プロローグ「白刃の蓮」
小鳥遊と申します。
本作は、「殺し屋引退後の平穏を壊された男の物語」をテーマにしたアクション・サスペンスです。
今回のプロローグでは、主人公が「死神」と呼ばれた現役時代の最後の仕事を描きました。
平穏を夢見た男が、再び銃を手に取るその理由。
その始まりを、是非読んでいってください。
夜は、音を飲み込む。
雨の降るビルの屋上で、男は風に溶けるように佇んでいた。
その姿に気づく者は誰もいない。気配など、とうの昔に切り落としてきた。
朝倉蓮。
裏社会で「白刃の蓮」と呼ばれた男。
音もなく現れ、音もなく殺し、音もなく消える。
ただの風だ。冷たく、鋭く、そして確実に命を奪う風。
「目標、四階西端のラウンジにて護衛五名。確認した」
耳元のインカムから、くぐもった女の声が届く。
情報屋の槙島だ。いつものように淡々と指示を送ってくる。
「護衛は全員が軍用経験者。うち一人は、処理課崩れだな。慎重に行けよ」
蓮は短く「了解」とだけ返し、足元の排水管を掴んで闇へと溶けた。
降りしきる雨が身体を濡らすが、温度は感じない。
心の熱は、もうとうに捨てた。
ターゲットは、施設に登録すらしなかった独断の裏切り者。
評議会の命令は「抹殺」。
ただそれだけ。理由など知らないし、知りたくもなかった。
──それが、蓮のやり方だった。
窓を破ることなく、足音もなく、四階のバルコニーに辿り着く。
背後に立っていた護衛の男が、何かに気づき振り向くより早く、
「白刃」が喉元を穿つ。
声すら出ない。肉が裂け、血の匂いが鼻をつくが、蓮の眼には何の感情もない。
一人、また一人。
護衛たちの配置も、動きも、既に頭の中に入っている。
薄暗いラウンジの中で、蓮の影が舞い、護衛たちの命が音もなく散っていく。
最後の一人を仕留めた時、蓮はようやく標的の男と向き合った。
脂ぎった中年男。口元に笑みを貼りつかせたまま、蓮を見た。
「お前が、白刃の蓮か。噂通りの死神だな」
「死神に声をかける暇があるなら、祈れ」
「……祈るか。だがな、死神さんよ。お前もいつか、喉元に刃を突き立てられる日が来る。平穏なんて夢だ。俺たちにはな」
そう言って、男は懐から拳銃を抜こうとした。
だが、その動きより速く蓮の短剣が心臓を突き破っていた。
「俺に説教するには、遅すぎたな」
男が崩れ落ち、蓮は静かに白刃を拭った。
窓の外では雨が止んでいた。
インカムの向こうで、槙島の声がする。
「これで、今月の仕事も終わりだな。お前もそろそろ、引退する気はないのか?」
蓮は、夜の街を見下ろしながら呟いた。
「……もう十分だ。次が最後の仕事にする」
「……マジか。じゃあ、最後の依頼は選べよ。せめて、納得いくやつをな」
「そうするさ」
蓮はその夜、本当に「最後の仕事」を選んだ。
そして、その仕事を終えた日、蓮は本当に姿を消した。
だが、男の言葉が脳裏にこびりついていた。
──お前もいつか、喉元に刃を突き立てられる日が来る。
白刃の蓮は、そう遠くない未来に、それが「現実」になるとは知る由もなかった。
お読みいただきありがとうございます!
プロローグ、いかがでしたでしょうか。
蓮の過去と、引退への流れをまずは雰囲気重視で描きました。
次回からは、引退後の平穏な日々、そして彼が再び「死神」として戻らざるを得ないきっかけを描いていきます。
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次回も、どうぞよろしくお願いします。




