14/3「ゴーストプロトコル」
14/3「ゴーストプロトコル」
エノー支隊に秘匿通信がもたらされたのはサンローでの待機が始まって2週間後のことである。
相手がクリスティアーノという時点でルビエールには悪い予感しかしなかった。一体どんな無理難題を吹っ掛けてくるのやら。
「やぁ英雄殿。ご活躍じゃないか。我らがローマの秘蔵っ子の活躍にカリートリーもご機嫌だぞ。もちろん私も」
偏見かもしれないがルビエールにはクリスティアーノが喜んでいるようには見えなかった。むしろ機嫌が悪そうである。
「今日は貴様にお願いがあってな」
「お・ね・が・い、ですか」
2人は主従関係にあるわけではなく、命令される筋合いはない。ルビエールが嫌味たらしく確認するとクリスティアーノは機嫌を取り戻したのかいつもの表情に戻った。
しまった。
「その通りだ。私はお願いするだけ。ま、答えは聞いてないし、聞く必要もないが」
ルビエールは臆面もなくウンザリ顔をした。クリスティアーノはケラケラ笑い、すっかり調子を取り戻したようだった。
「さて、まずは前提からだ。今貴様らはサンローにいる。まさか休暇するつもりでそこにいるわけじゃないよな」
「違うんですか?」
ルビエールはわざとらしく驚いたふりをして話の腰をへし折ろうとしてクリスティアーノを挑発する。さしものクリスティアーノも笑顔が引き攣る。この通信をクリスティアーノ側で眺めていたサネトウは天を仰いだ。ガキの喧嘩である。
「悪いが違う。その宙域近隣には現在、グレートウォールが接近している」
グレートウォール。ジェンス社の移動本拠地。その名前が出た瞬間、ルビエールは悪い予感がはるか斜め上を行ったことを悟った。
「呼んだのはこちらだ。貴様の今の雇い主である司令長官殿から頼まれてな。長官殿は何やらジェンス社にお願いしたいことがあるらしい。そこで、だ。貴様に特使を頼みたい」
見事な絶句がルビエールの反応だった。様々な無理難題を想定していたが交渉事、それもジェンス社相手など想像の範疇外だったし能力の埒外にも思える。
「私は軍人ですが?」
ルビエールは拒絶を表情で示した。軍人としても明らかに領外の案件だった。
「そうか?聞けばサイトウとは顔見知りだそうじゃないか」
それはそうだが。ドースタンの直前にカリートリーと共にジェンス社CEOサイトウ・ソウイチとはコンタクトがある。が、それだけである。何の武器にもならない、とルビエールは思いたかったがそれは以前までの話だった。あの男の性質を鑑みれば今のルビエールに興味を示すことは容易に想像がつく。コンタクトは取れるだろう。しかしルビエールはそれを認めたがらなかった。
「顔見知りであるかが重要とは思えません」
「そうだな。重要なのはお前が私の側の人間ってことだ」
む、とルビエールは不服を顔に出した。クリスティアーノその人をいまだ信用していないルビエールは自身がその側にあるとされるのに抵抗がある。しかし、自分がどう思っているかはこの際関係ない。事実としてルビエールはクリスティアーノ側の人間となる。しかしそれにしても無茶苦茶な采配だ。
「他に適任がいるでしょう」
「カリートリーか?」
すぐに言い当てられてルビエールは言葉を詰まらせた。
「あいつはローマ師団の事実上の司令でマウラ閥の武力の根幹だ。そうホイホイ動かせるわけがないだろう。た・わ・け」
ぐぅの音も出ない理屈に顔面を引き攣らせるルビエールだが、その理屈がクリスティアーノ自身にも向けられたものだとは知る由もない。その理屈を使ったサネトウはまたしても呆れ果てている。
「現実問題としてうちとジェンスとのつながりは限定される。かといって今さらご挨拶から、というには手間がかかるし、その案件も軽いものじゃないからな。今ある選択肢の中で一番手っ取り早いのがお前なんだ。それに向こうも相手がお前だと知れば興味を持つだろうさ。何せ今や名実兼ね備える英雄様だからな」
嫌悪感を隠しもせずにため息をつくとルビエールはどう断るか、からどう引き受けるかに思考を切り替えた。
「どういった案件でしょうか」
ルビエールに断る選択肢はないだろうがさすがにそれくらい教えてもらえないと返事のしようがない。今回ばかりはクリスティアーノも説明は惜しまなかった。
「単刀直入に言うと地球と月の同盟を見直したい。そのための前段階としてジェンス社に仲介役を頼みたいというわけだ」
要件をあくまでマウラ閥の都合と解釈していたルビエールは仰天するのを必死でこらえた。
「もちろん、本格的な交渉はそのための人間が行う。お前の役割は地球にそんな気があるってことをジェンス社のトップに直接ぶち込むことだ。重要なのはこの話は現時点で水面下での動きだということだ。周囲に動きを悟られることは可能な限り避けたい。そこで貴様の出番というわけだ」
なるほど。しかるべき手順をすっ飛ばしてサイトウ・ソウイチに話をねじ込むのは話を拡散させない効果を持つし、それができるマウラの人間は現時点でルビエールかカリートリーくらいしかいないだろう。
「私は軍人ですが」
今度の言葉はただ不平不満を表するだけの意味しかなかった。
「言うほど真っ当な軍人でもなかろうよ」
相変わらず人の神経を逆撫でて来るクリスティアーノに呆れ果てているとばかりに冷めた視線をぶつける。カリートリーはどんな風に対処しているのやら。
「で、具体的にどう動けばいいのでしょうか?」
そもそも現状のクリスティアーノとルビエールの関係は直接的な命令系統にはない。支隊か、さもなくば旅団に相応の命令がなければ動きようがない。ルビエールが単独で動く手もあるがその場合は旅団、支隊との合流なども考えるとかなり手間がかかる。
「旅団には都合よいように指示が入る手筈になっている。体裁は取り繕ってくれるだろうから、あとはよしなにやってくれ」
何がよしなにだ。司令長官が裏にいるのだから難しいことではないのだろう。しかしわざわざ体裁を取り繕うと言うことは本件が公にされることはない、ということでもある。ルビエールにはどうやらスパイじみた立ち回りが要求されるようである。
ルビエールが手順に思いを巡らせているのを承諾と捉えるとクリスティアーノは最後にいつもの(質の悪い)ジョークを浴びせた。
「なお、君がしくじって捕らわれるようなことがあっても当局は一切関知しないのであしからず」
ルビエールは次の瞬間にクリスティアーノが自動的に消滅することを願った。
後日、旅団に命令が下された。内容は待機拠点の変更。何の戦術的な意味もない「移動」に多くの人間は意図が解らず困惑した。
「なんだこれは。向こうに何かあるのか?」
首を傾げるボスコフに対してソープは多少なり裏を察している様子で逆視点を提示する。
「もしくは、ここでは駄目な何かがあるのか」
「例えば?」
「ノイマンさんが物資を集り過ぎたとかですかね」
ソープのジョークをボスコフは顔を顰めて諫める。
「ま、長官のお使いということでしょう。僕らに出番はないですよ」
「あー、そうですか。なるほどね」
ソープの見解を聞いた時点でボスコフはこれ以上深入りしないことを決定したようだった。ソープはボスコフのこの性質を好ましく思っている。
同じころルビエールはハミルに拠点移動時の別行動を願い出ていた。目的は当然その道中にいるであろうグレートウォールとの接触だった。ルビエールとしてはこの件に旅団を巻き込みたくないための提案だったがハミルは納得しなかった。
「小賢しい真似はするな中佐」
そう言われてルビエールはムッとした。ハミルはこちらの事情をある程度は察しているはずである。そのうえで人の苦労と配慮を無碍にしているとルビエールには映った。ハミルもハミルでルビエールの考えを察していたが顔には出さず、いつもの鉄面皮を維持した。
「第11旅団は連合宙域を侵犯するグレートウォールに警戒対処することになる」
ルビエールは側頭部を殴られたような衝撃を受けた。御膳立てはそこまで済んでいるのか。それにしてもそれを今さら言うハミルにルビエールは反発した。
「聞いておりませんが」
「貴様に確認してから開示するつもりだった。それに最初からグレートウォールに対処する任務ということであれば余計な憶測を生む。なぜ、そこにいるのが解っているのか、なぜ旅団であるのか、とな」
全くその通りなのでルビエールは黙った。実際には内部の人間の多くは察するだろうが対外的な体裁として偶発的な接触であることを演出せねばならないのだ。
ハミルは滔々と語る。
「ジェンスも当然、その宙域に招待されたということだろう。貴様が何事かの交渉事を進める間、旅団はグレートウォールと対峙。グレートウォールが離れればそれが旅団の仕事として成立する。上のシナリオはそんなところか」
ハミルは確認するように呟き。それで間違いないことをルビエールは無言で肯定した。ハミルもハミルで思うところはあるだろうがため息をつくに留めた。
「詳しい内容まで聞く気はない。用件は長くなるのか?」
「それは、大してかからないと思いますが、相手が相手ですので何とも」
ルビエールは率直に言った。要件を伝えるだけならさほどもかからないと思うのだが相手が相手だ。長引く可能性、というよりは不測の事態を排除することもできない。
「ならば、一番重要な部分だ」
「危険はあるのか?ですね」
ハミルは顔を顰めて頷いた。旅団とグレートウォールとで交戦が発生する可能性。当然の懸念だろう。この点に関してルビエールは充分な理屈が必要だと考えた。
「繰り返しになりますが相手が相手なので確約はできません。が、今回の交渉はジェンス社と事を構えるような案件ではありません。別件でこちらに危害を加える可能性があるにしてもそれは「私」にであって旅団そのものは彼らの興味対象外になるはずです。事が起こったとしても旅団側から行動しない限りはまず危険はありません」
今回の交渉事に旅団はまったく関係ないのだ。旅団はあくまで傍観で問題ない。しかしこのルビエールの理屈にハミルは納得しなかった。再度ため息をつくとルビエールとは真逆の結論を出す。
「臨戦態勢が必要なわけだ」
ルビエールはハミルの論意を理解できず、話を聞いていたのか?と訝しんだ。ハミルも同じ顔をした。しばらくするとハミルは甚だ不服という様子で口を開いた。
「つまり、貴様を救出する算段も必要と言うことだろう」
ルビエールは硬直した。
「いや、あの」
全くの想定外。ことが起こった場合の自分の救出など必要ないとルビエールは考えていたのだが、それはあくまでルビエールの都合でしかない。ハミルの立場で「はい、そうですか」となるわけではないのだ。
「俺は貴様がどうなろうが知ったことじゃない。しかし支隊はどうなる。悪いがあんなはぐれ者は預かれん。貴様が作ったんだ、最後まで面倒を見ろ」
「…はい」
完全に言い負かされてルビエールはこれまでになく萎えた。なぜここまで自分はハミルに対抗意識を持っているのか。
「それで?」
改めてハミルは問う。ルビエールは気を引き締めて筋道を練り直した。自分に何があろうがジェンスと旅団で騒動を起こさせるわけにはいかない。それに対してハミルを納得させるための理屈。ルビエールは甚だ不服なやり口しか思い浮かばなかった。
「危険のあるなしに関わらず、グレートウォールとの交戦は絶対にしないでください。支隊にもそのように厳命します。これは、政治の領分です」
ハミルはしばらく黙ってから頷いた。
「解った」
政治の領分か。自分で口にしておいて反吐が出そうになる。何より巻き込まれることを嫌っていながら自分がその中心になってしまっていることにルビエールは苛立つ。しかし他にやる者がいない。そしてこれは誰かがやらねばならないことだった。
今回の交渉に関してルビエールも自分なりにその背景を推測していた。地球と月の同盟を見直し、対共同体に戦略を転換、月を大戦に巻き込む。筋は通る。これは戦略目的の策定に苦心するマリネスク長官にとって起死回生の一手となるだろう。
不可解なのはこれを正規の外交ルートではなく、矢文紛いの手段で試みること。常識的な方法では駄目な理由があるのだ。これに関してルビエールには思い当たるものがある。
まずはこれが完全な政治案件であること。そもそもシビリアンコントロールの観点からも軍部が政治の領分に踏み込むことは許されない。となればマリネスク以外の者の手で話は動かされねばならない。それでも政治家に働きかけて行うという常識的なルートがあるはずである。しかし、それこそがマリネスク長官がもっとも避けたいルートなのではないか。
ゴードン・マリネスクがMPE派閥の後ろ盾でその立場についた人間であること、そしてそこから脱却しようとしていることはクリスティアーノからも知らされている。旅団と支隊もそのための重要な手駒である。その彼の目的においてもっとも警戒すべきは政治からの横やりだろう。軍部にはそれなりの影響力を確保したマリネスクも政治には全くのはず。むしろMPEなどの勢力はそちらにこそ本領がある。正規の案件にすればそれ自体の是非を議論することになって時間を浪費するし、最悪の場合は頓挫することもありえる。これをマリネスクは眺めているしかできないのだ。太刀打ちしようのない領域で勝負したくはない。ゆえにマリネスクは裏ルートを選んだ。
ルビエールは自身の推測に納得する一方で腑に落ちない部分もあった。筋は通るがこれほど大胆で無謀な選択肢を取れるものなのか?しかしこれもクリスティアーノが噛んでいると考えると違和感はない。つまりマリネスクとクリスティアーノは思った以上に接近しているらしい。マリネスクは旅団と支隊の黒幕でもあるがルビエール自身はその人となりなど知る由もない。ルビエールはクリスティアーノに抱いているものと同質の不信感をマリネスクに抱くのだった。
クリスティアーノからの要請を避けてジェンス社の本体である巨大艦隊グレートウォールはウェイポイントに進んでいた。この呼び出しの内容を見通せないジェンス社ではない。月を動かすため、また新勢力として動き始めたマリネスクとマウラとの連携。これに対するソウイチらの反応は誰の予測にもないものだった。
「実に見事だ。見事過ぎて気に入らないな」
ソウイチはしかめっ面で地球と月の要人たちの相関図を眺めていた。
実はこの時、ジェンス社は別の要件を抱えていた。月統合国大統領ルイス・テレーズからの地球との新たな同盟構築の仲介を頼みたいという要望である。ほとんど形骸化して月にとって旨味のない同盟を見直す契機。これに乗ってくれる地球側の人間を探してコンタクトしてほしいという。
つまりほとんど同時期に月と地球で一致した思惑があって、その仲介役がジェンス社に舞い込んだということになる。
偶然であるならいいのだが、それはないだろう。テレーズはこの展開を読んでいたに違いない。いいように利用されている。ソウイチはテレーズを過小評価していたことを思い知らされた。
「なら、断るか?」
その選択はないことを承知の上でディニヴァスは茶化す。ソウイチたちが蹴ったところで連中は困らない。その時はWOZ辺りがその役を担うことになるだろう。
「ロールは全うするさ。この流れに逆らってもろくでもないことにしかならないだろうからな」
月の動きに乗り遅れると宇宙覇権は一気に月に傾いてしまう。WOZと地球の加担次第でジェンス社はその流れからはじき出されかねない。月を牽制するためにもこの話は一枚も二枚も噛んでおかねばならない。
それにジェンス社にとっても不利益になるような話ではない。そもそも気に入らないというのもただの感情論でしかない。ただし、考え方は見直す必要が出てきた。テレーズは危険な相手だ。こちらを出し抜いて、場合によっては凌駕する存在になるかもしれない。油断ならない相手。
そしてこれはマリネスクにも言える。奴にこのような政治的な動きをする度量があったことも驚きだ。それにクリスティアーノ。マリネスク自身はいまだ地球側のイニシアチブを握っている存在ではないとはいえクリスティアーノが本格的に手を貸し、月との同盟が上手く果たされればマリネスクの陣営は一気に主要勢力として飛躍するだろう。そしてこの同盟は相思相愛であり、利害も一致する。
「問題はこの勢いを放っておいていいかだ。さすがに火星に肩入れしてどうにかなるもんじゃないぞこれは」
地球に流れが傾き過ぎることが都合の悪いジェンス社である。しかしディニヴァスはその問題を前提から見直す。
「重要なのは時間だろう。戦争の形勢が早期に確定さえされなければいいわけだ。共同体と月が争うことは戦争の性質がより拡大することでもある。当然、火星も座して見守っているほど能天気ではなかろうし、共同体に少々粘ってもらえれば累計の時間にはさほど大きな影響はなかろう」
つまり火星対地球の戦争に月対共同体を合算すればいい。ディニヴァスの考え方にソウイチは完全には納得したわけではないが現状、彼らが自らのシナリオを維持するならば取りえる選択肢は他になさそうだった。
そう、あくまでも維持するならば。
「このまま月に好きにさせればこちらが割りを喰う。できればこっちの決着はつけたくはない」
そうしないための算段は。ソウイチは頭を掻いてその筋道を描こうとしたがすぐに断念した。どう足掻いても月とやり合う羽目になりそうである。その展開はジェンス社に旨味がない。こうなってくると従来のシナリオにそこまでの価値があるのかも疑わしくなる。
「こいつはかなり面倒だな。となるともういっそ俺たちも参戦する方が旨味もあるか」
「フィクサーが表に引きずり出される形になるわけだ
ディニヴァスが茶化すように言う。ソウイチはあくまで案の一つであることを念押ししたが既にこれまでのシナリオへの興味を失いつつあった。




