真実の夜、崩れゆく塔
満月の夜だった。
それは、あらゆる真実を映す《月鏡》が、最も強く輝く夜。
リオナは、塔の屋上に再び立っていた。
白銀に染まる空の下、冷たい風が彼女の髪をさらう。
その手には、ひとつの巻物――
カイルの魔力痕跡を記録した封書が握られていた。
(あれが偶然ではないなら、あなたは……)
問い詰めたい。
怒りたい。
それでも、胸にあるのは憎しみではなく、苦しみだった。
塔の扉が軋みを上げて開いた。
静かな足音の主――カイルが現れる。
「リオナ……こんな夜に、また観測?」
彼の声は、変わらない。
けれどリオナの目には、もうそれが“演技”にしか見えなかった。
「ええ、少しだけ。“確かめたいこと”があって」
リオナは月の鏡を展開する。
再び現れる、金色の糸。
それは今夜もなお、彼女の胸から、カイルへと真っ直ぐに伸びていた。
カイルもまた、それを見ていた。
だが今回は、微笑まなかった。
「……この糸、本当に見えてるんだよ」
静かに、苦しげに、そう言った。
「俺は最初、君を騙すつもりだった。いや、“今も”その嘘の中にいる。でも……」
彼は懐から、小さな符文石を取り出した。
それは、絆偽装魔術に使う媒体――まさに証拠そのものだった。
「これが、俺の答えだ」
リオナは、ほんの一瞬、目を閉じた。
胸の奥で、なにかが崩れ落ちる音がした。
「じゃあ、やっぱり……全部、嘘だったのね」
「違う。最初は嘘だった。だが……気づいたら、こんな自分でも、君と一緒にいたいって、心から願ってた」
「都合のいい話ね。騙したあとに“好きになった”って言えば、何でも許されると?」
リオナの声が震える。
怒りではない。信じた自分への悔しさと、それでも信じたくなる“弱さ”に対する痛み。
「なら、今夜すべて終わらせましょう。あなたの“嘘”を、月の鏡に晒す」
リオナは、魔導術式を起動する。
塔の上空に、《真偽判定の月鏡》が展開される。
これは、王国でも限られた魔術士しか使えぬ、すべての嘘と真を暴く鏡。
カイルは逃げなかった。
目をそらさず、その光の中に身をさらした。
そして――
光が収束し、鏡が答えを出す。
金色の糸は、偽りではなかった。
本物の絆。偽装では届かない、“心”のつながりだけが映す真実の糸。
リオナの瞳が揺れる。
呆然としたまま、口元が震えた。
「……なぜ……」
「わからない。俺にも、どうしてこうなったかは。でも……君を想う気持ちだけは、本物になってしまった」
風が吹き抜け、塔の結界が一瞬きしむ。
それはまるで、長年積み上げられた“理性”という名の塔が、心の内側から崩れゆくようだった。
リオナは立っていられず、膝をついた。
「私は……ずっと、信じたかった……運命なんて、くだらないと思ってたのに……」
彼女の瞳に、初めて、涙が溢れた。
それは悔しさではなく、哀しみでもなく、愛することの痛みと喜びが混ざった涙だった。
カイルがそっと彼女の前にひざまずく。
「俺は、何者でもない。詐欺師で、嘘つきで、過去もまともじゃない。でも――」
彼は震える手で、そっと彼女の手を取る。
「それでも、君に“本物になりたい”って思わせてくれたのは、君だけだった」
リオナは目を閉じた。
その言葉が、塔のどんな魔術よりも、確かに彼女の心に届いていた。
そして、静かに囁く。
「……なら、その嘘の続き……最後まで責任、取ってもらうわよ」
そのとき、塔の結界が完全に消え、夜空に広がる星々の間に、ひとすじの金色の光が走った。
それは、偽りから始まった“運命”が、ようやく本物へと変わる音だった。