程も申したように、このダーク・ドラゴン、皆のためなら例え井の中蛙の中!」
黄色と黒の斑模様の布をぐるぐる巻きにしているので、どのような顔をしているのかは分からないが、その声の調子、そして激しく明滅する目の部分の光は輝きを増し、色々間違ってはいるが、決してふざけて言っては居ないことは誰が見ても明らかだった。色々間違ってはいるが。
オミナエシは普段見せないゴンベの強硬姿勢に少し驚いたようで、色々な方向に目を泳がせていたが、やがて、先程大樹たちに相手に吐いた物より何倍も大きい溜息を吐き、無言で頷いた。了承のサインである。
「では、改めて自己紹介をしよう。拙者はダーク・ドラゴン。現代に生き残る最後の忍者ロボでござる」
「オスカーだ」
「僕はヒロキ。よ、よろしく……」
オスカーは手短に自己紹介を済ますと、まるでこれからいたずらを共謀するような満面の笑みを浮かべ、拳を握って前に突き出した。ゴンベも大樹も、それが何を示しているのか判らなかったが、一瞬の後、ゴンベがそのグローブのようなごつい鉄の拳を握り、オスカーの拳と突き合わせた。そして、オスカーとゴンベが大樹の方へと顔を向けた。
大樹は少し動揺したが、はにかむような表情を浮かべ、その華奢な拳を握り、オスカーとゴンベの二つの拳にそっと重ねた。三人の拳の大きさはバラバラだが、何故か繋がりが生まれたような、そんな錯覚を覚えた。
「よっしゃあ! それじゃそのセンガンコウとやらをぱっぱと片付けて、さっさとここを開放しちまうか!」
オスカーの声が高らかに地下室に響き渡るが、そこに居る全員が、そんなに簡単には行かないであろうことは予想していた。だが、大樹の自分の心の中で、計り知れない恐怖と同時に、自分も仲間に入れてもらえた、そしてその中で何かの役割があるという、ただそれっぽっちの自己承認を得られたことに、言葉に出来ない程の高揚感も得ていることも確かであると感じていた。