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第十一話 数千年の眠り、八つの因縁

伏姫は少し笑みを浮かべたが、すぐに真面目な顔に戻り、話を続ける。


「玉梓が目覚めれば、この世のことわりに従い、必ず動き出すものがあります。

闇が深まれば光が差すように――八犬士の魂もまた、この時代に目覚めたのです。」


伏姫は息を整えると続ける。


「そして、それに呼応するように、かつての持ち主を求める“玉”もまた、(ぬし)を求め、数千年の眠りから目を覚まし始めました」

「……呼応、ですか?」

 

悌が小さく呟く。

伏姫は、わずかに首を傾げた。


「不思議な出来事に、心当たりはありませんか?」


沈黙が落ちた。

ふと、顔をあげた義翔が絞り出すように言った。


「……鵺」

「なるほど。鵺は、玉梓が復活したことを知らせる存在であり、

あなた方――八犬士が現れた合図でもあります。

そして、その因縁を受け継ぐのが、あなた方です。」

「……え?」

 

弥信の胸の奥で、どくり、と脈が打つ。耳鳴りのような音が、ふっと遠のいた。

 

「生まれ変わり、という言葉が世俗では近いでしょう」


伏姫はそう前置きし、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「完全に同じ存在ではありません。肉体も、育った環境も、記憶も名も異なる。今を生きるあなた方には、今の人生がある。けれど、魂の最深部に刻まれた『因縁』という名の刻印だけは、時を超えて受け継がれるのです。それは逃れられぬ磁力のように、再びあなた方を引き寄せた」

 

弥信は無意識に、自分の手を握りしめていた。

指先が、かすかに震えている。


「そんな……」


忠穂の声が、喉の奥で詰まる。


「私たちは、ただの高校生なんです。部活をして、明日のテストどうしようって悩んで……そんな普通の高校生なんです」

「――ええ」


伏姫は、その言葉を否定しなかった。


「あなた方は、今を生きる人間です。

ですが同時に、玉梓と相対する宿命を持つ者でもある」


その瞬間、弥信の脳裏に、あの女の声が蘇った。

金切り声。狂気を孕んだ視線。

絡め取られるような、あの感覚。


胃の奥が、ひやりと冷える。


「……今、玉梓はあなた方を狙っています。ですが、誤解しないでください」

 

伏姫の声が、わずかに厳しさを帯びた。

 

「玉梓はまだ、あなた方が八犬士の生まれ変わりであることには気づいていません。しかし、彼女の執念は、ただの怨恨以上に恐ろしいものです。一度狙った獲物は逃さない。そして獲物を横取りした者は、骨の髄まで嬲り殺す。因縁の歯車は、望むと望まざるとにかかわらず……再び、血の音を立てて巡り始めているのです」

 

伏姫は、静かに言った。

重い沈黙が、部屋を満たした。


「……事情は、わかりました。物語が真実で、僕たちがその当事者だということも。それで……伏姫様。あなたは、僕たちに何をさせたいんですか? 宿命に従って、武器を持てと?」

 

智陽が、静かに口火を切った。


「玉梓と……あの化け物と? 冗談じゃないわ、私は無理よ! 死にたくない!」


礼夏が、パニック寸前の声を上げる。それに対し、伏姫は優しく首を振った。

 

「いいえ。あなた方に剣を取れとは言いません」


伏姫は、はっきりと言う。


「あなた方は、まだ子供です。

恐れるのも、逃げたいと思うのも、無理はありません」


伏姫は一瞬目を伏せ、やがて静かに顔を上げた。


「……戻りなさい。あなた方が、まだ“戻れる”うちに」


伏姫は、静かに弥信たちを見る。


「しかし」


伏姫は、続ける。


「あなたがたもすでに、玉梓に目をつけられています」


そう言って、伏姫は懐から小さな手鏡を取り出した。


「これは《雲外鏡》。この鏡を通して、常にあなた方と繋がることができます」


弥信の喉が、無意識に鳴った。


「もし⋯玉梓が、あなたがたに牙を剥いたなら。そのときは、この鏡を通して、こちらへ逃げなさい」


そう言い伏姫は全員に手鏡をわたした。


「さっ、もう日が暮れます」


伏姫にそう言われ、弥信は思わず障子の方へ目を向けた。

隙間から差し込んでいた光は、いつの間にか白さを失い、淡く赤みを帯びている。


「酒呑童子、茨木童子。この子たちを家まで送って行ってあげて」


「しかし、俺たちが揃って行ったら、ここががら空きになりまっせ」


酒呑童子が頭に手をやり、困ったように息をつく。

それに対し、伏姫はにこりと微笑んだ。


「大丈夫です。他の方々もいますし……八房も、じきに戻ってくるでしょう」


そう言って、伏姫は静かに寺の入口の方へと視線を向けた。

 


鏡を抜けた先は、弥信の家の前だった。

玄関の上には、いつもと変わらない秋の空が広がっている。


「戻って……る」


弥信は空を見上げ、ぽつりと呟いた。


「んじゃ、気をつけろよ」

 

一瞬だけ、酒呑童子は弥信を見た。


「無理すんな。困ったら、ちゃんと逃げろ」


そう言うと、酒呑童子は鏡の向こうへ引っ込んだ。

次の瞬間、そこにあったはずの鏡は、音もなく消えていた。


それを見送った弥信はため息を一つつき、玄関の引き戸を開けると、馴染みきった家の匂いが鼻を打った。


「ただいま……」


返事より先に、奥から母親がでくる。


「遅かったじゃない。もうこんな時間よ」


玄関にある時計に視線をやると、8時をすぎていた。


「ごめん。ちょっと、練習に熱入っちゃって」

「大会近いのはわかるけど、最近物騒なんだから、早く帰ってきなさいよ?」


「はぁい」と返事をすると弥信は部屋に戻った。

 部屋に入ると、弥信は大きなため息をついた。


そのまま、ボフッとベッドに倒れ込んだ。

張りつめていた疲れが一気に押し寄せ、弥信は静かに眠りへと落ちていった。


――そこは、地獄だった。

血と怨嗟が渦巻く、どこまでも続く荒野のような戦場で、八人の戦士が玉梓と対峙している。

彼らはボロボロの鎧を纏い、叫び声を上げながら次から次へと玉梓へ斬りかかった。

だが、その結末は無惨だった。

一人、また一人と、なぎ倒され、引き裂かれ、地に伏していく。

勇気も、義理も、交わした誓いも、この圧倒的な呪いの前では何の力も持たず、無造作に踏みにじられていく。

弥信は、叫ぶこともできず、ただ口を手で覆ってその惨劇を傍観していた。

最後に残った一人が、決死の覚悟で咆哮とともに斬りかかる。

だが――

玉梓の青白い指先が、ほんのわずかに動いただけで、その戦士の身体は糸の切れた人形のように力を失い、膝から崩れ落ちた。

戦場に、時が止まったかのような沈黙が落ちた。

その瞬間。

――ジジジッ。

弥信の視界に、テレビの砂嵐のようなノイズが走った。

激しい耳鳴りとともに景色が歪み、弥信は激痛に耐えるように顔を両手で覆い、よろめくように後ずさる。

 

「なに……今の……っ」


恐る恐る指の隙間から顔を上げた、その瞬間――。

弥信は、息を吸うことすら忘れるほどの衝撃を受けた。

そこに倒れていたのは、見知らぬ古の戦士たちではなかった。

 

「……高松……先輩……?」


血に濡れた泥の上に横たわり、光を失った瞳で天を仰いでいるのは、間違いなく演劇部の部長、考希だった。

声をかけても、いつものように冗談めかした明るい返事が返ってくることはない。その唇は、紫に変色している。

 

「有馬先輩……空華先輩……」


震える声で名を呼ぶ。だが、そこにあったのは、苦痛に歪んだ二人の死に顔だけだった。


「……原田くん……金城くん……」


呼ぶたびに、胸の奥が万力で締めつけられるように苦しくなる。義翔の強かった腕も、結仁の器用な指先も、すべては無惨な肉の塊へと変わっていた。

 

「……忠穂……答えてよ、忠穂!!」

 


最後に、一番近くに倒れていた親友の名を叫んだ。

だが、返ってくるのは虚しい風の音だけだ。いつも自分を支え、励ましてくれた、あの穏やかな声はもうこの世界のどこにも存在しない。

 

(みんな……なんで……?)

 

その時、凄惨な血の臭いを切り裂くように、ケタケタ、ケタケタ……と、耳を塞ぎたくなるような、不快な高笑いが響き渡った。

 

「……っ!」


弥信は足から力が抜け、崩れるようにその場にひざまずいた。絶望に染まる視界の端で、長い着物の裾を引きずり、一人の女の影がゆっくりと、こちらへ歩み寄ってくるのが見えた。

女の顔には、この世の愉悦をすべて飲み込んだような、残酷な笑みが浮かんでいた。

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