第22話: 扉
夜は深い。
魔王城は静まり返っている。
それは不自然な静寂ではない。
本来あるべき、秩序だった沈黙だ。
巡回の周期は一定。
灯りの間隔も均一。
魔力の流れも乱れていない。
整いすぎている。
暗殺者は城壁の影に立ち、その均衡を眺めていた。
侵入は容易だ。
過去にも幾度となく、この城に足を踏み入れている。
だが今夜は違う。
殺すためではない。
奪うためでもない。
確かめるためだ。
順序が狂った。
獣王が先に出た。
氷姫と戦った記憶がない。
だが、討伐済になっている。
勇者も、賢者も、聖女も、疑わない。
四天王も疑わないはずだ。
ならば。
順序を崩した張本人はどうか。
魔王は、何を見たのか。
暗殺者は城壁を越える。
着地は静か。
影から影へと移動する。
巡回の間を抜ける。
だが、玉座へ続く回廊の手前で足を止めた。
考える。
ここまで完璧に整っている。
氷姫の討伐記録も、戦闘痕も、地形も、すべて辻褄が合っている。
自分の記憶だけが、浮いている。
浮いたまま、処理されない。
なぜか。
答えはない。
だが、仮説はある。
魔王が順序を崩した。
その直後に、世界は帳尻を合わせた。
ならば。
魔王もまた、何かを見たのではないか。
暗殺者は歩き出す。
今度は、足音を消さない。
石床を踏む。
硬い音が廊下に響く。
意図的だ。
隠れない。
今夜は、隠れない。
扉の前に立つ。
玉座の間の重厚な扉。
向こう側に、圧倒的な魔力。
気づいている。
それでも動かない。
扉は閉じたまま。
暗殺者は手を伸ばさない。
開けない。
背を預ける。
冷たい木材の感触が伝わる。
その瞬間、向こう側で衣擦れの音がした。
ゆっくりとした足取り。
近づく。
扉一枚を隔てた距離で止まる。
沈黙。
呼吸すら、互いに感じられるほどの近さ。
魔王の声が落ちる。
「貴様は、何を見た」
威圧はない。
怒気もない。
ただの確認。
暗殺者は目を閉じる。
思い出すのは、戦場だ。
森。
獣王。
敗北。
勇者の焦燥。
氷姫と戦った記憶は、ない。
それだけが確かだ。
討っていない。
だが、討ったことになっている。
暗殺者は短く答える。
「人が消えた」
それ以上は言わない。
推測も理屈も語らない。
消失。
その一点だけ。
扉の向こうで、わずかな間が空く。
そして。
「……ふむ」
低い声。
「余も見た」
それだけ。
詳細は語らない。
氷姫の名も出ない。
順序の話もしない。
だが、共有された。
“消失”を。
扉を挟んで、背中合わせのまま。
暗殺者は理解する。
魔王もまた、違和を持っている。
孤立している。
世界は正常に動いている。
勇者は信じている。
聖女は祈っている。
賢者は記録している。
四天王は役割を演じている。
誰も疑わない。
だが。
ここに、二人いる。
疑っている者が。
敵同士。
立場も思想も違う。
だが、同じものを見た。
沈黙は長い。
だが不安ではない。
確認は済んだ。
それでいい。
暗殺者は扉から背を離す。
振り返らない。
足音を立てて歩き出す。
隠さない。
存在を消さない。
石床を打つ音が遠ざかる。
一定。
迷いはない。
魔王は追わない。
止めない。
ただ、その足音を聞いている。
やがて、完全に消える。
玉座の間は静寂に戻る。
魔王はゆっくりと玉座へ戻る。
座る。
視線は前方。
だが思考は深い。
炎将の時は、曖昧だった。
だが今回は違う。
確かに、消えた。
そして、自分の記憶は残った。
なぜか。
断定はしない。
まだ早い。
急げば、均衡が崩れる。
揺らしすぎれば、処理される。
今は観る。
静かに。
慎重に。
世界は沈黙している。
だが、完全ではない。
誤差がある。
その誤差を、二人は観測した。
それだけで十分だ。
夜は更ける。
灯火が揺れる。
世界は何も変わらない顔をして回り続ける。
循環は保たれている。
だが。
誤差は、確かに存在する。
そしてそれを知る者が、二人いる。
それだけが、この夜に残った。
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