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『導かれる者たちの中で 〜レベルを上げて魔王を倒す。それが正しいと、誰も疑わなかった。〜』  作者: 街角のコータロー
第1章

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第19話: 獣王

魔王城の玉座の間は、静寂を湛えていた。


広い。


音が吸い込まれるような広さではない。

むしろ、音が響きすぎるほどに、無駄が削がれた空間。


闇宰相が報告を終える。


「勇者の成長が停滞しております。」


玉座に座る魔王は、肘掛けに頬杖をついたまま動かない。


「強敵が来ぬから、か」


低く、平坦。


闇宰相はわずかに頭を垂れる。


「進行速度が鈍っております。

 四天王の出撃を再開なさいますか」


沈黙。


玉座の間に立つ氷姫は、白い髪を揺らしながら言う。


「順序は守るべきです。

 炎将の後は、私では――」


「余は止めた」


魔王の声が落ちる。


氷姫は言葉を切る。


闇宰相の目が細くなる。


魔王は玉座からゆっくりと立ち上がった。


長い外套が石床を擦る。


「勇者が焦れている。

 ならば揺らす」


その言葉に、闇宰相がわずかに眉を上げる。


「順序を崩されますか」


「観る」


短い。


決定。


魔王の視線が横へ流れる。


「獣王を出せ」


闇宰相は一拍置いた。


「……承知いたしました」


その声に、迷いはない。


ただ、計算が走る。


魔王は続ける。


「闇宰相」


「は」


「貴様は下がれ」


玉座の間の空気が、わずかに変わる。


命令は軽い。


だが重い。


闇宰相は深く一礼した。


「御意」


踵を返す。


足音が遠ざかる。


氷姫は魔王を見る。


「私が獣王を」


「いや」


魔王は歩き出す。


玉座を離れる。


「私室へ来い」


氷姫は頷く。


無言で従う。


玉座の間の扉が閉じる。


重い音。


静寂。


――――――


魔王の私室は、玉座の間とは違い、質素だった。


広くはない。


装飾も最小限。


机と椅子、書棚、そして窓。


窓からは魔王城の庭が見える。


魔王は窓辺に立つ。


氷姫は距離を保って控える。


「順序を乱す理由を、伺っても」


氷姫の声は静かだ。


非難ではない。


確認。


魔王は外を見たまま言う。


「停滞は、濁る」


短い。


だが意味は重い。


「循環は加速も減速もせぬ。

 一定だ」


氷姫はわずかに目を細める。


「ならば今回の揺らぎは」


「余が入れた」


窓に映る自分の姿を、魔王は見る。


観察。


勇者は焦っている。


四天王は従順。


世界は平坦。


その中で、何が起こるか。


観たい。


氷姫は言葉を選ぶ。


「勇者は未熟。

 獣王では過ぎるのでは」


魔王はわずかに口角を動かす。


「だからだ」


沈黙。


氷姫は理解する。


これは罰ではない。


試験でもない。


観測。


魔王は自分の内側をも観ている。


怒りはない。


焦りもない。


ただ、興味。


「余は、観ている」


独り言のように落ちる。


氷姫はそれ以上問わない。


窓の外で、遠く獣王が城門を出る影が見えた。


巨大な背。


迷いはない。


魔王は目を細める。


揺れるか。


揺れぬか。


――――――


空気が重かった。


それは魔力の濃度ではなく、

森そのものが息を潜めている重さだった。


枝葉は揺れているのに音がない。

鳥は飛び立たず、

虫の羽音すら聞こえない。


勇者は剣を握り直した。


「……来るぞ」


聖女が祈りの言葉を止める。

賢者は杖を構えたまま、周囲の魔素を測っている。


暗殺者だけが、木々の影に目を細めていた。


気配は隠していない。


むしろ、堂々とある。


それが異様だった。


やがて、木々が割れる。


押し倒されたのではない。

ただ、そこに“通る”という選択をされた結果、

森が道を譲っただけだ。


巨躯。


毛並みは黒。

だが光を吸う黒ではなく、

陽光を鈍く弾く獣の艶。


黄金の瞳が、勇者を射抜いた。


獣王。


四天王の一角。


その名が脳裏をよぎる前に、勇者は踏み出していた。


「行くぞ!」


声に迷いはない。


迷いがないことと、勝てることは別だ。


剣が振り下ろされる。


速い。


だが届く前に、衝撃が来た。


視界が揺れ、肺から空気が抜ける。


勇者の身体は地を滑り、

木に叩きつけられた。


音が遅れて響く。


聖女の声が届く。


「勇者さま!」


賢者が詠唱を完了させる。

雷が落ちる。


獣王は避けない。


受ける。


毛皮が焦げる匂い。

だが、膝を折らない。


「……弱いな」


低い声。


言葉ははっきりしている。


侮蔑ではない。


事実確認のような声音。


勇者は立ち上がる。


口の端から血が落ちる。


「まだだ」


踏み込む。


今度は読んだ。


横薙ぎ。


だが、獣王の腕がそれを受け止める。


刃が止まる。


信じられないほど硬い。


次の瞬間、視界が反転する。


地面。


息が詰まる。


聖女の光が勇者を包む。


治癒。


だが間に合わない。


賢者が防壁を展開する。


ひびが入る。


砕ける。


暗殺者が動く。


背後。


喉元。


完璧な角度。


だが――


振り返りざまの尾。


空を裂く。


暗殺者の身体が弾かれ、幹に叩きつけられる。


音が鈍い。


獣王は勇者を見下ろす。


「未熟だ」


その一言に、怒りはない。


判定。


ただそれだけ。


勇者は歯を食いしばる。


立とうとする。


膝が震える。


剣を支えにする。


それでも立つ。


「……俺は、勇者だ」


獣王はわずかに目を細める。


「知っている」


一歩、近づく。


地面が沈む。


勇者は最後の力で踏み込む。


剣が閃く。


浅い。


獣王の肩を裂く。


血が流れる。


赤い。


確かに通った。


だがそれだけ。


拳が振り下ろされる。


勇者は地に沈む。


意識が揺れる。


遠くで聖女が叫ぶ。


賢者の詠唱が乱れる。


暗殺者は立ち上がれない。


森は静かだ。


獣王はしばらく勇者を見下ろす。


殺せる。


容易い。


だが、殺さない。


鼻を鳴らす。


「まだ早い」


振り返る。


森が再び道を譲る。


去っていく。


足音は重い。


だが急がない。


勇者は地に伏したまま、

拳を握る。


悔しさが喉を焼く。


聖女の治癒が再び包む。


賢者は呟く。


「……四天王の一角。想定より早い」


勇者は歯を食いしばる。


「くそ……強く、ならないと……」


暗殺者は黙っている。


森の奥を見つめている。


何かが、ずれている。


強敵が来ないと焦っていた。


だから来た。


だが、順序が違う。


氷姫だったはずだ。


勇者は息を整える。


「次は勝つ」


聖女は微笑む。


「神は見捨てません」


賢者は理屈を組み立てる。


「成長曲線上では妥当だ」


暗殺者だけが、静かに思う。


――早い。


そして、


――何かが足りない。


森は何事もなかったかのように、

風を取り戻していった。


世界は沈黙している。


だが、


小さな因果は、確かに積み上がった。


――――――


魔王の私室。


窓の外の魔力の揺らぎが、わずかに収束する。


氷姫が静かに言う。


「終わりましたか」


魔王は目を閉じる。


感じる。


殺していない。


勇者は生きている。


獣王は退いた。


想定通り。


だが――


「順序は、崩れた」


氷姫は頷く。


「ええ」


魔王は振り返る。


「面白い」


氷姫は、わずかに微笑む。


その瞬間――




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