17/5「ザ・チョイス」
17/5「ザ・チョイス」
亡命。民族・宗教・思想・政治的見地など。立場の相違によって自国にいられないと判断した者が国を捨て、外国に逃れること。単語として意味を理解していても実際にその状況を目の当たりにしてすんなりと理解することはできなかった。
「な、なんで?」
ハヤミの口をついたのは素朴な疑問だった。意味が解らない。そこまでする事情があるとは思えなかった。当然の疑問にエディタは困ったように笑う。
「ああ、まぁそうだろうね。あたしも別にこの国が嫌ってわけじゃないんだけどね。なんていうか、ついていくって決めたやつがいるのさ。そいつが一緒に来ないかっていうからあたしはそれについてく」
どこか気恥ずかし気にエディタは言う。そこにはハヤミが持つ亡命者のイメージはない。逃げ出すどころか望んで新天地に挑む開拓者のような覚悟がその表情にはあった。
なんだそれ?意味が解らない。
「つまり彼女らは夜逃げの真っ最中だったわけよ。そこに君らが現れてさぁ困った、というのが今の状況」
カンナギが愉快気に捕捉するとエディタは再度カンナギに助けを求めた。
「それでこの状況どうするのよカンナギさん」
「私が決めることじゃないんだけどねぇ。ま、そうね」
カンナギはしばらく考えを巡らすと意味ありげにニヤリと笑いハヤミたちに向き合った。
「さて、ハヤミ君といったか。君たちがここに来てしまった時点でその人生設計は大きな軌道修正が必要になったようだ。あと少し早いか、あるいは遅ければ何事もなかったのに全く人生とは上手くいかない。しかしだからこそ面白い。状況は最悪に思えるかもしれない。けどそれはエディタ君にとっても最悪なことで可能ならば回避したい結末でもある。つまり我々は君たちにいくらかの協力が可能で、君たちはそれを選択することができる。私から君たちに提示できる案は3つだ」
カンナギの右手の指が3本立てられた。親指、人差し指、中指のドイツ式の指折りだった。
「1つ。見なかったことにする。全てを忘れて家に帰る。私たちも見逃してあげるのはまぁ構わない。ただし、私たちのやっていることは遠からず当局も捕捉するでしょうし、そうなれば必然、君たちの関連も目に付くことになる。君たちは関係者として疑われ、高い確率で拘束される。協力者と見做されれば経歴にも傷がつく。実際には見なかったことにもなかったことにもできない。悪い選択肢とは言い切れないけど愉快な経験にはならない。お薦めはできないわね」
この選択肢はハヤミから見れば決して悪い選択肢には思えなかった。ただし、これはあくまでハヤミたちから見たものだ。カンナギにしてみれば見られたくないものを見た人間を放置しておくことは危険を伴うはずである。本当に見逃すかも解らない。それにカンナギのいう当局の人間の思惑もハヤミには読めないところがある。ハヤミたちが無実を訴えたところで見逃されたハヤミたちを無関係の人間と見做してくれるかどうか。ハヤミは確信が持てない。モーリの行動もマズい。経緯はどうあれサーバーに侵入したのである。バレれば誰から見ても協力者と映るだろう。そうでなくとも規約違反で懲罰は必至だ。大方はカンナギの言う通りであり、他にいい選択肢があるなら避けたいところである。
ハヤミたちの無言を静聴と見做したのかカンナギは中指を折って2つめの選択肢を提示した。
「2つ。義務を果たす。私たちのやっていることは明確な犯罪行為よ。これを当局に通報するのは地球連合の一員としての義務、正義に叶う行為でしょうね。これを選択すれば君たちの名誉は守られる。ただし命は守られないでしょうし、そもそもその義務を果たすこともできない。これは私が保証する。つまりこの選択肢は最悪の結果を導くわけ」
全ては語らず、柔らかく、されどはっきりとカンナギは断じる。この選択肢はカンナギにとってはもっとも楽で堅実な選択肢であるはずだった。カンナギには二人の事情を慮る理由がない。しかし奇妙なことにカンナギは二人にこの選択肢を選ばないことを強く諭しているようだった。
カンナギは酔狂なことをしている。これは傍らのエディタの困惑した表情からもうかがえる。このことからハヤミは幾分か冷静を取り戻すことができた。よくは解らないがカンナギはこの場にいる全員にとってマシな提案をしようとしている。固唾を呑んで次の、恐らくは本命であろう選択肢を待った。
このハヤミの態度はカンナギの思惑に叶うものだった。満足げに頷くと人差し指を折った。
「じゃ、最後の1つ。これは複雑そうに思えるけど実際にはとてもシンプルな解決策よ。君たちは全てを失うかもしれない、でも新たに多くを得ることもある。個人的にはこれが私の一推し」
そういうとカンナギはサムズアップの親指をエディタに向けた。
「一緒に来なさい」
ハヤミはカンナギが何を言っているのかは理解した。しかし、受け止めるのには苦労した。
「えーと。つまり。俺たちにも亡命しろって言ってる?」
カンナギは再び満足げな顔をして頷いた。
「然り。で、あるなら私たちは君たちを丁重に扱うことができるし、そこのエディタ君もご友邦を不幸な目に合わせずに済むわけ」
呆然としたのはハヤミだけではなかった。一番驚いたのは実のところエディタだったかもしれない。
「ちょ、ちょっとカンナギさん。そんな話いきなりされてもですね」
「あら。誰にとってもベターな選択肢だと私は思うけど?他に適当な案があるなら聞こうじゃない。時間が許すなら、ね」
パニックになっているエディタにカンナギは首を傾げて言い聞かせる。暗に他にいい方法などないと言っている。
実際、エディタには他の方法など思い浮かばなかった。それでも選択するにはあまりにも突飛な案だった。エディタはただのSEでこの場所にも「夜逃げする」方としているのである。カンナギ達のような「夜逃げさせる」方ではない。
気の毒に。ハヤミはそんなことを思った。エディタは要するに拉致誘拐の決断をさせられているのである。自分たちのことであるならともかく他人を巻き込む決断など簡単にできるわけがない。ほっとするのは今のエディタはハヤミたちの知るエディタであることだった。エディタはどこかの国のスパイなどではなく、ハヤミたちの知る人物を演じていたわけでもない、ということだ。
それにしても妙な状況だ。思うにこの提案にもっとも利益のない人間こそカンナギだった。彼女はあくまでエディタらの亡命を実行する要員のはずでハヤミら想定外の人間を増やすことはデメリットしかないはずである。
この場における意思決定者であるエディタは唸っていたがやがて大きなため息をつくと腹を決めたのかこれまで見せたことのない顔をした。
「悪いハヤミ、モーリ。あたしらと一緒に来てくれ。絶対に悪いようにはしない」
真っすぐに見つめてくるエディタにモーリは本能的に恐怖を感じた。ある種の狂気がその覚悟には含まれている。これは脅しではないがこれ以外の選択肢を認めるつもりはないと決然と示していた。
このエディタの覚悟はハヤミたちにとってありがたいものではなかったが、かといって拒絶はできそうにない。
遠くにエンジンの音が聞こえ、車のライトが見える。これはエディタ達に関連するものか?カンナギは少し耳を傾ける程度で焦る様子も見せずに笑う。
「さて、時間は君たちの味方じゃないわよ」
決断の促し。ハヤミは半ば覚悟を決めていた。それはカンナギにしてもエディタにしても解っている。必然、この場における最終的な決断は一人の女に預けられた。
「え、あ」
モーリはいまだ混乱の最中だった。無理もない。いきなり荒事に巻き込まれたかと思えば知人が亡命すると言い出し、さらにそれを自分たちに押し付けているのである。決断できる方が異常だろう。
ライトは徐々に近づく。エディタは焦りを滲ませるがカンナギは全く動じる様子がない。モーリは状況を整理しようと思考を働かせようとしている。しかしハヤミにはそうは見えなかった。実際にはモーリの思考は一方向にしか働いていないはずだ。
無理だ。ハヤミはそう結論する。今のモーリには現実を受け入れるという判断はできない。できるのは受け入れないことだけだ。このままでは先ほどのようにパニックを起こして願望に基づいた決断をするだろう。それは最悪の結末を招く。
選択を迫られているのはモーリではない、自分だ。ハヤミはそう考えた。
ハヤミはモーリの腕を掴んで立ち上がらせるとしっかりとその手と肩を固定してカンナギと向き合わせた。
我ながらとんでもないことをやっている。そう思ったがだからといってその行動を止めようとは思わなかった。
「行こう」
ハヤミの宣言を拒絶する意志力をモーリは持っていない。それが解っているからこその強引な手段だった。モーリはしばし呆然とし、やがて観念したかのように顔を俯かせた。
「よろしい。君たちの選択を歓迎する」
このときカンナギが見せた笑みをハヤミは終生忘れない。それは人間に向けるような笑みではなかった。極上の喜劇を鑑賞している観客のそれである。カンナギは状況そのものを楽しんでいるのだ。
車のライトがハヤミたちを直接照らし、そして警備車両と思しき車が姿を見せた。しかしカンナギはそれに対して何のリアクションも見せない。車両は静かに4人の近くに滑り込んだ。
「スミス、状況」
車から降りてきたのは先ほどまでハヤミたちを追っていた大男だった。二人を一瞥して困惑した様子を見せる。
「準備完了、いつでも出れます。で、なんすか?その2人は」
「追加」
「追加って」
カンナギのあっさりとした説明にスミスは絶句する。
「今さら1人2人増えたところで一緒でしょ」
確かに車にはまだスペースがあったがスミスが求めているのは2人を追加する理由である。成り行きでやるようなことではないだろう。
「いいんですかい?こんな勝手なことして」
「なら、シミズに確認取ってみる?」
カンナギの返しにスミスは口をモゴモゴさせてしばらくすると諦めたように肩を竦めた。彼の知る限り、シミズはカンナギのやろうとしていることに反対するような人間ではなかったのである。
「はいよ、解りましたよ。それで、任意ですかい?無理矢理ですかい?」
スミスは2人の意向をカンナギに確認した。物騒なやり取りにハヤミは改めてこれが真っ当な旅行ではないことを確認する。
「任意」
カンナギはあっさりと断言した。つまりエディタたちと同じように扱うということである。リスクの高い行為だ。しかしスミスは軽くため息をつくだけだった。
「了解。んじゃ、いきますか」
カンナギの宣言通り、スミスは2人を客人として遇し、恭しく車への乗り込みを勧めた。
今さら拒否はできない。ハヤミはいまだ冷静とはほど遠いモーリの腕を強く掴むと有無を言わせず車に乗り込んだ。
走り出した車は堂々と施設の正門から出ようとする。そこにはハヤミらが求めていた警備員たちが何も気づかずいつも通りのやる気のない仕事をしていた。
「大人しくしててくれよ。騒いでも誰のためにもならんからな」
スミスの言葉は警告というよりも面倒な真似はするな程度の緊張感しかなかった。ハヤミはモーリの肩に手をおいて落ち着ける。ここで下手に助けを求めたらどうなるかを想像すると2人は黙るしかなかった。
警備員は流れ作業的に対応をしてあっさりと車を通す。さっきハヤミの応対をした警備員もいるが車の中を見ようともしない。このやる気のなさに付け込まれたわけか。自分たちの不幸の一端をそのザル警備に見出してハヤミは思わず悪態をついた。
「ザル過ぎる」
「いや。大いに助かったんじゃないか、お互いに。騒ぎになってたらこっちも手札を切るしかなかったわけだからな。連中が杜撰だからこそこっちも加減しなきゃならなかったんだ」
何が楽しいのかスミスはニヤニヤしながらバックミラー越しにハヤミに話しかけた。
その手札とやらは恐らく暴力で、2人の生死を問わないタイプのものだろう。確かに。スミスがその気だったなら2人は今ごろ生きてはいまい。
「あら加減してたの?」
カンナギの茶々にスミスは縮こまった。確かに加減していたというよりも色々考え過ぎた上で振り回されたのだが。
「こっちなりに考えながら立ち回ってたんですよ」
「冗談よ。結果的にそれで正解だったわけだし」
ケラケラ笑いながらカンナギはフォローになっていないフォローをする。それにエディタが反応した。
「スミスさん本当にご迷惑おかけしました。おかげで友人を失わずにすみました」
カンナギの言う通り結果としてはそのおかげでハヤミとモーリは助かったのである。スミスは口をモゴモゴさせてどう返したらいいものか悩むと「そりゃどうも」と言ってやり取りを切り上げた。
「それにしても見事な立ち回りだった」
今度はカンナギが語り掛ける。ハヤミが訝しむとカンナギは興味深い虫でも見るようにハヤミを真っすぐに見据える。特段美人ではないが独特な魅力を持った眼差しだった。
「スミスはかなりの腕っこきよ。自縄自縛だったとはいえそれを手こずらせるんだから大したものだわ」
「そりゃ…どうも」
自分を褒めることで間接的にスミスをフォローしてるんだろうな。とハヤミは思ったのだがカンナギは視線を固定したまま続ける。
「エディタ君に聞いたけど。なかなかに優れた状況判断力を持っているらしい。なるほど、さっきのやり取りを見れば納得できる話だわ」
「買い被りじゃないですかね」
「あらそう?ま、ともあれ君のおかげでことは収まったわけよ。それは確かよ。私は君の決断を評価する。礼を言っておくわハヤミ君」
驚くべきことにカンナギは本気でハヤミを評価しているようだった。ハヤミにしてみればあれはほとんど脅迫の結果であって自発的な選択をしたとはとても思えないのだが、そう思っているのはカンナギだけではなかった。
「あたしからも礼を言うよハヤミ。あんたがいなかったらモーリはどうなってたか」
エディタの方も心底助かったと本気で感謝している。これも過大評価な気がする。しかし実際にモーリだけだったらどうなっていたか。あまり想像はしたくない。
「で、これから俺たちはどうなるんすかね?」
これもあまり考えたくない。もはや引き返せないところにいるのは解っていたので我慢したが、叶うならば地球連合国民として真っ当に生きる道に戻りたいと要求するところである。
ハヤミの半分嘆きに近い問いにエディタはあまり有難くない覚悟をしていた。
「当然、2人の身柄は私が責任を持って預かる。悪いようには絶対にしない」
答えになってない。という言葉をハヤミは何とか呑み込んだが顔には出た。それに気づいたエディタはハヤミにとって吉報とも凶報とも言えない台詞を追加するのだった。
「心配しないで、マサトも一緒っていうか。あいつが今回の主犯だから、あいつも2人を無碍にはしないって」
あ、俺って呪われてるんだ。
ハヤミは自分の運命が見当違いの方向にアクロバットをしていることをこの時初めて自覚したのだった。
遠く離れた地で伊達メガネの少年は本人の言うところの夜逃げ計画に紛れ込んだ異物に苦笑した。計画そのものは順調に進んでいる。奪取すべき人材とその家族。必要な部材の確保。地球に残る者たちの安全と名誉もクリスティアーノが約束を果たすのならば守られるだろう。
「私の不注意だった。責任は取るから何とか受け入れてやって欲しい」
エディタは2人を巻き込んでしまった責任を感じているようだったがマサトの方にそれを責める気は毛頭なかった。むしろハヤミを知るマサトからはこれがハヤミという男の持つ因果としか思えない。
「エディタさんが巻き込んだんじゃなくて、あの2人が巻き込まれに来たんですよ。もちろん僕の方で預かりましょう。知らない仲でもなし、悪いようにはしませんよ」
ほっと胸を撫でおろすとエディタは表情を切り結んだ。
「解った。2人追加で進める。そっちの状況は?」
問われてマサトは後ろを振り返った。特異な甲冑を身にまとった男がちょうどひと仕事を終えて戻ってきたところだった。その手には古式ゆかしくも最新鋭の技術で誂えた剣と現地調達したらしき銃が握られ、全身を赤い液体で飾っている。その赤の禍々しさに劣らぬ赤毛の男は眼を光らせ物騒に笑う。それの意味するところを承知してマサトは答えた。
「庭の掃除が終わったところです。今から搬出しますんでしばらく連絡はつきません。後はカンナギさんの言う通りにしてれば何も問題はないはずです。2人にもよろしく伝えて置いてください」
「了解。幸運を」
通信が切られると赤毛の男は現地調達したライフルをマサトに投げ渡した。
「こういうのはあまり得意じゃないんですけどね」
言いながら銃を操作する手つきは慣れている。
「人手が足りねーんだ。欲しいものがあるなら自分でも動けってことよ」
赤毛の男。エルンスト・ティアフォルクは取り合わず、一掃したばかりの警備所を通過して施設に侵入していった。
310年6月のことである。地球の各地にある研究施設で同時多発的に破壊行為、ないし強奪行為が発生した。その同時多発の事件に紛れるようにクサカ社傘下の軍需企業イスルギ社の資産と社員の凡そ8割にあたる人員とその家族、さらにイスルギ社の抱えていたデータが蒸発する事件が発生している。
しかし不可思議なことにこの事件は地球連合全体においてはほとんど問題視されなかった。直後の6月末、地球連合大統領選よってOPAの擁立したハルオミ・タケダが当選したことで報道がそれ一色に染まったのである。さらに事件捜査の続報がなく、事件後の影響が異様なまでに薄かったことも世間から興味を失せさせた。もっとも影響を受けたであろう軍部すら積極的な捜査を行わなかった。これを訝しんだ者は少なくなかったが事件そのものの規模の大きさ、多彩さからその真相に辿り着くことができたものはいない。
真実は歴史の闇に埋もれた。しかしそれは見えなくなっただけに過ぎず、確実に存在し、動き続けていた。ハヤミ・シロウ、モーリ・シエナの2人の歴史にしてもそうである。
それらの埋もれた真実に代わって姿を現したものもあった。この1か月後。WOZの代表的な軍需企業であるスターク・エヴォルテック社が体制を改めると同時に社名を変更する。
アイデアル・スターク・エヴォルテック。通称ISE社の誕生である。それと共に宇宙開拓歴に終焉を齎す一人が歴史の盤面に配置された。
ISE社第三開発部部長、そしてWOZギガンティアの騎士。天使。シミズ・マサト・リューベックその人である。
次回更新は5月を予定しています。
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