6
「……そんな、はず、ない」
だって。
霧子の小さな口が言の葉を探し、縦に横に動く。そこから続く言葉は、霧子は飲み込んでしまった。
「なぜだか知らんが、黒魔女の恋人の魂が俺の中に入っているらしい。昔から度々意味の分からない夢を見て、魘されてきた。黒魔女の恋人だとは言ったが、正しくは俺の中にいる魂だ」
苦々しげに、ソルは畳を睨む。
「逢いに来てと夢で訴えかけてくるから、ようやく国を渡る許可を貰って逢いに行ってやったんだ。そうして、魔女を見つけた。ヤツに話しかけていたら、目を開けたんだ」
「……師匠が、生き返ったと?」
「多分な。忌々しいことに、魂が俺と共鳴してきて、黒魔女を愛おしいと思ってしまう。あまりにも不愉快だ!」
ソルが畳に拳を落とした。畳目が凹んで歪む。ルキウスが咎めるためか慰めるためか、唇を噛み締め震える肩に手を置く。繰り広げられる光景に、ベルは青ざめ口に手を当て耐えていた。
「なにが望みだと聞いてやれば、弟子を連れて来いだと!なぜ俺がこんなことを……!フォスとかいうやつ、勝手にいいと言いやがって!」
「フォス……」
聞き覚えのある名前なのか、霧子は唇を震わせる。
「お主の中に、フォスの魂が?」
ソルが頷くのを見た霧子の瞳に、炎が宿った。潤子は師匠の黒瑪瑙が、ほの暗く揺らいだのを見てしまった。静かな怒りと、内包された複数の感情にチリチリと空気がヒリつく。
「フォスは、お主の中で、なんと?」
「ただずっと、……黒魔女を愛していると、会いたかったと言っていた」
霧子から風が巻き起こり、襖が敷居から外れ壁にぶつかる。縁が角に当たったものがあり、バキリと割れた。黒瑪瑙の瞳に、墨汁が垂らされじんわりと光が失われていった。
「どの口が……どの口がッ……!!」
卓がソル目掛けて吹き飛び、ルキウスがたたき落とした。応急処置をしていた額から血が流れる。
背と頭に糸を付けられ、上から引っ張られた人形のように師匠が立ち上がる。力無く俯いていた首が緩慢にもたげられた。
「……やはり、放っておかなければよかった」
殺しておけばよかったと、師匠は言っているのだ。理解した潤子は止めねばと脳で警鐘が鳴る。
怒りから殺意に空気が塗り変わっていく。正当な魔女の弟子の魔力は、暴力に近い。威圧され重力がかかり、三人の顔色は血の気が引いていた。ソルの傷口も開いたのか、衣に赤が滲んでいた。
「……ま、て。魔女から、言付け、が」
「要らない」
「頼まれ、て」
「要らない!」
子供の駄々に近い拒否の仕方。
ババ様と呼びたいのに、喉が閉まる。いつもの症状だ。こんな時にと頭を振るが、声は出ない。
「約束を、と」
掠れながらも音になった単語は、師匠には意味のあるものだったようだ。 渦巻く暴風が熱源を絶たれたのかピタリと止んだ。
やくそくと微かに師匠の口が動き、一呼吸置いて黒瑪瑙から溶けた大粒の雫が伝った。
「約束、ししょうが」
「ああ……待たせた、とも言っていたな」
かふりとソルが咳き込む。糸が切れ、黒い丸い頭が天井を見上げた。やっとだと、独り言が落ちる。沈黙になり、どうしたものかと浮かせていた尻を上げると、師匠はやっと動きを見せた。閉じていた瞼が開かれた先には、光る黒瑪瑙。
「分かった。事付けありがとう」
笑う師匠は、潤子の知る顔だった。乱れた黒髪を整えると、どっかりあぐらをかいた。
「すまんのう、取り乱してしもうた。許しておくれ。ああ、傷口が開いてしまったな、手当しよう」
「……あ、ああ」
「潤子、包帯と薬を」
「は、はい、ババ様」
師匠に指示されたものを運び、三人に治療を施す。展開についていけない中、高い声だけは通常運転に戻っていた。これで良しと包帯を巻き終わったソルの頭を軽く叩くと、師匠は咳払いをした。おいと非難したソルの声は被せられ消えた。
「どれ、痛みを和らげてやろう」
慈悲深い微笑みを浮かべ、師匠は息を吸い込む。柔らかい少女の声帯が、祝福を、と三人に歌を降らせる。傷口が光り、蛍にも似た光の玉が姿をみせる。玉は師匠の周りを飛んで、その小さな体に吸い込まれていった。
「どうじゃ」
「痛みが、なくなった」
「そうかそうか。なら、良かったわい」
「ありがとうございます、魔女さま!」
兄の顔色が良くなったのを見て、ベルは抱きつかんばかりの勢いで師匠に感謝した。虚をつかれた師匠は面食らった表情をしたが、そうかと頷く。
「少し考えたいことがある。ワシが行くかは明日伝えるので、今日は泊まっていきなさい」
立ち上がり、どこかへと向かう背中に潤子は待ったをかけた。
「ババ様、お待ちください」
「……居なくなったりせんよ」
「それは分かりました。そうではなく、どこかに行かれる前に、ここの片付けが先です」
え、と固まる師匠に、誰が散らかしましたかとじっとり見てやれば、しょんぼりとワシですと返事がかえってきた。
次はやっとBがLする