第13話: 溢れた者
街は活気に満ちていた。
石造りの門。商人の呼び声。荷馬車の軋む音。
魔王討伐を掲げる勇者一行は、歓迎される。
「勇者様だ!」
「聖女様もいるぞ!」
勇者は照れたように笑い、手を振る。
聖女は柔らかく会釈する。
賢者は周囲を観察している。
俺は、少し遅れて歩く。
視線が多い。
だが、その中に一つ、奇妙な気配が混じっていた。
古びた酒場。
昼間だというのに薄暗い。
勇者が言う。
「ここで情報を集めよう」
自然な流れ。
何もおかしくない。
扉を押す。
酒と汗と古木の匂い。
視線が集まる。
だがすぐに逸れる。
奥の席。
そこに、いた。
鎧は着ていない。
ただの旅装束。
剣は壁に立てかけてある。
年は俺たちとそう変わらない。
だが。
目が。
濁っている。
焦点が合っているのに、どこも見ていない目。
俺の足が止まる。
勇者は気づかない。
「すみません、最近の魔獣の動きは?」
聖女が店主に話しかける。
賢者が地図を広げる。
誰も、奥の男を見ない。
俺だけが見ている。
その男が、ゆっくりとこちらを見る。
目が合う。
ぞくりとした。
知っている。
この構図を。
この空気を。
この役割を。
口が動く。
「……戦士」
小さな声だった。
だが、はっきりと聞こえた。
俺は一歩踏み出す。
「今、なんと言った」
声を変えようとする。
平静を装う。
だが男は。
もうこちらを見ていない。
隣の酔客に向かって笑っている。
「だからさ、勇者は正面から行くべきなんだよ」
陽気な声。
濁った目。
酔客が笑う。
「またその話かよ」
「聖女は後ろだ。賢者は高台だ。戦士は隣だろ」
戦士は隣。
胸が締めつけられる。
勇者は気づかない。
聖女も。
賢者も。
男の言葉は、ただの酔いどれの与太話として処理されている。
俺だけが、凍りつく。
戦士は隣。
俺はどこだ。
俺は背後だ。
影だ。
勇者の隣に立っていない。
立てない。
男が笑う。
「なあ勇者、そうだろ?」
勇者は振り向かない。
男の視線は、俺の仲間を通り抜けている。
見えていない。
それとも。
違う勇者を見ているのか。
俺は近づく。
一歩。
二歩。
男の前に立つ。
「……お前は誰だ」
男が俺を見る。
濁った目。
一瞬だけ、澄んだ。
そして。
「遅いぞ、勇者」
囁くように。
背筋が冷える。
「俺はここだ。隣にいる」
違う。
俺は勇者じゃない。
男の視線は、俺を通り越している。
俺を見ていない。
俺の向こうにいる“誰か”を見ている。
聖女が声をかける。
「どうしました?」
俺は振り向く。
「……いや」
何もない。
勇者は普通に情報を聞いている。
賢者は分析している。
酒場の客も普通だ。
壊れているのは。
俺か?
男はまた別の客に話しかけている。
「魔王を倒すにはな、四人揃わなきゃ駄目なんだ」
四人。
「勇者、聖女、賢者、戦士」
はっきりと言う。
酒場の客は笑う。
「お前が戦士か?」
「そうだ」
男は迷いなく答える。
「俺は戦士だ」
その声には、誇りがあった。
だが。
誰も信じていない。
ただの酔っ払いの妄言。
俺の呼吸が浅くなる。
村の書板。
勇者、聖女、賢者、戦士。
固定された構図。
目の前の男。
「俺は溢れたんだよ」
ぽつりと、男が言う。
誰に向けた言葉でもない。
「四人揃ってた。完璧だった。なのに――」
笑う。
乾いた笑い。
「余計なのが混ざった」
心臓が跳ねる。
俺を見る。
今度は確実に、俺を見ている。
濁った目の奥に、ほんの一瞬だけ光が宿る。
「なあ」
低い声。
「お前、どこに立つ?」
答えられない。
勇者の隣か。
背後か。
それとも。
この男の代わりか。
聖女が呼ぶ。
「行きますよ」
勇者が振り返る。
「何やってる?」
俺は視線を外す。
男はもう笑っている。
別の客に酒を注がれている。
「勇者は正面だろ?」
同じ台詞を繰り返す。
壊れている。
だが。
完全には壊れていない。
役割だけが、残っている。
俺は席を離れる。
外の光がまぶしい。
街は何も変わらない。
活気があり、人々は笑っている。
勇者は言う。
「変なやつだったな」
軽い。
何も感じていない。
賢者が言う。
「酒に脳をやられたのだろう」
合理的だ。
聖女は祈る。
「哀れな魂です」
俺だけが。
俺だけが。
あの目を覚えている。
濁っていた。
だが。
確かに、俺を見た。
俺を知っていた。
溢れた。
あいつが言った言葉。
溢れた。
誰が。
どこから。
勇者の隣。
本来立つべき位置。
そこにいないのは。
あいつか。
それとも。
俺か。
街の喧騒の中で。
俺だけが静まり返っている。
もしかして。
俺だけが。
ズレているのか。
勇者も。
聖女も。
賢者も。
正しい構図の中にいる。
俺だけが。
構図の外側に立っている。
背後から。
それを見ている。
風が吹く。
酒場の扉が軋む。
中では男の笑い声が響いている。
「勇者は正面だ!」
何度も。
何度も。
同じ言葉を。
繰り返す。
俺の胸に、重いものが沈む。
もし。
本来の四人が存在していたのなら。
俺は。
何者だ。
溢れたのは。
あいつか。
それとも。
俺か。
答えは出ない。
ただ。
均衡は崩れている。
そしてその歪みは。
確実に、広がっている。
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