18/2「ノウ・ユア・エネミー」
グラハム・D・マッキンリーの歴史講義「タケダ・ハルオミ」
310年6月。第二次星間大戦に大きな影響を与える出来事が起こった。新たな地球連合大統領の誕生だ。前大統領ルーサー・ゴールドバーグの死から一年だ。長かったな。
当時から地球連合大統領になるには2つの方法があると言われていた。誰からも望まれるか、さもなくば誰にも望まれないか、だとな。今回の場合は前者だった。玉石混交、決め手を欠く候補が現れては消える大統領選はOPAが擁立した候補の登場で一気に収束することとなる。有力な列強である一方でこれまで大戦には不干渉、つまり特段の失態のないOPAが擁立する候補。これを前大統領の代弁者たるロバート・ローズが支持することで大衆は納得し、マウラ閥つまり欧州共同体が支援することでアメリカはじめ大半の諸国もこれに乗るしかなくなったというわけだ。
本命を欠いて昏迷を極めていた地球連合大統領選は一転して予想の裏切りようのない形で本選に突入し決定することになった。地滑り的な勝利とはこのことだな。
これによって長らく空白だった地球連合大統領の席が埋まることになった。事実上の地球連合最後の大統領ハルオミ・タケダの誕生だ。しかし諸君らの中にハルオミ・タケダのことを詳しく知っている者は多くないだろう。実のところ私もよくわかない。なぜってこの人物、どんな人物で、具体的に何をやったかほとんど記録が残っていないからだ。
OPA政治家家系であるタケダはOPAでは数少ないノーブルブラッド。つまり貴種ということになる。一説には中世日本史で活躍した甲斐源氏武田家の血筋と言う話もあるがこれはまぁ当時から眉唾と考えられている。恐らく事実ではなく、血筋に箔をつけるための虚言だろう。ノーブルブラッドの興りにはありがちな話でもあるしな。とはいえ事実に真実が隠れているとも限らない。嘘にこそ真実が隠れている場合も多い。
なぜ彼の記録は極端に少ないのか?武田家の血筋などという怪しい出自が噂されたのか?
つまるところ、ハルオミ・タケダという大統領に求められたものがそれだけだったということなんだろう。
18/2「ノウ・ユア・エネミー」
310年7月。宇宙での情勢変化は兆しのままであったが地球において情勢は激変の最中だった。
新大統領をプロデュースしたことでマウラ閥の勢いはさらに増す。OPAとの連携はもちろん。欧州共同体への影響力も強化される。これを背景にマウラ閥は欧州自衛軍の各勢力を調略してほぼ寡占状態に持ち込んでいた。マウラ閥は軍事勢力として地球圏でもトップレベルの存在に飛躍したのである。しかし当のクリスティアーノは腑に落ちていない。
誰の抵抗もなくタケダが当選したということはその支援者の中にカスティヤーノとプロヴィデンスも含まれていることを意味しているのである。マウラがすんなりと勢力を拡大したのもいまだ自分たちが奴らの作った枠の中にいるがゆえであろう。
不気味さを感じながらもクリスティアーノは力をつけることと現政府への影響力を固めることを優先させた。その勢力圏を欧州から地球全土に広げ飛び回る。政府、軍を問わず各種の勢力に接触して敵味方の色付けをして支援を取り付ける。従来と違うのはこれが自分たちだけのためではないことにある。マリネスクとタケダへの支援を取り付けることも目的であると同時に材料となる。クリスティアーノは今やマウラ閥だけのバリューに留まらず自身を介してマリネスクやタケダに取り入る機会を提供することが可能になったのである。
これら複雑な要件を相手によって使い分けてマリネスクへの支援も強化し、戦争のイニシアチブを握る。マウラと現政府の黙認を取り付けたマリネスクは既に既成事実化していた対共同体への方針転換を表立って進めることも可能になった。
今や状況はマリネスクとクリスティアーノを中心に大きく動き出している。これを止めるにはそれ以上の大きな力とリスクが必要になるだろう。現実的にはほぼ不可能。このような状況を許すカスティヤーノとプロヴィデンスは何を考えているのか。
欧州を縦断する列車の客車でクリスティアーノはだらしなくシートに埋没していた。空路なり高速鉄道なりを使えば時間の短縮になるのだが、今のクリスティアーノには移動時間以外に自由はない。こちらが接触しようと思っている勢力に付随しているお呼びでない勢力が行く先々で待ち受けているのである。自分たちのことを考えていられる時間は貴重であり、それを確保するための鈍足移動だった。
「どうでもいいやつらばかり動いて肝心の連中はだんまりとはな」
空転、あるいは徒労感。着実に力をつけている一方でクリスティアーノは重要な部分が何一つ進んでいない気がしていた。
自分の目的だけを考えていればよかったこれまでと違って今は状況を動かしている。いくらクリスティアーノが本懐を望もうと状況を放り投げることはできない。今の状態で周りの動きも注視し、牽制し続けねばならない。ウェイターがグラスのワインを溢さずに人ごみをかき分けるが如く。いっそ邪魔な客を全部消し飛ばせればいいのだが今はご機嫌を取らねばいけない。
「それこそが狙いなのかもしれません」
サネトウが答える。彼もカスティヤーノの不動を訝しむがここ最近の過剰なまでの中小勢力からの接触に違和感を持っていた。カスティヤーノがこれまで便宜を図っていた勢力にマウラ閥を紹介しているのではないか。マウラ閥というよりもクリスティアーノに過大な負担をかけることで動きを鈍くする。それによって失態を導いて信頼を失墜させる。あるいは、隙を生じさせる。考えすぎかもしれないが事実としてクリスティアーノは忙殺されている。
信頼のできる部下の少ないクリスティアーノの弱点が出ていた。全幅の信頼を置くことができ、代行ができるような人材がクリスティアーノにはいない。カリートリーはあくまで軍事の代行しかできず、サネトウには代行をするための「顔」がない。この弱点をカスティヤーノが認知していたとするなら。
「そもそも止める気がない、その必要もないということですな」
マウラ閥は不十分な状態で表舞台に引きずり出され、重すぎる舵を掴まされた。クリスティアーノは動きを束縛され、むしろカスティヤーノの方が楽に動けるようになったのかもしれない。
「なるほど。それで?」
解っていたとしてもやはり掴まねばならなかっただろう。ならば考えるべきことはこの舵を握ったまま動くための態勢作りとなる。
「難題ですな」
クリスティアーノの代行者など作りようがない。口ではそう言いながらサネトウには既に腹案があった。今できることがあるとしたら方策を分割しつつ、別の誰かに担わせること。問題は誰にやらせるか。地球連合内の者の大半はプロヴィデンスの影響を排除できない。しかし今や状況は連合内部に留まってはいない。ならば候補も内部から選ぶ必要はない。
「WOZとジェンスとの関りを具体的な行動に結びつける頃合かもしれませんな」
現状ただ関りがあるに留まっている両者をこちらの戦いに引き込む。危険な賭けではある。しかしこの両者は外部のものであるがゆえにプロヴィデンスの力が及ばない。逆に対共同体への方針転換を主導するマウラ閥は影響力がある。
「連中とプロヴィデンスに関りがないっていうのは楽観じゃないか?」
「もちろん。その可能性はあります。しかし親密ではないでしょう。でなければ我々に接近してきたことに説明がつきません」
確かに。それにWOZはともかく、ジェンス社は第二星間大戦を演出し現有秩序に喧嘩を仕掛けているのである。プロヴィデンスとは利害の面で真っ向から対立する。
「それともう一つ」
サネトウがさらに言う前にクリスティアーノは予測できた。
「月だな」
ニッコリ笑ってサネトウは肯定する。対共同体を巡ってジェンス、WOZ、月が水面下で争っているのは間違いない。となれば月も巻き込んでおくべきだろう。そうでなくともこの先の大戦を操る上でも月とは関係を構築しておきたい。ただ
「それはマリネスクの方が適任にも思えるが」
放っておいてもマリネスクと月の間に協力関係は結ばれる。しかしサネトウは難しい顔をする。
「そのマリネスク殿が我々にとってはネックでございましょう」
政治はOPAとタケダ、軍はマリネスクを味方につけているクリスティアーノである。これによって大概の勢力は協力的なのであるがまさにそこがネックにもなっていた。
タケダはお飾りの大統領に過ぎないしOPAが手綱を握って離すことはない。もちろんOPAも戦争が上手く回り出せばマリネスクと共に影響力を持ち出すだろうがその背後、周りには列強がいる。政治の場においてOPAが権力を独占することはないだろう。
一方で軍部においてマリネスクにはそれが可能となる。その時になってプロヴィデンスがマリネスクを取り込むという流れ。それが現実となれば状況はひっくり返る。以前にも提示された懸念である。
マリネスクにはプロヴィデンスを敵に回す理由はない。それどころかクリスティア―ノの真の目的が現有秩序の破壊にあると知ればプロヴィデンス側につく理由の方が大きくなるかもしれない。このシナリオがあるからカスティヤーノはいまだ静観しているとも考えられる。
やはりマリネスクには何らかの楔を打ち込んでおくべきだ。こちら側に完全に引き込むなり、プロヴィデンスと敵対関係にするなり方法はいくつかある。しかしクリスティアーノはこの件に関しては意固地だった。
「前にも言ったが、そうなった時はそうなった時だ」
この意固地さがクリスティアーノの何に根差しているのか。サネトウには理解できなかった。それゆえに説得するための言葉にも力がない。
サネトウが考えあぐねていると客車に一人の男が入ってきたのが見えた。クリスティアーノの乗る列車は通常の快速列車でその客車を丸ごと予約して占拠しているが一般客が入り込む余地はある。護衛達も警戒はするが追い出すことはしない。この客車に席はない。程なく男は客車を通過するはずである。
しかし男はクリスティアーノの座る席で足を止めた。サネトウと護衛たちが立ち上がる。
「この席は空いているかな?」
クリスティアーノの正面の席を指して男は落ち着いた口調で訊ねた。痩せていて血色はあまりよくない。髪は後退していて肌は干からびている。質の良いスーツを着てはいるが覇気のようなものは感じられず、どちらかと言うとそのような人間たちの下にいるような存在に思えた。
「どちらさま?」
見た目に反して男は挑戦的な笑みを浮かべると独特な切り返しをした。
「名前か?それに大した意味はない。そんなことよりさきに共有しておくべき認識があるだろう」
「誰だ貴様」
普段は潜められているクリスティアーノの粗暴さが露わになる。目の前の相手が敵であることを本能的に察知したからだった。その察知を肯定するように男は名乗った。
「初めまして、クリスティアーノ・マウラ。エドワード・ソーグ。君の敵だ」
クリスティアーノは脳内でその名前に検索をかけようとしたが答えが出る前に男が制した。
「その必要はない。思い出せるようなことはない。正真正銘の初めましてだし、この名前を検索したところで同姓同名の別人しかかからないだろう。私の名前。それ以上の価値も意味もない」
「羨ましい話だ」
「なるほど。君にはそう映るか。興味深いね」
ソーグと名乗った男は一人だったが本当にそうである保証はない。クリスティアーノは男から注意を逸らさないように周囲を伺う。
「どのような御用でしょうか?」
サネトウがクリスティアーノに代わって切り出したがソーグは真っすぐクリスティアーノを見据えてまるで相手にする風ではなかった。
「挨拶だ。個人的な好奇心と縁浅からぬ相手への礼儀、と言ったところかな。実のところこれまでも機会は伺っていたんだ。これがまた何の因果か。ある仕事で君たちを調べる必要ができてね。ついさっきの話だ。するとどうだろう。すぐ近くにいるじゃないか。それで、こうして思い切ってみたということだ。果たしてこれは偶然なのかな?」
「偶然なんてものはない。ただそう定義される幻想があるだけだ」
クリスティアーノの返しにソーグは感銘を受けた。
「因果や運命こそ幻想と言われがちなものだが。ふむ、偶然も転じればそれらと同じということか。興味深いね」
胸に刻み込むようにしみじみと言う。言葉をじっくりと咀嚼して呑み込んでから返す。
「つまり、この邂逅を偶然とするか因果とするかどうかは君、そして私次第とも言えるわけだ。ま、ともかく世間話でもいかがかな」
何を考えているのか理解に苦しむ。しかし、これを受けないことはクリスティアーノらしくないだろう。しばらくの思巡の後に、クリスティアーノは空いたグラスに水を注ぐとソーグの前に滑らした。ソーグは席につくと何の躊躇もなしにそれに口をつけて満足げに頷いた。
「さて」
そう言うとソーグは徐に懐から何かを取り出してテーブルにおいた。銃だった。さしものサネトウもギョッとしたがクリスティアーノは動じず護衛達を制した。その肝の据わりようにソーグは嬉しそうに笑う。
「警戒しなくていい。弾は入っていない」
そう言うとソーグは銃をテーブルに置いたままでマガジンを外し、スライドをひいて装弾されていないことを見せ、あまつさえクリスティアーノの方に滑らせた。
周りが止める前にクリスティアーノはそれを手に取った。ズシリとした重みに驚いた。クリスティアーノの知っている銃の重さとはかなり違う。古く、材質も粗雑だった。
「これはM1911。ナインティイレブンとも言われている。旧時代の傑作だ。現代にも通じる拳銃の祖の一つ。マスターピースだと言える。骨董品だし、使える弾も少ないが使おうと思えば使えるだろう。もちろん、今の時代の銃には比べるべくもない。だがこうして君たちを緊張させる程度のことはできる。なぜか?それで必要充分だからだ。残念ながら人類はいまだに鉛玉どころかナイフ一つも克服できていない。刺せば血が出るし、血が出れば死ぬ」
「何の話をしている?」
「世間話さ。最初にそう言っただろう。その銃を見ると進化について考える。進化とはポテンシャルを上げることとは違うという。車などもいい例だ。走る、曲がる、止まる。これを突き詰めたところで車としては何一つ変わっていない。車という枠から出てはいないわけだ。それは進化ではなく、進歩と呼ぶべきものだろう。つまり定められた枠、レールを進んでいるだけの話。進化というのはもっとエキセントリックだ。レールをからはみ出すこと。求められるものに応じて変じること。環境に合わせて化することだ。進歩と進化は似ているようで違う」
クリスティアーノは自分たちノーブルブラッドのことを言われているような気がしたがソーグにはそういう意図はなさそうで話は次の段階に移った。
「つまるところ銃は古い時代から存在としては進化していないわけだ。その必要がないからな。人間の方も鉛玉を克服するようには進化しなかった。それどころか生身としてはまるで進化していないと言ってもいいだろう。その必要はなかったんだ。鉛玉を撃ち込んでくるのは同じ人間だし、そんなものより恐れるべきものはあった。それは停滞だ。進化に行き詰まった種は多様性を失い、やがて崩壊する。環境、外敵を克服した人間は生態としての進化に必要性を失った。そこで人類は別の方向性を見出した。進化を自らの遺伝子ではなく、外部に求めはじめたんだ」
手にある銃を弄びながらクリスティアーノはソーグの言葉からある説を想起した。
「遺伝子の生み出したものもまた遺伝子の具現に他ならない。だったかしら。つまり人間は自らの遺伝子の代りにそこから生み出したものを進化させてきたと言いたいわけ?技術や知識とかが遺伝子の代りになっていると」
ソーグは深く頷いた。両手を組んで熱心に説く。
「一端ではある。あるいは、それがあるからこそかも。私の解釈では人類の進化とは個ではなく、全体としての進化だ。群、組織、社会、そして国家。全体の有り様を変えることで人類は進化してきたんだ。個性ばかりが注目されるが人類というのは群体性の生物なんじゃないかと思う時がある」
「人間をクラゲ扱いか。面白い考え方だな」
クリスティアーノは本当にそう思った。群体。同じ生物が集合し、異なる役割を持って個体を生成する生物。その主体、個体を社会と解釈すれば確かに人類は群体とも言えるかもしれない。とはいえ、人間はそこまで緻密ではない。群体というには不完全なのはクリスティアーノ自身を見れば明らかだろう。
「なら、その考えでは私は人類という生命の中でどういう仕組みを担当しているのかな?」
反証とも言える質問。予測していたのか、ソーグはあっさりと答えた。
「破壊」
クリスティアーノは驚いた顔をしたが答えそのものは気に入ったようだった。
破壊。ソーグは何もおべっかでそう言ったのではない。それは重要な役割である。人体においても不要な細胞を殺す機能がある。人体に限らず自浄作用とも自滅機能とも言える不可思議な自壊は確かに存在する。
もっとも、それを自発的に自らの役割とするのは群れを構成する個としては異質な存在だろう。現実としてそのような在り方の個体は狂った存在として群れから排除される。それもまた一種の自浄作用であろう。
だがソーグは考える。その破壊が群体としての自壊、つまり種の摂理であるとするならば、果たして狂っているのはどちらなのか?
「人間に限らず、生命とは死と生を繰り返している。言い換えれば破壊と再生だ。破壊がなければ命が化けることはない。もっと言うなら、始まることすらない」
「一般的には生があって死があると言うんじゃないかしら?」
クリスティアーノの茶々にソーグは頷いたが賛同はしていなかった。
「そう解釈するのが一般的だな。だが、逆だ。死こそが出発点であり、生こそが結果なんだ。歴史的に見ても新たな出発とは古い態勢の崩壊によって起こるものだろう。歴史の本質は何かが滅ぶ時と新たなものが生まれるまでの短い時間にある。その過程こそが進化の本質だ。進化とは「死から生の間」にもたらされるものなんだ。「生から死の間」とはその進化の答え合わせに過ぎない。少なくとも人類の社会はそのようにして発展してきた。そう私は考えている」
なんだこの問答は?クリスティアーノは訝しんだ。別段遮る理由はなかったが正体不明なイラつきと好奇心のはざまで胸がざわめきはじめた。
ソーグは逐次クリスティアーノを観察し、話が正しく理解されているかを確認してから次の話に移る。その様子からもこの話には然るべき目的地があることは解る。
「しかし客観的に見れば歪な進化だ。技術や体系ばかりが発展してそれを使う方。つまり個はまるで進化していないんだからな。個体としての人類は本質的には原始時代から変わっていないだろう。そろそろそちらの方も進化する頃あいだ。そう考えた者たちがいた」
ようやく方向性が見えてきた。クリスティアーノは口元を歪めた。
「それが貴様らで、その計画とやらがE計画か」
ソーグは何度も頷いて肯定する。どこか誇らしげにも見える。
「彼を味方につけているなら知っていても当然か。だが、彼もその全容を知っているわけではないだろうし、全てを語ったわけでもないはずだ」
「そうね。是非ご教授願いたいわ」
そのために来たとでも言うのか。ソーグは喜んでと請け負うと一口水を飲んでから話始めた。
「前置きが長くなるから結論を先に言っておく。E計画の本質は人類進化の模索だ。大昔の賢者は戦争が制御不能になり、技術や社会体系ばかりが暴走的に発展する原因を個としての人類が追い付くことができず、扱いきれなくなったことにあると考えた。確かに人間が戦争を始めてしまう理由の一端は一部の人間の理念暴発に端を発する場合がある。ヒトラーなどはその例に当てはまるだろう。進化する社会体系に個が追い付いていない。取り残され、疎外された個の暴走こそが戦争の引き金であるのなら、その未完成な個をより高みへと引き上げる必要がある。それこそが、技術や社会の役割、責務だろう」
「それが、貴様らの理念というわけだ。素晴らしい」
その考え、傲慢。これこそが、自らの敵であることの証明。そうでなければ。クリスティアーノは不快感を込めた喝采を送る。
「そうだ。と答えたいところだが」
その喝采を恭しく受け取るソーグだったが次の瞬間には表情を翻した。
「かつての、と付け加えた方がいいだろう」
なんだ、こいつ?自らの敵の揺らぎのようなもの。それがクリスティアーノには気に入らなかった。
「話を戻してもいいかな?」
「どうぞ」
その得体の知れない揺らぎがまた自分自身にも揺らぎを与えることを本能的に感じ取ったのか、クリスティアーノは棚上げしようとするソーグに同調する。
ソーグはほっとしたように一息をついてから再び話はじめた。
「一部の賢者たちだけが世界を動かしてもそれはやがて大衆によって呑み込まれ、いずれは同じ場所に戻っていく。人は過ちを繰り返す。何故か。それも結局のところ個が進化していないからだ。世界を変えるということは民衆を変えるということなんだろう。つまり、大衆が変わらねば世界は元に戻っていく」
「私は世界を変えようなんて思ってないけど」
先回りしたクリスティアーノの返しにソーグは苦笑した。
「世界を動かすこと、変えること。そして破壊すること。それぞれ違う。こう言いたいわけだ。なるほど確かに微妙に違う。そしてその微妙さこそが致命的な差なのかもな」
ソーグの言にクリスティアーノは沈黙した。確かにこれらは似ているようでまるで違う。この考えはクリスティアーノにも共通する。先ほどから抱いていたイラつきが徐々に形をなしてきた。この男は部分的にではあるがクリスティアーノと共通した考えを持っており、悍ましいことにこちらを理解しようとしており、それを示そうとしているらしい。
「話を戻そう。世界を変えるために世界の仕組みを変えることはいい方法ではない。システムは所詮システムでありそれを扱うものが万能不変ではない以上、いずれは腐れ崩壊する。これは歴史が証明している。大本が大衆の側にあるのだから、大衆の側を変えねば多少世界を変動させたところでいずれは元に戻ってしまう。本気で世界を変えようと願うのならば本質から、土台から変えねばならないわけだ」
政治や体系を変えることは抜本を変えているように見えて実際には表層を変えているだけに過ぎない。はた目からは大きく変わったようには見えるが中身が変わっていない以上、ガワはいずれ変質し、剥がれ落ちる。
これはつまるところ国家や体系を打ち倒すことは本質的な革命には結びつかないことを指摘しているとクリスティア―ノは受け取る。クリスティアーノの破壊もまた多くの革命家たちが陥った幻想に過ぎないと言っているのか。
いや、違うだろうな。そんなご高説を垂れるような奴であるなら、あんな揺らぎを抱えてはいない。この男は自らの組織の理念とは別の何かを抱えている。
「つまり、何を言いたい?」
ソーグは再び自嘲に口元を歪める。
「残念ながら、さほどいい答えを私は持っていない。必要なのは個をより高次に導くことなわけだが、歴史はそれに尽く失敗し、挙句にはそれを諦め、低きに流し、管理することに重きを置くことを繰り返している。嘆かわしいことだ」
ソーグは溜息をつき、クリスティアーノもつられて溜息をついた。ソーグの場合は憂いてこそのものであろうがクリスティアーノの場合はソーグへの呆れだった。
こいつは私を旧友か何かだとでも思っているのか?
「泣き言を言いに来たのか?」
ソーグは驚いて目を丸くしてから笑い声をあげた。
「これは失礼。雑談に戻すとしよう。と、その前におかわりを」
厚かましくもグラスが戻されるとクリスティアーノは乱暴に水を注いだ。出る幕のないサネトウは困惑しながらソーグの目的を考えていた。敵を相手にする会話ではないのは明らかだった。ソーグはクリスティアーノを敵だと考えていないのか。それどころか同志として引き込もうとすらしているように思える。そんなバカなとは思うがその答えを明確にするにはこの雑談に付き合うしかなさそうだった。
コップを受け取って礼を言うとソーグは続きを始めた。
「さて。時の支配者たちのお定まりはさっきも言った通りだ。最初は民衆を導こうとする。しかしそれが無理と判断すると低位に置き、管理しようとする」
「バカには理解できないから大人しくしておけとなるわけだ」
クリスティアーノらしい粗雑な表現にソーグだけでなくサネトウも乾いた笑みを浮かべるがそこに否定のニュアンスは含んでいなかった。
「乱暴に言えばそういうことだ。もっとも、それを望んでいるのは支配者だけとも限らないがね」
今度はクリスティアーノが暗い笑みを浮かべた。支配とは、するものだけが望んで成立するものではない。それはされるものの望みでもあるのだ。少なくとも最初のうちはそうなのである。
「口にするには憚られるがね。大衆というものは無理解であることを享受するものだ。理解することを無意識に拒む。解ってはいるが解ろうとしない。独裁者に聞けば多くは自らの所業の理由に大衆への呆れと絶望を口にすることだろう。責任を背負うことなく、全ての責を誰かに預け、結果だけを甘受することを望む。その望みが支配者と被支配者という構造を自然に生み出してきた」
「まるで絶対王政の話でもしてるようだな」
クリスティアーノの茶々にソーグは笑いながら頷いた。
随分と古代の話をしているように思える。しかしそれは本質から変わることなく今なお続いている。変わっているのはやはりガワだけなのだ。
「支配者と被支配者という構造を無くすこと。理想として古くからその試みはされてきた。民主主義などもそうであるはずだった。しかしその民主主義ですら支配者を生み出した。全ての民衆に同じものを与えようとしても、そのほとんど、つまり大衆は与えられた権利を自ら放棄して低位に陥る。独裁はよくないと人は言う。しかしバカげたことだがその独裁を生み出すのは常に大衆だ。大衆は依存し、自らを低位に置きたがる。どれだけ崇高な理念で横並びの体系を作ろうが、結局それを破壊するのは一部の支配者ではなく、大多数の被支配者だった。逆だと言う者もいるだろうが許しているという一点において最大の加担者であることは間違いない」
「ま、それも含めて民主主義だからな」
それが多数派の望みなのだから。クリスティアーノの皮肉にソーグは失笑した。ふとクリスティアーノは思いついたことを口にした。
「群体で思ったんだが。社会を形成する他の動物は支配者が誕生した時点でそれ以外の役割が決定されるわけだが。案外と人間も似たようなものなのかもしれない」
思い付きに過ぎなかったがソーグは真剣に、そして面白そうに考え込んだ。
「個の在り方とは別に無意識のうちに社会の仕組み、種としての摂理に従っているというわけか。興味深いね。だとするとだ。働き蟻なんかも案外と人間と同じことを思いながら生きているのかもしれないわけだ」
「そうだったら面白いな」
二人同時に笑い合う。そこで話は途切れた。僅かの間ながら沈黙が場を支配した。話を脱線させたクリスティアーノは不服ながら自分で話を動かした。
「で、そっちは人間の本質を変える。それを諦めていないわけだ」
この問いにソーグは歯切れ悪く笑った。
「そうだな。人間は大昔から同じことを繰り返している。同じ場所をぐるぐる回っている。だが、それは彼らが諦める理由にはならなかった。入れ替わり立ち代わり、手を変え、模索された。まぁそれでも結果はお察しの通り。彼らもまた挫折し、打ちのめされた」
「それで始まったのがE計画」
「その通り。人が変わらぬのであれば、作り直すしかない。それが彼らの結論であり、はじまりだった」
E計画。先ほどからソーグが口にする「彼ら」とは過去のプロヴィデンスを指すと考えていいだろう。ソーグはどうやらその本質を話したがっているようだった。
「さっきも言ったがE計画というものは人類の進化を模索するための研究で明確な目標があるわけではない。人の革新に近づけそうな研究に手当たり次第にしたものだから手広く、それも気の遠くなる時間をかけていてね。全容は誰も把握できていない。で、特にその時間が問題を生み出したわけだ」
時間。これがもたらすものをクリスティアーノはよく知っている。腐敗、硬直。理念の摩耗。今のこの世界を覆っているもの。
同じ考えを共有していることを確認してソーグは続けた。
「変わらぬものはないということだな。E計画は組織によって管理されていたが現場では組織の存在すら知らずに進められていた。つまり計画と組織は切り離されていたわけだ。そして組織にとってE計画はいくつかある活動の一つでしかない。当時の組織にとってもっとも重要な活動はご存じ戦争の管理だった」
ソーグは愚痴を吐くように苦々し気だった。
「本来であれば戦争の管理など破局を回避するための手段に過ぎなかった。ところがそれは利益を生み出し、組織をより強くした。しかしやがて手段とその利益は組織の有り様を侵食し、やがて歪め一体化した。つまり組織それ自体が目的になったわけだ。軸足は革新よりも管理、保守へと移る。計画の理念と組織の理念にズレが生じ、組織は徐々に計画への興味を失っていった。今となってはE計画など夢物語の残滓、あるいは狂気としか思われていない」
クリスティアーノには腑に落ちるものがあった。天使の持つ切り札。その効力を思えばプロヴィデンスが放置するのは如何にも不自然だったがE計画そのものが組織において浮いた状態になっていたために実態が把握できていなかったわけだ。
話を止めてソーグは再び水に口を付けた。よく飲むな、とクリスティアーノは思ったがそれがソーグの心理的な迷いに根差していることに気付いてやはり不愉快になった。やがてソーグは切り出した。
「さて、本題だ」
そら来たぞ。どうでる?いつものクリスティアーノなら不敵に待ち構えるところだろう。しかしソーグの見せた迷いや踏ん切りが嫌な予感を生じさせていた。もっとも、拒否のしようはないが。
「先日、こちらの施設の一部が攻撃を受けた。こちらの連絡網のハブでね。見たところ、こちらと古いデータを遮断することが目的のように見える。一見すればね」
その件か。クリスティアーノは一瞬納得しかけたがすぐにおかしいことに気付いた。なんでそんなことに興味を抱く?なんでそれを自分たちに聞く?
「恐らく、今さら探っても手遅れなのだろうがE計画に関りがあったのだろうな。だが、私が気になったのは今さらになってそれを遮断した理由だ。隠す気があったのなら必要のない攻撃だ」
組織はE計画への関心を失っていたのである。実際、その攻撃はむしろソーグの関心を引くことになった。そこまで考えていなかったのか?違うだろう。それこそが目的。これは過去の亡霊からのメッセージなのだ。
「私の推測では。彼は見せないようにしたのではない。見せようとしているんだ。我々が失った関心を呼び起こすために。改めて調べたくなるように仕向けたんだ」
クリスティアーノは推理の内容よりもソーグがそのような思考をすることに驚いた。世界の管理者を自負するプロヴィデンスの人間が。
「そこで君に聞きたいことがある」
この時点でもクリスティアーノはソーグが何を求めているのか全く解らなかった。あの件に関しては完全に天使の領分であってクリスティアーノはそれを見て見ぬ振りをしたに過ぎない。聞く相手を間違っているようにしか思えない。
何かを勘違いしてるんじゃないのか。的外れな質問を予測するクリスティアーノの対応は素っ気ない。
「聞くだけなら自由だ」
ぶっきら棒な返しにソーグは失笑した。
「君が破壊を望んでいることは先刻承知した。だが、彼は何を望んでいるんだろうか?君に手を貸し、世界を破壊した後に何を望んでいるのか。考えてみれば可笑しな話だ」
これは重要な質問をする前にクリスティアーノの興味を取り戻すための前振りだった。ソーグの狙い通り、クリスティアーノは再び話のテーブルに引きずり戻された。核心をついてきたことに舌を巻きながらクリスティアーノは建前を並び立てる。
「知らん。貴様らへの復讐じゃないのか」
ILSの実験体。E計画の残滓。その筋合いはある。しかしソーグはそれに納得しない。
「私もそう思っていた。誰でもそう考える。だが腑に落ちない」
「何が?」
「それが目的であるのなら、君に力を貸すなどといわず自分でやればいいはずだ。恐らくそれがもっとも手っ取り早い。それだけの力を彼は既に持っている。だが、それこそが腑に落ちないところだ。彼が得ている力は復讐に使うにはあまりにも不便で、不釣り合いで、何より遠い。復讐だけを目的にするならもっと賢い方法がある。そこの彼のように」
唐突に引き合いに出されてサネトウはギョッとした。ソーグはサネトウとその目的を把握しているのだ。だがそんなことは何の問題でもないのか。ソーグはサネトウを見てすらおらずただクリスティアーノを見据えていた。
「つまるところ彼には別の目的があるんだ。恐らく君とは異なる」
「だったら?」
クリスティアーノは明確にイラついていた。危機感以上に思っても見ない人間が真相に近づいてくることに不快感を抱いていた。そして次にソーグが語った言葉はもっとも考えたくない想定だった。
「私が知りたいのは。いや、問いたいのは。私たちにとって君たちは本当に倒すべき敵なのか。君たちにとって私たちは本当に倒すべき敵なのか、だ」
どす黒い沈黙が降りた。クリスティアーノの理念は全力でそれを否定した。貴様らと自分たちは絶対に相容れることはない。それは天使も同じだ。同じであるはずだ。
クリスティアーノの沈黙はそれが否定できないからではなく、疑問それ自体を認めない完全なる拒絶だった。子供の癇癪に似たそれにソーグは首を振る。
「認めたくはないだろうが、君たちと私たちは似ている」
「鏡ってのは似たようなものを映すが全てが正反対なものだ」
クリスティアーノの切り返しにソーグは笑い声をあげた。鏡。クリスティアーノやマサト・リューベックという存在はプロヴィデンスのやってきたことの結果。そう本人たちは定義しているわけだ。
「そして触れることのできぬ偶像でもある、か。君のスタンスは理解した。だが、君が我々のスタンスを理解しているかは疑わしい」
「貴様らの目指す方向がどうだろうが関係はない。私は貴様らの為したことゆえに存在している」
にべもなく切り捨てられてソーグは本心からがっかりしているように見えた。苦笑いし、次の言葉を探そうとして、やがて諦めた。
「そうか。覚えておこう」
残った水を飲み干し、ごちそうさまと口にしてソーグは席を立った。ここで話は終わる。クリスティアーノはそれで構わなかったがサネトウからの視線を受けると頷いた。
「オオモリ・セナ博士について何か知っていることは?」
ソーグは真剣にその名を検索にかけた。が実りはなかったのか申し訳なさそうに言う。
「記憶にないな。計画に関連があるのなら調べてみるが」
打算などでなく、純粋な善意でソーグは提案する。その誠実さが逆にサネトウの癪に障った。知りもしない男に興味を持たれることも悍ましい。
「結構でございます」
「そうか。ではそれ以上は詮索しないでおくことにする」
ソーグは少し寂し気な顔をしながら頷いた。この男は本当にそれ以上詮索しないだろう。打ち倒すべき敵の奇妙な誠実さにクリスティア―ノもサネトウも苦い顔をした。
「では失礼するよ。また会おう」
そうして敵は客車を後にした。後に残された2人に残されたのは居心地の悪さだった。
エドワード・ソーグ。カスティヤーノとは全く異なるプロヴィデンスという組織がかつて持っていた骨董品の理念を持ったままの男。
あれが敵。あれも敵。
扉がしまってソーグは大きく息を吐いた。思い切ったことをした。独断でのクリスティアーノとの接触。私的な敵性判断などコンサルトとしての立場を大きく逸脱した行為だった。しかしそれだけの意味はあった。
クリスティアーノはともかく、マサト・リューベックはただただプロヴィデンスを敵視しているのではない。彼には別の目的があり、そのためにクリスティアーノと協力しているに過ぎない。
自分たちと彼は必ずしも敵対するわけではない。これは楽観かもしれないが少なくとも何かしらの期待をもってあのメッセージは贈られたはずである。調べてみる価値はあるだろう。個人的に。
「おかえりなさいませ。首尾はどうでしたか?」
隣の客車で待機していたカセレスが聞く。ソーグは困った顔をするだけで答えなかった。
「要件は済んだ。次の駅で降りて帰るとしよう」
「かしこまりました」
小一時間列車揺られると列車は最寄りの駅で停車した。何の予定もなく、全く馴染みのない地へ降り立つことにソーグは感傷を覚えた。未知の領域へ踏み込んだことに。
「おい」
声がかかった。見ればクリスティアーノが車窓から顔を覗かせている。
「忘れ物だぞ」
その手には話のタネに使った1911があった。公衆の面前で堂々と銃をチラつかせる行為にソーグは思わず笑ってしまった。さすがにこの場で受け取るのはマズい。
「記念に差し上げよう。別に何も仕掛けていない」
クリスティアーノはしばらく視線を彷徨わせてから何事か思いついたようで不敵に笑った。
「合う弾を探しておこう」
貴様らにぶち込むための。
どうぞご自由に。
警笛がなり、列車はゆっくりと動き始めた。クリスティアーノは引っ込んだがソーグはそれが見えなくなるまで見送った。
「あれが、僕たちの敵、ですか」
カセレスの問いにソーグは迷ってから答えた。
「そうとも、限らない」




