第12話:地底の蟻の巣
オミナエシとゴンベの持つ光源だけを頼りに、大樹、オスカー、コハルの三人は真っ暗な洞穴を進んでいく。暗闇の中なので周囲の様子をはっきりと捕らえることは出来ないが、明かりに照らされた部分を見ると、所々崩れてはいるものの明らかに人の手によって整備された後があり、この場所が自然に出来た物ではないことが見てとれた。洞穴と言うより、地下鉄やトンネルの中を歩いているようだ。入り口近くの会話の後は皆無言で、暗闇の中に五人の足音だけが溶けていく。
「ここだよ」
どれくらい歩いたのだろうか、蟻の巣のような迷路の地下深く、ぼんやりと光るプレートの掲げられた一室の前でオミナエシが立ち止まった。この辺りの電源はかろうじて生きているようで、古ぼけた鉄製の扉の奥からはくぐもった機械の駆動音のような物音が聞こえてくる。
「何だか辛気臭ぇ場所だな……墓穴の間違いじゃねぇのか?」
「お、お兄ちゃん!」
オスカーが無遠慮に見たままの感想を漏らす。コハルがそれを窘めるが、大樹もオスカーと似たような思いだった。地下にあるとはいえ、もう少し人の生活を感じられる空気があると思っていたが、これではまるで廃病院の霊安室だ。
「墓穴ね……まぁあながち間違っては居ないかもね」
オミナエシは自嘲するように乾いた笑いを漏らし、ドアの横の頼りない光を放っているプレートへと手を伸ばす。オミナエシが手を当てると、くたびれているが頑丈そうな鉄のドアがゆっくりと開き、中の様子が明らかになる。
「え……?」
「……何だこりゃ?」
「何ですか……これ……」
鉄のドアがその重い腰を上げ、大樹たちに見せた世界はあまりにも予想外だった。部屋の中は白色の照明に照らされているため真昼のように明るく、外の陰鬱とした暗闇とはまるで別世界である。だが、それ以上に異質な世界がそこには広がっていた。
「死体……?」
「死んでなどいない! 皆眠っているだけだ!」
激昂したゴンベが大樹の呟きを否定する。大樹たちの目の前には、ベッドにガラスの覆いを被せたようなカプセルが陳列され、その中には人間が押し込まれていた。ゴンベ曰く眠っているだけとの事だが、その青白い肌からは生気が感じられず、大樹達が死体と勘違いしてしまったのも無理はない。数自体はそれほど多くは無く、ちらほらと空の物もあるが、中に入っているのは見たところ子供ばかりである。そして、そのカプセルの陰、何者かが蠢いた。
「おかえりナエおねーちゃん! あ! さっきの変な人たちだ!」
「おか……え……り」
等間隔に陳列されたカプセルの陰から、弾むような高い声と、その声に付随するような小さな声が聞こえ、こちらへ近づいてきた。栗色の髪を肩の辺りまで伸ばした七、八歳くらいの女の子と、その後ろに隠れるように寄り添う、三歳ほどに見える癖っ毛の男の子だ。
「ただいま、アネット、カリック。いい子にしてたかい?」
「うん! ちゃんとカリックのおしりもお掃除できた!」
「偉いね、カリックもちゃんとアネットにお礼を言うんだよ」
「いや! 姫! 拙者が! 拙者が片付けたのでござるよ!」
「はいはい、お疲れさん」
「いつもの事だけど酷いでござる! いつもの事だけど!」
ゴンベは自分の手柄を主君に報告したが、肝心の主君の方は報告を軽く流した。ゴンベの横をすり抜けたアネットは、オミナエシの膝に抱きつき、その柔らかそうな栗毛を優しく撫でて貰っている。オミナエシは先ほどまでの気だるそうな態度とまるで違い、とても穏やかな表情を浮かべている。そして、アネットを解放し、後ろで申し訳無さそうに立っているカリックと呼ばれた男の子を抱き上げた。カリックは満面の笑みを浮かべたが、大樹たちに気付くと不安そうに目を向けた。
「あのひとたち……だれ? こわいひと?」
「安心しろ! 俺達は怖くねぇぞ! 寧ろ楽しいぜ?」
「お兄ちゃん、怖がるから大きい声出さないで」
「ぅぐ……」
自分の声に怯えた子供達の姿を見たオスカーは口を噤む。コハルに怒られたのも含め、割と精神的ダメージを受けたようで、見るからに気落ちしている。そんなオスカーの様子が面白く、大樹は少し苦笑した。その微妙にゆるい雰囲気を感じ取ったのか、子供達二人は少し警戒心を解いたようだ。
「怖くないから安心しな。ゴンベがスクラップになってもあんたらを守ってくれるってさ。まぁ元々ガラクタだし、スクラップになってもあんまり変わらないしねぇ」
「ひ、姫ぇ~……!」
「冗談だよ。でも何かあったら頼りにしてるよ、ゴンベ」
「も、勿論でござる! このダーク・ドラゴン、皆のためなら例え井の中蛙の中!」
「……さて、何だかぐだぐだな流れになっちゃったけど、あたしとゴンベ、現在の起床者はアネット、カリック。後ろに眠ってる子供達も含め総勢十三人。ここがあたし達の『巣穴』だよ」
横たわる九人の子供の入ったカプセル、ゴンベ、そしてアネットとカリックという子供二人を背にし、十三人の代表であるオミナエシは改めて大樹たちに向き合った。
カプセルの部屋の奥、居住スペースと呼ばれた場所に大樹、オスカー、コハル、そしてオミナエシが円状に座っている。使い古したカーペットの他に調度品の類は無く、まるでイソギンチャクの触手のような、無造作かつ乱雑なケーブルに埋め尽くされた部屋だ。無機質な部屋の中、乱雑に脱ぎ散らかされた白衣、くしゃくしゃになった書類、乾燥してパサパサになった食べ物の欠片などが、逆にこの部屋に人間性を与えている。ちなみにゴンベは子供二人の相手をしているため、カプセルのあった部屋で待機だ。
「……そこの緑の兄さんをガラクタの山から発掘して、空を飛んでここまで来た、と……俄かには信じられない話だけど、まぁ大体分かったよ」
「……よく納得出来るね」
大樹は思わずオミナエシに問いかける。自分で言うのも何だが、改めて口にしてみると本当に胡散臭い経歴である。
「まぁそうでもしなきゃ此処に来るなんて出来ないだろうしね。あの荒野を歩いて来るのはまず不可能だろう」
「んで、此処は結局何なんだよ? 十三人しか居ない村とか有り得ねぇだろ」
「それに何だか子供ばっかりみたいですし……貴方がお母さんなんですか?」
コハルの台詞に反応し、オミナエシは目尻を吊り上げる。コハルは怯んだが、オスカーは特にその辺りには興味は無いようで、胡坐を掻いてオミナエシの威嚇を流した。気を取り直したオミナエシは咳払いを一つし、口元を開いたものの言葉は出なかった。それは躊躇っているようでもあり、どう説明すればよいのか言葉を選んでいるようにも見えた。
「あたしはまだそんな歳じゃないし相手も居ない。色々聞かれたけど、答えるとあたしの自己紹介みたいになるし、少々長くなるけどいいかい?」
「俺は長い話は嫌いなんで手短に頼む」
間髪入れずにオスカーが話の腰を折る。
「分かった。手短に話すよ。『知らない』」
「……すまん、もうちょっと長めで頼む」
「結構。じゃあもうちょっと長めに説明させてもらうよ」
結局オスカーの提案は突っぱねられ、オミナエシの説明を聞くことになった。先程までの言い淀んでいた様子は大分薄れていて、今のやりとりが調度いい準備運動になったようだ。
「まず最初に、あたしは別に此処を作った訳じゃない。あたしが一番最初に目が覚めて、気がついたら此処に居た。だから此処が何なのかはまるで知らない」
「一番最初に目覚めた……?」
「そう、さっきのカプセルに入ってる子供達を見たでしょ? あたしもあの子達と一緒に入ってたの。あたしのカプセルは出来が悪かったのか、はたまた仕掛けでもあったのか知らないけど、ある日、唐突にたたき起こされたのさ」
「目が覚める前の事はまるで覚えてないし、泣き叫んでも周りには誰も居ないし、周りには死体宜しくのうのうと眠ってるお仲間だけ。よく発狂しなかった物だと思うよ」
オミナエシの口調は軽いが、それが決して楽しい思い出では無いことは大樹にも感じ取れた。情報を聞き逃すまいと三人はオミナエシの話に耳を傾ける。
「他の子を起こす方法を必死になって探したけど、どうすればいいのかまるで分からなかったからね……そうして色々調べてるうちに、あたしだけ随分成長しちゃったのさ」
「じゃあ……ナエさんはその間ずっと一人でここに篭ってたの?」
大樹にも孤独の辛さはある程度理解できたが、友達や家族が居ないという孤独ではなく、人間という種族が誰も居ない孤独とは一体どういう物なのかまるで想像が付かない。
「……何年かはね、正直死のうか迷ったけど、その時に地下道の倉庫に転がってたゴンベを見つけたのさ」
ゴンベの話題が出ると、心なしかオミナエシの表情が和らいだように見えた。随分適当に扱っているように見えたが、どうやらゴンベの存在は、オミナエシにとって想像以上に大きな物らしい。
「ああ、あたしが直したわけじゃないよ? たまたま倉庫にゴンベもどきが沢山並んでて、蹴っ飛ばしたらあいつだけ動いたのさ。で、セイカクハンテイ? だか何だかの認識ナントカデバイス? よく覚えてないけど何かを入れろって言われたから、適当にその辺にあった入りそうなものを差し込んだらゴンベの出来上がり、って訳さ」
「何だよ……お前、偉そうにしてる割に、結局何にも知らねぇんじゃねえか」
「だからさっき手短に『知らない』って話しただろう?」
ぼやくオスカーに対して、あくまで飄々とした態度を崩さないオミナエシ。大樹は頭の中でこれまでの情報を整理していたが、どうやらオミナエシもあまりこの世界の情報は持って居なさそうだ。今までで分かったことは、此処でオミナエシを含めた人間が、冬の熊よろしく『冬眠』していたこと、『性格判定』『認識デバイス』という物が存在し、ゴンベを形作ったということ、そして、ゴンベが『ロボット』であることだ。
大樹の世界にあれほど人間くさい挙動をするロボットは居なかった。ゴンベがロボットである事等から、大樹の居た世界より科学技術は優れていた可能性が高い。気になるのは『忍者』という言葉だ。全く違う世界にも忍者という存在が居るのだろうか。それとも『忍者』という響きが同じなだけで、中身は全く別物だったりするのだろうか。ゴンベの奇天烈な挙動を考えると、あながちその可能性も否定できないからややこしい。
「でも、アネットちゃんとカリック君が起きてるのに、どうして他の子たちは眠ったままなんですか?」
コハルの質問を受けた瞬間、オミナエシの表情が固まった。先程までのいい加減な態度を硬化させ、苦虫を噛み潰したような表情を作りながら、ぼそりと言葉を紡ぐ。
「……確かに、何年か調べて寝た子を起こす方法はある程度分かったよ。だが、ここの環境を見ただろう? 一度に皆を起こしても、それを維持していくだけの食料も施設もここには無いんだよ」
「だから二人だけを起こしたってことですか?」
「そうなるね、一度に起こすのは二人までってことにしてる。定期的に起こしてやらないと体がダメになっちゃう可能性があるから、あたしとゴンベを除いてローテーションしてるのさ」
そしてオミナエシは最後にこう付け加えた。
「最も、起きなかった子も居るけどね……」
「空いているカプセルが幾つかあっただろう? 最初はあたしを含めて二十人居たんだよ。けれどローテーションを繰り返すと、たまに眠ったまま目を開かない子が出てきた。あたしの手順に不備があるのか、それとも何度も繰り返して限界が来たのか……」
その言葉は小さかったが、謝っているような、自分を責めているような、今まで聞いた中で最も痛切な響きを含んでいた。
「……だったらよ、いっそのこと全員叩き起こして、此処を出ちまうってのはどうだ?」
「あたしだって考えたさ、でも僅かな物資と女子供……まぁロボットも一人居るけど、それだけで荒野に飛び出せってのかい?」
「そうだけど……確かにこのままじゃジリ貧だと思う……」
オスカーの意見に賛成するわけではないが、大樹もこのままでは、いずれ巣穴と呼ばれるこの場所が持たなくなることには同意見だった。食料云々も勿論だが、仲間が一人一人と消えていくギャンブルを強要されていては、オミナエシの精神が持たないだろう。誰も頼るものが居ない荒れ果てた土地で、真綿で首を絞められるようにじわじわと精神を蝕まれていく。大樹ならそんな生活は一ヶ月と耐えられないだろう。砂上の楼閣ならぬ地底の蟻の巣は、女王オミナエシの活動停止と同時に崩壊する問題だらけの運営システムなのだ。
「……じゃあどうすりゃいいんだい? センガンコウも居るってのにさ……」
「センガンコウ?」
「あぁ……あんたらは知らないのかい。あたし達の生殺与奪を握ってる、あのクソ忌々しい化け物を……」
オミナエシは憎憎しげに天井を睨みつける。地の底の天井を見通した先、遥か地上にいる見えない存在に対し、あらん限りの憎しみを呪詛を視線に込めているように見えた。
「折角だ……というか、あんたらもここに入った以上、無関係って訳じゃないからね、センガンコウについても話しておこうか」
オミナエシは視線を天井から引き剥がし、諦観と悲しみ、そしてやり場の無い怒りを込めた瞳で、面倒くさそうに大樹たちを一瞥した。