17/1「パンドラズブラックボックス」
17/1「パンドラズブラックボックス」
時は遡る。ルビエールたちが炎の一週間で必死になっている頃合いである。
RVF15改修チームの主任となったモーリの評価は概ね良好なものだった。
モーリはエリカの真似などできないと思っていたし、実際できなかったのだがリーダーの資質とは何も一つとは限らない。エリカが現場を引っ張るタイプのリーダーであるのに対してモーリには回すタイプのリーダーとしての適性があった。適性というよりは経験と言うべきか。
元々エリカの緩衝役として方々に気を回していたモーリは顔が広い。元からのスタッフの多くはその苦労を知っており、同情的だった。モーリにとって苦笑いするところだがこれらのスタッフの多くがエリカの顔色を気にする必要がなくなったことに安堵してもいる。皮肉なことに前任者の独裁的なリーダーシップとそれが生むストレスが後任者モーリへの協調を生んだわけである。当初はこの人事に不満と不安を持っていたモーリも実際に仕事が上手く回り出せばそれも消える。
RVF15及びVFH16の武装統合作業は順調に進み、これに気をよくした上層部はそのまま両機の改良発展型のたたき台作成をタスクに追加した。事実上の新型機制作への布石。新型機のために多くの人材が引き抜かれ、また取り残されていたチームの士気は大いに高まった。
順調に仕事が進んでいたある日、その仕事における一つの区切りがチームにもたらされた。
「正規版、ですか」
モニターに表示されるデータの羅列を眺めながらモーリは感慨深げにつぶやいた。
ALIOS/98AV。汎用HVOSとしてのALIOS正規版だった。エディタによって土産として持ち込まれた仕様データをモーリは噛み締めるように眺めている。見たところで全く理解できないハヤミは必要なことだけ聞いた。
「で、具体的になんか変わるんすか?」
実際に取り扱うことになるハヤミに正規版だとか品番だとかが決まったところで大した意味はない。その質問にエディタは複雑そうな表情をした。
「変わらない」
「はぁ?」
「正規版なんてそんなものですよ」
モーリのフォローにハヤミは首を傾げるのでモーリはさらに続ける。
「テスト機と採用機の違いは?」
「開発用のセンサー類くらいだな。…なるほど」
ハヤミも納得した。開発用のバックドアなどが閉じられているだけでできること自体に差はないのだ。つまり
「んじゃ俺たちには何の役にも立たないってこと?」
露骨にガッカリするハヤミにエディタは苦笑し、モーリは呆れて口を尖らせた。
「何てこと言うんですか。これがまさにハヤミさんの求めてた結果なんですよ。これが現場に届けられて活躍することになるんです」
これに手ごたえを感じなかったらどこに感じるのだ?そう思うモーリにハヤミは異なる見解を出す。
「届いて、結果が出たらな」
それも、そうか。モーリは完成したらそれで仕事としては終わりだと思っていたがハヤミにとってはそれが結果を出して始めて意味があるのである。むしろ結果が出なければ完成させた意味がない。徒労だとすら考えているのだろう。
しかしということは、ハヤミはALIOSが結果を出すかどうかに疑問を抱いているのか?モーリの疑問への答えは口に出す前にハヤミから出された。
「にしてもだいぶ早くないです?」
間接的に開発に関わってきたハヤミはALIOSが完成していると思っていなかった。ALIOSはいまだに進化し続けている。これはつまりどのような変化をするかが不確定であることも意味している。未知数に過ぎる。そんなものを完成品として世に出していいとは思えない。それがハヤミの考えだった。
エディタもハヤミと同意見なのか苦笑いした。
「周りからだいぶ圧迫されてね。機能限定してもいいからとにかく出せってしつこくて」
裏事情を聞いて2人はうへぇと顔を顰めた。確かに既存OSからの置き換えが可能なALIOSは使いどころが多い。既にRVF15とVFH16で結果も見せているので実績も十分と捉えられているのだろう。
「ま、引き続き開発は継続するんで2人にはまだしばらく付き合ってもらうからね」
「そりゃもちろん仕事ですから付き合いますがね。どこまでいったら完成なんですかねこれ?」
貰った正規版のデータを片付けながらモーリは耳をそばだてた。確かにALIOSはどこまでいったら完成なのかが解らない。いまだ情報を吸収して多種の機械に対応し続けているALIOSにはシステムとしての限界が見えていない。
「よくぞ聞いてくれた」
エディタは右手の親指と人差し指を立ててその指をハヤミに向けた。一般に銃を向けるジェスチャーにハヤミは何となく両手を挙げた。
「例えばハヤミが銃を持っていてそれをターゲットに撃つとする。それに必要な行程はまず対象に向けて銃を向ける、これはつまり腕を動かすことだよね。つぎに対象に対して狙いをつける。照準と視線が合うように位置を微調整、目の焦点を合わせてさらに狙いを修正する。そして狙いが付けられたと判断し、撃つという決断がされる。すると指がトリガーを引き絞ると同時に反動を受け止めるために筋肉を硬直させる。腕だけじゃない。肩、腰、足、全部が連動して衝撃に備えるわけだ。それらの命令全部が神経を通じてそれぞれの筋肉や目に伝達されている。撃つって一つの動作だけでもここまで複雑なことをやっている。ところが私たちはそれを意識してやっているか?と言えばほとんどの人間は違う。少なくともあたしはそんなこと考えて行動してない。熟練した人間であれば考える前に身体が反応して一連の行動をスムーズに行うもんだ」
バーン、と言いながらエディタは右手を上に向けた。倒れようかと思ったハヤミだがさすがに面倒くさいのでやめた。
「理想形はそこ。撃とうとする前に撃っていること。動こうとするのでなく、動いていること。考えるのでなく、感じること。ALIOSひいてはILSが目指しているのはそこなわけよ」
途方もない理想にハヤミは唖然とした。言っていることは解る。たしかにハヤミは自分の身体の操縦方法なんてものを意識したことはない。脳から神経へ、神経から筋肉へ。理屈で知っているだけでそれがどのように行われているかなんてことは考えたことがないし、何なら知ってすらいない。しかしそれでも全く問題がないのはなぜだろうか。意識とは無関係のところで理解しているのである。意識と肉体の間にある理解。これを人間と機械の間で実現する。人馬一体。車でよく使われる表現だがこれを誇張抜きで実現しようとしているのだ。革命的だ。実現するなら、であるが。
ハヤミと同じようにモーリも懐疑的、いや現実的には不可能だろうと考えた。楽器などのように手に馴染むまで使い倒すことでそれに近いところまでいける例はあるがそれには途方もない時間と優れたセンス、そして使う側の完全な理解が必要となる。これをシステム的に補う、まして複数のシステムによって複雑に管理された機械相手に実現するなど。仮にシステムが対応できたとしても人間が対応できないだろう。人間からの情報をシステムはいくらでも処理できるだろうが人間がシステムから得られる情報は極めて限定的になる。このアンバランスを解決せずして人馬一体など望みようがない。
2人の見解はほぼ一致していたがその過程には矛盾が存在していた。モーリも自身の解釈に違和感を持っていた。この違和感はどこから来ている?2人の思考を先読みしてエディタがそれを指摘する。
「では、なぜ人間は肉体を操ることができるのか?」
モーリはハッとする。違和感の正体は先ほどの話のなかにあった。人間は自身の肉体を理解しているわけではない。にも関わらず違和感なく動かすことができている。つまり理解など必要ない、のか?
「ドローンの時を覚えてる?」
聞かれたハヤミはもちろんと頷いた。ALIOSを介すことで初めて操作したドローンを自由自在に動かしたときの話だ。あの時はコントローラも介してはいたがハヤミはほとんど違和感なくドローンを操作できた。そしてハヤミはドローンも、ましてALIOSすら理解していなかった。
そう。理解などしていない。ハヤミはテストパイロットではあるがALIOSをプログラムから理解しているわけでも何でもない。する必要はない。理解するのは人間ではなく、ALIOSの方なのだ。
話の全てを理解しているわけでもないがだからこそか、ハヤミは感覚で本質を掴んだ。
「なんか機械のOSってよりは人間のOSだな」
ハヤミの一言にモーリは鳥肌を立てる。その通りだった。汎用OSとしてあらゆるHVに対応するということに目を向けていたが、このOSが本質的にオペレートしているのはHVではなく、人間の方ではないか。他機種への汎用性を得たのはその副産物でしかない。最初から人間側への適応を志向してALIOSは作られているのではないか。
他のOSとは根本から発想が違う。以前から違和感を覚えていた枠に正しいピースがはまったことでモーリの中でALIOSの本質が急激に形をなしていった。
「ALIOSは人間側の要求を学習して、それを端末に反映させることを目的とした接続器。人間が機械に適応するための助けではなく、機械が人間に適応するための助けとなるシステム」
機械と人間を繋ぐ。従来は機械側に立つOSが結節点となり、人間がこのOSと機械を学習することでこれを実現してきた。ALIOSは立ち位置を人間側に置く。OS側が人間を学習し、機械にそれを反映させオペレートをする。
「それ、どう違うんだ?」
ALIOSの核心をついたハヤミだったがそれはモーリとは立ち位置を異にするからに過ぎず、モーリのたどり着いた答えには全く理解が伴わないようだった。
「まぁつまりALIOSは機械の付属品ではなく、人間の付属品として作られているってことさ。人間に羽や尻尾をつけるためのOSみたいなもんだね」
さらにモーリの脳裏で話が繋がる。エディタは以前にALIOSにはコミュケーション機能が必要ないと言った。それはALIOSとは人間の意識下に潜り込むシステムであり、人間側からの理解など必要ないからだ。むしろその存在は認識されない方がいいまであるだろう。
ここまで考えて新たな、今まで以上に大きな違和感がモーリにもたらされた。ALIOSが持つ機能的な本質が明らかになるほど深くなる違和感。矛盾。
やはりおかしいのだ。ALIOSはその機能から考えれば今のような形態になるはずがない。機能に対して結果が矮小過ぎるのである。HVに搭載して動作を最適化するシステムに留まるはずがない。これだけのことができるのであればもっと他にできることがあるはずだ。では、正しいALIOSの形とは何か?
そもそもALIOSとは、どのような発想からスタートした存在なのか。それはILSから派生したもののはずだった。ILS、人間と機械を直接つなぐバイオデバイス。その実験体である少年をモーリは思いだした。瞬間、全てが電撃的に繋がった。モーリは真理にたどり着き、息を呑んだ。
機械にALIOSをインストールするのではなく、人間にALIOSをインストールする方が正しいのでは?
「これ、もしかして人間の電脳化のためのシステムなんですか?」
エディタはしばらくモーリを見据えてどう答えるべきかを考えていた。やがて観念したかのように手を挙げて認めた。
「ほぼ正解。よくそこまでたどり着いたもんだ。ALIOSは人間用外部ストレージのOSってのがその本質。これ重要機密だぞぉ」
電脳化。人間の脳に処置を施し、その機能を拡充させる概念。古くは脳と機械の結合からナノマシンの注入による結合など、これまでも様々な試みがなされてきたが今だ具体的な方法すら確立していない。宇宙開拓歴の今をもってしてもフィクションの世界の話だった。
ALIOSはそれをAIと人間を繋げることによって試みているのか。
「ま、ご存じの通り今のところは実験段階の話。今は汎用OSとして使われるってのが限界さ。んじゃ、私は他にも回らなきゃだから」
本質に触れ過ぎたのか。エディタは誤魔化すように話を打ち切ると席を立った。しかしモーリの意識は捉われたままだった。
そこが限界?そんなはずはない。現状でもALIOSの機能は革命的だが限界はまだまだ先にあるのではないか。モーリにはそう見えたが一方でモーリにはエディタが嘘を言っているという感触もなかった。開発者だけに見えている何らかの壁でもあるのだろうか。電脳化などという夢物語を目指しているのならそれも当たり前のことかもしれないが。
電脳化。改めてモーリは振り返る。人間用外部ストレージ。これは人間の脳機能を外付けのシステムによって拡張する試みということだろう。記憶、演算など大脳が持つ役割の拡張などが思いつく。確かにALIOSなら可能かもしれない。実際、現状でもALIOSは限定的ながら使用者の癖や思考傾向を記憶し、使用者がやるべき膨大な計算、操作を肩代わりしてハード側に出力するということをやってのけているのである。
物理的に脳に接続しているわけでもないのにこれだけのことができるのである。
なぜできる?
モーリは今さら疑問を抱いた。実際にできているから疑問に感じてこなかったが異常だった。いくらAIでも人間の意思そのものを読み取って反映するなどエスパーじみたことができるものなのだろうか。まして脳と直接接続されているわけでもないのに。しかし現実にALIOSはそれに近いことを実現している。
あべこべな状態にモーリは混乱した。これによって全ての前提が信じられなくなったモーリに突拍子もない疑問が浮かんだ。
そもそもこれは、本当にAIなのか?
「モーリ」
「ふぁい?!」
エディタの呼びかけにモーリは見透かされたような気になって飛び上がった。見るとエディタはオフィスの入り口でどこか寂し気な笑みを浮かべていた。
「じゃ、またね」
それだけ言うとエディタは姿を消した。わざわざそれを言うために?普段のエディタならしない所作にモーリは隙間風の吹くような感触を覚えた。
出会いがそうであるように、別れはいつでも突然にやってくるものである。この時、モーリに去来したのはもうエディタとは二度と会わないかもしれないという予感だった。それはある意味で正解であり、そして全くの勘違いだったのだが。
次の日、モーリの率いている部署はイスルギ側の都合で作業に空白が生じた。別段珍しいことでもなかったので部署のほとんどの人間には臨時休暇を与えてモーリはしばらくやっていなかった自ブースの整理に時間を当てていた。
モーリは特段綺麗好きという自覚はないのだがエリカがその手の雑事に全く無頓着だった影響で部署の中では相対的に綺麗好きという評価になっていた。さらにチームの責任者という立場になったこともあるのか、散らかっていると周りに余計な勘繰りを受けるようになった。なのでだらしのない状態を見せないように定期的に整理するようになったわけである。整理されていることは良いことなのでモーリにとっても切っ掛けとして悪いことではなかった。
自分のデスク周りの整理はさほどかからずに終わった。入念にやるほど綺麗好きでもないのでそれで満足してもよかったのだが自分のデスクだけ片付くと今度は共有スペースの乱雑ぶりが気になってきた。ゴミだらけ、ということではないがチームスタッフが持ち寄ったお菓子類や資料類は各自が好き勝手な場所に置いているので片付いているとは言えない状況だった。果たしてこれは見過ごしていいものか。悩まし気にスペースを見て回るモーリの視界に本来あるべきではないものが映った。
それはスーツケース上のメモリユニットだった。部署にこのようなものが乱雑に置かれていることは珍しいことでもなかったのだがモーリはそのユニットに見覚えがあった。
小さく刻印されたイスルギのマーク。それはエディタが管理しているはずのALIOSのマスターログだった。つまりここにクサカでの仕事。今のALIOSが蓄積してきたデータの全てが記録されているのである。
なんでこんなところに。
見る者が見ればとてつもない重要機密である。あのエディタがうっかりで置き忘れるとは思えない。
すぐにエディタに確認しようとしたがつながらない。イスルギ側で至急案件が発生したと聞いているのでそれに忙しいのか。もしかしたらこのユニットもそれで忘れられたのかもしれない。
本来なら警備に預けるべきかもしれなかったが中身を知っているモーリにはその方が不適切な対応に思えた。これはクサカのものでなくイスルギのものなのである。明日にでもエディタに確認することにしてモーリはとりあえず自分のデスクに置いて自分で管理することにした。
モーリは再び共有スペースに向き直る。メモリユニットの件もある。この惨状を見過ごすことはチーム主任の責務に反するだろう。一念発起してモーリは整理に取り掛かった。
自分のものではないのでただあるべき場所を定めてそこに移すだけだったがモーリはしばらくその作業に集中した。程なく共有スペースはメリハリのついた形になった。しかしそれでモーリは満足しなかった。一度始めたらさらに気になるところが出てきてしまう。最終的にモーリは掃除道具も持ち出して本格的な掃除を始めてしまった。
いい仕事をした。鼻息を鳴らしてモーリは満足する。気づくと時間は夕方に近かった。どうやら一日をそれに使ってしまったようである。それに気づくとモーリは急にゲンナリした。
何やってんの。バカじゃない?折角の臨時休暇じゃない。他にやることはあっただろうに、仕事するにしても他にあるでしょうよ。何でよりによって職場の掃除なわけ?
先ほどまでの満足感は消え失せてモーリはどっと疲れが出た。片付けられた菓子類を鷲掴んでモーリは自分の椅子にへたり込んだ。
時間の無駄。ひいては人生の無駄をしたような気になってモーリは気落ちした。やけ気味に菓子を口に放り込んで片付けたデスク周りにそのカスが蒔かれる。モーリの思考は管を蒔き始めた。
こんな仕事をするために主任になったわけじゃない。エンジニアになったんじゃない。大きな仕事を、いいものを作るためになったのだ。それが今はどうだ。新型の設計開発からは外されて改修作業。その仕事自体を否定するつもりはない。実際仕事は認められつつあり、改修機の開発は次の新型への足掛かりともなるだろう。だが本来望んだものからは遠回りしているのも事実だった。その遠くでエリカたちはまさにモーリの望んでいる仕事をやっている。
焦燥感がモーリを覆う。客観的に見ればモーリはまだ若く、キャリアは暗礁どころか順調そのものだったが当の本人は周りに取り残されている気になった。その不安がモーリの足元を揺るがしていた。
ふと、視線にあるものが映った。先ほど見つけたALIOSのメモリユニット。
ALIOS。人間の電脳化を実現するための外部ストレージ用OS。未知なる技術。
知識とは重力のようなものだ。近づけば近づくほど、欲するものを捉えて離すことはない。魔が刺したという他ない。ALIOSの深淵に触れたことはモーリの有り様を歪めていた。気づけばメモリユニットを手に取っていた。普段のモーリなら絶対にありえない行動。頭はそれを理解しているがその手は事の重要性を無理矢理軽視して端末にそれを接続した。
システムの管理画面が表示される。それ自体はモーリも何度か目にして、実際に操作したこともあるものだった。自分のIDを入力すると不用心なことにあっさりとシステムにログインできた。モーリは何となく周りを見回した。とんんでもないことをやっている自覚はあるがそれでも進むことはやめない。やめられない。
管理画面には大量のログファイルが並んでいたがモーリの期待しているようなものはみつからなかった。それはそうだ。モーリのIDはゲスト扱いなのだから肝心の部分が見られるわけはない。しかしモーリも一端のエンジニアの一人であり、多少なりともALIOSに触れてきていた。目的のための手段はまだいくつか浮かんだ。
モーリはIDをハヤミのものに切り替えた。ハヤミは実際にALIOSを運用しており、従ってハヤミ自身のログ管理が行える。実際に行っているかは別として権限はあるはずである。
予想通り、ハヤミのIDは自身のログを閲覧できるようになっていた。ハヤミにとっては無意味だがモーリにとってはそうではない。このログからAIの論理思考を司るコアプログラムのようなものに繋がるはずである。もっと何か、ALIOSの深淵に近づくものはないのか。これを辿る過程にいくつかロックされた属性ファイルがあったがコアになるようなものとしては小さすぎて大した意味があるようなものに思えなかった。というよりも、ログデータの大半が意味の解らない情報の羅列になっていた。暗号化ではない。まるでバグったようなデータにしかモーリには見えない。これにも何か意味があるのだろうか。謎は深まるばかりだったがそれが解き明かされる前に行き止まりは唐突に訪れた。
益のある情報を得られる前にモーリの捜査は開発者しか封印を解くことのできない領域に達したのである。当然、そこには何重にも封印が施されていて到底見られるようなものではない。モーリはどこかホッとして端末を閉じた。
そもそも見てどうしようというのだ。火遊びが過ぎる。平静を取り戻したモーリは自分が普段の状態でないことを自覚した。気の迷いというやつだ。
何を焦ってるのよ。着実に着実に。手で頬をつねって自分を戒める。
気持ちをリセットしたモーリだったがメモリユニットとの接続を切ろうとしたときには既に手遅れだった。
予想外の事象が起こった。モーリの端末が何かの読み込みをしているのである。端末は閉じている。何らかのプログラムが走っている?思い当たるものは一つしかない。モーリがメモリユニットの方を見るとやはりそちらでも何らかの読み込みがされている。
解析されてる?モーリはゾッとした。ALIOSはあらゆる機械を学習する機能を有している。クサカのサーバーに接続されたことでそれを解析しようとしているのか。モーリの端末はいざ知らずクサカ社開発拠点のサーバーは機密情報の塊である。それをALIOSに無作為に読み込まれていたなら完全な情報漏洩だ。
慌ててメモリユニットとの物理接続を切ってからモーリは呆然とした。とんでもないことになった。どこまで読み取られた?いや、クサカのサーバーとて何重にもシールドされて管理されている。簡単には盗まれないはずだ。しかし確信はない。
報告すべきだろう。でもなんて?
なんだってこんな日に限って。
ふいに与えられた休暇を考えあぐねた末に近場の漫画喫茶で消費してしまったハヤミはその帰りに重要なことに気付いた。自宅のIDキーを忘れたのである。ただでさえ浪費した感の漂っていた臨時休暇にさらに無駄な時間を使うことになったハヤミはゲンナリしながら職場へと戻る。
クサカの研究施設に戻ってきた時点で定時はとうに過ぎており、帰宅する職員もまばらだった。この施設は職員であろうと好き勝手に出入りはできない。入るにも出るにもID管理がされている。管理されているのは職場も同じで申請された時間を過ぎるとロックされ例え職場チーフであっても自由には出入りできなくなる。もちろんハヤミの目当てである個人のロッカールームは施設の中にある。出入口を訪れたハヤミに警備員は苦笑いしながら応対した。
「忘れ物かい?」
「そういうこと」
「早いとこ済ませて帰ってくれよ」
気のいい警備員は笑って済ませた。この施設は最新の兵器を扱っている割には気の抜けた警備をしている。最初のころは気にしていたハヤミももはや気にも留めなくなり、むしろ都合がよいとすら思っている。それはハヤミだけでなく大方の考えでもあり、警備員たちの意識は施設の警備よりもそちらに向いているようだった。
人気のなくなった施設は生気がなく、不気味に映る。長居する理由もなし、ハヤミはロッカールームに直行してお目当てのブツを見つけるとさっさと退散しようとした。のだが、残念なことに視線の端に引っかかった違和感が彼を逃さなかった。
ハヤミの職場、つまりモーリ率いる部署のブース、その一角に明かりが灯ったままだったのである。今日は臨時休暇で誰もいないはずである。消し忘れか?
この時の選択を振り返るたびにハヤミは首を傾げる。好奇心や義務感などはなかった。危うきに近寄らず。見なかったことにする。その選択肢はあったはずである。
彼は後に語る。
「なんつーかね。言葉にするのは難しいんだけど。何が起こるかとかは解ってないんだけど解ってたんだよな。ああ、厄介なことになるって。じゃあ見なかったことにすればいい。って、思うじゃん?そうはならなかったんだよ。ならなかったのよ…」
ハヤミはオフィスの前に立った。迷いや思巡はあったのかもしれないがその行動は即時に行われた。扉を開ける。そこにはモーリがへたり込んで途方に暮れていた。




