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14/4「バリューセット」

14/4「バリューセット」

 不可解な移動命令を受けて旅団が移動している最中のことだった。予定通り旅団に緊急指令がもたらされた。

 近宙域にグレートウォールが出現。警戒にあたれというものである。これに即応できる位置にあるのは旅団だけだった。

「はー、なるほどなぁ」

 ボスコフは天を仰いだ。確かに近年稀にみる深い領域への侵犯であるし、時勢的にも深刻なタイミングなので対応はせねばならないだろう。しかし内側にいるボスコフ達には茶番劇にしか映らない。

 ともあれボスコフはハミルに指示を仰いだ。内容は解りきっていたが。

「急行する。各隊は警戒態勢に移行」

 警戒態勢、ね。ボスコフは何も言わなかったが顔に出た。

 本気でグレートウォールに相対するなら警戒体制では足らないだろう。敵はその威容を曝して堂々と侵犯しているのだから戦闘態勢で挑むべきところだ。もちろんハミルもそんなことは解っている。しかしジェンス社の目的、そしてマリネスクの目的から言えば今回の場合はむしろ戦う意思がないことを示す方が重要なのである。壮大な茶番劇に付き合わされてハミル自身も反吐が出そうな気持だった。

 数時間後、旅団はグレートウォールを捉えた。

「あー。こちら地球連合軍第11旅団である。貴艦隊は連合領域を侵犯している。即刻退去されたし」

 退去勧告を任せられたボスコフは頭を掻いた。普段なら彼ももう少し気を利かせた言葉を選ぶのだが完全に形だけの勧告である。何を言えと言うのか。

 しばらくするとグレートウォール側から返信があった。その内容は各員の意表を突いた。

「地球連合の諸兄に火急の要件あり、本艦に招待するので然るべき者を送られたし」

 なるほど、そういう体裁ね。ボスコフはハミルを伺った。ここでエノーの出番だと誰もが解っていた。


 グレートウォールからの招待を受けてエノー支隊の旗艦イージスが出向くことが決められた。誰もそれを疑問に思うことはなかったが実際に出向く際にはいくつか解決せねばならないこともある。一つはルビエールが留守の間の支隊をどうするかである。

「グレートウォールに乗り込むのは司令おひとりですか?」

 ソープが素朴な質問かのように聞く。

「ついてきたければきてもいいわよ。もっとも、話をするのもされるのも私一人でしょうけどね」

 ついてきたところで別室待機が精々だろう。大した意味はない。まさかのことを考えればルビエールは単身で行った方がいいだろうと考えているがリーゼには全くそんな気はなさそうなので無理に引き留めはしない。

「では、僕が残って隊を預かりますよ」

「あら、殊勝ね」

「支隊の司令と補佐が同時にいなくなったら大変ですからねぇ」

 例によって顰蹙の視線がソープを刺し、代表してウイシャンが口を開く。

「ソープ少佐が司令の代りに行った方がいいんじゃないですか」

 艦内に笑いが起こる。旅団参謀ソープと違って支隊司令補佐ソープは嫌われ役というよりはサンドバック役に近い。余計なことを言っては窘められる役回り。当の本人はそれで結構と受け入れてしまっている辺りやはりくせ者である。

 ソープがイージスから別艦に移るとイージスはグレートウォールの艦群へと進んだ。

 道中は何事もなく、イージスは巨艦ミストレスのターミナルデッキに連結された。

「こちらを」

 ミストレスに踏み入る前にリーゼがルビエールに銃の携帯を促す。ルビエールはそれを受け取らず、自分のジャケットの内側を見せた。このやり取りを予測していたルビエールは既に自分で銃を持っていたのである。

「失礼しました」

 そういって引き下がったリーゼの顔は不満げだった。ルビエールの携帯する銃は官給品ではなく、個人的な私物の銃だった。上位将校では珍しくもないことだったがリーゼから見れば規律違反でしかないし、多くの場合でそれはただの自己満足のための虚飾だった。

 一応、ルビエールにもルビエールなりの理屈があってそれをやっていた。今ルビエールが所持している銃はあのマチルダ・レプティスから贈られたものなのである。

 銃に詳しくないルビエールも折角贈られたものに何の意図もないとは考えず、その出自を調べた。WOZの誇る銃火器メーカーであるバレーナ社のハンドガン。モデルG239ということまではすぐに解った。しかしその仕様はカタログには入っていないものだった。つまりこの銃は通常入手することのできないかなり特異な代物らしい。そのような特異なものを贈る理由は何か?これを受け取った時のマチルダの言葉をルビエールは思い出す。

「道具の価値というものは持つ者によって変わります。そして、持っていた者によっても」

 つまりこの銃の出自はルビエールとWOZとの繋がりを示す意味を持つのではないか。考え過ぎかとも思いながらルビエールはジェンス社との交渉にこの銃を持ち出すことを決めた。なぜそんな必要がある?ルビエール自身もそれを答えることはできなかったが。



 ジェンス社が誇る客船ミストレスは相変わらず下品と言い換えてもいい豪勢な誂えで見るものを圧倒する。

 一度目にしているルビエールは気にも留めずこの先の展開を予測する。まずはあの黒外套の男が迎えに来る。その後、ソウイチ・サイトウとの面会。要求を伝え、要求を突き付けられる。あとはそれを持ち帰るだけ。そう思い悩むほどのことではない。

 皮肉な話だがリターナーでのWOZとの交渉の経験が活きていた。気が楽なことに今回の交渉ではルビエールには個人的に果たしたい目的は存在しない。ただ伝えるだけで相手の要求などに対して判断すべき事柄もない。そう考えればWOZとの交渉に比べれば簡単なものだと思えてしまうのである。それに比してルビエールに付き添ってきたリーゼと4人の兵士は警戒感とグレートウォールの異様さに緊張している。

 以前の自分も似たような者だっただろうな。ふとそんなことを思うとルビエールは自分だけが平静なのが悪い気がしてしまう。

「お久しぶり」

 予測通り、まず最初に出迎えたのは仮面の男。ディニヴァス・シュターゼンだった。いつも通り彼はジェンス社そのものを体現しており、中身が以前の彼である保証はない。

「果たしてそうでしょうか?」

 前回と同じ返しにディニヴァスはどこか嬉し気に頷く。2度目のやり取りを楽しんでいるようだった。ルビエールも今さらディニヴァスの仮面を訝しむことはない。もちろん、リーゼら数人はそうではなかったがルビエールがさも当然のように受け入れてしまうのでそういうものだと考えるしかなかった。

「さて、解っていると思うが話は君一人とさせてもらう。ご同行の方々は別室にて待機を。私が言っても詮無き事かもしれんが、ことを荒立てる気はないのでご安心を」

 納得するはずがないが従う他ない。リーゼと数人の兵士たちは別の方に案内されていく。ルビエールを案内するのはディニヴァス本人だった。豪勢に飾られた通路をゆったりと歩くディニヴァスに警戒感はまるでなく、友人でも招いたように道中の調度品を説明しながら歩く。忘れそうになるが今回は連合側、つまりルビエールに用件があるのである。少しはその内容に関心と警戒が入り混じってもよさそうなものだが仮面の男はむしろ逆であるかのようにルビエールに語り掛ける。

「随分と肝が座ったように見受けられる」

「おかげさまで。随分といい経験をさせてもらいました」

 本当におかげさまだ。考えてみればルビエールがWOZへと逃れたのもジェンス社の差し金のようなものではないか。

「どこまでがそちらのシナリオだったのか聞きたいですね」

 ディニヴァスはあっさりと答える。

「ロバート・ローズ大統領補佐官がWOZの手に渡るまで。こちらとしてはどういう形であれ彼が無事に連合に帰還できればそれでよかった。経過はどうあれその点で君に預けたのは正解だった。その他の立ち回りに関しては、まぁ個人的に楽しませてもらったとだけ言っておこう」

 個人的に楽しんだ、ということは立場的には困ったことだが許容範囲内と言ったところか。ルビエールはそう受け止める。

 しばらく進むと様式が変化した。それまでの不必要に豪勢な佇まいから一転してそこからは機能的でモダンな内装。守衛の姿も如何にも治安の守り手といった威圧的な装いに変化している。実務的なエリアに踏み込んだらしい。先ほどまでは外部の人間をもてなすと同時に目を光らせる警備と歓待のスタッフたちの視線が常に刺さっていた。しかしここではほとんどの人間は客人に関心を持っていない。自分の抱える仕事に没頭している者や休憩中なのか談笑をしている人間がいたりとごく一般的な日常が繰り広げられていた。

 腹に中に入ったとルビエールは解釈した。外部の者がここまで踏み込むことはそう多くないはずである。

 ジェンス社は多くの謎に包まれている。対外的な接触のほとんどはグレートウォールの旗艦であり客船たるミストレスで行われるがミストレスそのものはジェンス社の外部触角の一部でしかない。つまり外部の人間はミストレスの限られたエリアのジェンス社しか知らない。

 リーゼには悪いがこれほどの経験はできないぞ、とルビエールの心に興奮に似た感触が生じた。ルビエールは未踏の地に足を踏み入れつつある。しかもその中でも中枢と言えるエリアに、たった一人で。

 そこからさらに移動が続いた。艦内トレイルに乗った時点で恐らくミストレスから別の艦艇に移ったと思われるが外も見えず、またどの程度のスピードで移動しているのかも解らないので判断のしようがない。

 トレイルを降りるとそこからは静かになった。人がいないということではなく、喧騒をよしとしない人間たちのエリア。守衛の姿も再度ミストレスに近い物々しさを抑えた装備に変化している。

 やがて探査装置に守られたゲートが現れた。そこからはジェンス社の者でも限られた人間だけのエリアであることを黒スーツの守衛たちは示している。そこで待機していた金髪美貌の女が二人を見やると礼をした。

「こちらからは武器の携帯はご遠慮願います」

 ここでようやくか。むしろここまで持ち込めたことにルビエールは意外さを覚えながら持っていた銃を取り出した。

 ジェンス社特別顧問ディニヴァスの秘書であり、同時にWOZの間諜でもあるアユミ・エナレスはここでミスを犯した。ルビエールがジャケットから取り出した銃に思わず眉を動かしてルビエールの顔を伺ってしまったのである。WOZが誇るバレーナ社のハンドガンであるG239はそれだけなら決して珍しいものではないがエナレスにとって見慣れたカスタムが施されたそれは珍しいどころの代物ではなかった。これをルビエールが持っていること、その不自然さに気付けることをエナレスは自分で暴露してしまったのである。

 しまった、という顔を伏せてエナレスは下がった。もとよりエナレスをWOZの間諜と看破した上で放置しているディニヴァスは気にも留めなかったのだがこの反応にもルビエールは引っかかりを覚える。

「目的地はもうすぐだ」

 ディニヴァスに促されてルビエールはゲートをくぐった。すでに引っかかりの正体に思い至っていたが今はその意味と活用を考えている場合ではなかった。

 踏み入れたエリアはミストレスの区画に近くなっていた。やはり高位のものの区画らしいがミストレスほど下品ではない。

 通された部屋は前回のような客室ではなく秘書室のようだった。そこに待機しているのは4人の女性。いずれも黒髪美貌で身なりも素晴らしく整えられている。整えられ過ぎているとも言える。4人の黒髪のメイドたちは二人を見ると立ち上がり恭しく礼をした。あまりの時代錯誤にルビエールは心理的に後ずさりした。

「個人的な趣味趣向というやつだ」

 ディニヴァスの補足はどう考えても余計だった。頭を下げたままのメイドたちを抜けてディニヴァスは次の部屋に踏み入る。ようやくルビエールは目的地に到着した。

「ようこそ。ここがジェンス社の中心。CEOの部屋だ。今は、トイレか何か行ってるかな。まぁすぐ来るだろう」

 そういうとディニヴァスは近くのカウチにドカリと腰を降ろしてくつろぎ始めた。ルビエールにもそうしろと身振りでしめしたがまさか真似はできない。あきれ顔で謝絶する。

 改めて見回すその部屋はジェンス社CEOのものだと言われれば納得もできるだけの内装だったが一方で多くの人間は別の印象を持つだろう。ルビエールの場合は「目のやり場に困る」という感想を持った。

 とにかく多くの物が散乱している。有体に言えば散らかっていた。ぞんざいに扱っていいようには見えない価値のありそうなもの、価値を計りかねる得体の知れないもの、どうみてもゴミにしか見えないもの。その全てがこの部屋では等しく扱われているようだった。見る者が見れば卒倒するような光景だろう。ルビエールも価値のありそうなレコードがむき出しで散らかっているのを見て顔を顰める。

「興味があるようならご自由に」

 部屋の主でもないのにディニヴァスが無責任に言う。しかしチャンスと言えばチャンスか。ルビエールは部屋をしばらく散策した。なるべくディニヴァスから見えない場所にはいかないように注意を払いながら散乱した物品からソウイチ・サイトウの人となりを知るための手掛かりを探る。

 散乱しているものの多くは古いものに思える。アンティーク趣味?であるならば扱いが雑であるのは納得し難い。成金趣味というならもう少し傾向の解るものを収拾するだろう。そもそもこれらは人に誇示するために集めているようには到底見えない。

 結局のところルビエールがその部屋から得ることができたのは真っ当ではないという漠然とした情報くらいだった。意味も価値も測りかねる情報を漁っているうちに部屋の主は軽い足取りで入ってきた。

「やーやーやー。お待たせお待たせ」

 ジェンス社CEOソウイチ・サイトウは小脇に小袋を抱えて現れた。

「ちょっとばかり小腹が空いてね。どーせ客人が来るんだからと思って。どうだい?」

 言いながらソウイチはテーブルの上に散らばっているものを雑にどかすと小袋から何やら取り出して並べ始めた。と、同時に何やら匂いが漂い始めた。

 ディニヴァスが呆れ気味に眺めている。ルビエールも何が何やら解らない。ソウイチがテーブルの上に並べているのはどうやらハンバーガーのようだった。

「何やってんだ。立ったまま用事を済ませる気か?」

 促されてルビエールはディニヴァスの正面に座った。目の前には大量のハンバーガーとドリンク、ポテト。

「客人が困ってるぞ」

「何を困ることがある?遠慮はいらんぞ。俺のおごりだ。手を洗ってくる」

 ソウイチはそういうと再び姿を消し、またルビエールとディニヴァスの二人だけになった。このソウイチの奇行(?)にはさしものディニヴァスも同調できないらしく首を横に振る。

「俺への当てつけもあるんだろう。付き合う必要はないぞ」

 確かに仮面のディニヴァスにはどうしようもない行動だろうな。仮面の男と地球圏最高クラスの権力者が見せる妙な人間味にルビエールは可笑しくなってしまった。そしてこの応酬に乗らないのは面白くないとルビエールは思ってしまった。恐らくカリートリーやカーターならば、乗るはずだ。

 意を決してルビエールは机に積まれた包みを手に取った。ディニヴァスは明らかに意表を突かれたらしくルビエールを凝視した。

「では、せっかくなのでいただきます。そちらもどうぞ遠慮せず」

 仮面の向こう側で相手が苦笑しているのが解った。

「ノーセンキューだ」

 茶化しを切り捨てるディニヴァスの口調はやり取りを楽しんでいるように思えた。

 すぐにソウイチも戻ってきた。ハンバーグの包みを手にしているルビエールを見たソウイチは口角を上げた。

「お、いいねぇ。ノリのいい相手は嫌いじゃない。少しはお前も見習ったらどうだ?」

 お前の茶番はウンザリだとディニヴァスは身体全体で示した。

 こうしてジェンス社トップとの昼食ジャンクフードという妙な展開が始まった。ごくごく平凡な味。というか想像した通りのハンバーガーだった。バンズ、パティ、レタス、ソース類どれも特段豪華なわけでもない標準的な構成。すこししなびれたフライドポテト、炭酸飲料。

 用件を忘れたわけではないがさすがにこれを食べながら切り出せるような内容ではない。他に語れるようなこともないし、そんなことより見るべきことの方が多い。ルビエールは咀嚼しながらソウイチらを観察する。

「うん、これだよこれ」

 満足げに頷きながらソウイチはジャンクフードを炭酸飲料で洗い流すと包みを丸めてその辺に捨てた。

「どうだ?」

「どうだと言われましても」

 ここでおべっかを使って機嫌を取れる相手とも思えない。少し迷ってからルビエールは本音で勝負することにした。

「どこからどうみてもどう食べてもただのハンバーガーですね」

「全く持ってその通り」

 ソウイチは少しも機嫌を損ねず、むしろ予定通りといったふうに話を始めた。

「だいたい君のところで700から800ってところか?」

 その数字の意味するところにルビエールは思い当たるところがあった。値段の話だ。当然ジェンス社の通貨価値と地球の通貨価値は異なるがルビエールに振る以上は連合の共通貨幣の話と考えていいだろう。だとするならソウイチの数字と大きく乖離はしていない。

「地方によりますが、凡そそれくらいですね」

「うん。原価率は30%ってところだ。そこに諸費用、儲けが加わって価値、つまり値段が決定されるわけだが半分近くは実体を伴わない価値と言うことになる」

 幼少期に僅かながら経営学に足を突っ込んでいたルビエールは門外ではなかった。原価を30%と仮定して30%は人件費、残りの諸経費で30%、残りの10%が利益といったところが相場だろう。人件費と利益の40%と値段の半分近くは実体を伴っていない価値ということになる。

「だが、実体がないからと言って無価値というわけではない。そんなことを言いだしたら芸術の大体は価値がないことになるわけだ。一方で実体が価値を保証するとも限らない」

 言葉を区切るとソウイチは部屋を、というよりも雑多に散らばる物品を見渡した。価値のあるもの、なさそうなもの。

「さて、君の見るところでここにあるものの中で、もっとも価値のあるものは何か。正解したらそれを差し上げよう」

 不敵な挑戦状。しかしルビエールはこんな遊びに付き合う気にはならなかった。この話の流れ、部屋に散らばる物品の扱い、そしてソウイチ・サイトウという人物の特性からルビエールは存在しない正解を一瞬で導き出した。

「その正解を決めるのはあなたの胸三寸なのでは?」

 2人の動きが止まった。やがてディニヴァスの肩が揺れ動き、ソウイチは哄笑をあげた。それは10秒ほども続いた。

「その通りだ。ここにあるものは俺の所有物で誰の目に触れるわけでもなく、活用されるでもない。その価値は俺が決め、定義する。誰がどのように値付けしたところでそれは何の意味もなさない。価値ってのはシュレディンガーの猫のようなものだ。しかるべき場所にあって、実績と信頼をもって収束する。ここはあるのは、ただのガラクタだ」

 ソウイチは席を立つと倒れていた額縁を持ち上げて壁に立てかけた。絵。かなり古い。ルビエールに解るのはそれだけだった。

「こいつはとある高名な画家の絵だ。失われたとされているがここに存在する。しかし、それを知っているのは俺だけだ。ところが俺にはこいつの良さは解らない。バイヤーが付けるような価値がこいつにあるとは思えない。ここにあるものの多くがそういう物品だ。世間的には失われた、あるいは存在を知られていないお宝。ちゃんとした場所にあれば相応の価値を得るだろうな。しかしここにある限りは等しく、無価値だ。面白いと思わないか?ここにある限りは無価値な絵だが、外にはこの絵の価値が存在して求めているものがいる。価値とは一体何なのか?結局のところそいつは対象ではなく、求める者の方にこそあるんじゃないかと」

 ソウイチの話はそこで唐突に途切れた。ソウイチはボールを渡していると言わんばかりにルビエールを伺っていた。

 何を言えというのか。ルビエールは素直にそう口にする。

「何を仰りたいのか」

「世間話だよ。別に俺は君にレクチャーをしてるつもりはないぜ?君の意見を聞かせてもらいたいね」

 価値か。軍人であるルビエールには深みにハマりそうな質問なので真剣に考える気にはならなかった。それにソウイチもそこまでちゃんとした話をしたいわけでもないだろう。少し考えてからルビエールは実にらしい答えを出した。

「まぁ言われてみれば私も私自身の価値が方々に散らかっていますね。できれば自分で管理したいところです」

 軍人としての自分。英雄としての自分。ノーブルブラッドとしての自分。ルビエール・エノーなる人物の価値は本人の預かり知らない場所で勝手に生まれては取引をされている。全く腹立たしいことだ。

 半ば本心だったがソウイチとディニヴァスはジョークとして受け止め場は再び笑いに包まれた。

「いやぁ、いい買い物だった。このハンバーガーは話の種として大いに価値のあるものになったわけだ。そうは思わないか」

「そうですね」

 ルビエールは適当に相槌を打ったがソウイチは本気でそう思っているようだった。ルビエールにとっても謎に包まれたジェンス社CEOの人となりを知り、さらにウケたことには価値があったかも知れないが。

 ふとルビエールは本来の用件を忘れかけていることに気付いた。とはいえ目の前に散乱しているバーガーとポテトとジュースを見て切り出してもいいものか判断に迷う。ルビエールはディニヴァスの方を伺った。この食事会に参加できないディニヴァスはリクエストにすぐに答えてくれた。

「で、本日は何の用件だったかな」

 ソウイチは休憩中に仕事の電話が来たような顔をした。無粋な邪魔が入ったとでも言うように気のない返事をする。

「あぁ、そうだな。んじゃ本題に入ろうか」

 萎びたポテトフライをどけるとソウイチは最低限の体裁を整えた。ルビエールは背筋を伸ばし、ディニヴァスも畏まった。

「本日は伝言を預かって参りました」

「伺おう」

 やはりソウイチの顔は関心を持っているようには見えない。駆け引きに来たわけでもなし、違和感を覚えながらもルビエールは義務的に伝えた。

「連合軍司令長官ゴードン・マリネスクは対共同体を主眼とする新たな軍事同盟を月との間に結ぼうとしています。これの仲介を頼むために本日は参りました」

 重大かつ、不可解な要件である。それをよりによってジェンス社に頼む理由は何なのか?しかしそれでもソウイチはろくに反応をしなかった。まるで最初から解っていたかのような態度がハッタリなのかどうか、ルビエールには判断できなかったが。

「解った。お引き受けしよう」

 ソウイチはあっさりと答えた。当然あるべきと思っていた問答をすっ飛ばしての回答にルビエールは肩透かしを喰らわされた。用意していた諸々の想定を嘲笑うようにソウイチは所見を述べた。

「至ってまともな思考だ。地球とて二正面作戦は避けるべきところだろう。与しやすきは共同体であり、そのためならば月も動く。理屈は充分だ。それに君を送り込んだクリスティアーノも見事だ。こちらにアクセスするためのチャンネルの中でももっとも確実で、かつ俺たち好み。いや、実に素晴らしい着眼点」

 とてもそう思っているようには見えない。しかしともかくルビエールは要件を伝え、相手はこれを快諾したのである。役割は果たした、はずだった。

「では、後日具体的な話し合いを。あとはマウラ側の実務者の仕事になります」

「承知した。こちらも月とのアクセスの準備を進めておく。善は急げ、だな」

 そういうとソウイチは席を立ち、デスクの端末を弄り始めた。本当に事を進め始めたようでルビエールの方を見もしない。本当にこの件は終わったのだ。

 ルビエールは釈然としない様子で席を立った。あっさりと仕事が済んでしまったことを安堵するところだ。虎口に長居する必要はない。さっさと出て行ってあるべき場所に戻るべき。しかしルビエールの心の奥にひっかかりが生じ、それが足を止める。

 これで済ませてはならない。こんなチャンスはない。

 一体何のチャンスだ?ルビエールは自身の思考を訝しむ。

 不可解なところもある。用件が解っていて返事も決まっているのならルビエールをここまで引き入れる必要はないではないか。それとは別に、ルビエールに対して関心、あるいは期待する何かがあるのではないか。このまま立ち去ればこの奇妙な線は切れて二度と繋がることはないような気がする。

「まだ何かあるのかな?」

 ディニヴァスの投げかけは助け舟を出しているようですらあった。その手が席を勧めるとルビエールは再び腰を降ろした。ソウイチとディニヴァスの二人はルビエールの出方を待ち、何の言葉も発さない。

 何を求められている?この男たちが自分に求めるもの。覚えがないわけではない。

 前回の邂逅のとき、ソウイチはクリスティアーノ・マウラを理解できていなかった。それがいまも変わっていないならマウラ閥の人間となったルビエールにクリスティアーノに対する所見を求めているのではないか。

 クリスティアーノ・マウラとは何者であり、何をやろうとしているのか。それはルビエールにも解らない。クリスティアーノはルビエールを信用しなかったし、ルビエールもクリスティアーノを信用できなかった。なのでルビエールはソウイチたちが求める答えを持っていない。期待に沿うことはできない。しかしこれは捉え方を変えるとルビエールとソウイチは対クリスティアーノに関して言えば立場がほぼ同じと言えないか。

 この瞬間、ルビエールは大それた考えを持った。共通の疑問。それを使えばソウイチ・サイトウと個人的なパイプを持つことができるのではないか?ソウイチはいまだクリスティアーノを本質から理解しておらず、信用していない。これはルビエールも同じ。クリスティアーノという人物を探るという目的は一致する。その目的を探るための協力、それは同時にクリスティアーノの本質が望ましくないものであった時の保険ともなる。この協力関係は成立しないか?

 ヴェールに包まれたクリスティアーノの理念に対する漠然とした不安、疑心。そして敵愾心がルビエールに思ってもいない行動を取らせた。

「私は、クリスティアーノ・マウラを信用できませんでした」

 この言葉にソウイチ・サイトウは意表を突かれて表情を無にした。これはあのディニヴァスですら同じようだった。

 沈黙が流れる。明らかに流れが変わった。これまでソウイチの視線は好奇の眼。珍しい動物を観察する程度でそこにソウイチ自身に影響するような値踏みの意図は持っていなかった。今は違う。双眸は冷たく、そのノーブルブラッドが自分にとって如何なる益と不益をもたらすかを計算している。

 やがてソウイチは無表情を維持したまま口を開いた。それはこれまでとは異なるアプローチだった。

「望みはなんだ?」

 見返り。ルビエールはそこまで考えていなかったが求めないことも不審がられることになる。思巡しているように見せないためにディニヴァスを一瞥すると自然と求めるものが浮かんだ。素直にルビエールは答えた。

「私は何が起こっているのかを知りたい。そのうえで、自分が何を為すべきかを決めたいのです」

 ルビエールが本当に欲しているものとはそれだった。真実を知り、そして自分自身で決めること。この中にはクリスティアーノのやろうとしていることも含まれるが多くはソウイチの頭の内に入っているはずだった。

 ソウイチは少しだけ表情を緩めて肘をついて考え込む。いまだ信用にはほど遠そうだったがここで意外な人物が口を開いた。

「俺は納得した」

 ディニヴァスの言葉に驚いたのは二人ともだったがその後に考えたことは異なる。

 ルビエールは改めて仮面の男が何者であるのかを考えた。ジェンス社を擬人化したかのようなこの男には目的が見えない。ジェンス社そのものは宇宙覇権に関心がありそうだが、その擬人化である男はむしろそれによって起こる事象の方にこそ関心がありそうだった。

「うーん。正直、君をこっち側に引き入れるのは興が削がれるんだがな」

 ソウイチはそんなことを言いだした。何が興だ。ルビエールはムッとした。

「あなたの駒になるつもりはありませんが」

 ルビエールの反応にソウイチは言葉を間違えたと珍しくバツ悪げな顔をした。

「ああ。もちろんそうだろうし、こっちもそんなつもりはないさ。つまるところ僕は君のファンなんだ。できれば後方彼氏面していたいのさ」

「こ?」

 謎の言葉にルビエールは困惑した。

「こっちの話だ。ま、条件としてはお安い御用なんだが。さて、どうしたもんかなぁ」

 ソウイチはリクエストへの答え方を迷っているようだったがこれにディニヴァスから妙な提案が挙げられた。

「お嬢さん、この先の予定はあるのかな?」

 予定は特にないのだが。ディニヴァスの意図の読めない問いにルビエールは素直に返答していいものか判断しかねた。しかし解答なしを是と判断したディニヴァスはソウイチを見て何事か促す。最初は怪訝な顔をしたソウイチだったがディニヴァスが指を4本立てると納得し、しばらくすると悪戯を思いついた子供になった。

「いいだろう。君も少しは面白くなってきた。4日後に俺たちはまた一人別の客を迎えることになってる。そこに君を同席させてやる」

 ディニヴァスの方もくくっと笑うだけ。意図の解らない提案だったが何がしかの茶番に付き合わされるのだろうとルビエールは判断する。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、か。上等じゃないか。反骨心が頭にもたげる。

 こうしてジェンス社とルビエールとの会談はルビエールの個人的な欲求によって完全にレールを外すことになったのである。


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