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2/1「評価対象」

2/1 「評価対象」

 ピレネー攻城戦から2週間後のことである。イージス隊は同様にリーズデンを新たな戦区とされた部隊と共にリーズデンへの途にあった。

 満足な準備なく送り出されたこの出来合いの艦隊は正規軍とはいえまとまりがなく、道中も順調とは言えず遅滞・脱落が相次いだ。さらにこれらの問題によって生じた不和を処理できるものがいなかったことも状況を余計に悪くしていた。

 出来合い艦隊の指揮を任されていた少佐は移動計画全体の遅延を失敗と見なされると考えたのか強行軍を主張。この案は他部隊の総スカンによって挫かれる。さらにこの悶着によって遅延の責任を件の少佐に全て押し付けてしまおうという流れまで出来上がってしまう。艦隊の移動計画は完全に無視され当初の倍以上の時間をかける羽目になってしまう。

 この茶番劇を員数外のルビエールは終始他人事としてやり過ごした。関わってもろくなことにならないだろうというのが主たる要因だがイージス隊にとってこの遅滞は悪いことばかりではなかったのである。

 XVF15のテストは実戦だけではない。先の戦闘データを基に調整を施した機体の状態確認や、機動負荷テストなどやるべきことは多岐に渡り、それを誰の邪魔もなく行えるのである。

 同様にテストパイロットたちにとってもこの期間は自らの機体への理解を深める貴重な時間となる。HVのOSはパイロット個々の癖や志向に対して微細な調整を繰り返して親和性を高めていくようになっている。このためそのログはパイロットの重要な資産であった。

 新型機で試験機でもあるXVF15はイスルギ社の一新されたOSを搭載しており、その要素はこれまで以上に重要かつ顕著で、ほぼ真っ新な状態でパイロットはこれに相対しなければならなくなっている。このためエースであろうがベテランであろうが新たにログの作り直しをしなければならなくなっていた。機体と自分自身、そしてログの慣熟に使える時間は多ければ多いほどよい。

「悪くはありませんね」

 エディンバラは概ね順調であるとルビエールに報告する。その報告をルビエールは特に疑問もなく受け入れる。

 ルビエールはこの試験小隊の進捗を本質的な部分で理解できているわけではない。正規部隊の運用ならともかく、HV、それも試験機のテスト進捗などルビエールには門外の話で尚且つ、理解する必要もないと思っている。なのでエディンバラが言うならそうなのだろうと頷くだけだった。

 エースとして新型機のテストパイロットに招集された一人であるエドガー・オーキッド少尉はXVF15に楽天的な評価を抱いている。先の戦いで2機を追加して累計撃墜数は41機となった。典型的なファイター型で前線でのドッグファイトを得意としている彼は語る。

「まず何が良いって運動性と機動性の確かさだ。恐ろしいほどレスポンスがいい。好きな方に飛べる。失神するほど気持ちがいい」

 対してもう一方のエースであるアーサー・フィンチ少尉はその点をこそ危惧している。彼はエドガーとは対照的にヒット&アウェイを得意とするクレバーなタイプだが撃墜数は先の戦闘も含めて38機と拮抗している。

「レスポンスが良すぎて取り扱いが難しい。一般的なパイロットが扱うにはかなりのOSサポートが必要になるだろう。それがリミッターじみたサポートになるんなら、つまるところオーバークオリティってことだ」

 スペシャリスト枠で1級狙撃手であるマックス・ホーエンザルツ上級曹長の証言はまさにこの危惧を証明していた。

「止まるのが難しい。動いているときはいいけど。射撃体勢に入るのにモタつくから本当になんとかしてくれ」

 これには一級射手であるメリッサ・アトキンス曹長も異口に同意した。これらのパイロットたちの証言をルビエールは同席したミーティングで聞いているのだが、上辺ではわかっている風を装うだけで深層までは到底理解できず、する気すらなかった。

 技術者の対応案の列挙に至っては何をか言わんやであり、ルビエールは何のために出席しているのか、その意義を疑うばかりだった。


 大幅な遅延を得てリーズデンへと到達したイージス隊を迎えたのはクサカ社からの物資コンテナの数々だった。ピレネーでの戦闘データを元に調整を行ったパーツ類・装備類のコンテナが先んじてリーズデンに運び込まれていたのである。

「コンテナ展開始めるぞ、動体パーツは今日中に組み入れちまうぞ!」

 整備班長の声がハンガーに響くと威勢のいい応答と共に整備スタッフはコンテナ群に群がっていく。

 菓子に群がる蟻のような光景を眺めていたのはパイロットたちだったが興味と言う意味では眼下の蟻たちと大差はない。彼らも情報を聞きつけ、自然と集まっていた。

「おー、あれ機銃か?」

「長い方は狙撃銃か。マックス?」

 水を向けられた一級狙撃手マックス・ホーエンザルツはコンテナの内容物を確認する。一級狙撃手のマックスと一級射手のアトキンスの2人はXVF15用に開発された武装テストも担当している。

「でかいのはM68機銃。バラされてるのがXSS1狙撃セットっすね。一番長いのはそれのビームタイプ」

 いずれも新規に開発されたHV用手持ち武装だった。

「武器まで全部新設計にすることもねーだろうになぁ」

 意外にもエドガーは新規武装には興味なさげだった。エドガーにとってHV用の武装は自身の行使する戦術に対応さえできればよく、後は信頼性こそ最重要である。そこにお得な機能など入る余地はなく、その点ではXVF15の主武装であるビームアサルトライフルにすら懐疑的だった。

 逆にマックスのような一級狙撃手は規格品の武器ではなく、専用の調整を受けた武器を使用するため武装に求める要件はエドガーと異なる。彼の場合はむしろ武器の性能に合わせて戦術を組み立てることを求められるのである。もちろんその性能を保障する信頼性は大前提ではあるがマックスの立場ではそれを天秤にかけることもある。

「まぁ、こういうタイミングでもなければ一新はされないもんですからね。規格を作るってのは難しいもんですよ。俺たちの使ってるスナイパーが運用開始されたのいつかしってます?」

「知らん」

「半世紀たってます」

「マジかよ」

 現在の地球連合軍のHV武装規格には限界が来ていた。マックスと長年苦楽を共にした現行狙撃銃であるSDS狙撃システムは通常のHV用武装とは違い照準システムを銃そのものに備えるタイプでHV本体の性能とは無関係に命中精度を発揮できる。一方で機体の火器管制システムの恩恵をほとんど得られないという欠点も持っている。高い完成度を誇っていたために長年改良を加えて使用し続けられてきたが、ここにきてHV本体の照準システムに凌駕されつつあるため置換の必要な事態になっていた。

 遅すぎる処置とマックスは思っている。世代交代が遅れた次世代狙撃兵装のXSS1狙撃セットはXVF15との同時開発となってしまった。機体と武器を同時に開発するとその機体と武器の親和性は高まる一方で他の機体で使用する際の汎用性は失われる傾向にある。

 さらにXSS1狙撃セットはSDSの後継で同じく単体での狙撃を可能とするようになっているがHV本体の照準システムにも接続可能な言わばニコイチのシステムを採用している。これもシステムの複雑化を意味している。複雑化すれば信頼性・整備性・拡張性・価格諸々失われるものも多く、開発は困難になる。つまりXSSは難産になる、とマックスは考えていた。

「そこ、どいてください!」

 バンダナで髪を束ねた若い整備員がパイロットの一団を蹴散らさん勢いでキャットウォークを横断する。各機のコクピットハッチに取りついてそれぞれ解放していく。丸顔の可愛らしいと表現できるその女性スタッフは常に忙しなく駆け回る姿からパイロット一同からは下っ端と見なされているが実際には整備スタッフの中では開発主任・整備班長の覚えよろしいナンバー3か4といった立場だった。

 4番機のコクピットを解放した時にバンダナの整備員モーリ・シエナは顔を顰めた。空っぽだと思っていたコクピットではパイロットのエリック・アルマスは真剣な面持ちで自己ログの精査をしていた。

「どうかしました?」

 解放されたハッチで固まっている整備員を見上げたエリックにモーリは集中を邪魔した気まずさを感じていた。その妙な沈黙でエリックの表情が怪訝に変化したのを咎めと受け止めたモーリは怯んだ。

「せ、整備に入ります。出てください!」

「あ、はい」

 モーリは自分の口からでた不器用な言葉のマズさを自覚はしていたもののいまさら引っ込めることもできなかった。エリックはもうちょっと言い方あるんじゃないか?という気持ちを持ちつつも口には出さずにシートから身体を浮かせた。

 こういったことはエリックに限った話ではなかった。テストパイロットたちは一つの共通した懸念を持ちはじめていた。

 自分たちは整備員に嫌われているのではないか?

 整備員とパイロットの関係が悪化することは珍しい話ではない、しかしその手の話にはそうなるまでの積み重ねもあるものだ。しかしイージス隊はまだ発足してから日は浅い。積み重ねる以前にマイナスからスタートしているような状態だった。これには軍歴の長いマリガンも首を傾げる。

「なぁ、なにかっかしてんだ?」

 やりとりを見ていたエドガーの問いかけはパイロット一同の共通した疑問ではあったが実際に言葉に出されて他パイロットは当惑した。予想通りエドガーの台詞は女整備員の癇に障った。丸顔が真っ赤に膨らむ。

「かっかなんてしてません!」

 嘘だ。神経質になっている。モーリは自覚していても止められなかった。クサカ社のエンジニアとして新型HVの開発から試験小隊に出向し、図らずも戦場に身を置くことになった緊張がある。モーリ達出向スタッフにとっては「異常」な環境でその環境における「普遍」の象徴であるパイロットたちには無自覚な嫌悪を抱いていた。

 空気の凍っているのを察知してモーリは気力を振り絞った。

「と、とにかく。新パーツの組み入れがあるんでどいてください!」

「いやいやいや、そんな話はいま聞いたし、ルーキーは作業中だったんだぜ?もうちょっと言い方ってもんがあるだろ」

 エドガーの言うことは全く正しい。とエリックは思ったし、突っかかられたのもエリック自身なのだが、できれば自分の関わりのないときにしてほしいやり取りだった。なんとなく申し訳ない気分になる。

 キャットウォークに他の整備員の視線も集まってきた。厄介なことになりそうだったが切り上げる方法は今のところ思いつかない。

「まぁ、お嬢ちゃんが神経質になるのはわからんでもないけどな。こっちも立場ってもんがあるんだ。パイロットとしてな」

 エドガーの言葉は意図的なのかどうか相手の嫌悪の根源を刺激する悪手だった。遠目で眺めているだけの整備員のうち数名がモーリの後ろに集ってパイロットたちと対峙する形になった。

「そこまでにしましょう少尉。埒が明かない」

 マズい状況になった。マリガンはエドガーの背後に回って囁いた。

「お前の言うことも一理ある。とはいえ、ここで退いて良いことがあるのか?ここらでお互いの立場の認識ってものを共有しとくべきじゃないか」

 エドガーの切り返しにマリガンは満足な返しはできなかった。

「全く同感ね。立場を弁えるを知るべきなのはどちらなのか、話合おうじゃない」

 さらに整備スタッフの壁に一人加わった。モデルのごとく細くスラリとした長身の女がキャットウォークに降り立つとその人物を中心に整備員の壁は整理された。

「厄介なのが来やがった」

 マリガンは明確な嫌悪と共に吐き捨てた。ベテランの態度にエリックは驚く。マリガンほどのベテランをしてそこまでの悪態をつかせる際物こそXVF15開発主任エリカ・アンドリュース出向少尉だった。クサカ系の出向スタッフの中ではプロジェクトリーダーであるエディンバラに次ぐ立場であり、実質的な現場監督の立場にある。

「あなたたち、もしかして自分を価値のある存在だと思ってない?」

 険はあるが美貌の顔を不敵に歪めて開発主任は切り出した。この時点で禄でもないことをその口から出してくるのは予想できた。マリガン数名はすでに心にシャッターを下ろすことを決めていた。

「よく言うわよねぇ。パイロットはHVよりも貴重なんだって。自分たちの育成にどれだけのお金と時間がかかってるのかってね」

 その話か。エドガーは無表情で聞き流した。実際これはよく養成校において言われることだ。HVがどれだけ高額な資材であっても規格品である以上は調達に要する時間と質は基本的に一定だ。これに対してパイロットは調達するのに時間と選別を要し、品質は安定しない。基本的に時間をかければかけるほど品質は向上するものの完成するのに必ず実戦という工程を得る必要がある。それだけやっても実際に使い物になるパイロットは一部でしかない。その過程のなかで多くのHVを練習・演習・実戦で消耗するので結果的にパイロットの生産はHV以上に高くつく。

 しかし、それはパイロットに生存意識を持たせるための話であってこの後に決まって特権意識を持つことを強く戒める言葉につながるのである。軍においてはそういった選民意識は徹底的に排除される。なぜなら、兵士は等しく死なねばならないからだ。故にこのことを現場のパイロットが自分で口にすることはまずない。それをやると仲間内から白眼視されることは明白なのだ。パイロットたちは自分たちにかけられた金額や時間がそのまま自分たちの価値を証明するものではないことを知っている。彼らパイロットたちの価値は戦場においてのみ立証されるのである。

 要するにエリカ・アンドリュースの言っていることは的外れというか、パイロットたちの琴線に全く触れないのだった。しかし次にアンドリュースの告げた話はイージス隊という部隊の性質的にパイロットたちも眉を動かさずにはいられなかった。

「いい、XVF15の開発には5年費やされてる。この機体は次代HV機動戦力のマスターピースになるために既存技術のリファレンスとされるべく生まれたの。こいつから次のHVたちも生み出され、あなたたち有象無象の下に届けられる。わかるかしら?代えがきかないシロモノなの」

 このアンドリュースのご高説に対するパイロットたちの反応は期待されたようなものではなかった。憤慨するでもなく、憮然とするでもなく、ただただ白けているといった風でしかない。アンドリュースは眉間に皺を寄せた。

 エリックも整備スタッフの言うことかという気持ちになった。先ほどのパイロット育成にかけられたコストをパイロット自身で語らない不文律と同様、そんなことは開発スタッフの口から語るべきものではない。まして、それが整備スタッフの価値に直結するものでもないはずだった。聞いているとこれは効率や職務上の話ではなく、単なる感情的な問題のように思える。要するにパイロットを見下して力関係を誇示したいだけなのではないか?

「あ~、エリカ・アンドリュース出向少尉殿?」

 ただ一人、エドガーが明らかな侮蔑を込めた言葉を放った。

「こいつは同じ職場の人間同士お互い敬意をもって、言葉遣いは気を付けようって話だぜ?」

 それだけ言うと背を向けてハンガーを後にした。パイロット一同の多くは白けたようにこれに続く。それを見送るアンドリュースの視線には明確な敵意が込められていた。

 このようにテストパイロットたちと整備員との関係はいいものではなかった。



 イージス隊の特殊性はその人間関係のヒエラルキーにも強い影響を及ぼしていた。

 スタッフの多くを民間出向で占めるこの部隊には軍隊的な規律を嫌悪するものが少なくなかった。その権化たるリーゼの嫌われぶりはルビエールから見ても哀れだった。いくらリーゼが人道に反する存在であるにしても、軍という組織においてはもっとも尊重されるべきものであり、畏敬と畏怖をもってヒエラルキーの頂点にあるべきであった。そういった存在の献身によって軍隊は群体足りえるのである。しかしリーゼに向けられたのはただの嫌悪でしかなかった。もともと憎まれ役である本人も勝手の違いに困惑する。

 こういった民間出向の思考と軍人の思考は悪いところに横たわっていた。つまりパイロットと整備員の間である。これが兵士と運営との間であれば軍内部でもありがちなことでありトップダウンで規律を勝利させることも可能だったが、この場合は割って入っても余計に亀裂を悪化させかねない。止む無く、リーゼはその立場をルビエールの副官に限定することになる。これは隊の規律を別の何かに譲り渡すことを意味していた。

 その役目を担ったのは護衛小隊の隊長ギリアム・ロックウッド准尉だった。ロックウッドは現場指揮者として「融通」に重きを置いている。決して規律を軽視しているわけでもないし、重視もしていない。これはむしろルビエールにとって共感できる部分でもあった。規律は道具に過ぎないと両者は考えている。

 ロックウッドは同じパイロットとしてテストパイロットたちと共感する一方で整備員にはテストパイロットに「使われる者同士」として巧みに共感得ていた。これによりこの試験小隊の「現場」はロックウッドの主導により動く形ができ、本来であれば権限のないミーティングにも参加するようになっていた。

 ロックウッドのこのような動きは護衛小隊の隊長という枠を逸脱したものだったがテストパイロットたちと整備スタッフ双方、それにルビエールの個人的な信任によって許容された。


 新鋭艦イージスのラインオフィスはイージス隊における制服軍人の巣だった。マオ・ウイシャン准尉はイージス隊の事務官として配属された軍人で派閥の上では明確な制服組となる。ただしそれはルビエールの側であることとイコールではない。ウイシャンはローマ師団の別部隊を原隊としている。カリートリーによって選抜、派遣されたのである。

 配属を告げられた時にはかなりの役得に思われた。なにせ最新鋭HVと艦艇を用いる試験小隊であり前線部隊の中でも危険性はかなり低い上に事務官の履歴として箔をつけるには十分である。

 実際、その考えは間違ってはいない。しかし、いくつかの誤算はあった。多くの制服組と同じように民間出向組の存在だった。事務官としてのマオの仕事は備品管理・物資調達を主にしているが、実戦部隊としての花形部分である機体・艦艇に関するほとんどはクサカ社スタッフの担当で、マオの担当は日用品類などの見習いのやるような品目ばかりになっていた。事務官としてそれなりの誇りと野心をもっていたマオにとってそれは面白いことではなかった。イージス隊所属という将来的な売り込み項目も実は雑用係でしたではまさにメッキ化してしまうではないか。

 その日、新たにイージス隊に搬入された資材をチェックしていたウイシャンは常識では考えられない状況に目を瞬いた。

「なんですか、この支給品は?」

 リーズデンに予め届けられていたのはテスト資材だけではなかった。搬入リストに並ぶのは凡そ軍隊には不要不急と思われる遊興品だった。もちろん、そんなものをマオは申請された覚えはないし、されたとしても許可するはずもない。つまりそれはクサカ社系のスタッフに勝手に搬入されているということだった。

「ちょっと司令、なんですかこれ…」

 有り得ない。マオは言いかけた言葉を呑み込んだ。ルビエールは何者も踏み込んではならぬという表情で目の前のモニターを凝視していた。

 ルビエールの睨んでいたものもマオの件と縁のないものではなかった。

「リューベック特務中尉とロックウッド准尉を呼んで」

 ルビエールの命に応じて2人が参じたときも同じようにルビエールはモニターを凝視していた。ただならぬ雰囲気に2人は顔を見合わせた。

 2人の来訪に合わせてルビエールはマオたちを下がらせ、オフィス内はリーゼとの4人になった。この4人でイージス隊の実質的な首脳部は構成されていた。立場的にはテストパイロットのエース枠兼小隊長であるオーキッドかフィンチのどちらか、あるいは双方もここにいるべきだが両名共に試験小隊という特殊な部隊の運営に関わることに消極的だった。この両者に指名されてロックウッドはその立場に納まっていた。ここにクサカ社の代表であるエディンバラは含まれていないところにルビエールの意思も表れている。

「まず、これを准尉に確認してもらいたい」

 ルビエールはタブレットをロックウッドに渡して中身を確認させた。途端にロックウッドの表情は曇った。

「転任の陳情。本気ですか?」

 それはエドガー・オーキッド少尉の転任を陳情する内容であった。弾劾と受け取れる強い調子でその理由が羅列されている。その陳情者の名にはエリカ・アンドリュース出向少尉の名が記されている。

 ルビエールが仕草で示したのでロックウッドはタブレットをマサトにも回した。マサトの反応もロックウッドと似たり寄ったりだった。

「さて、まずは確認しておきたいのはその陳情が妥当かだ」

「失礼ですが、妥当性を評価するような問題ではないかと思いますが」

 ラインの人事に口を出すなど常識的な行動ではない。裏ではそういうこともあるかもしれないが、少なくとも公然とした書類によって行われるなどという例をギリアムは知らないし、発想からして信じられない。

「残念だけど、うちは試験小隊なのよ。開発主任にテストパイロットとして不適格であると判定されるならそれは一定の理を持つ」

 なるほど、そういう論理もあるのか。ロックウッドは低く唸ったがすぐに気を持ち直すとルビエールをまっすぐ見据えた。

「そういうことでしたら、私からはオーキッド少尉は適任であると申し上げておきます」

 ルビエールは頷いた。そもそもこの案件は私怨の類であろうとルビエールにもわかっていた。

「で、どうするんです?」

 マサトに聞かれるとルビエールは腕を組んだ。

「私には人事権はないから正式な手順を踏むのであればこれを大隊指揮官に具申することになる」

 そう言いながらルビエールにはそうする気はなさげだった。

「私にできるのはここで握りつぶすことね」

 リーゼが身じろぎした。マサトは明後日の方に視線を泳がせ、ロックウッドは苦笑しながらも自らの上官を興味深そうに見据えた。

「そいつは頼もしいし、嬉しい発言ですがね。それで大尉の立場を悪くされてもこちらは困りますよ。少尉はどこでもやって行けるでしょうし、俺たちは少尉でなくてもそこまで問題ではありません。ですが大尉が上層やクサカと亀裂を作られては大問題だ。それは我々全体にとっていい状況を呼ばんでしょう」

 ロックウッドの言い草はだいぶ礼を失していたがルビエールはむしろ心地よさを感じていた。自分のロックウッドに対する信任と同様の信任をこの時ロックウッドから得たと感じた。

「とはいえ、クサカにそこまで好き勝手されるのは気持ちのいいものではありませんね」

 苦笑を切り結んでロックウッドは話を切り替えた。現場でテクノとラインの橋渡しをしているロックウッドでもクサカ社に対する感情はラインのそれと全く共通していた。

「大隊指揮官はどこまで許容しているのでしょうか」

 それまで口を閉ざしていたリーゼが要点をついた。ルビエールも頷く。

 クサカ社のプロジェクトのためにローマ師団の一枠を貸し出している大隊指揮官だが、それはクサカ社にまるまる好きにさせることを意味するわけではないはずだ。

「なるほど、探りを入れるために上申する手もあるということですね」

 ロックウッドはルビエールの意図を汲み取った。この陳情から大隊指揮官とクサカの線引きを推し量ることもできるだろう。とはいえ、藪蛇になる可能性もある。そこでこの話し合いということだった。

 ルビエールは他人事のように状況を見守っていたマサトに視線を流した。少年はその意図を察してゲンナリという顔をした。

「そこでそう来ますか」

「なに、ここらでそっちの役割に関して腹を割って話をしてもいいじゃない」

 意外にもルビエールはこの胡散臭さが服を着て歩いているような特務中尉の知己を気に入っている。できればイージス隊の首脳として信用したいという気になっている。そのためには全てをとは言わないまでもある程度の腹の内を晒してもらわねばならない。

 マサトはしばらく視線を泳がして探りから始めた。

「僕がイスルギの人間ってところまでは承知しているはずですね」

 マサトは項に手を当てながらルビエールに確認した。ルビエール、ではなくリーゼとロックウッドはどこまで知っているのかと。

「そうだな、イスルギのOS開発者というところまでは」

 そこまではパイロットのロックウッドは承知のはずだろうし、リーゼとも情報を共有している。ただその先までは言っていなかった。

 ルビエールの言葉に満足げに頷くとマサトは応えた。

「まぁそれなら特務である理由を説明すれば事足りますかね」

 マサトは説明を始めた。その理由はルビエールにとってみればそれほどの驚きではなかった。

 マサト・リューベックはXVF15のOSと先進OS開発の実地試験のためにイスルギ社から出向している。これは事実である。一方でマサト・リューベックはローマ師団の長であり、欧州圏の名士であるマウラからクサカ社の監査を命じられている。それが特務である理由である。これはクサカ社も知るところである。ただしこれも建前であることまでは知らないであろう。

 ルビエール以下3人は首を傾げた。

「その建前の裏側は…教える気はないわけね」

「お三方に知られても問題はないでしょうけど、クサカに知られるのは困りますので」

 マサトはやんわりと拒否した。リーゼとロックウッドは満足な回答を得たとは考えなかったがルビエールの方は必要な情報は最低限ながら提供されたと考えた。

「建前も建前として機能はしてるんですよ。クサカの動向は僕の方から大隊指揮官に報告を上げさせてもらっています」

「少なくとも大隊指揮官とクサカがズブズブでないことは確かということか」

 ルビエールは大隊指揮官の言葉を思い出していた。困ったら優遇してやる、クサカは一筋縄ではいかない。どうやら大隊指揮官の言葉はこのような状況を見越していたようだ。さて、どう対処すべきか。

「筋としては大隊指揮官に判断をお任せすべきと思います。クサカ社はともかく、アンドリュース出向少尉の陳情は非常識なものなので通るとは思えません」

 いつも通りリーゼは一般論を提示した。うん、とルビエールも頷く。あの男にお伺いを立てるのは個人的にしたくはないことだったが好き嫌いの問題ではない。この場合、独自判断をするよりは無難だろう。

 しかし、それはそれとしてクサカの専横には対処しなければならないだろう。

「今回の件はオーキッド少尉一人がターゲットだが、事が部隊全体に発展すれば最悪の場合は隊が解体されて仕切り直しということもあり得る」

「そこまでやりますか、この状況で」

 ロックウッドは耳を疑った。連中が自分たちを主役と考えているのは明白だったが、そこまで横暴な手段に出るというのはロックウッドの感覚では想像すら及ばない。

 一方で力学的にあり得ない話ではないとルビエールは考えていた。確かに時節的は最悪だが、それは軍人の感覚であって企業の感覚ではない。彼らにとって敵とは命のやり取りをする相手のことではない、場合によってはそのリストに自分たちが載ることもありえる。企業人であるマサトもそれに同調する。

「ロジックとしてなくはありませんよ。軍組織というものは上層はともかくとして、現場レベルでは基本的に目的が一致した上で編成される組織ですが、ここはそうじゃない。イージス隊の敵というのは案外身近なところにいるのかもしれない」

 ルビエールは訝し気にマサトを見つめた。この少年はやはりどこかおかしい。企業人である一方で軍組織の感覚にも近しい識見ももつ。どうやったらこんな人間に育つんだ?

「ただ、個人的な見解で言わせてもらえば、いまの隊編成はクサカから見ても旨味があるんで、よほどのことがない限りはそこまでいかないでしょうけど」

 そういうとマサトはルビエールをにこやかに見つめ返した。その意味を察してルビエールは大きくため息をつき、残りの2人も気まずそうに視線を逸らすのだった。


 4番機のコクピット内で組み込んだ新パーツの設定を調整していたモーリ・シエナはため息をついた。新型機の開発スタッフというエンジニアとして花形の職だと思っていた。現実は思っていたような状況にはほど遠い。機体は使用されるたびにバラされてチェックをし、また組み立てられる。問題のある部分を洗い出し、別のパーツを試して相関をチェックし、その影響を考察し最適解を導き出す。これを凄まじい密度で行うのだ。整備スタッフの負担は尋常ではなかった。イージス隊の整備スタッフは試験小隊という性質上、通常の倍に近いスタッフを要しているがそれはモーリには知る由もないことで、例え知ったところで負担は減るわけではない。これに戦場下という要素も心理的なストレスとして若い精神に重くのしかかっていた。

「疲れてますってオーラがプンプンしてるわねぇ」

 コクピットの外にエリカ・アンドリュースが顔を覗かせていた。壮麗な顔に意地の悪い笑顔を見せている。しかしさきほどの騒動のときとは違い険は影を潜めている。エンジニアとしての本来の姿である作業着になっていることも影響しているだろうか。

「い、いえ、そんなことはありません!」

 モーリは顔を赤らめてモニターに視線を戻した。2人はXVF15のプロジェクトに関わる以前からの師弟関係にある。エリカ・アンドリュースは近年進化の袋小路に陥っていたHV開発に新風を巻き起こした。当初は奇才と評される風潮もあったが、エリカの生み出した機体の実績と共にその立場はそれまでの栄達を凌ぐものとなった。モーリにとって若くしてクサカ社のHV開発の先頭に立つエリカは憧れの存在だった。そんな先輩にプロジェクトのコアメンバーとして誘われたモーリは心躍った。

 しかし、久しぶりに会ったエリカはモーリの知る人格とは異なっていた。以前のエリカは颯爽として風のような明け透けで快活な人物だった。今は情緒不安定で内面に沈み込み、時折、たまった瘧を発散するように周囲に当たり散らすこともあった。

 モーリはその立場上、その癇癪を引き受けるはめになる。いまでは現場整備スタッフの中で緩衝材の役割を果たすようになっていた。エリカは完璧主義な側面もあるため以前から整備の不備に関した癇癪はあった、そういったときはエリカに理がある。しかし、いまはかなり理不尽な爆発が多く、現場スタッフからは恐れられ、モーリも苦心していた。

 立場がそうさせるのだろうか?そうであっても不思議な話ではない。クサカ社の命運をかけたXVF15の開発プロジェクトの責任者となればそのプレッシャーは想像を絶するだろう。それでもエリカの変貌ぶりにモーリは違和感を覚える。

「やっぱ興味深いわねぇ。パイロットごとに負担のかかり具合が全然違うし、ソフトの成長傾向もカオスで面白いわ」

「またやってるんですか主任、お願いですから私たちの仕事を取らないでくださいよ」

 エリカの作業着が油で汚れているのに気付いてモーリは慌ててコクピットからはい出した。またこの人は現場仕事をしている。開発主任のやることではないとモーリは何度も苦言しているのにエリカはそんなことを気にするようなタイプではなかった。やりたいようにやるのだ、この人は。

「どの機体もアポジを酷使しすぎね。6番機と8番機は脚部スラスターも小刻みに使い過ぎだわ」

「姿勢制御にかなり苦労しているようですね。OS補正が馴染めば改善されると思いますけど、その2機はたぶん以前から静に関してOS依存だったんでしょうね」

「そう。OSよ、OS。今まで自分でちゃんと動かしてる気にでもなってたのかしらね。機体の状況をちゃんと理解して動かしてるのは1番くらいね」

 エリカの目が活き活きしているのに気づいてモーリはハッとした。時折、エリカは以前の姿を見せる。それは決まって現場でHVを弄っている時だった。何かの防衛本能がエリカを現場に動かしているのではないかとモーリは思った。

 それにしても一番機をちゃんと評価するのはエリカらしかった。パイロットではなく番号で呼ぶのもらしいところだが、事実を曲げるようなことを基本的にエリカはしないはずなのだ。公明正大かと言えば少し怪しいかもしれないし、筋の通らない感情論をぶちまけてしまうこともある。不公平な見方をすれば「人間的」な人。優しい面もあれば厳しい面もある。少なくともモーリにとっては交友のあることを誇れる人物だった。

 なのにどうしてあんなことになるんだろう。

 エリカの話に付き合いながら先ほどのパイロットたちのやり取りを思い起こす。

 エリカのパイロット、もっと言えば軍人への敵視は整備スタッフ全体に蔓延していた。整備スタッフの長であり、癇癪持ちのエリカを刺激したくない気持ちと民間人としての共感によっていまの整備チームの空気は生み出されている。モーリ自身も軍の規律には眉を顰めるところはあったが、整備スタッフ全体でそういった感情を持つことには違和感を持っていた。

 とはいえエリカ・アンドリュースの子分一号という身分でそれを言い出す度胸などモーリにはない。

 エリカは嬉々としてモーリと今後の開発。調整計画を話し合った。厳しいけど優しい。そんな先輩に戻ってほしいなとモーリは思い、エリカを変えてしまったものは何なのだろうと考えを巡らせていた。


 ルビエールは司令室の端末の前に座って神妙な面持ちを維持するよう努めていた。画面には大隊指揮官が映っている。個人的な偏向バイアスで画面の占有率が他者より大きめに見えた。

「話にならんな」

 転任陳情に対する大隊指揮官の言葉は思った以上に辛辣だった。ルビエールは首を傾げた。

「では、無視、でよろしいですね」

 大隊指揮官は言わずもがなと頷くと口元を歪めた。

「どうだ、厄介だろう」

「はい。とても」

 何を言わせたいのだろうか?とルビエールは考えたが、率直に口にすることにした。事実、あれは厄介だ。

 大隊指揮官は組んだ両手に顎を乗せるいつものポーズで話はじめた。

「クサカはあれを成功させることで連合のHV機動戦力の一新を画策している。そうなれば軍需企業としてはモーリスゼネラルを上回ることになる。幸いにしてあの機体はそれだけの適性があり、クサカには技術もある。道具はあるのだから問題はそれをどう振り回すかなわけだ」

 嫌な情報だった。それはつまりモーリスゼネラルとクサカの企業戦争に巻き込まれる可能性があるということなのでは?

 そんなルビエールを察したか大隊指揮官は言った。

「精神衛生的な分として伝えたまでだ。お前がこの件で何か考える必要はないだろう。こっちの領分だ。お前はお前の仕事を果たせばいい。その点で遠慮する必要はない」

「言質をとったと考えてよろしいですか?」

「よかろう。ケツはもってやる」

 ルビエールの言葉は挑戦的だったが大隊指揮官は気にする風もなく言い切った。直後に皮肉に口を釣り上げた。

「今のはセクハラかな?」

 想定外の投げかけにさすがのルビエールもたじろぎ、それをみて大隊指揮官は破顔した。

「まぁ心配はするな。軍というのは上では派閥間でやり合うものだが、足元でやることをやらん連中を許容するほど寛容ではない。意味はわかっているな?」

「はい」

 逆に言えば、やることさえやっていればそれに応じた発言力につながるということだ。クサカを手懐けることを実績としろと大隊指揮官は暗に言っている。

「ところで、話はかわるが。特務中尉に目をかけているようだな?」

 おやおや?妙な方に話が転じた。ルビエールの好奇心のアンテナが張り詰めた。

「なかなか役に立つ参謀役です」

 ふむ、と大隊指揮官はルビエールの思惑を図りかねている様子だった。恐らくは特務中尉自身から何らかの報告を受けているのだろう。

 ただこれはなかなかいい機会でもありそうだ。ルビエールの隊運営において特務中尉をどこまで信用できるかという部分について。

「特務中尉の特務については承知しておりませんが、叶うのであれば重要なスタッフとして重用したく願います。如何でしょうか?」

 大隊指揮官の表情に微かな困惑が浮かんだが、それはすぐに思案の表情に沈んだ。

「俺からは特務に支障がない分には好きにせよとしか言えんな」

 つまり、その特務とやらにあまり大隊指揮官は関りないのであろうか?いずれにせよ特務中尉を使役することに大隊指揮官はさほど難色を示さない。それは結果的に疑念を余計に深めていた。

「彼は何者でしょうか」

 ルビエールは思い切った。大隊指揮官は見るからに居心地の悪そうな様子で言葉を選んでいる。そんな様子を見たのは初めてだった。

「いま企業・軍・政治という三つの盤面ではそれぞれの勢力がそれぞれの思惑で交錯している。奴は、言ってみれば企業という盤面で「状況を引っ繰り返そう」としている勢力の人間だ」

「イスルギはクサカの傘下だったと思いますが…」

 ルビエールは自分で言っておいて無意味な台詞だと思った。それはクサカへの忠誠を示す証拠とはならないだろう。

「イスルギもそうだし、クサカも一枚岩というわけではない。むしろ企業の方がよほど複雑怪奇な力場で動くものだ」

 だが、その力場の潮流を理解できればこれは大きな武器になる。大隊指揮官は思い直したかのように姿勢を正した。

「お前が使えると思うなら使ってみせるといい。実際、力量はあるし、何より人脈として将来的に役立つかもしれんぞ」

 それはルビエールにとって新鮮な発想だった。基本的に使われる側の自分もいつか自らの手で立場を構築していくという将来。そんな時がいつか来るだろうか。

「まぁ、そういう点ではクサカの方がよほど魅力的だがな。お前も妙な嗅覚をもっているようだな」

 大隊指揮官はにやりと笑うと通信を切った。大きく息を吐くとルビエールは椅子に身体を沈めた。

 全くその通りだ。論理的に考えてクサカに媚を売っておく方が何かと都合いいはずだ。目に見えて危険なベットにルビエールは興味を示している。その理由を自分自身でも理解していなかった。


 グラハム・D・マッキンリーの講義「コロニー国家共同体とリーズデン・ベルオーネについて」

 コロニー国家共同体は規模だけでみれば実は火星共和連邦すら上回る支配圏と人口を持っていたとされている。ただこの勢力は常に勢力の縮小と拡大を続けていて正確なところは当人たちですらわかっていない。広すぎたというのもある。各コロニー国家の態度が常に変化し続けていたこともある。

 ま、想像はできるだろう。地球連合勢力圏に近いコロニーと、火星共和連邦勢力圏に近いコロニー、月やWOZに近いコロニーでは事情はまったく異なる。これらの弱小コロニー国家はあくまで自分たちの生存確保のために共同体という傘を形成しているに過ぎない。

 さらに共同体はある持病を患っていた。企業だ。

 小コロニー国家の成り立ちは千差万別だ。その例の多くに企業の存在があった。そもそも企業所有コロニーから独立した例も多いし、小コロニーが自立の際に特定企業に依存した結果、影響力から支配力にまで増長した例なども有り触れている。この企業の意思もまた共同体にとって無視できかねないものだった。

 しかし逆を言えばこれらの企業の合算した経済力は強みでもあったはずだ。上手くやれば地球火星と並び覇権を争う、そうでなくても地球と火星とでバランスを保つ強国としての地位を得ることは可能だったはずだ。その道筋を絶たれたのがカナンの戦いだった。

 この戦いで共同体が失ったものは戦力だけではなかった。イデオロギーだ。

 地球・火星と並ぶ、あるいは渡り合うだけの地位をもつ「宇宙人」となること、それによって集った国家群の野望はWOZによって打ち砕かれ、その地位は月とジェンス社、そしてWOZによって担われることになる。

 残念ながら共同体が宇宙開拓歴において主役を演じる機会はついに訪れることはなかった。最初こそ肝要という例になってしまったわけだ。


 地球連合軍はリーズデンと呼び、共同軍はベルオーネと呼ぶ戦区は当時の人間たちの間では2つの意味で「無名の師」と皮肉られていたそうだ。

 一つはもちろん無益な戦いとしての意味で、もう一つは豊富な実戦経験を得られるという意味だ。歴史家の立場として言えば、当時の人間ですらそう思っていたにも関わらずそのまま続いていることはかなり象徴的な現象と言える。戦争とは始めるよりも終わらせることの方がはるかに難しいという実例だ。

 この戦区には元々地球連合に属するリーズデンの保有していたコロニー群と共同体に属するベルオーネの保有していたコロニー群とが狭い宙域内で混在していた。

 当初は2国間の対立であったこの戦区はやがて双方の派兵によって両国の許容量を越えたものへと発展、地球連合・共同体との代理戦争の様相を呈していく。しかし両者には表立って対立できるだけの理由はなく、その名目はあくまでリーズデン・ベルオーネ両国の主権争いに留まっている。介入はすれども決着は付けず。もはやリーズデン・ベルオーネ両国ですら何のために戦いを継続しているのか、どこに落としどころを設けるのか、先の道を見出すことが困難になっていた。

 もちろん始まった時からそうだったわけではない。この戦いの起源は宇宙戦国時代前にまで遡る。この不毛な争いの舞台は両国の間にある小規模コロニー群だった。当時は地球連合に属するコロニー運営公社であった両者の上層部は共同出資で大規模な農業プラント用のコロニー群の設営を計画していた。完成すれば近宙域における食料需給の大半を賄え、両者の地位を盤石にするものと期待された。

 しかし現実はそこまでたどり着くことはなかった。容れ物であるコロニーのできたころに宇宙戦国時代と言われる動乱は訪れた。両者も元々の宗主国が主権を投げ出したことでなし崩しに独立せざるを得なくなった。さらに農業プラント建造を担当していたコンダクターも事業計画を放棄して撤退してしまう。ようするに両国は宇宙戦国時代に投げ出され、孤立したということだ。

 それでもこの時までは両国はまだ友好的であった。両国はこの難局にあって結託し農業プラント稼働のために努力し、ついに稼働可能な状況にまでもっていくことに成功する。時期的にはカナンの戦い前のことだ。そこまではよかった、そこまでは。

 農業プラントの稼働に目処が立つとなると途端に各勢力も注目することになる。身勝手甚だしいな。特に発足直後で体制の不安定だった共同体は喉から手が出るほど欲しかっただろう。おまんまの安定は全ての土台だ。これはいつの時代も変わらない。

 ここで両者の間に意識の差が出てしまった。あるいは、第三者によって作り出されたのかもしれない。

 ベルオーネは共同体への参画は止む無しの立場をとった。これはまぁ当時の時勢から言えば自然な考え方だ。共同体は極めて強大な同盟になる見込みだったし、宇宙戦国時代をまとめ上げる大義名分があった。共同体の交渉、あるいは恫喝もあったのは間違いないだろうな。それにベルオーネはかつての地球連合宗主国に対してあまりいい感情を持っていなかったとされている。

 一方でリーズデンに対しては地球連合の懐柔が及んでいた。リーズデンは旧宗主国に対してそれほど嫌悪感を持っていなかったということもある。それでも根強い交渉の末に一旦は両国ともに共同体に参加することにきまった。

 しかし、知っての通り悲劇は訪れる。そう、カナンの戦いだ。

 歴史的な大敗北によって大きな資源喪失に見舞われた共同体はその混乱の中で愚策に走ってしまう。大規模な資源徴収だ。これはもともとカナンの戦いで動揺していた共同体参加国の忠誠に大きなダメージを与えた。特に共同体のイデオロギーに対しては致命傷と言ってよかった。

 この資源徴収の対象には軌道に乗り始めた両国の農業プラントも含まれていた。もちろん、反発は強かった。もともと乗り気でなかったリーズデンの場合は殊更に悪かったのは想像に難くない。このことが良好だった両国の友好に亀裂を生む。そしてその破断は急激に起こった。


「と、いうわけでリーズデンは地球連合に鞍替えして農業プラントの所有権を巡ってベルオーネと争うことになったのです」

 マサト・リューベック特務中尉はニコヤカに講義を一旦締めた。

 リーズデン戦区への転戦にあたってルビエールは部隊の主だった人員を集めてこの戦区の成り立ちを周知しようと考えた。イージス隊の構成員の少なくない数が「出向」階級の民間人であることから戦区の情報は皆無という者もいるのである。

 ピレネーなどと違いリーズデンではコロニー駐留となり、非番であればリーズデンの街へと繰り出すこともある、そのコロニーの歴史を学んでおくことは無駄になることはあっても邪魔になることはないだろう。とはいえ、ルビエールをそんな考えにした一番の要因は単に「暇だったから」なのだが。この暇もリーズデンに着任すれば消し飛ぶことになるだろう。

 無名の師

 リーズデン戦区はこの辛辣な評価を公然と受けている。マサトの講義はその理由に差し掛かった。

「さて、この戦区。陣取りゲームの縮図と言っていいでしょう。両国の争点は農業プラントの領有権ですが、このプラントそのものもコロニーとして拠点となってしまう。これの奪って奪われての繰り返しがこの戦区です。このプラントは長期間、相手に占有させると要塞化されて厄介ということで定期的に奪取しても、相手も取り戻そうとするので明け渡す。これを長い間繰り返していまでは空気以外はもぬけの殻、それだけにこちらにも無理に守ることに意味がない状態になっています」

「なんでそんなことになってるんだ。他にやりようがあるだろ」

 エドガーが不満げに言った。粗野な印象とは違ってそれなりの教養はある。それに対するマサトの表情は皮肉げであった。

「そこがややこしいところでして。まず紛争の名目がプラントである以上はこれの被害は許容されない。まぁ実際のところこの農業プラントはもう世代としては古くて復旧させても旨味はあんまりないんですけど最低限の実入りとして残しておかなきゃならない。でなければ何のために戦っているのかって話になってしまう。お互いに疲弊しきってる状態なので新しく何かをするだけの体力もない、それどころか駐留してる軍の経済活動で糊口を凌いでいる有様です。終わらせたいけど、終わると困る。終わった後の見通しが立たない。これがリーズデンとベルオーネ双方の現状というわけです」

 真っ当な軍人なら目を剥くような内容にリーゼは射殺しかねない視線をマサトに向けていたがマサトはどこ吹く風と嬉々として講義を続ける。

「さらにリーズデンは地球連合正規軍に、ベルオーネは共同体防衛軍にそれぞれ統帥権を渡していて代理戦争化しているわけなんですが、これも悪い。お互いの現地民が当事者として命の削り合いに参加しなくなっているんです。つまり他人事になってる。それで両軍共に無駄な被害を出したくないので阿吽の呼吸でこの押し引きを繰り返すってバカな状態になっているわけです」

 マサトの講釈に対して出席者は白け切っていた。彼らはそのバカな状態に飛び込まなければならないのだ。


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