彼女に会わなくては。
ソルの頭は、それでいっぱいだった。
物心ついた時から度々見る夢。
艶やかな黒髪を持つ少女が、振り向きざまに黒く塗りつぶされていく。頭から溶けた蝋のように黒い泥が流れ、彼女を覆っていく。
伸ばされる手が遠のく。届かない自分の腕を伸ばし、駆け寄るが間に合わない。
逢いに来て。
最早泥の塊となった少女は、優しくソルに囁く。
何処に!
叫ぶソルを笑い、泥は腕と思わしき部分をもたげた。ソルの後ろを指しているのだろう。
黒の国。
一言呟き、泥は震えると小さくなっていく。彼女を飲み込んでいるんだ。
そこで叫び、目が覚める。見慣れない木の天井が、霞む視界に入る。そうか、ここは船だ。
船に揺られながら、それも今日で最後だと拳を握った。成人し、やっと他国に渡る許可が出た。
逢いに行ってやるとも。だから、コレで悪夢とはオサラバだ。
なぜだか、ソルは彼女がいる場所が分かっていた。
あそこだ。あそこにいる。
船から飛び降りると、一緒に来た仲間たちが何事かを叫んでいる。無視して、生い茂る森へと一目散に走った。動物を魔法で弾き飛ばし、なぎ倒す勢いで草木の間を抜けていく。
薄暗い森の先、光が見える。あそこだ。
ポッカリと穴が空いた森の中心。一層背の高い、幹の太い大木に、顔が浮いていた。
眩しい光に目を細め、進んでいくと、顔の持ち主の胴体は幹と一体化するように蔓が巻付いていた。見ようによってはお包みに包まれた赤子だ。
「……お前か、俺をずっと呼んでいたのは」
動かないこれは、死体か。人形じみた肌の白さと整った顔立ちに、人形かと疑う。
薄々感じていたそれは、確信へと変わった。
こいつは魔女だ。
通常ではありえない綺麗すぎる死体。何度もしつこく現れる悪夢。
魔女の企みだ。
「何の用だ汚らわしい魔女が」
物心ついた頃から魔女が嫌いだった。自国の金の魔女の寵愛を受けようが、この気持ちがひっくり返ることは無かった。
「会いに来いと言っておいて。お前は優雅にお眠りあそばしているとは、随分な事だ」
声色に悪意の針を入れて刺してやるが、風が髪を揺らすのみだ。体温を感じられない凹凸を、型通りに撫でて消えていく。
暗く渦巻く感情に、晴れわたった空は毒に近しい。変化のない人形じみた顔に、唾のひとつでも吐かなければ静まらないだろう。
ソルは金髪を右手でかき混ぜる。自身の行き場のない感情に嫌気がさす。ため息を吐いて、立ち去ろうと足を一歩後ろに下げると、人形のまつ毛が震えた。固まっていた表情が動き、瞼がゆっくりと持ち上がる。現れた黒に、ソルは唾を飲み込んだ。
ぼうっとしていた黒色はソルと目が合うと、三拍ほど間を置き、緩やかな三日月を描いた。
「会いたかった……フォス」
フォス。
彼の名前はソルだ。
ソルの中で、彼女の言葉が染み込んで、弾ける。
俺は――僕は、
「……クロエ?」
知らないはずの名前を、ソルは口にする。
微笑む彼女に、ソルは湧き上がってくる感情に涙が零れた。
彼女が俺に会いたがっていたんじゃない。
俺が――僕が、ずっと、クロエに会いたかったんだ。