心に宿る、仮初めの灯
それから数日、カイルは塔に留まった。
彼の申し出は“滞在の延長”という形だったが、リオナはそれを咎めなかった。
否――むしろ、彼の存在に慣れていく自分に気づいていた。
「ほら、ここ。文字の編成、間違ってる」
「うわ、本当だ……よく見てますね、リオナさんって」
「魔術式の構文は言語より厳密。命に関わる」
「へえ、じゃあ僕の恋文も命がけで添削してくれます?」
リオナはつい吹き出してしまった。
「……くだらない」
「でも、笑いましたよ」
カイルはにっこりと微笑む。その仕草が、まるで陽だまりのようにあたたかい。
リオナの心の奥――いつも冷えていた場所に、何かがじわりと溶け込んでいくのを感じていた。
ある夜、二人は塔の屋上で星を眺めていた。
リオナは問うた。
「カイル。あなた、本当に“糸”が見えたのね?」
「……ああ、あれは見えた」
「じゃあ、あなたも運命だと感じてる?」
「“運命”なんて、あまり信じてこなかった。でも……」
カイルは言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「……君と出会ってから、今までの自分が嘘だったように感じるんだ」
嘘だった。
いや、嘘そのものだ。
カイルの本当の名はカイルではない。
偽名、偽装、偽の絆。
すべてが計算され、魔術的に仕込まれた罠。
だが――
なぜか今、目の前にいるリオナだけには、嘘が通じてほしくなかった。
彼女のまっすぐな瞳。
理論と感情がぶつかり合う、その不器用な誠実さ。
そんな彼女を騙すことが、次第に苦しくなっていた。
(どうして俺は、まだここにいる?)
いつでも立ち去れたはずだった。
盗んでもよかった。
だが、カイルはまだ彼女の塔にいて、今日も夕食をともにし、明日も話すことを楽しみにしている。
「……あなた、妙に慣れてるのよね。人との距離の詰め方」
「仕事柄、ね」
「どんな仕事?」
「……色々とね。真っ直ぐな世界じゃないさ」
リオナはそれ以上問わなかった。
問いただせば、彼が消えることをどこかで感じていたからだ。
だから彼女は、そっと目を閉じた。
月の光を感じながら、心の中でひとつだけ願った。
――たとえ仮初めでもいい。
――このぬくもりが、少しでも続きますように。
知らず知らず、ふたりの心に仮初めの灯が灯っていた。
それが偽りか、真実かはまだわからない。
ただ、確かなのは――
その灯が、今はまだ優しく揺れているということだった。