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欲の虫  作者: 久芳 流
第2章
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第9話 拘束と証明

 事件というものは脈略もなく突然起こる。


 一戸建てのリビングはごく普通の空間だった。

 4人座りのテーブルには豪勢な料理が並べられ、床には子供用のおもちゃが散らばっていた。

 いつもの平和な夕飯時。

 楽しい団欒がこれから繰り広げられるはずだった。




 ――なのに。




 堪えるような笑い声。

 すすり泣くような音。

 定期的に聞こえてくるうめき声。

 そして食器がぶつかり合う音と咀嚼音。


 テーブルと合った木製の椅子や折り畳みの椅子が何脚か倒れていた。

 和室とリビングの間のふすまから二人の男女の足が重なって見えた。

 高校の制服のスカートを着た姉の足とその上に重なるように乗った父親の足だ。

 そして、その前に包丁を持った母が立っていた。


 母は頬が紅潮し目からは大粒の涙を流していた。

 ふすまの溝には血の川が流れ、父親の腰がふすまから見え隠れしている。


「う……あ……」


 吐息交じりのうめき声を聞いた瞬間、母親は包丁を父親の背中目掛けて――。




 何もしなかった。ただ茫然と、何もせず。絶えず口に物を運びながら。


 この有り得るはずがなかった光景をじっと観ているだけだった。


 うめき声はすすり泣きに。


 父が絶命したとわかると、彼女は背中から刃物を抜き、そしてリビングで真っ青な顔をして絶えず食事をしている少年の方を振り返った。

 母は少年を少し見つめた後、ぎこちない手つきで包丁を自らの首に向けると、大粒の涙を浮かべながら斬りつけた。

 吹き出した血はテーブルに置いてある豪勢な食事に降りかかり、彼女は音もなく倒れ絶命した。


 その瞬間、誰かの堪えた笑いが決壊し部屋中に木霊した。


 近くから獣の咆哮のような唸りが聞こえ――、

 姉の微笑みが目に焼き付き――、

 彼はひどく――――興奮した。


★★★


 ゆっくりと目を開けると、目の前には白い扉があった。


(またこれか)


 灰枝新は気だるげにそう思った。

 倉庫の時と同様に、椅子に座らされ鉄の鎖で胴体が巻かれていた。

 後ろ手に手錠を嵌められ、更に足も椅子の足と繋がっていた。


 違うところといえば倉庫よりも狭いが、明るく清潔感のある部屋であること。

 そして新の口元がハーフマスクで拘束されていた。

 少しは開くが、大きく口を開けることはできない。


「ふぅー……」


 新はため息を吐くと、動ける範囲で辺りを見渡した。

 拘束はされてはいるが、部屋の様相は牢屋のようで牢屋ではない。

 どちらかと言えば個人専用の医務室だ、と新は思った。

 だがここには窓はなくどこだかわからない。


 おまけに、腹の虫はご健在のようだ。

 自分の気持ちとは裏腹に腹が鳴る。

 記憶にある一連の出来事が夢ではなかったことに新はもう一度ため息を吐いた。


「起きたようね」


 そんなことを考えていると、目の前のスライド式の扉が音を立てて開いた。

 入ってきたのは進藤才とスーツ姿の屈強な男だった。

 才はアルミ製のプレートを両手で持っていた。


「調子はどう?」


「最悪です」


「大丈夫そうね」


 才はそう言うと、サイドテーブルにプレートを置いた。

 見るとプレートには野菜炒めやご飯、それにゼリー飲料や数種類のカプセル剤のようなものが置かれていた。

 出来立てなのか湯気が漂っていて匂いも伝わってきた。


 だが、新はそんな食事を一瞥すると、すぐに才を見る。


「ここはいったい……?」


「公安が保有する容疑者用の医務室。

 逮捕される直前に大怪我を負った場合、搬送されるの」


「…………ってことはやっぱり逮捕ですか?」


「まさか。前も言ったでしょ。あれは正当防衛。

 榊原を殺してしまったのは事故みたいなものよ。

 ――とりあえずご飯、食べられるわよね」


「!? 才ッ!」


 扉前に立つ男が叫ぶ。

 だが止める間もなく、才は新に近づいた。

 新のマスクを外そうと、マスクを持ちもう片方の手を新の後ろに回し始める。


 瞬間、才の美味なる香りを嗅ぎ取った新は、


「――グアァァアッ!」


 無意識に捕食しようと口を大きく開けようとした。

 だが拘束具が新の全てを止める。

 乱暴に金属音が鳴り響いた。

 才は冷静に後退する。


「あ、いや、これは違くて……!」


 理性を取り戻した新はすぐに弁明しようとするが、


「気にしなくていいわ。想定内だから」


 と才は後ろを振り返った。


「これでわかった?

 彼は摂取者が近づかなければ危険じゃない」


 扉の前に立っていた男に説明するかのような態度。

 だが、男は顔を真っ赤にして怒りの表情で才に近づいた。


「才! お前はいつもいつも!

 危険だっていうのがわからないのか!?」


「彼は拘束具をしているじゃない」


「拘束具が外れる可能性だってあったんだぞ!」


「けれど彼の安全性を証明するにはこれしかないじゃない?」


 そう言うと才は、唖然としている新の方を振り向き、


「新くん、彼は進藤警(しんどうけい)

 私が所属する『公安特異伍課』のトップ――つまり課長よ」


 と男のことを紹介した。

 警は未だ才を睨んでいたが、諦めたようにため息を吐き、


「進藤警だ。よろしく、灰枝新くん」


 と新に挨拶をする。


(進藤……?)


 と新の頭には過ったが、先ほどの喧嘩に圧倒されて「はぁ……」と会釈する。


「何か聞きたそうね?」


 新の訝しげな表情を見て何かを察した才が腕を組みつつ冷静にそう聞くと、


「進藤って……あ、いや、それよりも証明って?」


 と新は戸惑いながらも質問する。


 なんとなくそっちの方が自分にとっては重要そうに感じた。

 今のやり取りを見ていたら、彼らが兄妹だということは明らかだったし。


「あぁ。そっちね」


 才はため息を吐くと、新の方を真っ直ぐ見た。


「それはね。灰枝新くんの駆除命令が下されたのよ」

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