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ソルティ・レモネードと白い夏  作者: John B. Rabitan
シルクタッチ
23/80

 食事の後は、少し戻って聖橋ひじりばしの上に来た。左側の歩道からコンクリートの欄干越しに水道橋の方を見る。

 川ははるか下で水は濁っていた。

 左手の低いところに本当なら御茶ノ水駅のホームが見えるはずだが、今はそのあたり工事をしているのでよく見えない。右手は湯島聖堂のこんもりとした森だ。

 正面は多くの高いビルが林立している。


 「あ、落下傘」


 陽子が指さしたところにははるか遠くに、ビルの谷間にうずくまるように東京ドームシティのアトラクションであるスカイフラワー、すなわちパラシュートの塔が見えた。


 「見て見て、落下傘」

 

 陽子の目は、たしかに落下傘を見ていた。

 本当にビルの影にうずくまって、注意していないと見つからないくらいのものだ。

 そんな時に、中天までそそり立つ積乱雲に遮られていた太陽が顔をのぞかせ、あたりはぱっと陽光に包まれた。

 それを反映してか、陽子の瞳が一瞬きらりと輝いて見えた。

 橋の上の歩道には多くの人が行きかっている。だが、かけるの目には陽子しか見えていなかった。

 翔は陽子が絡ませている腕を、陽子のくびれた腰の方にそっとあげた。そして陽子を引き寄せるように力を入れた。

 二人は斜めに向かい合う形になった。


 このまま顔を近づけていけば、キスできるかもしれない……


 しかしそうするにはこの聖橋の歩道の上はあまりにも人通りが多い。どんなに人が多くてもそれが同じ若者で、しかももしカップルばかりだったら気にならないだろう。

 残念ながら、今この橋の上を行き過ぎる人たちはサラリーマンという感じの人たちばかりだ。おばさんも多い。

 だから二人は動かず、しばらく黙って見つめ合っていた。それでも過ぎ行く人の、一見無関心を装う好奇の目を浴びるのには十分だった。


 「おまえは想い出にはしたくない」


 「え?」


 翔があまりにぼそっと言ったので、陽子は聞き取れなかったようだ。だから翔は笑ってごまかした。


 「なんでもない。行こうぜ」


 今度は翔は陽子の手を握りしめて、二人は新御茶ノ水の駅の方へ向かった。最初に出た出口まで行かなくても、この橋を渡ったところに同じ駅の反対側の改札に降りる長いエスカレーターがあった。



 ライブの日も近づいてきていた。

 いつものスタジオでのこの日の練習では前に翔が善幸に渡した詞にも曲ができあがっていて、セトリも最終的に決定した。

 すでに通しでリハーサルする段階だ。あとは本番を迎えるのみという感じになって、リハーサルは終了した。

 いつもの店で食事をし、解散となった。

 これまでと同じく車の善幸や、地下鉄で帰る駿、健太と別れて少しだけ翔は愛美めみと二人になる。


 「ああ、なんか私、落ちこぼれ」


 大通りを横断して桜木町駅の南改札に向かって歩きながら、愛美がぽつんと言った。翔は笑った。


 「きっとやらかすだろうな」


 「だいじょうぶだよ」


 「だっていくら練習しても全然うまくならないし、ライブが近づくたびに恐怖よ」

 

 「だって、キーボードは昔からやってたんだろ?」


 「昔やってたのはピアノだし」


 改札に着いた。愛美はすぐに入らないで、改札の前で翔と向かい合って立ち話の形になった。


 「そういえば、前に言ってた彼女、その後どうなったの」


 「もう三回くらいデートした。この間はお茶の水の橋の上でいい感じになったんだけど」


 「キスしたとか?」


 「人が多くてできなかった」


 「人がいても気にならないよ、私は」


 「え、てことは?」


 「あ」


 愛美は慌てて自分の口を押さえていた。


 「そっか、ゼンコーとはもうそこまで」


 耳朶まで真っ赤にして、照れ笑いを作りながら愛美は言った。


 「翔さんもがんばりや」


 「だって、もし無理に迫って泣きだされたりしたらどうする?」


 「“びっくりした?” “ごめんね” とか言うんじゃない? ふつうは。あとはその時の雰囲気でさ。もし向こうにその気がなければ嫌がるだろうし、その時はやめればいいじゃん」


 「そっか。で、キスするときって」


 話題が話題なので、翔は周囲の通行人に聞かれないように声を落とした。


 「女の子はよく目つぶるけど、男も目をつぶるものなんか?」


 「そんなの知りません」


 愛美はそう言って笑った


 「じゃあ」


 そのまま手を振って、愛美は改札に吸い込まれていった。


 

 その日の夜の陽子からのLINEで、ライブまでの期間に翔をSUPに誘ってきた。


 ――[バイクにも乗せてもらったし、今度ライブにも行くし]


 ――[だから私の世界にもようこそ]


 そんなふうに言われたら、断る理由はない。


     ――[でも俺、やったことないけど]


 ――[だいじょうぶ。私が教える]


 ――[って言いたいところだけど]


 ――[私も初心者だからね]


     ――[ほう]


 ――[SUP仲間がいるから、教えてくれるよ]


      ――[女の子?]


 ――[男性だけど、面倒見がいい人たちよ]


 人たちということは、一人ではないらしい。


 ――[それにあの時いたあの三人も来るから]


     ――[みっちゃんとかの三人?]


 ――[そう]


     ――[ボードとかは?]

 

 ――[江ノ島の近くのSUPショップでレンタルできる]


 ――[だから、身一つで来てくれればだいじょうぶ]


 ――[でも、水着は持ってきてね]


     ――[了解]


 ――[更衣室やシャワーとかもある]


     ――[海の家?]


 ――[ちゃんとした建物のお店ですう」


 いつ行くかはほかのメンバーの予定を確認してからということになった。

 だが、数時間後にはまた陽子からのLINE着信があり、みんなの予定が合うのは三日後の火曜日の午後ということだった。

 もちろん、もうバイトもしていない翔はいつでも大丈夫なので、それで決定となった。

 すでにこのとき台風が日本に接近しつつあったけれど、九州の方へ行ってしまうようで、ここには影響はなさそうだった。


 果たして、当日はよく晴れていた。だが晴れれば猛暑が襲ってくる。しかも湿度も高いようだ。

 妹の由佳が急に予備校までバイクで送ってほしいと言いだしたので送ってやり、帰ってから昼近くまでそわそわしていた。

 念のために雨雲レーダーで見てみたけれど、「しばらく雨は降りません」とあった。翔は安心して海水パンツをサイドバックに放りこんで、いつものスズキGSRの250CCで湘南江の島へと向かった。

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