第10話: 逸脱値
森の朝は、昨日と同じ匂いがした。
湿った土。薄い霧。一定間隔の遠吠え。
一定間隔。
俺は立ったまま、それを数える。
一。
二。
三。
……七十六。
吠える。
正確すぎる。
「どうした?」
勇者が剣を肩に担ぎながら聞く。
「数えてる」
「何を」
「音」
勇者は少し笑う。
「変わってるな」
否定しない。
変わっているのは、俺の方だ。
今日は、試す。
小さな誤差じゃない。
はっきりとした逸脱。
魔獣が現れる。
四体。
昨日と同じ間合い。
勇者が斬り込む。
聖女が支援。
賢者が詠唱。
俺は動かない。
完全に。
一歩も。
戦闘は終わる。
【EXP +24】
入る。
俺は何もしていない。
それでも。
視界の端に数字。
勇者が振り返る。
「今日は温存か?」
「そんなところ」
賢者が言う。
「分配値に変動は見られない。効率は維持されている」
維持。
その言葉を、俺は飲み込む。
二戦目。
戦闘が始まる直前、俺は逆方向へ走る。
森の奥。
境界線を越える。
背後で勇者の声がする。
だが止まらない。
足を止めない。
木々の間を抜ける。
十歩。
二十歩。
三十歩。
視界の端。
【Out of Range】
白い文字。
初めて見たときと同じ。
だが、今日は止まらない。
さらに進む。
四十歩。
空気が重くなる。
背後。
気配。
振り向く。
三体。
数が足りない。
一体、足りない。
初めてだ。
【Party Integrity Warning】
赤い表示。
鼓動が跳ねる。
俺は動かない。
そのまま待つ。
森が静まる。
時間が伸びる。
ほんのわずか。
“間”。
一拍。
二拍。
遅い。
昨日より、遅い。
そのあと。
枝が揺れる。
四体目が現れる。
配置が整う。
【Rebalancing】
短く表示。
消える。
俺は息を吐く。
世界は修正する。
だが。
即時ではない。
遅延がある。
勇者が追いつく。
「勝手に行くな!」
本気で怒っている。
当然だ。
「確認だ」
「何を」
「距離」
意味は通じない。
通じなくていい。
賢者が息を整えながら言う。
「単独行動は非効率だ」
非効率。
聖女が柔らかく言う。
「皆でいるから強いのです」
強い。
その言葉が、今日は少し重い。
戦闘が始まる。
俺は四体目を無視する。
三体だけを処理する。
一体を残す。
魔獣が立ち尽くす。
こちらを見ている。
動かない。
まるで、命令待ち。
視界の端。
【Behavior Divergence Detected】
赤。
長い文。
森が静まり返る。
勇者が叫ぶ。
「危ない!」
剣が振り下ろされる。
魔獣が倒れる。
【Adjustment Applied】
消える。
俺は確信する。
世界は反応する。
だが。
反応には時間がある。
瞬間ではない。
遅れる。
ほんの一拍。
それだけだ。
だが。
その一拍がある。
焚き火の夜。
勇者が肉をかじりながら言う。
「今日は妙に調子よかったな」
聖女が微笑む。
「成長しています」
賢者が頷く。
「この区域は適正だ。効率が安定している」
効率。
安定。
適正。
俺の視界。
【Optimal Zone】
はっきり出る。
消える。
勇者は完璧だ。
進む方向。
戦う間合い。
退くタイミング。
すべてが最短。
偶然とは思えないほどに。
「なあ」
勇者が突然言う。
「最初に会った時のこと、覚えてるか?」
心臓が止まる。
「城門の外だ。俺、迷ってた」
城門。
霧がかかる。
「その時、お前が言ったんだ。“北西だ”って」
息が詰まる。
言った、のか?
思い出せない。
白い霧。
輪郭が溶ける。
視界の奥。
【Origin Alignment Confirmed】
一瞬。
消える。
聖女が言う。
「導きだったのですね」
賢者が頷く。
「合理的な選択だ」
勇者は笑う。
「お前、最初から頼りにしてたんだぞ」
俺は火を見る。
もし俺が北西と言ったなら。
それは、俺の意思か。
それとも。
言わされたのか。
思い出せない。
思い出そうとすると、拒まれる。
【Memory Access Restricted】
白。
頭の奥で消える。
俺は何も言わない。
誰にも見えていない。
この表示も。
この遅延も。
この霧も。
俺だけだ。
森は静かだ。
星が、等間隔に並んでいる。
綺麗すぎる。
俺は今日、逸脱した。
世界は修正した。
だが。
“止まった”。
一瞬。
確かに。
即時ではない。
なら。
限界はある。
壊せるかどうかは分からない。
だが。
遅らせることはできる。
ほんの一拍。
それだけでも。
勇者は眠っている。
聖女も。
賢者も。
安心した顔で。
俺だけが起きている。
森の奥を見つめる。
何も見えない。
赤い表示も出ない。
ただ、静かだ。
この静寂が。
本物なのか。
待機状態なのか。
分からない。
俺は短剣を握る。
壊す、とはまだ言えない。
だが。
止める。
ずらす。
遅らせる。
それなら。
できる。
世界が修正する前の、あの一拍。
そこに。
俺は立っている。
孤独に。
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