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男二人の小競り合いは、ベルの煩いの一言で収まった。
無理やり乗り込んできた、望まぬ客人たちとの帰路が終わりに近づく。霧が晴れ、潤子の住処が見えてきた。
背の高い木々が島をぐるりと囲んでいる。それなりの大きさの島は、霧と木が守っていた。
島は岩肌が見えており、一箇所以外は船での乗り降りな不可能だ。船頭は迷うことなく僅かな岸へと舟を着けた。
島に降り立つと、微かに耳に歌が響く。柔らかく高い音が島に漂っていた。温かい雫が染み込むような、師匠の優しい歌。
「……歌、か?」
「ババ様が、歌っているのです」
今日は何日かに一度の、島に護り歌を施す日だ。
歌声の方へと歩き出すと、つられて足音がついてきた。木々を抜けると、平屋と店が並ぶ開けた場所に出た。さらに奥に、石階段と木の門が見える。祈り場は、この先だ。
「おや、潤子様。おかえりなさい」
「お客人かい、いらっしゃい。綺麗な人達だねぇ」
「潤子さまー!飴ちょうだい!」
潤子様、潤子様と、歩を進める度島人達は笑顔で声をかけてきた。
島人の髪色は皆揃って黒。異質であるはずの金の髪の彼らに、島人は警戒せず穏やかだ。潤子が連れているので、問題ないと判断しているらしい。いつも懐いてくれている少年も、普段通りトコトコと近づいて、潤子の手を引っ張った。
気の良い彼彼女らが潤子は好きだが、なかなか複雑な気持ちである。
「ごめんなさい。飴は後でもいいですか?ババ様へのお客人をご案内してるのです」
「えー」
「それに、お昼ご飯の前でしょう。母様に怒られますよ」
腰を落とし、少年に目線を合わせる。あとで必ず飴をあげますからと言えば、目が輝いた。頬を紅潮させ、大きく頷く。約束だと笑い、少年は走っていった。
「……みんな、黒髪だ」
「そうですね」
「黒の国には、ほとんど黒を持つ者はいないと聞いている。実際、いなかった」
「……」
ソルの疑問を、潤子は黙殺する。答える意思がないと察したのか、それ以上は続かなかった。流石に魔女の領域と強く感じる場で、騒ぐ気にはならなかったらしい。
石階段に差し掛かり、歌声が体を包む。毛羽立っていた感情が、撫でられ落ち着いていく。
上に辿り着いて門を押し開くと、歌声が門から飛び出すように広がる。島中に降り注ぐ歌に、島人たちは喜びにさざめいていた。
木の小さな小屋の引き戸が開かれる。木の階段付きのそこが、祈り場だ。
年嵩の声の中に、一人あからさまに違う声質が混ざっている。
「今日のワシの歌、どうじゃった?」
「心が洗われるようでしたぞ」
「流石ババ様じゃ」
「ほれババ様、足元気をつけなされ。また転げ落ちるぞい」
「またとはなんじゃ!たった一回しか転げ落ちてないわい!」
まぁでも手を借りようかのと、幼子の声が響いた。
祈り場から出てきた島の主を見た客人たちは、息を飲む。
「彼女が、黒魔女……?」
「おお、潤子、戻ったか!」
島人の手を離し、黒魔女と呼ばれた少女は階段を飛び降りた。高く結い上げられた黒髪が、ひょこひょこと揺れる。弟子の懐に飛び込むと、少女は頬を染めて笑った。
「怪我はないか?ワシも今日の仕事をしっかり務めたぞ!」
「ババ様、本日もお勤めお疲れ様です。ですが、人前です」
「ん?」
弟子の横を見て、先程までの笑顔を消し去り、眉の間に深いシワを寄せた。
「なんじゃ、お主ら」
「ババ様へのお客人です」
「ワシ、こやつらなんぞ知らん!さては可愛いワシの潤子を騙してやってきたのか、侵入者めが!」
猫が毛を逆立て威嚇する姿が少女と重なった。つり気味の大きな瞳は、黒瑪瑙色に光る。
「この幼子が」
ソルに幼子と言われた少女は、指を指すなと甲高い声で非難した。小さな手が、潤子の体を庇うように後ろへと押しやる。師匠は、こと潤子に関して過保護であるのだ。
「この島の主で、最初の黒魔女の弟子。私の師匠です」
「ワシはこの島を代表する黒魔女、霧子じゃ。師匠から名付けて貰った、大切な名ゆえお前たちは呼ぶな。師匠はむーちゃんとワシを呼んでくれておった!なに、自慢じゃ!」