11/4「ボブの帰還」
11/4「ボブの帰還」
ドースタン会戦より半年、309年が終わりに近づく頃になってようやく地球連合軍の一手が切られた。
オペレーション「ボブの帰還」は第二特殊戦略師団、通称ロンドン師団を中核とし、ワシントン師団の戦力がこれをフォローする充実した戦力となった。この戦闘団の指揮権はロンドンに握られている。その代償としてワシントンから提供された戦力は主力とは言い難い二線級の部隊だったが指揮権を一本化したいMからすれば下手に有力なものが絡むよりも都合がいい。それに二線級とは言ってもそれはワシントンの基準であって正規軍の基準から見れば充分上質なものである。Mはほとんど万全と言っていい布陣で作戦に挑むことができた。
年を明けた310年。戦闘団は修繕を終えた機動要塞ピレネーと共に火星領域への浸透を開始した。これに対処することになったのはボルトン兵団に代わってフランクリンベルトに入った共和軍主力4兵団の末席、カルタゴ兵団である。
ロンドン、ワシントンの混合戦闘団が想定された位置に入ることをフランクリンベルト防衛の任にあたっていたカルタゴ兵団は邪魔しなかった。機動要塞を叩くことが容易ではないという事実もあるが火星側としては進行してくるピレネーを宙域戦でもって無理に叩く必要がない。火星側にはフランクリンベルトという機動要塞以上の不落拠点があるのである。ピレネーと相対する上でその戦いをピレネー対フランクリンベルトとするのはごく自然な考え方である。そのためにもカルタゴとしてはピレネーに容易には逃げられない距離にまで深入りしてもらう方が都合よかったのである。
フランクリンベルトとピレネー。共に艦隊レベルの戦力では対処不可能と言われる軍事力であるがどちらが有利かと言えば軍事拠点としてのみならず自立型コロニーとしての生産能力も兼ね備えるフランクリンベルトであることは明白である。
カルタゴとしてはピレネーを誘い込んだ上で孤立させればよい。必然、補給の限定されるピレネーは遠からず作戦活動に限界を迎えることになるだろう。
「もちろん。そうはならないだろうけどね」
共和軍4将の最年少であるディエゴ・カルタゴ少将は悲観論者であり、自分たちに都合よいように相手が動いてくれることを期待しない性質だった。しかも今回の相手は有象無象ではなく地球最強と言っても過言ではないワシントン師団とロンドン師団の混合戦力である。敵は万全のバックアップ態勢を取っていると見るべきだろう。
「しかし、ワシントンとロンドン。この双方が満足な連携を取ってくるものでしょうか」
悲観論者であるカルタゴに対するカウンターの役割を果たすエイダ・バルデス大尉は実際にそのように思っているわけではない。カルタゴは自らの悲観論を制圧するためにあらゆる可能性の吟味を志向する。そのための材料を提供するのがバルデスの役割だった。そうして考えうる可能性の全てに満足した時、カルタゴ兵団は十全の対応力を見せるのである。
この性質は初動の遅さにおいて欠点ともされるが彼の部下たちはカルタゴの深謀遠慮と適応力の方により信頼を置く。普通の軍人から見れば唐突に、勘任せに突っ込むエレファンタなどの方が常軌を逸しているのである。
カルタゴのもう一つの美点は階級分け隔てることなく他者の意見をよく聞くことである。バルデスの意見にも理があり、ワシントンとロンドンが連携を取れるとは考えづらいところがある。彼らは純軍事的な部隊ではなく属する国の意思伝達手段なのである。彼ら自身がどう思って的確な作戦を立てることができたとしても実際にそのように行動できるとは限らない。フランクリンベルトを放棄することになったワシントンなどがまさにそれであった。
またワシントンとロンドンも言ってしまえば共和軍におけるボルトンとカルタゴのようなもので思惑も違えばドクトリンも違う。双方は仲間である一方でライバルでもあるのだ。この考えは地球連合軍を外側から見るカルタゴだけのものではない。当の連合軍でも似たような認識であり頓珍漢な推察ではない。
ここまでの思考のなかでカルタゴは大きな違和感に捉われた。
「そもそもどういう経緯でこんな編成になったんだろう?」
ここまでのカルタゴの考えから言えばこの編成はあり得ない編成なのである。地球連合軍の狙い、というよりもワシントンとロンドンの狙いも理解しかねる。確かにピレネーは堅固であり、ワシントンもロンドンも精強である。しかしフランクリンベルトを落とせるわけではない。一体、彼らはこんなところにまできて何をしようと言うのか?
この疑問に対する解答を得ようとカルタゴが取った行動は多くの人間が嘲笑う行動であり、副官のバルデスからもいい顔をされないところである。
カルタゴは彼の知る限り、もっとも敵の心理を読み解くことに長け、相手の戦術諸共に叩き潰すことに特化した軍人に助言を仰いだのである。
残念ながら、その人物は軍人とは言い様のない格好で通信に現われた。
「休暇中だぞバカやろう」
アロハシャツに短パン、サングラス。片手には競馬新聞。それが今のライザ・エレファンタの姿である。バルデスは絶句、カルタゴは苦笑でそれぞれ思ったことを口にすることを避けた。
「で、何の用だ」
「ああ、休暇中のところすいません。連合軍の動きに関して先輩の所見をお聞きしようと思いまして」
「なんか動いたのか?」
カルタゴにとって驚くべきことにライザはここしばらくの戦況に関して全く情報を持っていないようだった。状況を説明する時の反応からもそれが伺える。普段のライザならほとんどの状況で先回りしていたはずなのだが、どうしたというのか?
この無責任とすら言える無知にライザにも言い分があった。情報だけを得たところで行動できぬのであれば無用なストレスを抱えるだけであり、ライザ、そして周囲が望む「動かない」ことを維持する上では有害ですらある。また情報に関して言えばライザは麾下のフリッツ・ケイロスに全幅の信頼を置いていた。ライザが「動く」ときに必要な情報は常にまとめているだろうし、本当に必要な時は奴とハウらが迎えにくるとライザは思っているのである。
カルタゴからの情報は本来ならライザにとって聞きたくない情報だった。とはいえ、後輩の頼みを無碍にするほどその事項の優先度は高くない。ある程度の話を聞き終えたところでライザはいかにも彼女らしい見解を一言にして表現した。
「お前さん、自意識過剰じゃないかね?」
どの口で言うのか。ライザの言葉に怒ったのはカルタゴ本人でなくバルデスだった。これを押し留めるカルタゴはライザの言葉に侮蔑の意がないことを承知しており、すぐにライザの言わんとすることにたどり着いた。
「なるほど。彼らの狙いは僕たちフランクリンベルトよりもボルトンたちに向いているわけですね」
連合軍領域各地を暴れ回っているボルトン兵団は制圧したコロニーで物資を補充しつつ転々としているがその作戦行動はいずれ限界を迎え、フランクリンベルトへの帰還を余儀なくされるだろう。この時、ボルトンと自分たちはピレネーを無視できなくなる。このタイミングでボルトンを叩くことに連中の狙いはあるかもしれない。
いや、むしろそう思わせることに意味があるのか。ピレネーがフランクリンベルト近辺にいるだけでボルトン兵団はその動きを注視せざるを得ない。
「50点だな」
手厳しいな。そう思いながらカルタゴは残りの50点を見出すために自身の考え方を見直した。答えはそう掛からず出た。
「サンティアゴ」
この答えにライザはよくできましたと拍手した。不肖の弟子もさすがにこれはバカにされているのだと苦笑する。
ピレネーという楔はネーデルラント、ロックウェルの両拠点と睨み合うサンティアゴにも影響を及ぼす。現時点では封じ込めているだけなのだが当然ながらこの両拠点はサンティアゴ単独で落とすには無理がある。仮にサンティアゴがこの拠点を攻めるために何らかのアクションを引き起こすならばフランクリンベルトから援軍を寄越すことになるのだが、ピレネーはその障害にもなるわけだ。
つまり、ピレネーはそこにいるだけで既に役割を担っているわけだ。
こいつは参ったな。カルタゴは苦虫を潰した。ピレネーは即座に共和軍にとって害になるわけではないがいずれ動かねばならないときに脅威となる。まさに楔だ。当然、本営はこの障害物の対処をカルタゴに命じるだろう。
この障害物をカルタゴは必ずしも排除する必要はない。あくまでサンティアゴ、ボルトンらの作戦行動を邪魔させなければいいのである。が、これを相手が踏まえた上で戦うようであるなら難しくなってくるだろう。カルタゴからの攻撃は徹底的に守るのみで色気を出さず、戦力を守り続ける戦い方をされると長期戦になるのは間違いない。
ここまで考えてカルタゴに違和感が戻ってきた。そこまでの犠牲を列強の意思伝達手段であるワシントンとロンドンが担当することに。同じ思考を辿っていたバルデスがカルタゴに代わってこれを口にする。
「敵の戦力はワシントンとロンドンですが、列強の手駒である特殊戦略師団がそんな殊勝な覚悟をするものでしょうか。彼らは来るべき反攻を夢想して戦力の温存をしたいと考えているはずです。そんな彼らが共同で繰り出してきたとするなら、この作戦自体が反攻である可能性もあるのでは」
列強の2強が殊勝にも打たれ役を許容することはないのではないか。相手には何かこちらの思いもよらない戦術があるのかもしれない。
少し目を泳がせてからライザは頭を掻いた。
「相手が敵だけなら確かにそういう方法もどこかにあるのかもしれんが。人質を巻き添えにしないで取り戻す戦術なんてものがあるとは思えんな」
あ、となってカルタゴは口ごもった。彼はフランクリンベルトにいる人質の存在を完全に忘れていたのである。カルタゴに人質の存在を利用する気が微塵もなかったために見逃したポイントだった。
連合がフランクリンベルトを奪還する気でいるなら人質をどうするか、を解決せねばならないのである。ライザの言う通りこれを解決するような手立てがあるとは思えない。となれば敵の目的はやはり打たれ役ということになるのか。
俄かには信じがたい。やはり何か裏の目的があるような気がしてならない。いや、目的とも限らないか。カルタゴは発想の転換を得た。
「彼らにあるのは目的ではなく事情、ということでしょうか」
事情。別の斥力が彼らをここまで押し出した。彼らはここまで来たくて来たのではなく、来ざるを得なかった。カルタゴにしてもいまここにいたくているわけではないのだ。あり得ない話ではない。
「なるほど。ワシントンはフランクリンベルト失陥の責もあって貧乏くじを引き受けるしかなかったと。なくはないな」
ライザもカルタゴの理屈には同意する。だとするなら敵の士気は低いのか?この考えは楽観で彩られていてカルタゴ好みではなく口に出す前に否定されたのだが先回りしたバルデスの口からは語られた。
「つまり、敵の士気は低く、消極的である」
「どうだろうなぁ。ロンドンはともかく、ワシントンはついこの前、その考え方で失敗したばかりだろ。人間は変わるものだ。今回がそうだとは言い切れないかもしれんが人間の思考はパターン化できるもんじゃない」
自分の口から出たわけではないものの自分の意見を否定されたような気がしてカルタゴはバツの悪さを感じた。とはいえ、まさにそのような思考の隙をついた本人の言葉は説得力がある。カルタゴ自身もこの考えは都合の良い願望と捉えるべきと結論した。
いずれにせよ。ピレネーには対処せねばならない。敵の意図を図るためにもまずは一当て二当てせねばならないか。
「引き込まれるなよ。ともかく自分たちの目的を常に頭においておけ」
ライザの助言を素直に反映させる。カルタゴの良いところでもあり、悪いところでもある。
自分たちの目的。狭義にはフランクリンベルトを守ること。広義には戦争に勝つことである。そのためのアプローチはいくつもあるがカルタゴの器量で実行可能なものはそう多くない。
ライザとの通信を終えたカルタゴはバルデスも退出させて長い長考に入った。
確証はないがカルタゴには相手の思惑が楔となることである方に分を感じている。それを確かめるなら攻撃を仕掛ければいい。しかし相手の思惑が逆に攻撃にあるならその攻撃をこそ待っているかもしれない。
得られるメリットよりリスクが大きすぎる。敵が動かないのであるからこちらから動く必要はない。それによるデメリットは今のところ、ない。いざサンティアゴやボルトンが動き出す時に対処できればいいのである。
「まずは様子を見ます」
カルタゴが下したこの判断は彼の歴史的な評価を補強する一つの材料とされる。彼を直接知る者からすればから異議を唱えるところであるが歴史とはそういうものだった。
戦史家ナリス・エリクソンは自著でカルタゴに同情的な意見を述べており、さらに後世の評価に対して辛辣な一文を付け加えている。
カルタゴの指針は結果として利敵行為になった。しかしだからと言ってカルタゴが逆の選択を取っていたところでミラーとMの覚悟に対抗出来たかと言えばそうでもなかっただろう。これはカルタゴに限った話ではない。誰であっても同じである。ただその時にそのくじをひいてしまったのがカルタゴだっただけだ。
後世の評価とはかくも無責任なものである。
何の因果だか。
カルタゴへの助言を終えたライザは休暇という名の謹慎に戻ったが思わず飛び込んできた情報に意識は捉われたままだった。
ピレネーと言えば第二次星間大戦のきっかけになった戦いでの成果である。実際に行動したのはボルトンであるがライザはそのようには捉えていない。ピレネー破壊はライザ・エレファンタの所業である。
それにしても不可解なのは確かである。あのワシントンがそのような作戦に関わってくるとはどういった心境の変化か。もちろん、ピレネーの動きにはライザには想像の及ばない真意が隠されているかもしれないが目下一番考えやすく、効果の高い作戦はやはりピレネーを楔とすることであるし、論理とは無関係のところでライザはワシントンの思考に変化が生じたのだと確信していた。
その原因は間違いなくドースタンだ。あの戦いでワシントンの司令官は本質に気付いた。つまり戦うべき相手が何者であるかに。それもやはりライザの所業だった。
勝ってはいけない時に勝ったのかもしれない。この疑念はドースタン以降、ライザに付きまとっていた。それでも自身の行動にライザは胸を張る。勝たずに負けることは自分の責任ではない。ただ、そのツケを自分自身が払わないことにはさすがに呵責の念を抱かずにはいられない。
それでもライザ・エレファンタは動かない。後年、この時期におけるライザの自重は不可解な奇跡と捉えられている。大戦の序盤、終盤におけるライザの動向、彼女の性格的な特徴から見ればこの時期の不自然な不動には何らかの事情があると考えられている。この時期のライザは総統府からも上層部からも危険な人物として飼い殺し状態にあり、厳重な監視下にあったのであるがライザであればこれを無視してもおかしくはない。これは彼女の周辺の証言も一致するところである。
人間は変わる。ワシントンの司令官にそれを適用したライザだが、それが自分自身にも言えることには気づかなかった。戦争から離れ、自らの所業を振り返り、この時期、ライザ・エレファンタは変化し始めていたのである。
ピレネーが無事にフランクリンベルトの鼻先に腰を降ろすその少しまえ、連合軍長官ゴードン・マリネスクは歴史のスタート地点に立っていた。
ルビコン川を渡った。
古い言い回しがマリネスクの脳裏に何度も湧きあがって他にすべき思考の邪魔をする。
マリネスクとすればここからが正念場となる。MのBOBラインは今のところ戦闘なく放置されているがこれは共和軍が本気で攻略にとりかかっていないか、いまだに戦略的な意味を理解していないかのどちらかである。Mは考えうるあらゆる手段でピレネーを堅守するだろうが共和軍が本気で崩しにかかればいつまで持つかは解らない。いずれにせよこの間に連合軍は共和軍と対峙するための態勢を立て直さねばならない。
ピレネーが配置されたことで共和軍の動きは制約される。このために連合軍はかなり大胆な動きをとっても問題ないはずである。Mもそれを確約する。
マリネスクはこれに大いに甘えることにする。連合正規軍が持つ戦力で動かすことが可能な戦力は地球本星を守護する第一艦隊を除けば第二から第四艦隊の3個艦隊となる。第6艦隊はネーデルラント、ロックウェルでサンティアゴ兵団と睨み合っており動けない。第8艦隊はブルックリンにあって現状ではどこからの圧力も受けていないが重要拠点の一角であるため動かすにしても代替の戦力を見繕う必要があって現実的ではない。第5艦隊は共同軍に対処している。
3個艦隊が動かせる、と言ってもそれも簡単な話ではない。これらもそれぞれ根拠地となる重拠点、機動要塞と共にあるためそのエリアの防衛に大きな役割を持っている。それら拠点の宗主国の意向も無視できない。彼らはそれらの艦隊を自分たちのものと勘違いしている。酷いケースでは艦隊幕僚たちと癒着しており、それらの権勢を背景に艦隊は派閥勢力に近い状態になっている。宗主国の利害によっては艦隊そのものが乗り気にならないことも十分に考えられる。
さらにマリネスク自身にも問題がある。彼はいまだ新長官派の一員であり、また使い捨て前提の前座である。ゆえにマリネスクは多くの勢力に軽視されている状態である。そのような男に積極的に加担してくれるものはいない。
要するにマリネスクが艦隊を動かしたいと願ったところでのらりくらりと引き延ばされて有耶無耶にされる公算が高いわけである。
では、どうするか。凡庸なマリネスクが思いついたのは相手を動かすのではなく、自分が動くことだった。半ば自棄になって自分で何とかするしかないと思ったのである。
とにかく手柄を立てて名を挙げるしかない。とはいえ、マリネスクは典型的な事務官僚で実戦的な部分には疎い。もちろん現状の新長官派にその担当はいるのだがマリネスクは彼らを使いたくなかった。この戦いにはマリネスクの軍人としての矜持がかかっている。場合によっては派閥の意思を優先しかねない者を登用したくなかったのである。何よりマリネスクが抱いたひとかけらの野望のためにも。
もちろんこれは派閥の不興と疑心を買う行為である。それでもマリネスクは自身の一世一代の大仕事に妥協することはなかった。大局を任せるに足り、派閥に振り回される心配がなく、マリネスクに賛同してくれる人物が必要だった。
言うまでもなく、それだけの人物となるとごく少数である。そんな要望に叶う人物など放置されているわけがない、はずだった。この人物を思いついたとき、マリネスクは自身の思考を破廉恥だと自嘲した。
長官室をノックした男をマリネスクは少々複雑そうに迎えた。旧主流派で参謀総長まで勤めたその男は有望であるし、職務に対しても誠実になる理由はあるが、マリネスクに好意的である理由は皆無な男だった。
「辺境勤務はどうだったかね、ハモンド中将」
「飯は上手かったですね」
前参謀総長スティーブン・ハモンドは相手に対して敬意を抱いていないことを軽口で表明した。
「で、何の用ですかね」
「君にやってもらいたい仕事がある」
明らかな不信感を目に宿しながらハモンドは斜に構えて続きを待った。
「現在、連合軍の切っ先にはロンドンとワシントンの共同戦力がピレネーと共にある。これくらいは君も聞いているね?」
「ええ、もちろん。あのMとミラーを動かすとは。どんなマジックを使ったのかぜひ伺いたいものです」
なるほど、ハモンドからはそう見えるのか。マリネスクは苦笑する。あの二人の動きに関してはマリネスク自身も魔法にかけられた側であることをハモンドは想像もできないだろう。
「その件に関しては追々にするとして。ともかくMのBOBラインは機能するだろう。肝心なのはここからだ。手持ちの札を使って戦況を動かす必要がある。君にそれをやってもらいたいのだ」
これを聞いてハモンドの表情は無だった。呼び出された時点で予想していなかったわけでもないだろう。次はハモンドのターンであるとマリネスクは沈黙した。
しばらくするとハモンドは切り出した。
「一つだけお聞きしたい」
「もちろん」
「あなたの目的は何ですか。軍人としてではなく、個人としての思惑をお聞きしたい」
個人ときたか。マリネスクはハモンドの冴えに忌々しさと共に頼もしさを感じた。確かにマリネスクは軍人としての理念よりも個人としての理念を優先して動いていた。
軍人としてであれば言葉はいくらでも虚飾できる。個人としてもできなくはないだろう。しかし、いまのマリネスクの目的は自身の目論みを隠すことではなく、ハモンドを納得させ、引き入れることである。それには本音を言う方しかないだろうとマリネスクは判断する。
自身でも整理しきれてはいない感情をマリネスクは何とか表現しようと試み、長い黙考となった。それはマリネスクが本来持っていた誠実さの片りんだったかもしれない。ハモンドはそれを察してこの長考に付き合った。やがて、マリネスクは確信を持ててはいないながらも口を動かし始めた。
「ハモンド君。私はつまらない男だ。これといって成し遂げたこともなく、ただ流れにのってきただけの男だ。この椅子にも望んで座ったわけでもないし、今も座れる資格があるとも思っていない。そしてこの評価は私だけでなく、君たちも一致するところだろう」
全く持ってその通りだったがさすがのハモンドもこの投げかけに意思表明することは避けた。単に非礼にあたるというのもあったが何よりこの評価は覆りそうだと予感したからである。
マリネスクはどこか躊躇するようなところもありながら後に自身の腹心としてもっとも頼ることになる男に全てをさらけ出した。
「私は私にクソを喰らわせておいて上手いところだけを貰おうとする連中が気に入らん。かといってそいつらと喧嘩をするわけにもいかん。なぜなら、私は軍人だからだ」
ハモンドにはマリネスクの個人的な事情など知ったことではない。しかし最後の一言に関しては同じ軍人として聞き流すことはできなかった。
「戦争に勝つ。それは軍人としての目的であり、私個人としては手段だ。私の目的とは、つまり、私が軍人であることを歴史に証明することだ」
この答えにハモンドは顎に手を当てて好奇の目を向ける。ハモンドなりに解釈すればマリネスクの野心とは自分を歴史上に真っ当な軍人として残すこと。この戦争における失態から免れること、というところか。野心と言うにはちっぽけだがそれがこの男の理念に折り合いのつくギリギリのラインなのだろう。
責任、という言葉を冷笑するハモンドではあるがそれが異端であるという自覚はある。強者が責任を放棄すれば世の中は歯止めをなくして力が爆発的に肥大して世界を覆い尽くすだろう。力を持つものは自らを縛らねばならない。それこそが責任である。不本意ながらその責任を背負ってしまった男はそれを捨てることもできず、何とか自分なりに処理しようとしているわけだ。
しかしまぁ、この男がそんな結論に至るとは驚きである。一時であっても座った椅子の力を使えば歴史に不名誉な名を刻んでもそれに見合うだけのリターンはあったはずだ。それよりも自らが持っていたちっぽけな矜持の方を取るとは。ハモンドには馬鹿々々しい行動と映る。そもそもそんなものを持っていたならもっと前に行動すべきだった。何を今さら。
いや、違うか。ハモンドは推察する。
もともとこの男にそんなものはなかったのだ。少なくとも長官になる前は。
生まれたのだ。
状況は人を変える。望んでもいない立場に追いやられた男はその立場でもがき苦しむうちにその立場に相応しい在り方を見出した。いまこの男はそこに向かって這いずる自身を鼓舞しているのだ。
悪い言い方をすればこの男も結局のところは状況に踊らされているに過ぎないのだろう。しかし、他の人間と違うのはこの男の脚本はこの男自身によって上書きされている、ということだ。
しかしまぁ。
再びハモンドは失笑する。人は追い詰められたときに本性を曝け出すと言うが、つまりこれがマリネスクという人間の本性と言うことになる。こんなことを誰が予測できる?
マリネスクの語りは滔々と続く。
「気に入らん連中と付き合う必要はない、ということに私は気づいた。私は、私のやるべきことに必要な者と職責を共にせねばならんのだ。君もその一人だ」
なるほど。ハモンドは軽く頷いた。悪い気はしない。かつて互い違いの派閥に身を置いていた男がそれぞれ別の場所で立ち上がる。物語としては美しい。
しかし、これには一つ問題がある。
「しかし、そうなれば現在のあなたの派閥を敵に回すということになります。かつての身内を敵に回して、尚且つ、火星とも戦うわけですか。勝算は?」
並大抵のことではない。軍事上の敵である火星と戦って敗れる分にはいい。そういうこともあるだろう。しかし政治上の敵である身内に敗れた場合はこの男の願いとは全く逆の結末が待っているだろう。やるのなら勝たねばならない。そのあてはあるのか?
「ない」
ハモンドは肩透かしを食らって表情を崩し、それを隠すために眼鏡を直した。
「随分と無責任な夢想だ」
「君ほどではないさ」
これまでのお返しとばかりの嫌味にハモンドは苦笑する。無責任にも職責を放り投げて左遷させられた男である。
「さっきも言ったが私はつまらない男だ。私に能力はない。私では勝算はないだろう。だからこそ、君を呼んだ。今の私にあるのは立場だけだ。しかし、これは考えようによっては大きな武器だ。これを君たちに預けよう」
大胆にもマリネスクは自身の立場を武器として、それをハモンドらに託すと言う。歴史上そのような戦い方をした施政者は少なくない。賢くないなら賢いものを用意すればいいのである。
面白い男だ。ハモンドは今やマリネスクをそう捉えていた。言う通り、立場というのは大きな武器だ。だからこそ皆がそれを手に入れようと奔走し、手に入れてからは固執し、時には守るために身内相手に振るいすらする。その武器を思わぬ形で手にした男はしかしそれゆえにその扱い方を迷っていたのだが、これをよりにもよって無責任男ハモンドに託そうというのだから恐れ入る。
今度はマリネスクが尋ねた。
「勝算は?」
ハモンドはわざとらしく考える振りをした後に答えた。
「あります」
自信満々に言い切るハモンドだが実際には大した考えがあるわけではない。あってもどれも勝算は薄い。にも関わらずそのように答えたのはその仕事とマリネスクに強い興味を持ったからだった。それになにより、こんな面白い役を他の奴にとられては困る。それが無責任男がマリネスクの船に乗った理由である。
「では、改めてこちらの手札を示してもらいましょうか」
促されたマリネスクは自信なさげな表情を見せてハモンドを軽く失望させたのだがそれも彼の持つ手札の貧弱さを見れば止む無しだった。
「正規艦隊は動くかどうかわからん。動くにしても打算が働くし、そうなれば鈍いだろう。いま、すぐ、自由に、となると動かせるのは第11旅団ただ一つだ」
ハモンドは首を傾げた。
「その第11旅団に関して説明を」
「アントン・ハミルに作らせた機動戦力だ。とにもかくにも使える戦力を見繕うために編成させたんだが」
この説明にハモンドは満足しなかった。もっともらしいことを言っているつもりかもしれないが実態は何の使途もなく、適当にやったことにしか見えないからだ。
「要するに、何に使うかは解らないが、そのうち必要になるかもしれないからとりあえず作った部隊、ということですか」
身も蓋もないハモンドの解釈は遺憾だったが反論のしようはなく、マリネスクは憮然とした。実際、何から手をつけていいものか迷った末にとりあえずありあわせで作ったことは事実なのである。
ハモンドは呆れたが、まぁ事務官僚の考えることはそんな程度なのかもしれない。ともかく、この使途不明な継ぎ接ぎ旅団くらいしか手札がないのが現状である。これを効果的に使う場所があるだろうか?いくら何でもショボ過ぎる。
悩むハモンドに想定外の情報をマリネスクは与えた。
「もう一つ。その旅団にはあのルビエール・エノーも含まれている」
ハモンドは目を丸くした。
「エノーが?つまりマウラが関わっているのですか?」
マリネスクはマウラと手を組んだのか?これをマリネスクは慌てて否定したがそれはそれで問題だった。ハモンドは眉間に皺を寄せる。
「あなたがどういうつもりであれ周囲はあなたとマウラに何らかの取引があったと判断しますし、そこからどういう想像を働かせるかは解るでしょう」
マリネスクのバツの悪そうな顔にハモンドはイラついたが素人のやることだと自分を落ち着かせて状況を整理した。
「で、マウラはエノーをただで寄越したわけではないでしょう。何を要求したんですか。包み隠さずに聞かせてもらいましょう」
ハモンドはとんでもない裏取引があったと思っているのだが当のマリネスクは何を言っているんだ?という顔をした。
「何と言われても、エノー少佐を中佐とすることと旅団内で独立した権限を与えること。それくらいだが」
しばらくハモンドはマリネスクを凝視していた。いたたまれなくなってマリネスクはさらに続ける。
「私はクリスティアーノがエノーのプロパガンダを補強するためにねじ込んできたと解釈しているのだが」
「ええ、ええ。そう考えられなくもないでしょうね」
たしかにそういった側面はあるだろう。しかし、本当にそれだけのためにあのエノーを押し付けてくるものか?
「本当にそれだけだったんですね?」
念を押されるとマリネスクも不安になって回答は半端になった。
「少なくとも私とクリスティアーノの間にはそうだ」
それではマリネスクの預かり知らないところに爆弾が設置されているかもしれないのではないか。ハモンドは溜息をついたがこれ以上追及しても無意味ととりあえずこの話題は切り上げた。この件は主題ではないし、深入りしても意味がない。話を戻そう。
「やれやれ、中途半端な旅団戦力にプロパガンダのマスコットつきですか」
当てつけのように口に出して確認する。
ただでさえ虎の子であるのに、よその派閥のお客様までついている。そんなものどうやって活用すればいいのだ。援軍として戦線に送り込んでも現場が迷惑がるだろう。純戦術的にはまるで役立ちそうにない。
では、純戦術的ではない活用法はあるか?あまりに真っ当な方法がないことがハモンドに逆の思考を導いた。状況に対して無責任であるこの男はむしろ旅団とエノーが持つ欠点こそが長所であることに気付く。
少し時間を貰うとハモンドは長官室にある端末で戦略情報を参照し始めた。しばらくするとその情報はある宙域をフォーカスする。それを見てマリネスクは顔を顰めた。その宙域こそエコーズ宙域。マリネスクを悩ましている問題の源泉。ボルトン兵団が跳梁するエリアだった。
このエコーズ宙域は特定の大国が持つ宙域ではない。比較的広大なエリアではあるがそれは資源のあてがあまりないエリアをひとまとめにしたためである。価値は高くなく、ほとんど興味を持たれなかった余り物の宙域。ゆえに宇宙利権から爪弾きにされた小国たちここに群がり、小さいながら自立したコロニーがひしめき合うことになった。この広大なエリアの中で小国同士のいがみ合いは発生し、ひと時は宇宙戦国時代の地球版とまで呼ばれたこともある悪い意味で盛況なエリアだった。
しかしそれも昔の話。特筆するほどの資源は出尽くし、今では戦国時代の流れで自立型として改修されたコロニーが細々と生き長らえる宇宙田舎になっている。宇宙開拓歴初期のゴールドラッシュの成れの果てである。
そこにボルトン兵団が来襲した。価値のまるでないエリアと見做していた連合正規軍はこのエリアに置いていた形ばかりの戦力すらネーデルラントに移動させており、残っていたのは各コロニーの自衛軍のみ。それすら形ばかりの存在だった。それぞれのコロニーの保有国はこれらのコロニーに興味を失っており、駐留戦力も極めて脆弱だった。歴史的な背景から宙域コロニーの連携も希薄なのも悪材料になった。
ボルトン兵団は負けようがない戦いをやっており、しかしそれがマリネスクらの威信を脅かしている。だから手っ取り早く勝ちが欲しい。ハモンドは状況を整理すると思いついた悪辣な方法に自信を持った。
「我々がいま直面している問題。与えられている課題。一つは民衆に我々が役割を果たしていることを納得させること。そのために手っ取り早いのは戦って勝つことです」
ハモンドの確認をマリネスクは肯定する。だからこそそれをどうやって得るかを考えており、その手立てがないから困っているのだ。
「現状、敵はこの宙域に戦力を分散して散らばっています。一つ一つの戦力は精々中隊規模です。これであれば旅団戦力で当たれば負けることはないでしょう」
それはそうだ。ハモンドの言っていることは間違っていない。旅団規模で中隊以下の戦力と相対して負けるはずがない。しかし、それが何になるのか。
「それは見かけ上の勝ちを得るだけだろう」
ボルトン兵団は各地に戦力を分散して選り取り見取りの目標を食い散らかしているのである。その中の一つを迎撃したところで焼け石に水だ。
「ええ、ほぼ無意味です。ですが、そもそも我々が得ようという勝利、それ自体が戦略的な都合とは無関係なシロモノです。ただただ国民に見せてやるためだけの勝利なわけですからね。つまり勝利でさえあれば、その中身はどうでもいい。だったら、連中のやっていることと同じことをやろうというわけです」
どういうことか問いただそうとする前にマリネスクはその真意を理解した。自分たちがまさにそのボルトンらの見かけだけの勝利に悩まされていることを思い出したのである。今度は自分たちがそれをやればいいのだ。
「見かけだろうが何だろうが勝ちは勝ち。ようはどう使うかってことですよ」
マリネスクは改めてハモンドが自身にとって必要な人材あることを認めた。ただし不承不承ではあったが。
次回更新は2月の予定です。




