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17/3「上手く行かない日」

17/3「上手く行かない日」

 ハヤミとモーリは自分たちに迫る脅威を知りもせず、また手元にあるものの危険度も理解せずに施設の通路を歩いていた。夜の施設は人気もなく、不気味なほどに静まりかえっている。これほど遅くまで居残っていることはないのでハヤミにはそれが正常なのか異常なのか判別できなかった。それに意識は別のところに向いていた。

 この件からは手を引くべきかどうか。自分には事情がわからないし、モーリも望んではいないのだからそうしたいところだ。一方で既に十分すぎるほど関わったのも事実である。モーリが無関係ですと言ったところで納得もされまい。事実上ハヤミはモーリの共犯者になっているのである。モーリの見込みは甘い。なのでハヤミとしては積極的に関りになる筋合いがある。自分の身を守るために。

 自分たちの職場区画から出ようというところでハヤミは見慣れないものを見た。

「なんだありゃ」

 いつも通っている通路が物々しいゲートによって封鎖されていたのである。ハヤミにとっては初めての光景だったがモーリにはそうではなかった。研究施設は区画の切り替わる要所にゲートが設置されており要事においては区画ごと封鎖されるようになっているのである。

「業務時間過ぎたから閉まったんですよ。見たことないんですか?」

「外様なもんで」

 外様職員のハヤミが施設に最後まで居残ることなどない。モーリはそれもそうかと納得する。通路を塞ぐゲートには小さめの扉があり、そこにIDをかざすコンソールがある。そこから出るだけなら簡単にできる。はずだった。

 モーリたちが潜ろうとしたゲートのシステムは既に遮断された後で反応しなかった。

「あれ?」

 モーリは再度手順を繰り返した。結果は同じ。まさか、バレた?モーリは青ざめたがその想像は現実には則しておらず、いまだ迫りくる脅威には気づいていない。

「どした?」

「いえ、故障、ですかね」

 悪行がバレたか?ハヤミも同じことを思ったが冗談として口にするには相手も場所もマズいと自重する。

「正規手順?」

「はい。封鎖されても出るだけなら誰のIDでもできるはずです」

 そう言われてハヤミは自分のIDを試した。やはりゲートは反応しなかった。

 妙だな。ハヤミのセンサーに何かが引っかかる。

「別のルートを使おう」

「そ、そうですね。ただの故障かもしれませんし」

 ハヤミの提案に頷いてモーリたちは別のゲートに向かい始めた。

 やれやれ、もう厄介事は充分だろ?ハヤミの中で虫がざわめき始めた。仮にモーリの悪事がバレたのだとしても即座に対応されるはずがない。対応の仕方としても不自然だ。となれば単なる機材の故障か?その可能性はまだあるかもしれない。そうだったならいいだろう。そうであってくれ。

 そうじゃないんだろうなぁ。


 一方その頃2人への接触を試みるスミスはアサギリのオペレートの下に何も気づかず巡回をする警備員たちを避けつつモーリたちに迫っていた。

「5番ゲートは封鎖済み。対象は6番に向かってる」

「その6番で待ち伏せる」

 アサギリは軽く試算したが6番ゲート付近を巡回する警備員を見咎めて首を振った。

「他の警備員の巡回ルートとタイミング的にかち合うね。時間がかかるか、最悪は向こうと鉢合わせるかも」

「面倒なこった。その場合は6番も封鎖しろ」

 了解、と返事をした後にアサギリは至極もっともな意見を述べた。

「排除すればよくない?」

 警備システムは制圧しているのだから警備員を排除してもしばらくは異常に気付かれることはない。確かにその方が話は早い。しかし、ここまで完璧に警備を欺いてきたのを自分たちから覆すことがスミスは気に喰わなかった。スミスは大柄で粗暴な見た目をしているが暴力は道具であり、道具はスマートに制御されるべきであるを心情としている。振るうならば一気呵成に振るうべきだが避けられるならその努力は惜しむべきではない。

「やめておく」

 そういうと思いましたよ。アサギリは乾いた笑みを浮かべた。このクソめんどうな方法を選んだのは他ならぬスミスだった。素直に施設を制圧しつつ死傷者を出さない方法もなかったわけではないのだが、そのやり口にスミスは魅力を感じなかった。難易度は高くても死傷者のリスクがより低い方。何よりチャレンジングな方を選ぶのがスミスの志向だった。だからこそその選択は選ばない。スミスの方向性を自分で否定するようなものだからだ。

 それが裏目に出なければいいんですけどねぇ。思いながらアサギリはほとんどそうなることを覚悟していた。この手の仕事では、起きてほしくないことほど起きるものなのだ。それも予想外の形で。

「んじゃやり過ごしてから6番で」

「了解だ」

 スミスが移動を開始する。

 この時、アサギリにはスミス、施設全体の警備員、特に6番ゲート付近を巡回する警備員。さらに謎の闖入者と明らかに過剰な監視対象を抱えていた。アサギリ自身は掌握した警備システムが機能している限りは問題ないと思っている。しかし予想外の形はまさにそこに潜んでいた。もちろんこの時のアサギリは気づきもしなかったのだが。

 スミスと対象者が6番ゲートに近づく。やはり警備員も。このままいけば3者が鉢合わせになる。アサギリは指示された通り対象を足止めする判断を下した。

「ダメだ。封鎖する」

「封鎖了解」

 不都合な展開ではあるが想定の範囲内。スミスも動きを止めて待機する。まもなくスミスの視線の先に2人組の警備員が見えた。何も知らずに何やら話しながら歩いている。視線もあやふやであれでは何か異常があっても見落とすだろう。

 ダラダラしやがって。その愚鈍さを利用していることも忘れてスミスはイラついた。

 ちょうど同じタイミング。6番ゲートの向こう側にハヤミらもたどり着いた。当然、このゲートもアサギリによって封鎖されていた。

 2つ続けての無反応。これでゲートの故障という線はほぼ消えた。

「え、と。どうしましょう」

 もう完全にバレているとモーリは思った。となれば逃げてもしょうがない。勝手にサーバーにアクセスしたのは事実であるのだが、それよりもイスルギのALIOSが侵入しているという事実を報告することの方が重要だ。自分の行動もそれを確認するためだったと言えば理解してもらえるかもしれない。モーリの思考は何が起こっているかを確定して自身の行動の言い訳を作ることに大部分を裂いていた。

 一方ハヤミはまだ何が起こっているかを推測し、それを確定する方向に意識を使っている。

 考えたくはないが一番の可能性は襲撃だ。最新鋭兵器の開発場所。機密の宝庫。しかも今は戦時中。襲われる理由はいくらでもある。むしろそれを考えもしてこなかったことにハヤミは愕然とした。

「とりあえずこの場所はマズい。移動するぞ」

 とにかくここに留まるのはヤバい。しかし想定している危機が異なるモーリはハヤミの行動が理解できなかった。

「いや意味ありませんよ。ここは大人しく事態を洗いざらい説明して」

 何言ってんだこいつ?ここでハヤミはモーリとの認識に大きな齟齬があることを理解した。どう説明する?現時点ではハヤミの持つ危機感には根拠がない。説明したところで納得されるとも思えないし、かえって混乱させるかもしれない。

「ここで待っててもしょうがないだろ。こっちの職場に戻って待ってればいい」

 とにかく移動するための方便にモーリは納得して2人は来た道を戻り始めた。この移動は2人を追うスミスらから見ると不可解な動きだった。

「戻ってくわ」

「何なんだよ一体」

 追う側のスミスはまさに6番ゲート付近で警備員をやり過ごすために待機しているところだった。一体この2人は何者で何を考えているんだ?

 そして何を考えているんだと思ってしまうのがさらに2人。巡回中のはずである警備員2人がスミスの通りたい6番ゲートの目の前で談笑を始めてしまったのである。

 ちゃんと仕事しろよ!とスミスは思うのだがそれはそれで自分たちにとって不利益なのでスミスはこんがらがってしまう。

「おい、何とかできんのか」

「別の場所で騒ぎを起こすとか?何やるにしてもいかにも不自然になっちゃうよ」

「面倒くせぇ」

「チーフの招いた事態でしょ」

 ごもっとも。自らのポリシーを無視する選択を天秤にかけながら5分。スミスは耐えた。何事にも気づくことなく警備員が6番ゲートから離れるとスミスはようやくゲートを通り抜けた。

「こちらスミス。今入った。この区画は誰も近づけないようにしろ」

「やるだけはやってみるけど限界ってもんがあるからね。そっからはまっすぐ進むだけ」

「ターゲットの動向は?」

 アサギリは目標の動きに首を傾げてからありのままを報告した。

「回ってる」

「なんだって?」

「だから、回ってる」


 その頃、モーリたちは自分たちのブースに戻っていた。まだ異変に気付いていないモーリは今後の行動に頭を悩ませながら落ち着きなくブースをぐるぐると回っている。ハヤミもそれに黙って付き合っていたのだがさすがに焦れてきた。

「で、どうするつもりなわけ?」

「いま考えてるんです」

 それで何かいい結論が出るのならいいのだが。実際には既に出ている結論をあれやこれやと弄っているんだろう。

「動転してる」

 ハヤミの指摘は誰にでも解ることだったが上手い伝え方ではなかった。少なくとも多くの人間は今言う必要はないと判断しただろう。案の定、事実を指摘されたモーリは癇癪を起した。

「してますよ!するに決まってるでしょ!」

 何も解ってない癖に。金切り声を上げて非難するモーリだが続く言葉は辛うじて呑み込まれた。解ってほしいわけではないし、解ってもらうわけにもいかない。だからハヤミは何も悪くない。全部自分が悪いのだ。

 全てが上手くいっていない。どうすればいいのか解らなくなってモーリは感情の抑えが効かなくなった。涙が視界を覆い尽くして前が見えなくなり、後はただ泣きじゃくるしかできなくなった。


 そんな2人の状況など露知らず、脅威はついに辿り着いた。ガラス窓から内部を確認したスミスからは詳しい状況は確認できなかったがもっとも重要なものだけは確認できた。部屋の中央、ミーティング場と思しき場所に背中を向けた2人組。そしてメモリユニット。ゴールを確認してスミスはホッと一息をついた。ただし、本番はこれからだ。

「目標のユニットを確認。さて、どうしたもんだか」

 気取られずに奪えればいいが、それはさすがに無理がある。大立ち回りになって警備員に気付かれることも避けねばならない。となれば一番確実なのは

「結局のところ暴力の出番では?」

 アサギリの言葉はむしろスミスからその選択肢を遠ざけた。

「リスクが大きすぎる」

 相手が何者なのか解らないのである。仮に気絶させるなり、殺害するなりしたとして、その後はどうするのだ。死体ないし、気絶した対象を放っておいていいのかどうかも解らない。いくら何でも2人を拉致して連れ去るわけにもいかない。ユニットだけ奪って相手は無事というのがもっともスマートなのだが。

「あんま時間もかけてられないよ」

 別の警備員が近づいているのがアサギリに確認できた。巡回ルートを変更するのは簡単だが懸念点が一つ。対象のいるブースの明かり。これを警備員に見咎められた場合はアサギリがルートを変えたところで警備員は確認しにくる可能性が高い。

 とアサギリは閃いた。

「照明落そうか?」

 その提案の意図をスミスはすぐに解した。唐突に照明を落とされて視界が奪われれば大抵の人間は思考停止に陥る。その間にユニットを奪取して離脱する、というわけだ。スミス的にも好ましいやり口だった。

「いい案だ。それでいこう」


 モーリが泣き疲れて涙が枯れるのには3分ほどかかった。感情とは良くも悪くも一定ではいられない。怒りと同じで泣くこともいつまでも続けられるものではない。

 モーリも泣くことに疲れてくると冷静になり、大人の癖に人前で泣きじゃくったことが恥ずかしくなった。

「すいません。巻き込んでおいて。取り乱しました」

 ハヤミの顔は努めて無感情だった。いろいろ言いたいことはあるのだろうがそれは一言に集約された。

「生きてりゃ恥もかく」

 それはただの言葉ではないようにモーリに思えた。取り繕ったものではない培ったものから出た言葉。

「で、どうよ。動転してる?」

「大丈夫です」

 はっきり答えるとハヤミはニカッと笑ったがすぐにいつものやる気のない顔に戻った。実際のところ問題は何一つ解決していないのである。

「さて。これからどうしたもんかね」

 今のところ施設は平静そのものだった。ゲートの封鎖は本当にただの故障だとでもいうのか。それは絶対にない。

「とりあえず警備に連絡しましょう」

 モーリが社内通話に手を伸ばす。ハヤミはあっという顔をしたのでモーリは首を傾げた。その手の受話器からは何の音もしなかった。

「あれ?」

 ハヤミは気まずそうに頭を掻いた。モーリが泣いている間に確認したのである。社内通話は完全に不通になっていた。ゲートと合わせて完全な異常事態だった。

 モーリもいよいよおかしいことに気付きはじめた。自分のことばかり考えていてそれどころではなかったが、何かが起こっている。

「これ、何が起こってるんです?」

「お気づきになりましたか。いや聞きたいのはこっちなんですけどね」

 だいたい察しはついているハヤミだったが敢えて口にはしない。モーリに受け止められる気がしない。それに今のところ騒ぎになっていないのだ。何者かが施設を襲っているのだとしても、それが自分たちに無関係であるならこのまま待機が正解だろう。

 この時ハヤミはらしくもなく楽観的な思考を信じようとしていた。それはハヤミの願望というよりもモーリを慮ったがゆえであろう。しかし無慈悲な因果はその横っ面を強かにぶん殴る。

「とりあえず。今んところ騒ぎになってないんだし、ここにいれば安ぜ」

 全て言い切ることはできなかった。その瞬間、部屋の照明が突如として落ちた。


「いま!」

 アサギリのカウントと同時、スミスはオフィスに踏み込んだ。同時に部屋の照明が落とされる。が、それは思ったよりも不十分だった。確かに視界に大きな影響を及ぼしはしたものの非常灯などの明かりで全くの0という状態でもなかった。

 スミスもそれを十分に認識していたがそれでも行動に出た。他にいい方法もタイミングもない。姿勢低く部屋に突入して一気に目標に近づこうとする。

 ほとんど同時。ハヤミは突如視界が激変すると反射的に姿勢を低くしていた。そんな訓練を受けた覚えはないが本能がそうしろと告げた。

 かたやモーリはフリーズして突っ立ていた。暗い部屋の中でスミス、ハヤミの双方からその人影が見える。

 スミスからはハヤミの存在が掴めなかったが今さら構ってはいられない。対象は棒立ちになっている相手の近くにあるはずである。相手の目が慣れる前に肩をつけようと一気に接近する。スミスはその巨体で相手を弾き飛ばすつもりだった。しかしその人影が女子供のような小ささであることに気付いて躊躇した。さらにそいつが対象のメモリユニットを後生大事に抱え込んでいる。突き飛ばすのはマズいことに気付いて足が鈍る。

 どうするか迷う暇もなかった。次の瞬間、スミスこそがハヤミのタックルを喰らって近くにあった机を跨いで諸共に倒れ込んだ。

 仕掛けた側の強みで素早く体勢を立て直すとハヤミは転げて机の影に消えた。

「やろう」

 遅れて体勢を持ち直したスミスは暗い部屋を見回した。スミスにとって驚くべきことにそこには女が放心状態で立ったままだった。こちらを見て涙目になっている。

 なんだこいつ?スミスはわけが解らなくなった。

「逃げろバカ!!」

 声が聞こえてスミスは我に返った。もちろん逃げろと言われたのは女の方なのだろうが肝心の相手は恐慌状態になっているのか震えているだけである。スミスの意識はもう一方の男の方に向いた。さすがにもう大人しくなどという気分ではなかった。

 照明の落ちた机が並ぶオフィスの中、ハヤミは姿勢を低くして動いていた。タックルをかまして解ったのだがあの巨漢には絶対に勝てない。鍛え方がまるで違う。モーリがあのタックルの間に逃げてくれればよかったのだが完全にフリーズしている。無理もない。しかしこうなるとどうするべきか。

 考えている時間はなかった。大男は大人くらいの重量はゆうにある机を蹴り上げてハヤミを暴き出したのである。度肝を抜かれたハヤミは犬のように四つん這いのまま机の下を逃げ惑う。

 無我夢中だった。普通の人間ならまずもって対処しようがない状況。しかしハヤミは死線を潜り抜けてきた人間だった。実戦によって養われたハヤミの戦闘システムが状況をいち早く分析し、活路を切り開くために回転していた。

 ネズミみてーな動きしやがって。素人ならではのなりふりかまわない逃げ方にスミスは悪態をついたが一度見つけてしまえばもう逃すことはない。ネズミの逃げた方向は部屋の奥であり袋小路だった。すぐに追い詰められる。女の方にも意識を向けつつスミスはハヤミを追い詰めた。最後の机に逃げ込んだネズミを暴き出すためスミスは先ほどと同様にその机を蹴り上げた。しかしそこにいたのはネズミではなかった。

 追い詰められた場所。その机の下、そこにあるものをハヤミはモーリにやらされた緊急避難点検で知っていた。消火器。目の前の机が吹っ飛んで肝を潰したハヤミだったがそれ以前に決めていた取るべき行動は反射的に実行された。

 2人の間に着色された二酸化炭素の煙が充満してお互いの姿を覆い尽くす。展開が大きく変わって両者に新たな問題が提示された。

 獲物の思わぬ対応力にスミスは思わず腰の銃を手に取りそうになった。かろうじて思い留まり、それによって冷静さを取り戻す。目的はあくまでメモリユニットの回収である。大立ち回りをした挙句に手間取ってはそれが仕事を失敗させる要因にもなりかねない。となれば自分が対処すべきはこの男ではない。この男はただの障害であってそれは必ずしも粉砕する必要はない。

 スミスは相手の出方を伺いながらもう片方の女、メモリユニットとの間に自分を置いた。相手の合流を阻みつつ、隙を見て目標を回収して離脱するつもりだった。

 それに対してハヤミの次の行動、及び目標は至極単純でそして強引だった。とにかく、逃げる。即断即決。あるだけの消火剤をぶちまけたハヤミはその消火器をぶん投げた。それでどうにかなるとは思ってない。しかし見に入った直後のスミスはハヤミの思い切った行動に適切な対応ができなかった。

 投げつけられた消火器を払ったスミスに大したダメージはなかった。しかし充満したガスと飛来する消火器に気を取られて一瞬の隙が生じた。そして驚くべきことにスミスのすぐ脇にハヤミは現れた。

 完全に虚を突かれたスミスは反射的に身を守る体勢をとってしまった。実際ハヤミが武器なりを持っていて襲い掛かっていれば痛手を負わせられたかもしれない。しかしハヤミはわき目も振らずに通り抜けていく。

 先ほどからは一転、姿勢は低くせず、オフィスのブースを全力で駆ける。予想通りというかモーリはパニックになっていて先ほどから全く変わらずの棒立ち。その手を取ってハヤミはオフィスから飛び出した。といってもモーリのペースに合わせるそれは酷く緩慢でハヤミは絶対に追いつかれると思った。

 何だよその思い切りは!?当然スミスは慌てて追おうとしたが思わぬものに足を止められた。

「待ってチーフ」

 唐突なアサギリからのストップ。物音を聞きつけた警備員が接近してきたのである。素早くその巨体を隠してスミスは舌打ちした。

「近づけるなと言ったろ」

「モノには限界ってものがあるんですよお客さん。文句があるなら事前にオーダーしてもらわないと困りますね」

 確かに急な展開でのやっつけ誘導でできることには限度があるか。スミスもさすがにそれ以上文句は言えなかった。

 システムを掌握していると言っても警備員そのものはいつもと変わらぬ形で巡回をしている。この動きをスミスは無視できない。すり抜けて追跡したとしてもその先で騒ぎになることは確実なのでスミスはやり過ごすまで大人しくするしかなかった。

 一方、逃げるハヤミたちだったが相変わらずゲートは封鎖されている。すぐに行き止まりになって足が止まる。息を切らしながらモーリが抗議するように説明を求めた。

「な、なんなんですかあの人らは?」

「俺が知るかよ。テロリストか何かじゃないか?」

「テ、テ?」

 テロリスト。よく知ってはいても身近ではないその単語にモーリは青ざめ、思考は迷走した。ハヤミは口を滑らせたことを悟ったがもうどうしようもない。

「なぁこれどうにかならないのか」

 駄目もとで聞いてみる。サーバールームにも勝手に入れるのだ。ゲートくらい解除できても不思議ではない。

 モーリは躊躇っていたが先ほどまでとは事情が違うことに気づくと自分の端末を取り出してゲートにアクセスした。

「できんの!?」

「ちょっと時間はかかりますけど。エリカさんのIDを使えば、いけるはずです」

 時間にすれば20秒もかからなかった。封鎖されていたゲートはエリカのIDを真の主と判定し、恭しく2人を向こう側へ導く。サーバーどころか施設の警備システムすらエリカは私物化していたのか。なんでもありじゃねーか。エリカ・アンドリュースの悪行にハヤミは呆れ果てる。しかし今は感謝だ。悪事万歳!

 ハヤミはモーリの手を取ると可能な限りの駆け足で外へと向かった。


 起こってほしくないことほど、予想外の形で起こるものである。

「え?ちょっと、はぁ?」

 驚いたのはアサギリだった。掌握していたと思っていたシステムがいきなり裏切ったのだからそれも当然である。

「ヤバいスミスさんゲートがハックされた!」

「ヤバいじゃないだろう、どうにかしろ」

 まだ警備員が近くにいるスミスは追うことができない。その間にハヤミとモーリの2人は封鎖された区画を飛び出していく。それがアサギリにとっていよいよ制御不能な事態を引き起こす。

 もともと警備システムのダミーと警備シフトはスミスらエージェントたちの動きに合わせて制御されているのである。当然ハヤミたち異分子の動きに合わせて調整などしていない。全力で逃げているハヤミたちと警備員たちが遭遇すればスミスらの潜入は一気に崩壊する。

「マズいマズいマズい」

 アサギリは冷や汗をかきながら現在の警備員たちの状況を確認してゲートの封鎖によってハヤミたちとの接触を妨害する。なりふり構わないやり方にさすがに警備員たちも不審がるが手段を選ぶ余地などアサギリにはなかった。2人の逃亡が露見すれば施設は大わらわになるし、チームは必要ならば暴力に訴えることになる。アサギリは2人の逃走ルートにある各種センサー類を片っ端から切断し、他の警備員たちが遭遇しないようにルートを塞いで何とか事の露見を防いだがその頑張りは結果的にハヤミたちが逃げる手助けをしているような形になった。さらにこの作業のおかげでアサギリはスミスのオペレートどころではなくなった。

「おい、アサギリ!こっちのオペはどうなってる!?」

「うるせぇこっちは手一杯だぁ!」

 アサギリの剣幕にスミスは慄いて黙った。ともかく今はアサギリが事態を収拾するまで自力で何とかするしかなさそうだ。幸いにしてハヤミたちのルートは警備員たちからは隔離された形になっているのでそのルートに入りさえすれば追うことはできる。

 近場にいた警備員たちが首を傾げながら離れていくのを確認してスミスは追跡を開始した。他に警戒するものがないのでスミスはその間に状況を確認する。自分のことばかりにかまけていたがスミスはチームを率いているのである。場合によっては作戦の目的を変更することも考えねばならない。

「各員報告」

「こちら問題なし」

「同じく」

「いつでも出れますよ」

 なんだよ。問題が起こってるのはこっちだけかよ。スミスはゲンナリした。まぁ考え方を変えればこちらさえ片付けば何とかなるわけだ。ただしそれはかなりの難事になりそうだった。2人のルートを追うスミスはついに建物の外に出てしまったのである。

 くそったれめ。ここからはルートが解らない。アサギリに聞くのは今は避けたいのだが。スミスは止む無く確認する。

「アサギリ。相手は外に出たが、その後はどこに向かった?」

 返事はなかった。忙殺されているのか、それとも臍を曲げたのか。恐らく後者だろう。自分が手懐けたシステムをぐちゃぐちゃにされて頭が沸騰しているのだ。アサギリにはそういうところがある。この状況はもちろんチームも解っており、間もなくスミスに助け舟が入った。

「こちらニノマエ。2人ハンガーに走ってきてる。それだろ」

 屋上で施設全体を監視、カバーしていたニノマエのスコープに2人が引っかかったのである。ハンガーは施設の外縁部にある。

「よくやったニノ。見張ってろ」

「見張るだけならできるけど。こっちで撃つんだったら中に入られたらどうにもならないぜ」

 そりゃそうだろう。当たり前の忠告には耳を貸さず、スミスは先ほどから自分の中で燻っていた疑問を投げかけた。

「一つ聞きたいがお前から見てあれは同業者に見えるか?」

「見えない。少なくとも1人は素人だな」

 だよな。なんであんなのが自分たちの狙っているブツを抱えてこんな場所にいる?スミスには全く理解できなかった。同業ではないとすると偶発的にこの場に居合わせたということなのか。それも自分たちのブツを持った状態で?そんなバカな。

 混乱するスミスにもう一つニノマエは捕捉を入れた。もう一つの疑問点。

「ただ片方は場慣れしてる感じがする。同業じゃないが似たようなもんかもな」

 確かに。男の方の妙な思い切り、判断力は常人のそれではない。警備員でないことは間違いない。それは事前に散々調べているのだ。だとすると何者か。同業ではないがそれに準ずる荒事への対応力を持った職。これには心当たりがある。

「警官、いや…軍人ってところか」

 クサカのHV開発拠点である。軍人がいることはそこまで不思議ではない。そしてそんな場所にいる軍人と言えば。瞬間、スミスは対象が何を思ってハンガーに向かっているのかが解った。そして自分が何をすべきかを。厳密には、何をお願いすればいいのかを。

「アサギリさん?お願いを聞いてくれますかね?」

 嫌味たらしくお伺いするスミスにアサギリは返事をしなかった。


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