第5話: 分岐
朝の森は、妙に静かだった。
夜露が葉を濡らし、薄い霧が漂っている。
焚き火の跡は整っている。
整いすぎている。
誰が消したのか分からないほど、均一に。
勇者が地図を広げる。
「今日は北西へ進む。予定通りだ」
予定。
その言葉が、もう耳に刺さる。
賢者が頷く。
「この先に廃砦があります。魔物の密度も高い。経験値効率が良い」
経験値効率。
効率。
最適。
最短。
「なぜ北西だ」
俺は静かに問う。
勇者が顔を上げる。
「魔王城への最短ルートだ」
「南は」
「遠回りだ」
「安全か?」
「魔物が少ない」
「なら、南へ行けばいい」
空気が、止まる。
聖女が首を傾げる。
「でも……それでは成長が遅れます」
成長。
賢者が補足する。
「魔王討伐の推奨レベルに達しません」
推奨。
俺はゆっくりと息を吸う。
「誰が推奨した」
沈黙。
勇者が答える。
「常識だ」
常識。
まただ。
曖昧で、強い言葉。
「魔王は、今すぐ倒さなければならないのか」
「当然だ」
即答。
「猶予は」
「ない」
「なぜ」
勇者の眉がわずかに寄る。
「魔王だからだ」
理由になっていない。
「人間は滅ぼされているのか」
「……被害は出ている」
「どの程度だ」
「各地で報告がある」
「具体的に」
沈黙。
賢者が口を開く。
「数値は不明です」
不明。
だが、最短ルートは決まっている。
効率は決まっている。
推奨レベルも、決まっている。
「南へ行こう」
俺は言う。
「安全なら、住民を救えるかもしれない」
勇者は俺を見る。
その目は、冷静だ。
「目的は魔王討伐だ」
「道中の村はどうする」
「必要なら寄る」
必要なら。
誰が決める。
「今、南に助けを求める村があるとしたら?」
聖女が迷うように目を伏せる。
「……神の導きがあれば」
導き。
導きがなければ?
賢者が淡々と。
「情報がありません」
情報がなければ、存在しないのか。
俺は地図を見る。
線が引かれている。
北西へ。
まるで、そこ以外は塗り潰されているみたいに。
「俺は南へ行きたい」
口に出した瞬間、空気がわずかに歪む。
本当に、歪んだ気がした。
風が止まる。
鳥の声が消える。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
世界が、静止した。
勇者がゆっくりと言う。
「なぜだ」
「確かめたい」
「何を」
「本当に、この道しかないのか」
長い沈黙。
焚き火の灰が、さらりと崩れる。
聖女が不安そうに言う。
「寄り道は危険です」
賢者が続ける。
「無駄です」
無駄。
無駄?
「無駄かどうか、行ってみなければ分からない」
勇者が目を閉じる。
思考しているように見える。
だが。
その沈黙は、妙に“間”が整っている。
やがて目を開ける。
「……南へ少しだけ寄る」
胸の奥が、わずかに高鳴る。
「だが、何もなければすぐ戻る」
条件付き。
妥協。
それでもいい。
一歩だ。
予定から、外れた。
俺は南を見る。
森は、ただの森だ。
だが。
その奥が、妙に深く見える。
歩き出す。
足音がやけに響く。
数歩進んだところで、違和感が走る。
地面に、薄く刻まれた跡。
人の足跡。
新しい。
勇者が足を止める。
「……魔物の気配だ」
北西の方角から。
南ではない。
俺は振り返る。
北西の森が、ざわりと揺れる。
まるで。
こちらを呼ぶみたいに。
「遭遇率が上がっています」
賢者が冷静に言う。
遭遇率。
偶然か?
勇者が剣を抜く。
「迎え撃つ」
違う。
俺は南を指す。
「行こう」
その瞬間。
森の奥から、咆哮。
魔物が三体、飛び出す。
明らかに、さっきより多い。
「ちっ」
勇者が踏み込む。
戦闘になる。
俺も動く。
だが、胸の奥に確信がある。
これは偶然じゃない。
逸れようとした瞬間、
“引き戻された”。
斬撃が飛ぶ。
血が散る。
戦闘は終わる。
【レベルが上がりました】
頭の奥で鳴る。
冷たい。
まるで、報酬だ。
「ほらな」
勇者が言う。
「南へ行こうとしたから、魔物が出たわけじゃない」
本当に?
俺は南を見る。
森は静かだ。
何も起きていない。
だが。
北西は、ざわついている。
まるで。
“こちらが正解だ”と。
俺は理解する。
世界は、まだ露骨に拒絶しない。
だが。
逸脱には、抵抗がある。
軽く。
優しく。
しかし確実に。
南への道は、霧が濃い。
北西は、なぜか見通せる。
整っている。
導かれている。
俺は唇を噛む。
これは小さな一歩だ。
だが。
確かに、ズレた。
そして。
世界は、気づいている。
俺が、疑っていることに。
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