13/6「バックカバー」
13/6「バックカバー」
ジェンス社とマリネスクとの間に線を結ぶ。クリスティアーノの持ち帰ってきた話にサネトウは最初当惑し、その理を計って思い直したように見えるとまたすぐに顔を曇らせ始めた。
「難しいか?」
サネトウがこういう顔をすることは珍しい。クリスティアーノも珍しく不安そうに伺うのでサネトウは何とかいつもの表情を取り繕った。彼が懸念しているのは別の要素だった。
「いえ、引き受けて問題ないとは思います。ですが、ジェンス社が宇宙覇権に興味を持っていないとは私には思えません。宇宙情勢は大きく動くでしょう」
ジェンス社に月との同盟の仲介者になってもらう。ジェンス社がその立場を利用しないはずがない。
「そりゃーそうだろうな」
マリネスクとハモンドがそれを想定していないはずはない。しかし宇宙の覇権など今のマリネスクにとっては埒外の要素なので無視したのだろう。彼らの気にすべき問題ではないのだ。では、マウラにとってはどうか?
「私らが気にする必要もないと思うが?」
マウラにとっても問題があるようには思えない。影響があるとすると同盟の強固さに危険を孕む要素になる程度か。この不安要素も転じれば月が一方的に得をしないための牽制要素として活かせなくもないだろう。そもそもジェンス社と月が覇権を争うことは止めようがない。
「確かに仰る通りです。ただ我々が加担したと判断されない立ち回りは必要でしょう」
「加担?」
クリスティアーノは首を捻った。誰にどちらに加担したと思われて、それがどう困った事態になるんだ?この態度にサネトウは呆れた。
「宇宙覇権に関心を持つ勢力は他にもおります」
あ、とクリスティアーノは思い出し、頭を掻いた。面倒くさい連中がいた。
「WOZか」
第三の宇宙勢力。ジェンス社とは不倶戴天の敵同士であるWOZ。マウラ閥はこの両者と繋がりを持っている。地球の動きに伴う宇宙情勢からWOZだけを弾くわけにはいかないだろう。何らかの形でWOZにもフォローを入れねばならないのだ。
そういえばマリネスク、というよりもハモンドはWOZをどう捉えているのか。
「表向きは地球とWOZにつながりはありません。もちろんマリネスク殿にも。そして共同体とWOZは水と油。つまり対共同体に関して言えばWOZが障害になることはありません。精々が漁夫の利を得ようとしてくるくらいでそれもどちらかと言えば都合がいい展開です。わざわざコンタクトを取る必要がない。マリネスク殿、もといハモンド殿は無視してもよいと考えたのでしょう。困ったことに我々は違いますが」
クリスティアーノは露骨に面倒くさそうな顔をした。
「あー、くそ。面倒なことになった」
「ですから、骨が折れると申しました」
サネトウにとっては折り込み済みの苦労だったがクリスティアーノはそこまで考えていなかったようだった。WOZとの繋がりは切るわけにはいかない。むしろ今回ジェンス社に切り込む関係からよりいっそう重要になる。
さてはて、どうしたものか。と考えたところでクリスティアーノは自身の手の内で持て余されていた切り札の存在を思い出した。
「何とかよしなにできんか?」
そう聞かれたのは何故か部屋にいてやり取りを聞かされていたローズだった。
「何をよしなにか知りませんけど無茶を言わないでください」
「なに、役割分担だよ。ジェンスとはこっちが、WOZとはそっちが仲良くする。逆でも構わんよ?」
ローズが困惑してサネトウに助けを求めると老執事は苦笑しながら諫めた。
「確かにWOZとの縁に関わりあるローズ殿は適材かもしれませんが。好機とは言い難いですな。大統領選の時にローズ殿がおられない、ということにもなりかねません」
「わーってる」
クリスティアーノは肩を竦めて引き下がった。元より、クリスティアーノも本気ではない。
最悪を脱しつつあるのは戦況だけではない。OPA主導で地球連合政府も立て直しが進み、次期地球連合大統領の選挙も具体的な日程が定まってきていた。
ただし、肝心の候補はと言えばどれも決め手に欠けるというのが現状だった。地球連合大統領という職務がただの調整役であることは勝算の見込める実力者たちには周知の事実であり、旨味のあるような席ではなかった。まして前任者のやらかしの後である。これまで以上に抑圧された管理下に置かれることは間違いない。
アメリカをはじめとした列強国がいなければまだ歴史に残るであろう戦いのリーダーとしての名籍もあろう。ところがOPAが主導する裏にはアメリカが存在することは周知の事実であり、結局のところ主役の座には彼らが座るものと認識されていた。
一方で直接的にはその席に関係のない民衆たちの望みは無邪気なものだった。彼らの望みは強烈かつドラマチックなリーダーである。耳障りのいい言葉を並べ立てて注目を惹く飛沫候補たちをメディアと共に盛り立てる。しかしそんな候補たちを諸国が支持するわけもない。
これらの候補者たちの注目が一巡した辺りで奇妙な待望論が囁かれ始めた。
ロバート・ローズ元大統領補佐官が出馬するのではないか?という荒唐無稽な噂が独り歩きを始め、いつしかそれが待望論となったのである。分別のある者はバカなと一笑に伏したがローズの持つドラマ性が大統領ロバート・ローズというストーリーを民衆に想像させ、それが浸透するのに時間はさほどかからなかった。
ローズ自身は沈黙を守っているがこの風潮は沈静化するどころか大統領選が近づくと共に待望論として中小各国に広がっていくようになった。信用を失った列強はもちろん、明確な反列強陣営を支持することも忌避する中小国の文民にとってローズは心理的なアレルギーのない都合のよい候補となっていた。
一過性の風潮に過ぎない。ローズにそんな能力がないことは明らかだし、そのうち鎮静化するだろう。当初は勝手にしろ、と思っていたローズだった。しかし和平を推進した人道的平和主義者として美化されたゴールドバーグの後を継ぐ者と持ち上げられるようになるとさすがに眉を顰めるようになった。
それで済めばまだよかっただろう。大統領選が混迷する以上はこの手の論調は収束し、複数の思惑を巻き込んで肥大化していくのが常である。和平派や自称反戦主義の勢力が自分たちの候補を諦めてローズを祭り上げるようになると遂にロバート・ローズに勝算が囁かれるようになった。
こうなればこのまま黙っていることが正しい選択なのか、ローズも自信が持てなくなってきた。マウラ閥としてこの状況をどうするつもりなのかを確認する意味もあってローズはクリスティアーノに面談を求めて、それでよくわからない話に巻き込まれているわけである。
「で、そっちの話は何だったかしら?」
いかにも興味なさそうにクリスティアーノは促した。急な振りにローズは出直すかどうか迷った。今日に限ってクリスティアーノはドレス姿で来客の予定がありそうなのである。適当にあしらわれそうで気乗りしないがローズは切り出した。
「大統領選の話です。僕が立候補するんじゃないかとか何とか。あれあなたの仕業じゃないでしょうね」
「バカ言うな」
ローズは不信と不遜の言葉を吐いたが本気は感じられずクリスティアーノもあっさりといなした。
2人の関係はかなり近しいものとなっていた。暇を持て余しているローズをクリスティアーノが話し相手として重宝したことで2人は軽口を差し合う程度の関係となっている。もちろん、ローズの方は本質的には心を許してはいないが。
「もっとも、予想外の事態なわけでもないが」
手出しはしていない。しかしこうなることは解っていた。悪びれないクリスティアーノにローズは大きくため息をついた。
「立候補しろとか言いませんよね」
「君が完全な操り人形になってくれるんならそういうシナリオもあったかもしれないが、そういう気質ではないだろう」
本来なら安心するべきだろうクリスティアーノの言にローズはむしろ不穏さを感じた。これは気質次第、ローズの気持ち次第とも言い換えることができそうだ。
マウラ閥でのローズの立場は謎な状態にある。リターナーによる演説によってローズ自身の役割はほぼ終わっている。その先、クリスティアーノはローズを手駒として活用する道もあったはずだがそうはせずに飼い殺しに近い状態においていた。
単に使い道に困っているとみることもできる。ローズ自身は単に前大統領の補佐官に過ぎない。何か特段のコネクションや能力があるわけではない。つまりローズはゴールドバーグとリターナーに関連する案件以外では大した効力を発揮しない駒なのだ。かといって全く使い道がないとも言えない。当然マウラ閥としては活用の道を探っていないはずはない。それが大統領選に絡んでいない、などと考えるのは甘いだろう。
「それで、この状況はマウラにとってはどうなんです?」
予測した上で放置しているのだ。つまりローズの動向はともかくとしてクリスティアーノには何らかの狙いがあるはずだった。
「まぁ君の価値が高騰しているのは確かだ。欲しがっているところはいくらでもある」
ローズの反応を楽しむようにニヤニヤしながらクリスティアーノは情報を小出しに喋る。
「つまり、売るわけですか?」
あり得る話だ。マウラで使いどころがないなら売ってしまえばいい。そう考える者もいて当然だろう。
しかし、そうはいかない。ローズは釘を刺す。
「あまりいい手には思えませんね」
言いたいことを承知の上でクリスティアーノは続きを促した。
「マウラのやってきたことを僕は充分承知している。やろうとしていることも。そんな人間を外に放置しておくわけがない。なので僕としては身を守るために別の手立てを考える必要があるわけです」
「自分の立場を理解しているようで結構。当然、君はうちの急所でもある。渡すくらいなら消えてもらうさ」
最悪のシナリオだがローズは肩を竦める程度のリアクションしかしなかった。そのくらいの覚悟はしている。だがその時は少なくとも今ではないはずだった。ローズの名は既に歴史に刻まれている。さらにいま新たな価値が生じようとしている。ここでローズを消しても何の利益にもならない。
ではマウラが今のローズで利益を得る方法とは。
「まぁ、例えば候補となっている人間を君が支持する。と言えば流れは大きく変わるのも事実だろうな」
クリスティアーノの言葉はもちろんローズも想像はしていた。現実的な手段でリスクも低く、尚且つ旨味がある。
「で、めぼしい候補はいるんですかね」
「それで困っているんだ」
意外なことにクリスティアーノは本当に困っているようだった。真っ赤なドレスのレースを弄りながらぼやく。
「まともなのがいない。いや、いてもらってもそれはそれで困るんだが」
ローズは呆れた。そりゃクリスティアーノにとって都合の良い候補などいるわけがないだろう。現状の候補は基本的に何らかのバックボーンがあるわけでそれはほとんどの場合で既存勢力になる。逆にそれがない候補はローズが助力したところで勝てるわけがない。
「その件ですが」
それまで微笑みを浮かべて見守っていたサネトウが口を挟んだ。
「マリネスク長官絡みで妙な動きがあります」
クリスティアーノは意味ありげに顔を強張らせた。
「嫌な予感がするが聞いてやる」
その前置きいるか?ローズはクリスティアーノの反応を訝しんだ。見ればサネトウも何か含むところありそうな顔をしていた。
「先日の話になりますがマリネスク長官はOPAの高官と接触したようです。それ自体は別段おかしなことではありませんが、気になるのはその後のOPAの動きです。それまで大統領選には関りを見せてこなかったOPAが独自の候補擁立の動きを見せ始めました。あくまで事前調査のレベルでしかありませんが、偶然と見るには唐突です」
OPAが。ローズには俄かに信じがたい動きだった。
「大戦への不干渉と大統領擁立は矛盾する気がしますが」
「左様。ですからこそマリネスク長官の動きが関わっているのではないかと」
ローズにはその因果関係がすぐには線とならなかった。サネトウは想像の域と前置きをした上で話始めたがローズの知る限り、サネトウが口にする想像はだいたい現実に即している。
「思うに。マリネスク長官はOPAを大戦に巻き込まない立ち回りなり、クサカ社に関する問題など彼らにとって旨味を与える手札をいくつか抱えております。さらに言えば彼はいま現在独立した存在になることを狙う立場。OPAが後ろ盾となって彼が立場を盤石にすればOPAは間接的に大戦に関わるための駒として彼を利用できる。彼は自身の権利と同時に立場も活用して政治と軍の両面でOPAがフィクサーとなるシナリオをプレゼンしたのではないかと」
ローズは呆気にとられた。確かに大戦にもっとも深く関わるマリネスクはOPAが直接的に関わることなく、立ち回るための傀儡として便利な存在になる。大統領すらもそのように活用すればOPAは大戦に関らずして関わることも可能になる。それにしても自分をそんな風に売り込むなど聞いたことが
と、そこまで考えてからローズは自分がまさにそうであることに気付いて頭を掻いた。
しかしこんな大胆不敵な考え方をOPAは受け入れるだろうか?
いや、待てよ。ここで時流がまたしてもおかしな流れを生んでいることにローズは気づいた。
「OPAはマウラとも連携している」
ローズの指摘にサネトウはほほ笑む。
「左様。長官はOPAの変化に着目したのでしょう。そして恐らく、自分たちと我々との連携も売りにしたでしょう」
これを聞いた瞬間クリスティアーノは益々不愉快気な顔をした。つまりマリネスクはマウラを出しにしてOPAに取り入ったのだ。ある種の敗北感がクリスティアーノを擽る。出しにされた事より侮っていた男の思った以上の行動力に驚かされていた。
「あのジジイ。そこまでやるか」
「無論、OPAも現段階では興味を持ったという程度のことでしょう。だからこそ」
「い・や・だ」
サネトウが最後まで言う前にクリスティアーノはへそを曲げてしまった。出しにされた、とクリスティアーノは思っている。その考えは間違ってはいないだろうがマウラ閥にとっては決して悪い話ではない。むしろこちらも積極的に絡みに行って噛めばいいのである。いい候補がないのなら立ててしまえばいい。当たり前の話である。
そしてマウラにはローズという手札がある。OPAが擁立した候補をローズが支援すれば勝算は大となる。ただ、どうやらクリスティアーノを諭すのに必要なのは理屈ではなさそうである。
サネトウがその方法を捻り出す前に邪魔が入った。部屋をノックする音の後に老執事の声が穏やかに伝わる。
「お客様がお見えです」
クリスティアーノはさらにウンザリ顔を濃くした。招かねざる客の到着だった。クリスティアーノにとっての凶事だったが老獪なる老執事はこれを利用した。
「さて、待たせてもお客はいなくなりませんが、こちらの件も早急に進めねばなりませんな」
意図を察したクリスティアーノは睨みつけるがサネトウには通用するものではなかった。しばらく唸ったあとにクリスティアーノはこれから相対する精神的苦痛のために自分の意固地さを有耶無耶にすることを選んだ。
「わーかった。あのおっさんの件に関してはそっちに任せる」
恭しく礼をするサネトウを見もせずにクリスティアーノは足音も荒く部屋を後にした。
「何か、気に入らなそうですね」
ローズの言葉にサネトウは困った顔をして嘆いた。
「どうもマリネスク長官を父親か何かと思っているようで」
そんなバカな。とローズは思ったがしばらくするとむしろクリスティアーノらしいと納得した。それはそれで困った話だが。
「サネトウ殿も大変ですねぇ」
ローズは他人事のように宣い、サネトウは普段見せない真に迫ったウンザリ顔を見せるのだった。
この時期クリスティアーノは2つの勢力に悩まされている。
一つは4Cに代表される旧来から存在する反列強勢力である。元々マウラ閥がコネクションを得ようとしていたせいもあってクリスティアーノはこれらの勢力から接触を受けることになった。その目的は自分たちの側にマウラを引き込むこと。310年に入ってから4Cら反列強勢力の立場は苦しいものになっている。ドースタン会戦の際に一時的に勢いに乗った反列強勢力だったがその勢いを活かす前にマウラがロバート・ローズという手札を得たことで再び流れが変わってしまった。彼らは今では流れに取り残されている。
マウラ、というよりもクリスティアーノはその流れを変えた張本人であるのだが一方で4Cら反列強勢力にとってはまだ使い出のある勢力でもある。第三勢力であるマウラの思惑はいまだ不透明なままながら列強勢力とは一線を課していることは明確な事実である。この勢力に自分たちの色を付与しようと彼らは画策しているのである。
しかしこれらの勢力とクリスティアーノでは目的が全く異なる。結局のところ4Cなどの旧来勢力が望んでいるのは過去の栄光、権威の復古でしかない。これが叶うということはクリスティアーノにしてみれば苦労して開通させたトンネルの出口が見知った家の庭に繋がっているような展開である。つまるところ反列強勢力とクリスティアーノは共通の敵をこそ持つものの目指す方向は真逆なのである。個人的な心理からも協力しあう余地などない。
もう一つは現在の大勢である列強の中枢勢力。彼らは新興勢力のクリスティアーノを警戒し、また利用しようとしている。今のところ明確に敵対するものはいないのだがクリスティアーノの本質的な目的から言えばいずれいくらかの勢力とは雌雄を決することになる。とはいえ、それは今ではない。今のところは当たり障りなくやり過ごしたいところである。利用するにしても深入りしない舵取りが必要だがこちらが全く益にならないとなれば敵対化も早まる。
現状、マウラ閥は組織固めを終えてはいない。今はまだ周辺勢力と真正面からやり合う時ではない。当然、相手もそれを承知しているからこそ接触を試みる。必然、クリスティアーノはその付き合いに「我慢」を要求されることになる。
各所からの協力だの連携だのといったお誘い。こちらの行動に対するお伺い。おためごかしの連続にクリスティアーノは辟易していた。
クリスティアーノがドレスを着ることは変装の意味合いが強い。対外的にはその姿こそ彼女の本質のように思われがちだが本人にとっては本来の自分ではない自分を演じるための仮面のようなもの。この認識の差がその我慢を悟らせないためには有効なツールとなった。
この日もクリスティアーノは我慢をせねばならなかったが今日の相手に限ってはその我慢を完徹できる自信はなかった。
クリスティアーノがその来客と会うのは記憶に間違いがなければ8度程度である。ただしそのうち全てが子供の頃の話。直近でも20年以上は前の話。当時ですら60を越えているはずなのでかなりの老体になっている。当然クリスティアーノは自身の記憶と現在の客人の姿に修正が必要になるはずだった。
屋敷の玄関でその客人を迎えたクリスティアーノは狼狽を隠せなかった。
「久しぶりだねぇ。クリスお嬢」
おいおい、老人だよな?もちろん年齢的に老人であるはずだがクリスティアーノの知っている元地球連合大統領ニコライ・カスティヤーノはクリスお嬢の記憶イメージからまるで変わることのない姿のままだった。細いが引き締まった身体。骨も肌もピンと伸びて萎びた部分は見られない。
洒脱な振る舞いでカスティヤーノはクリスティアーノにハグする。その腕の力強さにもクリスティアーノは困惑する。
「お久しぶりです。お変わりなさそうで」
できれば会いたくなかったという感情を押し込めたので返事はぎこちなくなる。
「はっはっは。よく言われる。まだまだ若いだろう」
その肉体と覇気は永遠不滅とでも言うように足取りは軽い。齢83。しかし50代と言われても信じる人間はいるだろう。客間に入って執事が茶を入れるまでの間クリスティアーノはカスティヤーノを観察しながら祖父が評した言葉を思い起こす。
明快、簡略でありながらユーモアも交えつつ、本質を外すことがない政治家。そして何より圧倒的な活力。
この男の来歴から言えばさもありなん。かつてクリスお嬢であったころにも感じていた常人ならざる活力は衰えるどころか増してすら感じる。
巨人。それが偽らざるクリスティアーノのカスティヤーノに対する印象だった。子供の頃特有の相対的な評価と思っていたそれはクリスティアーノが成長した今でも変わることなく目の前にある。そんなことがあろうか。信じられない。自身が抱えている困惑が怯えにも似ていることをクリスティアーノは自覚してハッとした。
何を気圧されているのか。ただ見た目が思っていたのと違うだけの話ではないか。そこにこの男の本質はない。
クリスティアーノは身体に纏うドレスとは真逆に鎧を心に纏い身構える。
こいつこそが敵。倒すべき、敵だ。
ニコライ・カスティヤーノ。地球連合の58代大統領。地球連合の大統領とは列強諸国の調整役でしかない。列強のいずれにも属さない出身地の者が選ばれるがその実際の基準は列強全てに望まれるか、さもなくば誰にも望まれないかのどちらかである。しかし長い歴史においてカスティヤーノは例外だった。大統領として力を持っていたわけではなく、そもそも大統領になる前から力を持っていた人間がその地位についただけだったがこれは歴史上でも非常に悪い例となった。
組織の首長とは建前として組織を私物化してはならない。あくまで建前だがカスティヤーノはこの建前を本当に建前としか思っていなかった。カスティヤーノは大統領就任後に諸国を精力的に駆け巡ってそれまでの調整役という役回りをはみ出して主導役として数々の公共プロジェクトを回した。OPAが保有し、連合政府が管轄する3基目の軌道エレベーター「アメノミハシラ」もその一つである。これらのプロジェクトでカスティヤーノは数々の利権を自分の元へ集め、そして分配した。この時に動いた資金や利権は多くが実態不明になった。つまり、カスティヤーノの足元に埋められたのである。
当初は列強諸国もカスティヤーノから恩恵を得てその跳梁を黙認していたが、やがて手に余ると判断されたのかそれとも尻尾切りか。二期目の任期を残してカスティヤーノは自身とゆかりのある者達に便宜を図ったとして地球連合史上唯一任期中に弾劾された大統領として歴史に汚名を残すことになる。しかしそれは薄っぺらい歴史の表面上のことでしかない。
歴史とはいい加減なもので後世、カスティヤーノという人物のその後が語られることはほとんどない。しかしもちろんニコライ・カスティヤーノと言う人物の歴史がそこで終わったわけではない。不名誉極まるカスティヤーノの退場劇だが、それは多くの利権と闇を伴ったままのものだった。それを武器にカスティヤーノは暗躍することになる。彼にとってはそこからが野心の本懐であり、大統領就任はそのための準備に過ぎなかったのである。歴史に残ることのない、歴史の裏表紙における彼の主要なロールは彼が大統領から弾劾された後にあった。後世の者がそのロールを知ればこう評するだろう。
悪役と。
次回更新は8月予定です。




