14/1「歪み」
14/1「歪み」
元地球連合大統領ニコライ・カスティヤーノとマウラには縁がある。カスティヤーノが大統領となる選挙戦でカスティヤーノ一派を支援していた歴史があるというのである。これはクリスティアーノが生まれる前の話であるがこの時の縁でクリスティアーノは幼少の頃にカスティヤーノと面識がある。精気と自信が満ち溢れていた男でそれが得も言われぬ魅力を持っていた。何も知らない子供の頃の話なので当時は機の良いおじさんとして慕っていたものだ。
クリスティアーノにとって幸いなことは先々代のマウラ、つまりクリスティアーノの祖父はそれ以上カスティヤーノに深入りしなかった。理由は定かではない。利害が衝突したのか、もしくは危険を察知したのか。あまり好きではなかった祖父に感謝できる数少ないファインプレーとしてクリスティアーノは評価する。タイミングを誤ればカスティヤーノとの縁は今も続いてクリスティアーノにとって大きな枷になっていた可能性が高い。それどころか今のクリスティアーノもなかっただろう。
さて、今さらクリスお嬢になんのようだ?あまりいい予感はしない。マウラ閥の長となったクリスティアーノへの挨拶というどうとでもとれる要件で済むわけがない。
カスティヤーノにはMPEの強力な支援者という裏の顔がある。しかし自身はMPEつまり地球至上主義者の思想に同調しているわけではない。この男は地球至上主義者たちを焚き付け、利用することで戦争をコントロールしてきたのである。
クリスティアーノの知る限り、もっとも邪悪で度し難い勢力。その一つがカスティヤーノだった。そして目下のところマウラはMPEを敵に回すような動きをしているマリネスクに肩入れしている。直接的に衝突するわけではないにしてもカスティヤーノとクリスティアーノは敵同士の二者の背後にいる。かといって敵対したいわけでもないはず。まずはお互いにそれを確認する必要があるだろう。
「最近はマリネスク君と懇意のようではないか」
短い時間の中でクリスティアーノはカスティヤーノのスタンスを確認した。マリネスクはMPEに反旗を翻すような動きをしているが、果たしてこれはカスティヤーノにとってはどう捉えられているのか?クリスティアーノはとりあえず最低限の事実だけを口にすることにした。
「それはまぁ当然そうさせてもらっています。マッケンジー女史を動かしたのは私ですし、多少の利益授受はさせてもらいませんと」
「なんと、マッケンジーを動かしたと」
カスティヤーノは目を大きくして驚いたふりをする。知らないわけがない。
「いやはや、あの純情無垢なクリスお嬢がそのような権謀を身に着けるとは、老いぼれとしては嘆きたくなるよ」
よく言いやがる。クリスティアーノは自身の頭に擡げてくる感情を抑えつけはじめた。我慢の時間が始まる。
「そのマリネスク君だが、ジェンスと何やら誼を計ろうとしているようだ。その窓口に君がなっているとか。老婆心ながらとても憂慮している」
さて、どうするか。短い思巡でクリスティアーノは返答しなければならなかった。
惚ける。無意味だろう。
受け入れる。あり得ない。
拒否る。意味がない。
では、こういうのはどうか?
「我々が踊らされるとでも?」
まるで侮られていることに納得がいかないように不服気にクリスティアーノは返した。見事なまでに的外れな返答だった。カスティヤーノの反応は苦笑。
「そうは言わない。ただ。予定にないことをされて話を拗れさせてもらっても困るということさ」
どうやらカスティヤーノはマウラとジェンス社、そしてマリネスクがつるむことを敵対とは捉えてはいないようだった。
少なくとも、そこまでであれば。これを強調するようにカスティヤーノ視線が鋭く光った。
「いいかいお嬢さん。人間というものはそこまで信頼できるような存在ではない。多くの場合で愚かで浅はかだ。これは多ければ多いほど、つまり個ではなく、群であればあるほど顕著になる特徴だ。今、世界は危機に瀕している。なぜなら、その愚かで浅はかな意思を操って戦争を、世界を弄んでいる連中がいるからだ」
自分はその中に含まれていないとでも言うのか?と喉から出かかるのを我慢するクリスティアーノはその代わりに自分をその中に含むことにした。いずれにしてもこの男と同じ側には立ちたくない。
「で、その愚か者を裏で操っているのがジェンス社と仰るわけですか」
「そう。私としては君らに愚か者になってほしくはないわけだ。余計な心配だと思いたいがね」
自分でそういう風に誘導しておきながらクリスティアーノは窮屈になってきていた。理解していないを装うのは思った以上にストレスだった。もちろんジェンス社と縁を切ることはできない。彼らがクリスティアーノにとって味方かと言えばそうでもないだろうがカスティヤーノを共通の敵としていることは間違いない。
「別にジェンス社と何かをしようと思っているわけではありません。窓口として線をつなでいるだけのこと。それに…こちらもそこまで連中に信頼されているわけではありません。そして、わざわざ信頼されたいとも思っていない。もちろん信頼してもいない」
全て事実だったのでストレスなく口にできた。ジェンス社とは最終的に衝突する可能性がある。ただ道中を限りなく共有しているだけの話だ。
「なるほど。君らには君らの思惑があってそれは奴らと一致するわけではないと」
クリスティアーノの弁をどこまで信用しているのか解らないがカスティヤーノの方は言葉の上では納得したようだった。
「まぁ、精々気を付けたまへ。マリネスク君の仕事を邪魔する気はないが、それも彼がロールを全うしている間の話だ」
クリスティアーノは無言を貫いた。語ることより考えるべきことの方が多かった。
カスティヤーノは今のところマリネスクを傍観するつもりでいる。いまだマリネスクは許容範囲内にいるということか。マリネスクのロール。カスティヤーノが求めているものとMPEが求めるものとは別のようだ。もちろん、マリネスク自身が求めているものとも違うはずであるがそこまで外れてもいない。もしくは修正の利く範囲であるのか。
「さて、そこで本題に入るのだが」
カスティヤーノの切り出しを受けてクリスティアーノは老執事をさがらせた。これで1対1。少しの間を置いてカスティヤーノは紅茶に口を付けてから話始めた。
「君が、君たちが何を求めているかは知らない。まぁ、恐らくは我々とは別の道を進むのだろうがそれは君の自由だ。末路を含めて君の人生だからね。ただ、私個人としてはできればその時が来ないことを願っている」
それは無理な相談だ。クリスティアーノの意思は当の昔に決定されている。両者はどこまでいっても敵同士だ。これが覆ることはない。とはいえ、今はそれを表明する意味はない。果たしてカスティヤーノがどこまで本気なのかは知らないがあちらが敵同士ではない体裁を望むのであれば、こちらはそれを利用するまでだ。
「つまり、どういうことでしょうか」
「君が加担している星間大戦のゴールラインがどこであるかは知らない。いずれにせよそのゴールラインは我々のものに修正させてもらう」
「我々の目的は勝つことですが」
惚けてみせるクリスティアーノにカスティヤーノは首を振った。
「それが困るわけだ」
「どういうことでしょうか」
カスティヤーノは身を乗り出した。
「我々の願いとは戦争のあるべき形への回帰だよ。そもそも星間大戦とは何のための戦いで、ここまで続いてきたのか。君はどう解釈しているのかな」
教師じみた口調が癇に障る。クリスティアーノはわざわざ考えて答える気も起きなかった。
「生憎若輩にて、お考えを聞かせ願いますか」
生意気な小娘と思ったかカスティヤーノの眼が冷ややかになる。しかし興が乗ったかその舌は滑らかに回りはじめた。
「ならば教えよう。星間大戦とは何か。そしてなぜ続いてきたのかを」
カスティヤーノは長い足を交差させリラックスした。
「まずそれが何であるかを語る前にどのように星間大戦が構築されたかを語るとしよう。開幕に関して語ることはない。だいたい君たちの知っている通りだ。問題はそれがどうして続いたかだ。最初は、面子だった。はじめた以上、成果なくして終わらせるわけにはいかない。くだらない理由ではある。始めてしまった、加担した者達が自分たちの正当性のためだけにあるはずのない着地点を求めて戦争を続けたのだ。しかしそういった連中が去ったあとに出てきたのは遺恨だ。失われたもの、払った犠牲。これを贖えるものは勝利しかないと彼らは考えた。悲しいねぇ。しかし結局のところ勝利は見えない。ここらで戦争は切り上げ時だ。誰もがそう思っていただろう。誰もが疲れていた。ここまでは戦争としては健全だ。ところが、それでも戦争は終わらなかった。それがだいたい150年代頃の話だ。ここで私の言う変化が訪れた」
UF150年頃。星間大戦としては中期に差し掛かる時期だろうか。この時期に特別な出来事があったかどうかをクリスティアーノは手繰るが思い当たるようなものはなかった。UF150年以降の世界情勢は硬直を迎え始めている時期だった。地球連合・火星共和・月統合・コロニー国家共同体の4竦みにジェンス社、WOZ。これらの主要勢力がそれぞれ安定状態になってから大戦は地球が攻めては疲れて後退する、火星も縦深陣地を用いた宇宙焦土作戦で対抗して作っては破壊されるを繰り返している。自然休戦期と呼ばれるインターバルを挟んでそれを繰り返すようになった時期。パターン化された戦争モデルが出来上がった時期。
なるほど。それか。クリスティアーノは辿り着いたがそれを顔には出さないよう努める。
「この時期。戦争は一つの安定した活動になった。時の政治家、権力者たちは戦争に勝つことが不可能なことを理解していたが一方でやめることでそれまでの遺恨、メンツを背負うことになるのを嫌った。これまでの支配体制が消し飛ぶことは目に見えている。彼らにしてみれば自分たちの爺さん婆さんの始めたことだ。その業のために自分たちの役得を放棄する義理もなかっただろうし、そのために多くの人間を巻き込むこともできなかったのだろう。そうして先送りを続けているうちに彼らは気づいた。やめるのでなく、続ける方が楽だとね。そうして戦争を勝つ方法でも、止める方法でもない。続けるための理屈と方法が構築され始めた。最低限の労力で、ね」
こうして現行の支配機構を維持するための戦争メソッドは完成した。
なんと悍ましい。反吐が出そうになる。クリスティアーノは聞く耳を持ちたくなかったがカスティヤーノは何ら気兼ねすることなく舌を回し続ける。
「振り返れば。星間大戦とは、かつては地球と火星の主権争いという体だった。だがしかし。今そんなことを考えている人間がどこにいるだろうか。火星など取り戻しようがない。取り戻したところで厄介な火種を内部に抱え込むだけだ。何の得にもなりはしない。誰にでも解ることだ」
MPEの連中が聞いたら発狂するだろうな。MPE最大のパトロンの言葉にクリスティアーノは呆れていたが表向きは神妙さを維持する。
「火星を取り戻してかつての地球圏統一と平和を実現する。バカげた考えだ。そんな夢想を本気にしている連中は。ま、ゼロではないだろうがごく少数だ。にも関わらずその大義は維持され、大戦は終わることなく今日まで続いている。何故か。そんな少数の人間の為に戦争は続いているのか?違う。ではなぜか。星間大戦とはそのような目的、勝つか負けるかという次元とは異なる道理によって動いているからだ。むしろ勝たないこと、負けないことこそを目的に行われているとも言える。星間大戦とは、勝者も敗者も生まない制御された戦争なのだよ」
別の目的。というよりも理屈。今日までダラダラと大戦が長引いている理由。この部分に関してはクリスティアーノも眉を動かさずにはいられなかった。
今日まで続く戦争の正体。それはつまるところ支配体制の維持のためのマッチポンプに過ぎないとカスティヤーノは言う。
「それが、あるべき姿と?」
「その通りだ」
邪悪の塊はそれが正しいと疑うことはなく、断言した。カスティヤーノは回り出した舌の勢いのまま熱心に語る。
「納得がいかないかな。しかし考えてもみたまえ。有史以来戦争が絶えた時期などたまたま期間が空いただけのことで人類の歴史とは戦争の繰り返しだ。平和など夢想に過ぎない。どれだけ戦争を絶やそうとしたところで、抑止しようとしたところで戦争は起きてきた。井戸の水を止めたところでその水はどこにいく?消えもしなければ留まりもしない。圧力は高まり、やがてどこからかしみ出してくるものだ。戦争など止めようがないのだ。それでも人類は戦争の抑止を求め続けて数多の方法を編み出した。核兵器もその一つだ。しかし核兵器が戦争を抑止することはなかった。それを継いだAI兵器はより破滅を加速させるだけの結果となった。そしてそれらの足掻きがより皮肉な事態を生んでしまった。どういうことか解るかね?」
「戦争を終わらせる手段がなくなった」
クリスティアーノの解答にカスティヤーノは目を剥き驚いた。とはいえ、それは子供が大人向けの問題を解いたような驚きだった。いまだカスティヤーノはクリスティアーノを自身の理を理解できない者としか認識していない。
「なるほど。まるっきり世界のことが解っていないわけではなさそうだ。その通り、正解だ。では時代をさらに巻き戻そう」
カスティヤーノは指をくるくる回した。
「大昔、全面戦争という形が作られた時からその傾向はあった。いつの頃からか世界は戦争を終わらせることができなくなった。降伏宣言をして、条約を結んでおしまいという戦争の妥結は意味を為さず、お互いがお互いを滅ぼす手段がなくなり、どちらかが衰退する、もしくは両方が衰退するという戦争ばかりが続いた。その結果、抵抗活動はズルズルと続き、それが火種となって燻り続けることになった。今もその痕跡が地球のそこら中にある。終わることのない戦争に勝者はいない。ただ敗北者だけが生まれ続けることになる。負けていない者にすら戦争の負担と恐怖がのしかかって発展を阻害する。戦争をすることに何の利益もなかった。少なくとも結果から見れば得るもの以上に失われた戦争ばかりだ。それでも、戦争は起こった。嫌気がさしても続いた。どれだけ抑止しようと、避けようとしても」
この時、カスティヤーノは本気で憂いているように見えた。あるいは本心で憂いてるのかもしれない。クリスティアーノはこの男の本質が何であるのかを知らない。知りたいとも思わないがそこにあるものが理念であることだけは認めた。
カスティヤーノの話は続く。
「一向に良くなることのない生活、そして未来。旧暦においては人類のほぼ全てが敗北者になりつつあったと言ってもいいだろう。しかしそんな時に転機が訪れる。ちょっとしたラッキーだったが人類はこれに飛びつき、世界を大きく変えるチャンスにした」
「ネイバーギフトですね」
「然り」
よくできましたとカスティヤーノは頷く。
「私に言わせればネイバーギフトによる発展はあぶくのようなものだ。それまで使えなかったものが使えるようになっただけで本質的に新たな何かを得たわけではない。火星は別としてね。それが一巡してしまえば再び資源の枯渇に悩まされ、また戦争が始まることは目に見えていた。あくまで一過性の発展。ひと時の夢。それを既に予期していた賢人がいた。彼、恐らくは彼らだが。ともかくその時に備えて仕組みを講じ始めた。過ちを、またあの愚かな戦争を繰り返してはならない。しかし止めることは叶わない。ならば、どうするか。戦争を変えてしまえばいい。つまり制御する。その結論は必然だった」
ここでカスティヤーノは一息をついて紅茶に手を伸ばした。クリスティアーノはもちろんカスティヤーノにとっても歴史として知るだけの大昔の話であるはずだがカスティヤーノはどこか懐かしむように思いを馳せているようだった。
「そこで話が戻るわけだが」
過去の人は郷愁と紅茶を十分に堪能したのか、一転して今に戻ってきた。話の流れからクリスティアーノは既に次の展開を予期できた。聞くに堪えない話だったが腹に力を入れて殊勝さを取り繕う。
「星間大戦においてもお互いがお互いを滅ぼせない状態にある。勝ちようにも勝ちようがなく、当然ながら負けるわけにもいかない。しかしこの状態が200年も続いたことを君はどう思うかな?この200年間、世界では大きな悲劇は起こっていない。戦争によって誰かが滅亡したわけではない。それどころか人類は大きく拡散し、飛躍的に発展した」
詭弁だ。たった2文字を呑み込まなければならないことにクリスティアーノはイラつく。そもそもクリスティアーノは知っていた。カスティヤーノよりはるか以前に地球に生まれた権力の集積・管理を目的とした組織があること。その組織が星間大戦を権力維持のためにルーティン化して操っていること。
そしてそのシステムを、組織を今現在率いているのがカスティヤーノであること。
「もちろん、この状態は平和とは言い難いだろう。しかしどのような形であれ、それでこの世界が破綻なく、大きな悲劇もなく成り立ってきたことは事実だ。それに勘違いしてはいけないが、この形を受け入れたのは火星も同じだ。彼らにしても戦争に勝つことも、やめることも非現実的であることは同じだった。だから彼らも続けることを選択し、自分たちの組織維持に活用してきた」
火星、正確には火星共和党。火星は地球よりもはるかに選択肢が狭い。しかし、その狭い選択肢の中から戦争に依存することを選んだことは事実だろう。彼らもまた戦争を利用して体制を維持することができたのだ。共依存。お互いの権力者たちが自分たちの体制を維持するために結び付いた暗黙の了解。お互いに大きなことをせず、その状態を維持する努力をした。結果、大戦は200年もの間続くことになったのだ。
これを単に非道と糾弾できるなら話は簡単だったがこの統治システムによって利益を享受するのは統治者だけではなかった。
「戦争の根絶から、制御へ。それがUF中期に人類が作り上げた新たな秩序だった。これは極めて効率的に機能し、人類をこれまでにない発展に導いた。その原動力とは民だ。戦争は戦える者たちだけによって行われ、民は戦争からは遠ざけられた。実際に戦争が行われるのは宇宙の荒野。目に見えることも触れることもない。戦争から民が解放されるということは社会が解放されるということでもある。軍事費は存在するが戦争が制御されるならばそれは単なる必要経費でしかない。安定した社会と戦争が共存できたということだ。戦争と社会が切り離されて運用される。一方で戦争は確固として存在した。定期的に繰り返される侵攻期と自然休戦期が民にそれを認識させる。それによって民が得るものは、安定だ」
クリスティアーノは思わず顔を歪めた。生徒の反応を楽しむようにカスティヤーノは続ける。
「人間とは概ね愚かで浅はかだ。犯罪者が捕まり、罰せられると安堵し正義は実行されて世は平和になったと考える。そもそも犯罪が起こらないことが平和であるはずなのにね。もちろん、戦争と同じように犯罪がなくなることもないわけでね。それと同じことだ。定期的に戦争が行われることで民は恐怖と不安を実感することになる。そして戦争に関わらずに済む自分たちの立場が何と有難いことかを再認識できる」
無残な戦争の歴史と教訓。定期的な恐怖と不安。そしてそれに関わることがないという。安心、安堵。それが「今のままでいい」という信任となる。この終わることのない戦争統治機構への最大の加担者。それは民だった。その世界をぶち壊すことを願うクリスティアーノにとってもっとも不都合な真実だった。
カスティヤーノの語り掛けは自分の考えこそが真理であることを疑っていない。この男の真理にはそれだけの歴史の積み上げがある。クリスティアーノはそれを根から否定するだけの言葉を持っていなかった。そんなものが必要なわけではなかったが。そもそもこの男と自分とが相容れることなど絶対にありえなかった。
付き合っていられるか。ここでクリスティアーノは話をシャットダウンするために本来なら切るべきではないカードを切った。
「で、その統治システムを作り上げたのがプロヴィデンスというわけですか」
狙い通り。カスティヤーノの舌は止まった。
プロヴィデンス。カスティヤーノの権力基盤となっている非合法の政治組織。いつ頃から存在しているのかは判然としないが事実として遥か以前から地球の統治機構に影響力を持つ闇の組織。時の権力者たちを誘導し、星間大戦をシステム化させた張本人たち。クリスティアーノが叩き潰すべき最大の敵。
その名前を出すことは極めて危険な行為だった。ただ知るだけの者をプロヴィデンスは許さない。その存在を知る者は彼らの協力者のみ。敵対者は等しく抹消される。
カスティヤーノはクリスティアーノの発言を理解し難い様子だった。スピード違反で捕まえた車のトランクから禁止薬物が出てきたような厄介ごと。見過ごすわけにはいかないが今回の訪問においては完全な想定外。
「火遊びはいけないな。マウラとはお爺さんの頃からの付き合いだ。多少は仲違いしたところもあるとはいえ、その因果まで引き継ぐ気はないだろう?」
やった。クリスティアーノは表情が緩むのをぐっとこらえた。窘めて話を有耶無耶にする動き。これはつまりカスティヤーノがマウラを、クリスティアーノを引き込みたがっていることがポーズではないという根拠となる。
何が望みだ?クリスティアーノが持っている切り札。ロバート・ローズか。それとも天使の分け前か。あるいはマウラ閥が作る流れそのもの?
しかし今はその答えを探る時ではない。クリスティアーノの本懐をカスティヤーノは理解していない。それが解っただけでも大収穫だった。今は堪えてクリスティアーノは話を続ける。
「父はともかく、祖父に関しては特別何とも思っていません。つまり、そちらと今のマウラはクリーンな関係と言うことです」
「そうか、それは結構」
カスティヤーノは少しの躊躇いを見せた後に本来の話に軌道修正を試みた。
「この世界から戦争はなくせない。その原因が人の心に由来するものである以上はね。欲望、嫉妬、憎しみはもちろん。恐怖も不安も払しょくできるものではない。常に人の心から生まれ出るものだ。これねじ伏せることは却ってその感情を凝縮して高める結果になる。だから制御されねばならない。それを理解する者によって」
カスティヤーノは言外にその理解者にクリスティアーノを加えたがっているように思える。クリスティアーノはそれにリアクションしなかった。先ほどまでであればそれには努力が必要だったが収穫を得た今ではさほど苦にならなかった。余裕を持ったクリスティアーノが次に出した言葉は挑戦的になった。
「しかし、それを嫌っているものもいるようですね」
自分自身がそうであるのにぬけぬけと口にする。とはいえカスティヤーノがその言葉で真っ先に思い浮かべたのはクリスティアーノではなかった。
「戦争を続けることでこそ火星も生き長らえるというに、全く度し難いものだよ」
カスティヤーノの言葉に彼のイラ立ちが透けて見える。どうやらマルスの手による政変は彼にとって予定外であり、そして理解の範疇外であるようだった。
戦争の状況変化は火星が発端だった。火星共和党から政権を奪取したマルスの手の暴走。しかしその切っ掛けをカスティヤーノが知らないとは思えないのだが。
「フォースコンタクトに関してはご承知でしょう。それを切っ掛けに世界は動き出しました。マルスの手もそれに乗じて状況の変化を望んだ、ということと思いますが」
カスティヤーノは不快気に鼻を鳴らした。
「入れ知恵をした奴がおるのだろう。そいつらに滑稽に踊らされていることに気付いてはいないようだ。何をやっているのか、奴ら自身が理解できているようには思えんな。とはいえ、連中に選択肢が与えられているわけではない。肝要なのはこちらが下手に動き過ぎないこと。与え過ぎないこと。そして、求め過ぎないことだ」
「戦禍を広げ過ぎないこと、敵に利益を与えないこと、一方で利益を奪い過ぎないこと。と言ったところですか」
然り、とカスティヤーノは満足げに頷いた。クリスティアーノはカスティヤーノの求めることを確認するという目的をほぼ達成した。
カスティヤーノ、つまりプロヴィデンスはあくまで元の状況、制御された戦争への回帰を望んでいるらしい。このためには戦禍はこれ以上拡大してはいけないし、火星を追い詰め過ぎてもいけない。奪われた分だけ取り戻せば後は妥協的に講和しても一向にかまわないのだろう。
これまでの連合政府が及び腰なのもプロヴィデンスの影響だろう。今現在も連合政府が迷走しているのも連合政府が攻めに転じて戦禍が拡大してはバランスが崩れることを憂慮していると考えられる。
「で、また元の状況を取り戻したとして、それをいつまでも続けられるとお思いで?」
「おかしなことをいうね」
愚問とカスティヤーノは冷笑する。
「では聞くがそもそもどうやってこの戦争を止められるのか。止めて状況がよくなるのかな?止めたとして次の戦争が起きないようにできるのか?そもそも平和の定義とは「戦争がない」状態のことなのか?戦争がそこにあったとしても民がそれに関わらずに済むならば、それを平和、もしくはそれに類するものと定義することに何の不都合がある?」
クリスティアーノは答えない。カスティヤーノはそれを答えがないと受け止める。
「私としては誰の犠牲もなく止める手立てがあって、今後も戦争が起きない形を作れるというならやめればいいと思っているよ。ただしそんな方法はこれまでなかった。あるとも思えない。で、あるならば。我々にはこれを維持し、続ける責任がある。世界の為にね」
この男はそれを本気で最上の策であると考えている。もしかしたらそれが真実なのかもしれない。人類を種として考えた時にもっともベターな形。
ふと、カスティヤーノはクリスティアーノから視線を外した。次の言葉だけは言い聞かせるというよりは独白しているような、嘆きのような言葉だった。
「実際のところ人間が考えるべきことは戦争をどうにかすることよりも平和という代物が何であるのかを突き止めることではないか。私は歴史を振り返るとそう考える。戦争を終わらせるだけならそこまで難しくはないはずだ。屈すればいいだけの話だからね。だが、その先にあるべき平和、その正体が掴めない、どこにあるのか解らない。だから止めようがない。誰しもが平和という状態を漠然とした概念でしか捉えておらず、具体的な道筋を描けるものがいない。平和が一番。誰しもそう口にする。ところが歴史上、平和だったと定義される時代は長く続いたことはない。ほとんどの場合でそれは別の誰かの犠牲によって成り立っているからだ。世間で語れるような素晴らしい平和が実現した例など存在しない。にも関わらず、ほとんどの人間は戦争を非常事態とし、平和をこそあるべき状態と定めている。これも根拠のない考え方のように思う。平和、争いのない状態が最初であるはずはない。人間は人間同士で争う以前から自然と争ってきたのだ。人間にとっては「平和」という状態こそ異常であるはずだ。この異常な状態への拒否反応こそが戦争の根源にあるのではないか」
カスティヤーノは言葉を切るとしばらく黙り、視線も外の風景に留めたままにした。誰に向けたでもない言葉はカスティヤーノが自身を理解してもらうための歩み寄りだったのかもしれない。
奇妙なことにこのカスティヤーノの考えはクリスティアーノにも部分的に同意できた。ただしある一点において致命的な差異があった。
人間が本当に拒否しているのは平和でも戦争でもない。膠着ではないか。人々は安定、安寧を求めるがそれはつまり永遠を求めることに近しい。しかし永遠などない。平和が実現したとしてもそれを永遠にすることはできない。逆もまた然り。
そもそも全ては止まることができないようにできている。時は流れ、始まりがあり、終わりがあるのだから自明の理であろう。時が止まることはない。
命とは転がり続けるものなのだ。
カスティヤーノは再び話を紡いだ。
「進歩することは変化することと同義だ。未来永劫変わるものはないだろう。そして「変化しないものはない」これもまた未来永劫のものではないかもしれない。ま、人間が滅びれば否応なく、戦争も終わることになるだろうが。どうあれ人間が生き続ける限り、戦争とそのバランスは形を変えながら続くことになるだろう。結局のところ、それが人間と言う種のサイクルなのさ」
「血を吐きながら続けるマラソンということですか」
愚かしい、とクリスティアーノは考えながら未来を憂う若者の表情を取り繕った。話すことに満足したのかカスティヤーノは席を立った。
「君の話した言葉は聞かなかったことにしておこう。ただし覚えては置く。君がそのサイクルを止める手立てを思いついた時はいつでも私に聞かせてくれ。あるいは」
そのサイクルを担うのであれば。老人はそう仄めかして出ていった。言外に今以上の手立てはない、あったとしても夢想であると断じており、手を貸すか、さもなくば大人しくしていろと言っていた。
クリスティアーノは自分でも驚くほど平静だった。カスティヤーノの言う言葉に何一つ反論することはできなかったが、そもそもそんなものを必要としなかったのである。カスティヤーノは本気でクリスティアーノを諭そうとしていたわけではないだろうが結果としてそれは全く逆効果になった。カスティヤーノはある確信をクリスティアーノに抱かせた。
ニコライ・カスティヤーノとクリスティアーノ・マウラは完全なる敵同士である。あらゆる妥協はなく、どちらかが崩壊するまで潰し合う関係。
戦争は止められない。それは事実なのかもしれない。ならば制御すればいい。それで上手く行っているとカスティヤーノは言う。
クリスティアーノは思う。果たして本当にそうか?戦争が感情の産物であると言うなら制御しているものも感情ということになる。感情を制御できるというなら今の私の感情はどう説明するのか。感情を制御することも抑止することと同じレベルでの無謀なのではないか。
作用には反作用が伴う。反動。クリスティアーノは自身の存在をそれそのものに例える。クリスティアーノの血がそうであるように、その理念、いやもっと単純な衝動は世界の歪みから生み出されたとクリスティアーノは定義していた。歪みがもたらす崩壊、破滅。因果応報。クリスティアーノが抱え、誰にも理解されることをよしとしない理念。
クリスティアーノの覚悟はサネトウやカリートリー、そしてシミズたちの理念に支えられているところもあるだろう。しかし何より彼女の大きな原動力とはカスティヤーノのような人間への理由のない反発心こそがその主たるものとなっていた。
ぶち壊してやる。あらゆる理屈よりも深いところにある根源的な欲求。カスティヤーノがあるべき姿と言う世界。これにNOを突きつけること。クリスティアーノにとってはまずそれありきになっていた。クリスティアーノの理念とはその衝動に理屈を肉付けしたに過ぎない。
自分だけではない。既に崩壊は始まっている。ピレネー事変からドースタン大会戦。共同体を中心とした宇宙勢力の策動。これらはクリスティアーノとは無関係のところで始まっていた。もとより崩壊の種はそこら中にあったのだ。あとはほんの小さなバランスの欠如だけで充分だった。大きなものを崩壊させるのに大きな出来事は必要ない。小さな崩れから事は起こり、あとは連鎖的に大きな崩壊へ導かれていく。そして全てのシステムは秩序から混沌へ。安定から崩壊へと傾いていく。
これは必然なのだ。世界にあるべき姿などない。制御も抑止もない。始まりには終わりを。終わりには始まりを。あるがままに踊り、繰り返せ。ノーワンリブズフォーエバー。永遠に続くものなし。
この感情を、歪みを制御できると言うのなら、やってみろ。




