第3話
「えー、コホン。……というわけでだ。急遽、機材トラブルにより『オフコラボ』という形になったが、気にするな。我々の適応能力の高さ故である」
私が苦しい言い訳を並べると、コメント欄はニヤニヤとした空気で埋め尽くされていた。
『機材トラブル(壁が薄い)』
『オフコラボ(隣人)』
『距離感ゼロ距離てぇてぇ』
『で、今はセラちゃんがベル様の隣に座ってるってこと?』
痛いところを突いてくる。
実際には隣どころか、壁を隔てて数メートル離れている。だが、ここでボロを出すわけにはいかない。
「そ、そうだ! 私の隣に座っているぞ! なあ勇者よ!」
『はいはい、隣にいますよー。ベルちゃんの二の腕、ぷにぷにしてて気持ちいいですぅ』
白崎の奴、アドリブで嘘を重ねやがった。
私はマイクをミュートにし、壁に向かって小声で叫ぶ。
「(おい! 余計な設定を足すな! あと私の二の腕はぷにぷになどしていない! 筋肉質だ!)」
「(いいじゃないですか、サービスですよサービス。……あ、そうだ。ベルちゃん、お腹空いてません?)」
「(……は?)」
突然、壁の向こうから唐突な問いかけ。
確かに、さっきのエナドリだけでは空腹は満たされていない。私の腹の虫がグゥと鳴ったのを、地獄耳の勇者は聞き逃さなかったらしい。
「(ちょっと待ってて)」
ガタゴトと物音がした後、Discordからセラの声(配信モード)が聞こえた。
『ベルちゃん、頭使って疲れちゃいましたよね。糖分補給しましょうか。……はい、あーん』
コメント欄が『あーん!?』『供給過多で死ぬ』と爆発する。
だが待て。
「あーん」と言われても、私の目の前にあるのは無機質なモニターとマイクだけだ。虚空を食べろというのか?
私が困惑していると、コンコン、とベランダの窓が叩かれた。
振り返ると、カーテンの隙間から、白い手がニョキッと突き出されている。その手には、チョコレート菓子『ポッキー(極細)』の箱が握られていた。
――物理的な差し入れだ!
しかも配信中に!
私は慌ててヘッドホンを外し、忍者のように素早くベランダへ移動。窓を少しだけ開け、その箱をひったくった。
「(……っく、恩に着る!)」
「(ふふ、早く戻って。『あーん』の続き、やりますよ)」
私は席に戻り、ヘッドセットを装着。ポッキーの封をマッハで開ける。
箱から一本取り出し、口元へ。
『ほらほら、口開けてください。あー、ん』
タイミングを合わせろ。
セラの声に合わせて、私がポッキーを齧る。
「……あ、あむっ」
ポッキーの乾いた音が、高性能マイクに乗る。
完璧なSE(効果音)だ。
『おいしいですか? ベルちゃん』
「……ん、んむ。悪くない味だ。……貴様の手作り肉じゃがほどではないがな」
――ッ!?
しまった。つい本音が。
口を滑らせた私に、コメント欄が反応するよりも早く、セラが反応した。
『えっ……』
一瞬の沈黙。
そして、ヘッドホン越しに、ふわりと花が綻ぶような、甘く嬉しそうな声が届く。
『……ふふっ。そうですか。……また今度、作ってあげますね』
その声色は、演技の「清楚キャラ」とも、普段の「毒舌委員長」とも違っていた。
もっと無防備で、少し照れくさそうで、優しさに満ちた「白崎ヒカリ」の声。
心臓が、ドクンと跳ねた。
なんだ今の。
反則だろ。
『ベル様デレた!?』
『手料理済み!? もう結婚じゃん』
『肉じゃが(隠語)か?』
『てぇてぇ通り越して尊死』
『砂糖吐きそう』
コメント欄の熱気が最高潮に達する。
私は熱くなった頬をごまかすように、残りのポッキーをバリボリと噛み砕いた。
「う、うるさい! 勘違いするな! ただの栄養補給だ! ……だ、だがまあ、次はハンバーグがいいな!」
『はいはい。リクエスト承りました(笑)』
壁一枚隔てた「あーん」と、公共の電波に乗せた「夕飯のリクエスト」。
私たちは気付いていなかった。
この歪な距離感が、リスナーにとって極上のスパイスになっていることに。
配信も終盤に差し掛かり、私たちは『マシュマロ(質問コーナー)』を読みながら雑談をしていた。
時刻は二十三時。
激しいゲームプレイと、慣れない「オフコラボ偽装工作」の連続で、私の体力は限界に達しつつあった。
『じゃあ次の質問です。「お二人はお互いのことをどう思ってますか? 第一印象と今の印象を教えてください」だそうです』
セラが読み上げる声が、心地よいBGMのように脳に染み渡る。
眠い。
魔王の活動限界が近づいている。
「んぅ……第一印象か……。最初は……融通の利かない、堅物メガネかと思ったな……」
『えっ、メガネなんて掛けてませんよ?』
「あ、いや……心のメガネだ、心の」
危ない。白崎が学校で授業中だけメガネを掛けていることをバラすところだった。
私はあくびを噛み殺しながら続ける。
「今は……そうだな。……意外と、世話焼きで……お節介で……」
『お節介で?』
「……私のこと、ちゃんと見ててくれる……いい奴、かな……むにゃ」
意識が朦朧として、言葉のフィルターが外れていく。
瞼が重い。
マイクの前で、カクン、と首が落ちそうになる。
『……ベルちゃん?』
セラの声が優しくなった。
彼女は察したのだろう。私が限界であることを。
普通ならここで起こすか、配信を切るところだ。
だが、今日の彼女は違った。
『ふふ、魔王様も睡魔には勝てないみたいですね。……よしよし』
ヘッドホンから聞こえる声は、まるで耳元で囁かれているかのようなウィスパーボイス。
いわゆるASMRだ。
それが、私の眠気をさらに加速させる。
「……んぅ……うるさい……子ども扱い、するな……」
『子どもですよ。手のかかる、可愛い子どもです。……今日は頑張りましたね、ベルちゃん』
彼女は、配信を見ている数千人のリスナーに向けてではなく、たった一人――壁の向こうで船を漕いでいる私に向けて、語りかけていた。
『いつも学校……じゃなくて、魔界の公務で忙しいのに、夜遅くまで準備して。私のワガママにも付き合ってくれて。……ありがとう』
その言葉は、温かい毛布のように私を包み込んだ。
私は抗うのをやめ、机に突っ伏した。
「……ん……おやすみ……セラ……」
『はい。おやすみなさい、ベル』
私の寝息(という名の放送事故)がマイクに乗る直前、セラが手際よくエンディング画面へと切り替えた。
『というわけで、今日の魔王討伐クエストは、魔王様の寝落ちにより一時休戦とします! 皆さん、最後まで見守ってくれてありがとうございました。……シーッ、ですよ?』
最後に可愛らしく人差し指を立てる気配を残して、配信は終了した。
◇
……数分後。
私はふと目を覚ました。
配信が終わった静寂の中、PCのファンの音だけが響いている。
「……はっ! 寝てた!?」
やってしまった。配信中にガチ寝落ちとは。
慌てて画面を確認するが、配信は既に終了している。アーカイブ(録画)のコメント欄には、『寝息助かる』『てぇてぇの致死量』『聖母セラ』といった書き込みが溢れていた。
どうやら炎上は免れたらしい。むしろ好感度が上がっている?
「……あいつ、上手く畳んでくれたのか」
私は壁の方を見た。
隣の202号室からは、もう物音はしない。
おそらく、白崎も寝る準備をしているのだろう。
私は迷った末に、壁をコン、と一つ叩いた。
「ありがとう」のつもりだった。
すると。
数秒の間を置いて。
コン、コン。
と、二回叩き返す音が聞こえた。
まるで「どういたしまして」と言うように。あるいは「早く寝なさい」と言うように。
その音があまりにも優しくて、私は不覚にも顔が熱くなるのを感じた。
「……ちっ。調子狂うな、本当に」
私は冷え切った布団に潜り込む。
けれど、壁の向こうに誰かがいるという事実が、異世界での孤独を少しだけ癒やしてくれている気がした。
明日学校で会ったら、どんな顔をすればいいのだろう。
そんな幸福な悩みを抱えながら、魔王は今度こそ深い眠りについたのだった。




