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チンクエチェントに乗って

作者: 星賀勇一郎





 タツキは肩の雨粒を払いながら俺のチンクエチェントに乗り込んできた。


「すまんな……。ややこしい事頼んで……」


 俺の顔を見る前にタツキはそう言った。

 昔からタツキが頼み事を俺にしてくる時は決まって「ややこしい」時で、それ以外の頼み事は他の誰かにしていたようだ。


「別に暇だから良いけどさ……」


 俺はウインカーを出して車を走らせた。


「何処へ行けばいい……」


 タツキは俺の横で大事そうに紙袋を抱えたまま窓の外を見ていた。


「何処へ行けば……」


 俺は再びタツキに訊こうとした。

 それに被せる様にタツキは「西へ……」と返してきた。


 タツキとは一昨年の年末に忘年会と称して二人で飲んだのが最後で、久しぶりの再会だった。

 あの時と比べると髪を短く切り、サングラスをかけているせいもあり、少し若返って見えた。


 車は高速に乗り、夕方の混んだ道を走っては止まりを繰り返した。


「車買ったんだな……」


 タツキは窓の外を見たまま言う。


「ああ、念願のフィアットだ。欲しかったんだよ……」


 俺は無意識にハンドルをポンポンと叩いた。

 しかし、横に座るタツキにはそこまでの興味は無さそうで、じっと窓の外を見つめていた。


「突然の連絡でびっくりしたよ……。なんかあったのか……」


 聞かないでおこうと決めてたのだが、話す事も無く、つい訊いてしまった。


 少し様子もおかしく、タツキに何かあった事は間違いなさそうだったが、俺はそれ以上訊くのをやめた。


 車は渋滞を抜け、アクセルが踏み込める程になって来た。


「何処に向かう……。西って言っても、このままだと九州まで行ってしまうぞ」


 俺は冗談交じりにタツキに行った。

 するとタツキは大事そうに抱えていた紙袋を後部座席の足元に置いて、俺の顔をじっと見つめた。


「九州か……それもいいな……」


 タツキの笑顔には力が無い様な気がした。


「何だよ、どうしたんだ……。アスカちゃんと喧嘩でもしたのか」


 アスカちゃんはもうタツキが数年付き合っている彼女で、今も一緒に暮らしている筈だった。

 タツキは頬杖を突いてまた窓の外を見た。


「アスカか……。アイツは少し前に出て行ったよ……」


「えっ……」


 俺は驚いてタツキを見た。


「危ないから、前見て」


 タツキは前を指差して言った。


 俺は言われるがままに前を向いて、ハンドルを握り直した。


「おいおい、聞いてないぞ、そんな事」


 俺はETCの料金ゲートに車を突っ込み、ゲートが上がるとまたアクセルを踏み込んだ。


「誰にも言ってないからな……」


 タツキは唇の端を歪めながらそう言う。


「何で別れたんだよ。あんなに良い子だったのに……」


 タツキは答えずに窓の外を見つめている。


 午後から降り出した雨はこの時、もう上がっていた。






 どこまで走ればいいのか分からないまま、俺はサービスエリアに入った。

 飲み物が欲しくなったからだった。


「何かいるか」


 俺はタツキに訊いた。


「お茶とおにぎり、それにコーヒーを頼む」


 タツキはジーパンのポケットからクシャクシャの千円札を出して俺に渡した。


 普通は一緒に行くだろう……。


 そう思ったが、俺は何も言わずに金を受け取ってドアを閉めた。

 最近のサービスエリアにはコンビニがそのまま入っているところも多く、俺はそのコンビニでいつも買うモノとタツキに頼まれたモノを籠に放り込んでレジで支払いを済ませた。


 車に戻ると、タツキは車の傍でタバコを吸っていた。

 俺の姿に気付いたのか、タツキは手に持ったタバコを俺に見せる。


「灰皿がなかったんでな……禁煙車か」


 俺は律儀なタツキに微笑んでドアを開けた。


「別にいいよ。中で吸っても……」


 そう言って車に乗り込んだ。

 コンビニで買ってきたモノを袋から出してダッシュボードの上に並べているとタツキがタバコを消して乗り込んでくる。


「お前が初めて買った車でタバコ吸って、鬼の形相で怒られた事あったな」


 俺はタツキにおにぎりを渡しながら言う。


「ああ、六十回払いで買ったソアラな。禁煙車だって言ってなかった俺が悪いんだけどな」


 タツキはお茶をドリンクホルダーに立てた。


「この車も別に禁煙車じゃないよ。いまどき車でタバコ吸えなきゃ、どこで吸うんだって時代だからな……」


 俺は後部座席のドリンクホルダーに差しておいた灰皿を取り、タツキに見せて元に戻した。


「ユウヤもショウジもシンタロウもタバコは止めたそうだ……。会社も禁煙らしい。子供も出来て、家でも外に出て吸う。そんな生活するなら止めてしまおうってな感じでさ」


 俺は缶コーヒーを開けて一口飲むと、ドリンクホルダーに立て、車を走らせた。


 タツキはおにぎりを開けて引き千切る様に食っていた。


「時代は変わったな……」


 タツキの微笑んだ顔にはやはり力が無い様に見えた。


「最初にタバコ吸ったのはショウジだったかな……」


「ああ、ショウジの部屋に行った時にマルボロのメンソールが置いてあった。それが俺たちには衝撃だったな」


 車はサービスエリアを抜けて本線に合流した。


「アイツのせいだ。俺たちが今、タバコ吸ってるのは……」


 タツキはおにぎりで口の中をいっぱいにして言う。

 別にショウジのせいだとも言えないのだろうが、中学生でタバコを吸い出したのはショウジのせいかもしれない。







「本当に九州までいくのか……」


 俺はトイレ休憩に入ったサービスエリアでタツキに訊いた。

 一つ間を開けて小便をするタツキは俺の方を見て苦笑した。


「嫌ならその辺で降ろしてくれてもいい」


 タツキの言葉に冗談めいたモノがなかった。

 タツキは九州まで行くつもりなのだろう。


「お前が行くのなら付き合うよ……」


 タツキの顔も見ずに手を洗いながらそう言って、先にトイレを出た。

 そして背伸びをした。

 もう三時間程車を走らせっぱなしだった。


「運転、代わろうか……」


 タツキはそんな俺を見て言った。


「いや、もう少し俺が運転するよ。限界が来たら言うから……」


 俺は自販機に小銭を入れて冷えた缶コーヒーを買い、それをタツキに投げた。

 タツキは上手く受け取ると俺に礼を言った。


 車に乗り込みエンジンをかけると俺はガソリンを入れる事をタツキに伝える。

 タツキはポケットからクシャクシャの一万円札を出して俺に渡す。


「すまんな。コレ、使ってくれ……」


 俺はその一万円札を押し返した。


「ガス代くらいいいよ。後で飯おごってくれよ」


 俺の言葉にタツキは微笑んで頷く。


 サービスエリアの外れにあるガソリンスタンドに車を入れて窓を開ける。

 つなぎ姿の店員が走ってきて頭を下げる。


「ハイオク満タンで」


 俺はそう言ってカードを渡した。

 店員は手際よくガソリンを入れ、窓ガラスを拭いた。

 そしてカードと伝票を持ってやってくる。

 俺はその伝票にサインをして店員に返すと、エンジンをかけた。

 そして俺のチンクエチェントは本線へと滑り出した。


「お前と二人でドライブ……。昔よく行ったな」


 俺は頬杖を突いているタツキに言った。


「ああ、夜中に自由に出歩けるヤツなんてお前くらいしかいなかったからな」


 タツキはカーナビの画面に触れて音楽を流した。


「お前の車で聴く音楽がマニアック過ぎてさ、いつも辛かったよ」


「そうだったな、お前、これ、誰の曲、何て曲ってずっと訊いてたもんな」


 タツキはボリュームを上げる。

 車の中にはジョニ・ミッチェルが流れ出した。


「難しい曲聴くのは変わってないんだな」


 タツキは俺の顔を見て笑っていた。


「何か無いのかよ……、尾崎豊とかさ……」


 タツキはカーナビを触り始めた。


「あ、あるよ……」


 俺はタツキの手を払い除けて、尾崎豊のフォルダを選択した。

 タツキは納得したかの様にシートに体を預ける。


「お前、好きだったモンな……。尾崎」


「ん、ああ……。昔は良く聴いたな」


 タツキは後部座席の灰皿を取って、ドリンクフォルダに立て、タバコを咥えた。

 俺はサンルーフを少し空かして、俺も胸のポケットからタバコを出した。

 何故か尾崎豊を聴くとタバコが吸いたくなる。

 昔、タツキとそんな話をした事を思い出した。

 明け方の海を見ながら二人で尾崎を聴いてタバコを吹かした。


「シェリーとロザーナのどっちを恋人にしたいかなんて話もしたな……」


「俺がシェリーでお前がロザーナだった」


 俺は懐かしくて鼻の奥がツンとした。


「今でもシェリーか……」


 その言葉にタツキは俺をじっと見た。


「何だよ……」


「いや、今、俺もお前にそう訊こうとしてた……」


 その言葉を聞いて二人で声を出して笑った。







「腹減ったな……。次のサービスエリアで何か食おう……」


 俺は腕時計を見た。

 時間は夜の十一時を回っていた。

 タツキはその言葉に体を起こして返事をした。


「ここはどの辺りなんだ……」


 俺はカーナビを見て、タバコを咥えた。


「広島だな。広島って何が美味いんだろ」


「もみじ饅頭しか思い浮かばん」


「晩飯に、もみじ饅頭ってのもな」


 俺はカーナビを見て微笑んだ。


「あと十五キロくらいだ。まあ、なにかあるだろう……」


 そう言ってアクセルを踏み込んだ。

 すぐにサービスエリアに着いて、俺たちは車を降りた。

 レストランは既に営業時間外で、仕方なく食券を買って、二人で尾道ラーメンを食べた。


「背脂が多いな……」


 そう言う俺にタツキはクスクスと笑った。


「ラーメンに関してうるさいのは変わらないな」


 タツキは箸の先で俺を差して続ける。


「お前がいろいろ言うから、高校の時入ったラーメン屋追い出されたの覚えてるか」


 俺はラーメンを食いながら苦笑した。


「ああ、覚えてるよ。ハリガネって注文したのに麺が柔らかくてな」


 タツキは仰け反って笑った。


「あの時、追い出されて、シンタロウが金払わなくて良かったって一人喜んでたんだよな」


「そうそう。そんなに美味くもなかったしな」


「それ、あん時も同じ事言ってた」


 俺とタツキは声を出して笑いながら、周囲を見た。

 眠そうな長距離トラックのドライバーたちが俺たちを睨む様に見ている。


「食おうか……」


 俺は冷静になり、タツキに言った。

 タツキも素直に頷いてラーメンをすすった。


 ラーメンを食い終えて食器を返すと外に出て、南の方を見た。

 このサービスエリアからは海が見えると言うのだが、暗くて何も見えなかった。


「何にも見えないな……」


 俺はタバコを咥えて火をつけた。


「真っ暗だな……」


 タツキもタバコを咥えた。

 二人のタバコの煙は夜の空へと溶けて行く。


「お前、九州に何かあるのか……」


 俺はタバコを咥えたままタツキに訊いた。


「そうだな……。何があるんだろうな……」


 タツキは神戸生まれの神戸育ち。

 親類が九州にいるなんて話も聞いた事はなかった。

 タツキの言葉に俺はそれ以上訊くのを止めた。

 






 深夜の高速は思った以上に明かりが無い。

 俺はライトをハイとローに切り替えながらアクセルを踏み込んだ。


「そう言えばお前が付き合ってた亜沙子、この間、駅で偶然会ってな」


 タツキはゆっくりと俺の方を振り返った。


「亜沙子……。あのおっぱい大きな子か」


「そうそう。今も大きかったよ」


 下らない話は笑いを呼ぶ。

 俺はタツキと笑っている事が今は一番楽しかった。


「何か、離婚して実家に戻って来たらしい」


 タツキはドリンクホルダーの缶コーヒーを取って飲んだ。


「亜沙子か、懐かしいな……」


 タツキは缶コーヒーをドリンクホルダーに戻した。


「もう一回、あのおっぱい触りたかったな……」


 そう言って嫌らしく笑う。


「頼めば触れるんじゃないか」


 俺も調子に乗って何の根拠もない事を言う。

 それが男同士の会話の基本だった。


「俺さ……」


 タツキは窓の外に視線をやりながら話し出す。


「亜沙子とセックスするとき、アイツのおっぱい一回も触らなかったんだよな」


「何で……」


 俺も缶コーヒーを取って飲んだ。


「何かさ、おっぱいが大きい子とセックスする時ってさ、そのおっぱい触ってしまうと負けた気になってさ」


 俺はクスクスと笑った。

 そしてタツキの方を見た。

 タツキもこっちを向いてて、顔を見合わせて笑った。


「馬鹿なんじゃねぇか」


 俺は笑いながらタツキに言う。


「俺もそう思う」


 タツキは体を揺すりながら笑った。

 その笑いはその後十分くらい続いた。


「お前と一回だけ女、取り合った事あったよな」


 タツキは突然話を振って来た。


 タツキと女を取り合う……。

 そんな事あったかな……。


「そんな事あったか……」


「覚えてないか」


 俺は首を傾げた。

 正直覚えていないし、タツキと真面目に取り合いしても勝てる筈もない。


「川谷美咲……」


 その名前は覚えていた。

 しかし、俺は川谷美咲を好きになった事もないし、コクった覚えもない。


「川谷美咲って子がいたのは覚えてるけど、お前と取り合いした事は無いぞ……」


 タツキも首を捻って考えていた。


 川谷美咲。

 確かソフトボール部でピッチャーをやっていた。

 ショートカットで日に焼けて真っ黒だった。

 そんな記憶はあった。

 しかし、俺はその子をタツキと取り合いした記憶はない。


「ああ、そうか……。思い出したよ」


 タツキはタバコを咥えて窓を少し開けた。


「実はさ、俺、川谷が好きでさ。俺から彼女にコクったんだよ」


 俺は黙ってタツキの昔話を聞いた。


「そしたらさ、川谷はお前の事が好きだから付き合えないって言うんだよ」


 俺は初耳だった。

 思わずそれを聞いてタツキの方を向いた。


「ほら、前見て運転しろ……」


「あ、はい……」


 俺はしっかりと前を見てハンドルを握り直した。


「結局俺は、お前には勝てないって思った瞬間だったな……」


 タツキが俺の事をそんな風に思っていた事に俺は驚いた。


「後にも先にも、高校時代に俺がコクったのはその川谷一人で、後は全部向こうからコクられて付き合ったヤツばっかだもんな……」


 知り合った頃から女に人気のあるタツキだった。

 俺は何度もタツキになりたいって思った。

 そんな事を思い出した。


「俺は、真剣にお前になりたいって思ったよ」


 タツキは静かにそう言った。


 俺はお前になりたかった……。


 そう言おうとしたが止めた。






 関門海峡が見えるパーキングエリアまでやって来た。

 九州に入る前にそこ車を入れる。

 何故かこのパーキングエリアに入らないといけない気がしたのだった。


 二人で車を降りて、目の前に広がる関門海峡を見つめていた。

 傍に停めた俺のチンクエチェントはエンジンをチッチッと鳴らして、その熱を冷ましているようだった。


 タツキは自販機で缶コーヒーを買って俺に渡した。

 俺は礼を言ってその缶コーヒーを開ける。


「俺さ、お前に言ってなかった事があるんだ」


 俺はタツキの顔を一度見たが、その視線を再び関門海峡に戻した。


「何だよ……」


 風が強く、前髪が目を刺す。

 俺は髪を掻き上げてコーヒーを飲んだ。


「実は俺、一年くらい前からヤクザになった」


 正直、驚いたが平然を装った。


「そうか……。生きていると色々あるからな……」


 タツキは続ける。


「それが原因でアスカは出て行った……」


 俺は黙って頷く。


 タツキも缶コーヒーを開けて、手摺に肘を突いた。


「昨日、市内でヤクザの組員が襲撃されたって事件あっただろ……」


 昨日、俺はニュースも見ていない。

 そんな事に今気付いた。


「知らないな……。昨日はニュースも見てないから……」


 タツキは俺を見て苦笑した。


「あれ、俺なんだよ……。俺が敵対する組の事務所を襲撃したんだ……」


 俺はタツキの話に驚きもせず、頷いた。


「そうか……」


 俺の中ではタツキは昔のタツキでしかなく、ヤクザのタツキなんて一ミリも存在しなかった。


「で、ちゃんと仕事は出来たのか……」


「いや……。失敗した……。窓ガラスを二枚割ったのと、そのガラスでチンピラが手を切っただけだったそうだ……」


 俺はタツキの横顔をじっと見た。


「何やってんだよ……」


 俺は缶コーヒーを強く握りしめていた。

 その手が震える。

 どうしようもなく震えた。


「兄貴分から連絡があってな……。九州のオジキのところにしばらく身を隠せって命令されたんだ……」


 タツキは空を仰いだ。

 そして優しい表情で微笑んだ。


「多分、俺は殺される……」


 俺はそのタツキの言葉で手の震えが止まった。


「おい……。お前、殺されに九州に行くって事か。冗談じゃないぞ、お前……」


 俺は声を荒げて言った。

 その言葉をタツキの言葉が遮った。


「仕方ないんだよ……」


 俺はじっとタツキの顔を見た。


「仕方ないんだよ……」


 俺は奥歯をかみしめながら関門海峡を見た。

 海に浮かぶ明かりが滲んで見える。

 その滲んだ明かりがゆらゆらと揺れ始めた。


「最後にお前に会いたくなってさ、思わず連絡した……。迷惑なのはわかっているんだ。それでもお前に会いたくて……」


 俺はタツキの顔も見ずに吐き捨てる様に言った。


「何で俺なんだよ……」


 そしてその言葉を吐いた時に我に返った。

 もし俺が今のタツキと同じ立場だったら……。

 俺もタツキに会いたいと思う筈だ……。


「アスカちゃんには会わなかったのか……」


 タツキは首を横に振った。


「アスカは、もう俺の顔なんて見たくもない筈だ……」


 俺はそれに頷くしかなかった。


「すまん。今の話は全部聞かなかった事にしてくれ……。お前は俺に九州まで一緒に行こうと誘われてやって来た……。そうしてくれ」


 タツキはそう言うとゆっくりと空き缶を捨てに自販機の傍まで歩いた。


 タツキ……。


 俺はタツキの背中に声を掛けようとしたが、その声は出なかった。






 昔、一度だけタツキと喧嘩をした事があった。

 原因なんてつまらない事で、もう覚えてもいない。

 突然始まった俺とタツキの喧嘩にユウヤもショウジもシンタロウも呆然として止めに入るのも忘れていた。

 学校の近くにある公園で、突然タツキは俺に掴みかかってきた。

 俺もそうなる事を無意識に分かっていたのだろう、タツキを思い切り殴りつけた。

 不思議とその時の感覚は今も忘れていない。


 もちろんユウヤたちに止められて、その喧嘩はすぐに終わったのだが、今、考えてみるとその時、俺は確信していた。

 何があってもこのタツキとはいつまでも友達でいるのだろうという事を……。






 チンクエチェントの重いドアを閉めた。

 タツキは後部座席の足元に置いた紙袋を取り膝の上に置いた。

 そして中から一万円札の束を取り出した。


「五百万ある……」


 その束を俺に見せた。


「ここまで連れてきてくれたお礼だ……」


 タツキは静かにそう言った。


 俺はそのタツキの顔を見る事は出来なかった。


「お前……。また殴られたいのか……」


 タツキも昔俺と殴り合いの喧嘩をした事を思い出したのだろう。

 俯いてクスリと笑った。


「そうだったな……」


 タツキはそう言うと、その紙袋の中から黒く光る拳銃を出して、ジーパンの腹に挟み込んだ。

 そして紙袋を、また後部座席の足元に戻した。


「金はアスカに渡してくれ……。アスカが受け取らなかったら、その時はお前が持っててくれ。俺が戻るまで……」


 俺は黙ったままチンクエチェントを走らせる。

 関門橋を渡ると直ぐに門司に到着する。

 門司港駅前までタツキを連れて行くことになっていた。

 そこに九州のヤクザがタツキを迎えに来ているらしい。


 俺は滲む関門橋の明かりを睨みつける様にしてハンドルを握っていた。

 手に汗が滲む。

 革の巻かれたハンドルが滑るのを感じた。

 すぐに短い関門橋を渡り、インターを降りた。


 その駅はレトロな造りの駅で有名な駅だった。


 俺はゆっくりとチンクエチェントを停め、サイドブレーキを引く。


 少し離れたところに黒塗りの高級車が停まっているのが見えた。


 タツキ……。


 タツキの名前を呼ぶと、すべてが終わってしまいそうな気がして、声が出なかった。


「アキラ……」


 タツキが俺の名前を呼んだ。

 俺は顔を上げる。

 タツキが俺の名前を呼んだ記憶なんてどこにもなかった。

 俺は我に返った。

 そしてその瞬間、俺の目からは涙がこぼれた。


「タツキ……。俺はお前に言いたい事が山ほどある。ここまでの道のりじゃ足らない程に……。良いか、必ず戻ってこい。そして俺の言いたい事を何年かかっても聞け」


 もっともっとタツキに言いたいことはあった。

 しかし俺はそれだけ言うのが精一杯だった。


 タツキは俺に満面の笑みで微笑んだ。


「アキラ。俺もお前に言いたいことがある……」


 タツキは笑っていた。

 昔のタツキと同じ顔で。


「俺はお前に出会えて良かったよ……」


 タツキはそう言うとドアを開けて歩き出した。








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