第17話: 「氷と炎の不在」
■ 魔王城 ― 昼
玉座の間には、常と変わらぬ重い空気が満ちていた。
赤い炎を背に立つのは炎将。
その足元で床石がじり、と焦げる。
氷姫は蒼い結晶のような瞳を伏せ、冷気を纏ったまま静かに控えている。
獣王は腕を組み、巨体を揺らさず。
闇宰相は影の中で微笑を崩さない。
四天王、揃っている。
玉座に座す魔王が、ゆるやかに視線を巡らせた。
「次の迎撃は、氷姫に任せる」
炎が一瞬、強く脈打った。
炎将は顔を上げるが、異議は唱えない。
ただ低くうなり、頷く。
「……御意」
氷姫が一歩前へ出る。
「は」
冷気が石床を薄く凍らせた。
順が違う、と誰かが言うことはない。
ただ命令が下り、役割が移る。
玉座の間は再び静寂に沈んだ。
⸻
■ 氷原 ― 夕刻
空は鉛色。
吹雪が地平線を曖昧にしている。
勇者一行は氷原を進んでいた。
「来るぞ!」
賢者が叫んだ瞬間、地面が割れる。
氷柱が何十本も突き上がり、勇者はとっさに跳躍する。
聖女の光が弾け、氷片を弾き飛ばした。
白い嵐の中心に、蒼い影が立つ。
氷姫。
その周囲の空気は凍り、吐息すら白く裂ける。
「勇者」
声は澄んでいる。感情はない。
勇者が剣を構える。
「炎将の次はお前か……!」
その言葉に氷姫は反応しない。
腕を振るう。
空間が軋み、氷の刃が幾重にも走る。
賢者が魔法陣を展開し、軌道を逸らす。
それでも数本が勇者の肩を裂いた。
血が氷上に落ち、瞬時に凍る。
暗殺者は背後に回り込もうとするが、足元が凍結する。
氷は地面から絡みつくように伸びる。
「速い……!」
勇者が踏み込み、斬撃を放つ。
鋼が氷壁を砕くが、その奥に本体はない。
氷姫は空中に浮き、指を鳴らす。
吹雪が渦を巻き、視界を奪う。
聖女が叫ぶ。
「下がって! 一度立て直す!」
賢者が広域火炎を放ち、吹雪を押し返す。
その隙に勇者が跳躍し、氷姫へ迫る。
剣と氷が激突する。
甲高い音。
氷姫の頬に、初めて細い亀裂が走る。
だが次の瞬間、氷の奔流が勇者を飲み込む。
聖女の光が爆ぜ、辛うじて致命傷を防ぐ。
静寂。
氷姫は勇者を見下ろす。
「……未だ届かぬ」
冷たい宣告。
周囲の氷がゆっくりと収束していく。
「撤退する」
その姿は霧のように崩れ、吹雪だけが残った。
勇者は荒く息を吐く。
「くそ……」
だが、立っている。
生きている。
⸻
■ 魔王城 ― 夜
報告の間。
燭台の炎が揺れている。
氷姫が膝をつく。
獣王。
闇宰相。
三名。
魔王は視線を巡らせる。
炎の気配がない。
炎将の立つはずの場所が、空いている。
だが、誰も気にしていない。
氷姫が口を開く。
「勇者一行と接触。戦闘を実施。撃破には至らず。戦術的撤退」
淡々とした報告。
魔王の声が落ちる。
「待て」
空気が張り詰める。
「炎将がまだだ」
氷姫が顔を上げる。
「……炎将は、既に勇者に討たれております」
静寂。
獣王も闇宰相も動かない。
それが当然であるかのように。
魔王は炎将の名を思い浮かべようとする。
炎。
巨大な影。
熱。
だが像が結ばれない。
記録が脳裏をよぎる。
炎将、敗北。勇者により討伐。
そう記されている。
「……そうで、あったか?」
低い声。
氷姫は頷く。
「はい」
揺らぎはない。
魔王は玉座に深く座り直す。
炎の欠片すら思い出せない。
だが、胸の奥にわずかな空洞がある。
報告は続く。
氷の戦況。勇者の成長。次の対策。
炎将の名は、二度と出なかった。
⸻
■ 勇者側 ― 夜
焚き火がぱちぱちと鳴る。
勇者は包帯を巻きながら笑った。
「氷姫も、何とかなりそうだな」
聖女が安堵の息をつく。
「炎将よりは、まだ……」
賢者がうなずく。
「炎将戦で得た経験が活きています」
暗殺者の手が止まる。
「……炎将もまだなのに、氷姫まで来た。次はどちらか……」
勇者が顔を上げる。
「何言ってる?」
聖女が首をかしげる。
「炎将は倒したでしょう?」
賢者も当然のように言う。
「炎の城塞で。覚えていないのですか?」
炎の城塞。
激戦。
勝利。
勇者はその時の傷跡を指でなぞる。
「ほら、この時だ」
暗殺者は言葉を失う。
自分の記憶には、炎将は生きていた。
だが、誰も疑わない。
焚き火の音だけが響く。
「……そうか」
暗殺者はそれ以上言わない。
夜風が吹く。
炎が揺れる。
その炎の向こうに、何かが欠けている気がした。
だが、名を呼ぶ者はいない。
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