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10/4「変身」

10/4「変身」

 フランクリンベルトの失陥。リーズデンの降伏。サンティアゴ兵団とネーデルラント、ロックウェルとの開戦。ドースタン会戦からの3か月の間も情勢は動いてはいたがそれを実感できていたものは多くない。ことに地球連合の市民から見た時、大戦の流れは今のところ火星側の一方的な展開と映る。連合軍がさほど大きな戦いをしていないためである。ドースタン大会戦はもちろんこと、リーズデンの戦いも電撃的な奇襲による戦いであったためそのような機会がなかったのであるが大抵の者からは「手をこまねている」と解釈されることになる。

 武力をぶつけ合うだけが戦争ではない、と連合軍人は主張するところだろうし、それは事実ではある。ただし説得力はなかった。

 この頃から攻める方、守る方の双方にある共通した認識が生まれていた。地球は守勢に入ると脆いという認識である。

 元々地球連合軍における戦争経験が攻勢作戦に偏っていたことは事実である。防衛部隊である自衛軍の中には実戦経験が皆無という部隊も珍しくない。しかもこれまでの地球連合の攻勢作戦は全て失敗という結末に終わっている。

 要するに地球連合軍は強くないのでは?

 これはもちろん火星側の願望であり、希望的な観測というべきだろう。しかし、地球側に防御戦の経験がないことは紛れもない事実であり、想定外のドースタン大会戦以降、地球側の対応が後手後手に回ったことも合わさってこの説は市民たちの間で立場を得た。

 フランクリンベルトの失陥も政治的な結果であるにも関わらずいつしか地球連合軍の弱さを補強するための事実として歪曲され転用された。この点は火星側のプロパガンダも作用したかもしれない。

 このような傾向は当然ながら地球連合軍にとっては不名誉極まる風評であって払拭に躍起になったがそれらの努力を嘲笑うかのような事態が続く。

 サンティアゴ兵団がネーデルラント・ロックウェルの拠点戦力と睨み合っている間にボルトン兵団の戦力が空き家となった中小コロニーに次々と襲い掛かったのである。圧倒的な大兵力を前にコロニー駐留の自衛軍は質・量ともに太刀打ちのしようがなく蹴散らされる。

 重拠点に戦力を集結させていた地球連合はこのボルトン兵団の海賊戦術に対処することができず、多くのコロニーが一時的に占領されてしまった。このボルトン兵団の占領はあくまで一時的なものでしかなく、ある程度の資源を徴収した後に引き上げてしまったのであるが地球連合軍が敗北したという事実は歴史に記されてしまった。

 さらに共同軍との戦いも悪材料となった。火星との同盟に踏み切った共同体ではあったが一枚岩ではなく共同軍の行動は積極性に欠けていた。このことが却って連合軍の行動を制限する。無為に共同軍を刺激して本気になられても困る。共同軍の対処にあたっていた第5艦隊は本気で共同軍を撃破するならば戦力としては十分ではなかった。しかし援軍の見込みは薄い。一方で共同軍の側にも積極性が見られずポーズとして小競り合いを仕掛ける程度であった。撃破不可能だが封殺はできている。第5艦隊はそう判断した。ならば現状維持でいい。そう考えた第5艦隊もまた共同軍との戦闘を大規模に発展させないよう慎重な対応を取った。これが消極的と見做されてしまったのである。これには共同軍は寡兵とされていることも影響していた。局地的には火星軍どころか共同軍にすら手こずっているように見えてしまったのである。

 戦局は全てが悪い方向に転がっていたわけではない。しかし歪曲されたバイアスは楽観的な事実よりも悲観的な予測を優先する。

 この頃、地球連合軍司令部のネーデルラントなど重拠点さえ守られていれば戦況は動かないとする考えを持っていた。これは決して間違ってはいない。ボルトン兵団の勝利と中小コロニー自衛軍の敗北には戦略上の意味は全くなく、ボルトン兵団の動きは戦況に全く影響を与えていない。しかし司令部の言い分に民衆と政府は耳を貸さなかった。この勝利と敗北は政治と民意に影響を与えたのである。

 政府は司令部に戦略の見直しを要求し、マスコミは軍に無能のレッテルを張り付けて大騒ぎする。士気を奪うのは味方であった。これによって他ならぬ地球連合自身によって地球連合軍は守勢に脆いという認識が張り付けられることになった。


 この時勢の流れをナリス・エリクソンは冷ややかに、しかし身に覚えありそうにこう書き綴っている。


 これは事実に基づいた知見ではない、双方の楽観思想と悲観思想が作用しあったパラノイアである。ただしこれらの思想が現実に影響を与えたことを否定することはできない。軍事戦略における障害とは敵よりもこのような不純物であることが往々にしてある。残念ながら障害そのものがそれを自覚することはなく、またさらに質が悪いのはその障害は意図的に配置されることもある。誰あろう味方自身によって。


 こうなってくると戦略においても無視しかねる状況となる。もとよりフランクリンベルト陥落という状況からの失地挽回を目指さなければならない新長官派としては態勢を立て直す一手が必要であり、そのためには攻められ続けて兵の士気が低下しているなど論外だった。方針転換は避けられない状況になった。

 勝利が必要である。表面上の結果しか見れない民衆と政府が注意を逸らすような勝利が。この勝利は可能な限り、手軽かつ確実に得ねばならない。しかし勢いに乗る共和軍を相手にして士気の低下と再編に忙殺されている正規軍ではこれはかなり難しい。間違えば今は大人しい共同軍もより大胆な行動に出てくるだろう。

 この渇望する一手は思わぬ方向から提出された。


「以上が、今作戦の概要となります」

 正規軍のみならず特殊戦略師団も交えた作戦会議でロンドン師団司令Mことモーラ・マッケンジーは驚くべき作戦を提示した。

 修理を終えようとする機動要塞ピレネーとロンドン師団を主体にした戦力をドースタン、フランクリンベルトの鼻先に据えて敵戦力の誘引を計るという大胆なこの作戦は態勢の立て直しを図りたい連合軍のための作戦だった。時間稼ぎの手段としては誰にでも考え付く作戦でもある。それがこれまで提案されてこなかったのは被害が恐ろしいことになることも容易に見通せるためである。敵の作戦遂行の明確な障害である上に十全な補給を受けられるドースタン・フランクリンベルトの戦力と相対するのである。完全なサンドバック役である。

 誰がこんな作戦をやるものか。立て直しの真っ最中である正規軍はもちろんだが各国の意思伝達手段である特殊戦略師団もやるはずがないのである。思いついても実効性のない作戦。だからこそそれをロンドン師団のMが提示してきたことに誰もが驚いたのである。

 新長官ゴードン・マリネスクは軍官僚としての悪い癖でMの提案に裏がないかと勘ぐってしまう。新長官派を陥れるための罠。あるいは彼の預かり知れぬところでの利害のやり取りがあるのか。

 罠と考えるのが一番真っ当に思えてしまうのはそのような展開を何度も見てきたがゆえである。この真っ当な作戦を選択した上で失敗すれば新長官派は立場を失う。Mも列強国である大英帝国の軍人である。マリネスクを失脚させようとする企てに噛んでいてもおかしくはない。

「策としては真っ当なものと言えるが。これをロンドンがやる意味はあるのかね?」

 尋ねられたMは内心で悪態をついた。マリネスクが懐疑的になることは予測できたことだったがそれでもMの職業軍人としての意識が正規軍を統括する人間の思考に失望感を抱いていた。もっとも、自分が同じ立場でMのような提案をされた時に懐疑的にならないかと言えばそれもまた怪しいところだったが。

 このような複雑な感情はMらしい回答となってマリネスクに投げ返された。

「では、我々ロンドン以外で誰がこれをやれると言うのでしょう。我々は勝たねばならない。そのためにできることをやる。我々はやれる。だからこそ提案しているのです」

 予想外の返答にマリネスクは面食らってしまった。Mはマリネスクの質問に全く答えていないのだが、そもそもその質問自体が的外れだと暗に主張していた。言外に貴様の利害など知ったことかと言われたような気がしてマリネスクは居心地を悪くした。周囲を見渡しても誰も目を合わすものなどおらずM劇場に苦笑したり不機嫌に顔を歪めたりしている。彼らも基本的にマリネスクと考えは同じでMの目的が理解できないようだった。

 マリネスクは改めて作戦概要を確認した。作戦そのものはマリネスクから見ても真っ当に思える。効果はあるだろう。

 困ったことになったな。とマリネスクは溜息をついた。Mの提案を蹴ることができないわけではないがそれが連合軍にとって有益なことかと言えば全くノーだ。かと言ってMに乗ればMへの懐疑心が今度はマリネスクに向くことになるだろう。

 理想を言えば、無理なことではあるが作戦だけをいただいてロンドン以外の戦力にやってもらうのがいい。もちろん、こんな作戦を引き受ける戦力に心当たりはない。

 やはりこの作戦は実効性がない。それがマリネスクの結論になった。では、それを無理なく連合軍の結論にするにはどうするか。マリネスクは作戦要項の一つに手がかりを見つけた。

「しかし、この作戦はロンドンだけで賄えるような規模ではなさそうだ」

 元々この作戦はロンドン単独で行える規模ではないのだ。ロンドン以外の戦力が必要あることも提示している。つまり協力する戦力がなければ作戦は立ち消えになる。

「もちろん、それを話すために集まっていただいたのです」

 マリネスクの思惑を見通しながらMは受けて立つ構えを見せた。この問題に関してはクリスティアーノから妥協策を提示されている。ただし可能ならば避けたい案だった。

「では、この作戦に協力できるところはあるだろうか?」

 無理なはずだ。マリネスクはそう確信する。Mの思惑が解らないし、被害予測は甚大。こんな作戦に志願する者はいない。

 俄かに将校たちは視線を泳がせ、また互いに目配せしあった。誰が見てもサンドバックの貧乏くじである。手を挙げる者などいるわけがない、そう確認しあっているようだった。

 Mは失望の色を隠さずため息をついた。腰抜けどもめ。Mが諦めてその提案を行おうとしたとき思わぬ山が動いた。

「こちらから出そう」

 口にした当人以外は耳を疑った。Mもクリスティアーノもマリネスクも。声を発した男は周りの態度を心外とばかりに声を大きくして再度宣言した。

「ワシントンが、戦力を出そうと言うのだ」

 聞き間違えようのない宣言を上げたのはワシントン師団司令ジェンソン・ミラーだった。連合軍最大最強の戦力が動いたのである。

 この時、Mことモーラ・マッケンジーに去来した感情は複雑に極まる。ミラーは動きたくて動いたわけではないだろう。フランクリンベルト失陥の責。クリスティアーノへの借り。そして単純に軍人としての矜持。どれが主であろうとその選択は単純なものではありえないはずだった。勝手な判断として上からも身内からも疑問が上がるはずだ。下手をすると今度こそミラーは失脚するかもしれない。それでもミラーは動いたのである。

 一体全体どうなっているんだ?マリネスクの困惑は表情にも表れていた。これでこの作戦が旧主流派の罠という可能性はほぼ消滅した。いくら何でもミラーとMの2人とマリネスクでは釣り合いが取れない。まさかこの二人は本気で地球のためだけに戦うつもりなのか?

 しかしこのことは却ってマリネスクにとっては難しい判断を迫る。ミラーとMは本気で勝つつもりである。それは連合軍にとっては素晴らしいことであるがマリネスクらの派閥にとってはよろしくない。旧主流派が勢いを取り戻すのに手を貸したとあってはマリネスクは立場を失うだろう。それだけならまだいい。そもそも作戦自体が新長官派によって妨害される恐れもある。

 ここまで考えてマリネスクは憮然となった。何をやっているんだ、おれは?Mとミラーが戦争の本質に目を向けて本懐を遂げようとしているのに自分は何をやっているのか。考えていることと言えば自分の立場と派閥の動きだけではないか。

 マリネスクは酷く惨めな気持ちになって自分でどうにかすることを諦めた。いずれにせよこの二人の心意気を周りは白眼視している。老人二人の暴走として処理されるだろう。気を取り直したマリネスクは部屋を見渡した。話を振るのに相応しいと考えた相手はいつも通り無表情だった。

「ハセガワ准将の意見を聞かせてくれないか」

 ハセガワはリアリストであると同時にOPAの忠実な意思伝達者である。彼はMとミラーの暴走に冷ややかであろう。それがマリネスクの判断だった。これは大部分で間違ってはいない。普段の軍人ハセガワならマリネスクの期待を裏切ることはなかっただろう。しかしマリネスクはヨイチ・ハセガワという男個人にも矜持があることを考えすらしなかった。ましてハセガワとMの間にはクリスティアーノを介した繋がりがあることなど知りようがない。この一言は完全な藪蛇になった。

 水を向けられたヨイチは迷惑そうに応じる。

「別に、我々はどのような作戦であれ命令とあらばやるのは構わないのですが」

 トウキョウが動くかどうかはワシントンの意向次第なところがある。今回の場合はワシントンの主導する作戦ではないのでワシントンがトウキョウの参戦を打診する筋があるかどうか、微妙なところだ。どちらにしてもヨイチらがそこに反対する理由はない。

 それよりも…。

 ヨイチは一同を見渡すと可能な限り感情を消して言葉を続けた。

「一体全体我々は何の話をしているのでしょうかね。我々の職務は国を守ること。大抵の場合においてそれは戦争に勝つことによって実現されることになる。であれば、それを求めることが不思議なこととは思いませんがね」

 ヨイチの言にはこの期に及んで派閥、権益の争いに軸足を置いている者達への痛烈な皮肉が含まれていた。

 戦術・戦略的に有効な作戦なのは間違いないのだ。その裏に政治的な意図が含まれていいようがいまいが関係ない。それに挑もうとする者の腹積もりなど探ってどうするのか。それは政治家の所業である。

「我々は軍人でしょう」

 ハセガワの一言はいつもなら余計な一言として嫌われる原因となるものだったがマリネスクに対しては痛烈さを通り越してとどめの一撃になった。マリネスク自身が抱えていた感情がその一言で誘爆し、彼のロール(役割)を破壊した。その跡地にかろうじて残ったのは新長官派マリネスクではなく、軍人マリネスクだった。彼は自身の役割を半ば放棄した。考えることをやめて流れに身を任せることにしたのである。

 どうとでもなれ。

 大きなため息をついた司令長官はしばしの黙考の後に口を開いた。

「他に意見のある者はいるかね?」

 マリネスクはもはや誰からの意見も期待していなかったが手順として問いかけ、その期待に反することなく、誰も意見することはなかった。

 そして、マリネスクは大きく舵を取った。それは彼に本来提示されていた航路からは大きく外れる舵だった。

「では、事後の話に移るとしよう」

 この作戦はあくまで陽動である。ロンドンとワシントンが敵を誘引している間にやるべきことがある。この話題をするということはその作戦が実行されるということである。司令長官の意を受けたMは立ち上がった。

「今作戦の目的は陽動。仮にピレネーが陥落したとしてもそれまでに失地を挽回していただければ作戦は成功として喧伝することができます。まさか、それすらできないとは言わないでしょう。さて、誰か我に考えあり、と言える方は?」

 この場合の失地挽回とは今なおボルトン兵団の脅威に晒されている中小コロニーの防備を整えることと、もしくはボルトン兵団の撃破などいくらでも考えることができる。要は時間を稼いでやるから何とか体裁を立て直せという話に過ぎない。逆説的に、その反攻作戦が失敗すればMの作戦そのものも失敗となる。もっとも、その場合の責を背負うのはMではないだろう。

 さて、それぞれの意思代行者たちはどう動くか?Mは一同を見渡す。各国の師団長たちは黙して動かない。本来なら真っ先に手を挙げるだろうワシントンが抜けたことで二の足を踏んでいる。ワシントン、ロンドンを差し置いてメインキャストを演じ切れるなどよほどの思い上がりでなければできない思考である。

 黙しているのは本来の言い出しっぺであるローマ師団、つまりクリスティアーノも同様である。Mはクリスティアーノが名乗りを上げるシナリオも想定していたがこれは外れた。つまりクリスティアーノはこの花形の役割を別の誰かに押し付けたいようだ。

 その配役にMはすぐに思い至った。

「なるほど。各国師団長は自国防衛にリソースを裂かねばならない様子です。これは同じ特殊戦略師団の立場としてやむを得ざるものと理解できます。ではやはりこの大役。正規軍の為すべきところではないでしょうか」

 マリネスクは再び耳を疑ってミラーの反応を伺った。ミラーは瞑目して情報をシャットダウンしていた。彼も後はどうなろうと知ったことかと態度で表している。

 なんだこの状況は?先ほどまでMとミラーが自分たちの立場を逸脱してまで軍人としての矜持に奔走したかと思えば今度はその恩恵を正規軍に、つまりマリネスクに投げようとしている。

「その点に関してはロンドンさんに賛同しますよ。ここは一つ、正規軍にも本腰を入れて戦争を戦ってもらいませんとね」

 ここで初めて脇役が口を開いた。

 デリー師団サイモン・ネルー中将は現役の特殊戦略師団長の中ではクリスティアーノ、ハセガワに、次ぐ若手でその口調には重みより軽薄さが見られる。彼がこのような発言をした理由はほとんどのものが察することができた。デリー師団の属するインド連邦は現在サンティアゴ兵団と睨み合うネーデルラントを領有しており、従ってデリー師団そのものもネーデルラントに張り付いている状態だった。戦局に対する切実さが他とは異なるのである。正規軍に本気で動いてもらえるならばそれはMを積極的に援護する理由になるわけだ。

 ネルーの言葉は利害がはっきりしておりマリネスクもすんなりと受け入れることができた。もっとも、その要望は困ったものだった。

 旧主流派から変わった新長官マリネスクの立場は不安定で複雑なものだった。彼は大方の者が予想する通りに本命である実力者の露払いをするための保険でしかない。つまり勝手なことをすることは彼の立場を揺り動かすのである。それはいい。元々切り捨てられることも想定された立場である。

 最悪なのはそれによって長官職の交代が早まることだ。そうなれば新長官派は手柄を自分たちのものにしようと画策するし、M、ミラーとは間違いなく衝突する。悪ければ作戦そのものが頓挫しかねない。そうならないようにするにはマリネスク自身が手綱を握り続けねばならないわけだ。

 おいおい。勘弁してくれ。つい先ほどどうとでもなれと匙を投げたマリネスクであるが次の瞬間には新長官派と旧主流派、というよりは現場派とでも言うべきミラーとMとの間を取り持つ羽目になりそうだった。

 しかし御膳立ては出来上がってしまっていた。既に作戦は成立するところであり、後は誰が主役を果たすか、になっている。その役に足る者は他にいなかった。

 この大任を失敗すればマリネスクは新長官派からも軍内からも完全に見放されることになるだろう。しかし元より保険としての新長官である。今さら保身に身を走らせたところで袋小路ではないか。むしろ、これは千載一遇のチャンスなのではないか?マリネスクはそう思い至って身を震わせた。あまりに大それた思考だった。

「少し休憩を挟もうか」

 自身の思考に驚き焦ったマリネスクは思わずそう口走った。他の者達は突然のことに訝しむが彼には考える時間がどうしても必要だった。

 席を立ち、長官室で一人になったマリネスクは瞑目して自らに芽生えた感情を制御しようと努めた。

 新長官であるゴードン・マリネスクは反主流派の将校の中ではこれと言った実績のない軍人だった。そんな彼が現在の地位に立つことになった最たる理由は他にいなかった、の一言で説明できる。彼と同年代の将校の多くは主流派との政治闘争によって成功したり失敗したりで浮き沈みが激しく、減ることはあっても増えることはなかった。対してマリネスクは失敗をしない人物だった。単に政治闘争に関わり合いにならず、かといって具にされることもない立ち回りができる独特の処世術の持ち主だった彼は与えられた職を大過なく勤め上げ、早くはないながら階級だけは順調に上がっていた。タイミングが悪かったのか良かったのか、本人に言わせれば悪かったのだろうがドースタン会戦で主流派が権威を失墜させた時点でマリネスクは反主流派において重鎮と呼べるだけの年齢と階級に達していた。

 長官職の打診が舞い込んだときのマリネスクの反応は困惑と失望に彩られていたという。彼は自身にその才覚があるとは思っていなかったし、あると思われていないことも承知していたからである。

 反主流派が彼に期待したのは成果でなく、失敗しないことだった。当時の情勢としてドースタン会戦からしばらくの間は連合軍の劣勢が予測されていた。主流派の幹部たちを引責辞任に追い込んだまではよかったもののこれはあまりに早すぎた。反主流派は劣勢な状況のままで軍を立て直さねばならなくなってしまった。この時点でそれぞれの空席はいまだ火中にあったのである。とはいえ、見通しがなかったわけでもない。火星はいずれ攻め疲れを起こし、自力で勝る地球には逆襲の機会があるとの見解は至って真っ当なものと受け入れられていた。つまり新長官には2つの役割がある。1つは劣勢な状況で軍を立て直すこと、2つは逆襲すること。この2つの役割を同じ人物が担う必要はない。

 そこでマリネスク新長官である。つまるところ彼の役割は負けによる非難を最小限に抑えつつ、逆襲のための御膳立てをすることだった。

 冗談ではない。とマリネスクは憤る。これまで大過なく、やり過ごしてきたのは内部闘争など馬鹿々々しいと思ってきたからこそである。ここにきてその内部闘争で捨て駒にされるなど彼のプライドからも損得からもあり得なかった。

 そもそもマリネスクが反主流派に身を置いていたのは出身上の都合でしかなかった。正規軍内においては出身国の立場がその将校の立場に強い影響を持つ。必然、各派閥の構成は国の立場によって分けられることになる。

 これがマリネスクには気に入らない。正規軍は地球連合の軍ではないか。そう考えるからこそ内部闘争に関しても冷ややかな立場だった。そのことが回り回ってこのような状態を招いたのも事実だった。

 因果応報というやつか。

 自分の者とは言えぬ長官室の椅子に座りながらマリネスクは天井を見上げた。では、自分はどう立ち回るべきであったか。他の者と同じように積極的に権力闘争に奔走するべきであったか。馬鹿々々しい。仮に失敗せずに立ち回ったところで自分自身が納得できまい。ようは生まれ落ちた時点で彼の思い描くような立ち回りができる環境ではなかったのだ。

 どこかのタイミングで退役すべきだったか。とはいえここ数年は派閥内で重鎮とされていたのでやめられるようなタイミングがなかった。もっと若い時分ではそもそも退役という発想すらなかった。

 ではそもそも軍人になるべきではなかったか。

 ついにそこまで考えてマリネスクは自嘲に唇を歪め思考を打ち切った。

 さて、ではここからはどうする?次の思考を走らせたとき、ここまでの振り返りがマリネスクに大胆な思考を導き、抱えていた感情が急激に形をなして彼の知る言葉で定義できる内容となった。

 マリネスクは自分自身の発想に驚き停止したが先ほどとは違いそのまま思考を継続し真剣に考え込んだ。ついにマリネスクは自身の中で燻る感情が何であるかを突き止める。正体が知れれば対応のしようはいくらでもあるものだ。

 自分の中で思っていること、それを表に出さないことも彼の処世術だったが、この発想は彼の中に定着し、熱を発しやがて彼の心を燃え上がらせる。

 その感情を完全に制圧したと判断した時、マリネスクは席を立ち再び師団司令たちの前に戻った。その表情にMは以前とは違うものを感じ取った。

「君らの考えは解った」

 マリネスクは腹を括った。もとより生き残るために打開策を必要としたのである。それがよもやミラー・Mら旧主流派から与えられようとはマリネスクにとっても複雑な心持ちではある。しかし考えてみれば失敗したとしてもこれらの大物を道連れにできるのである。何の実績もなしに派閥のスケープゴートとして擁立された男には過ぎたる道連れではないか?

 自嘲気味に唇を歪めたマリネスクだったが彼はそんな未来を少しも望んではいなかった。彼がそのような考えをしたのは自らの行動に正当性を持たせるためでしかない。

 この時、彼の心には芽生えたのは野心と呼ばれるべきものであり、それが捨て石という彼の配役を大きく変えることになるのである。



 会議を終えてMは即座に行動に移った。準備はしてきている。待機していた部下を呼び出しMは宣言した。

「サンダーボール」

 ロンドンにおける行動開始の隠語に相手は意外そうなリアクションをした。

「了解です。道連れはどちら様に?」

「GIジョー」

「なんですって?」

 次のリアクションはMの正気を疑うものだった。M自身もその事実をいまだに疑っているところがある。

「ミラーがやると言ったのよ」

「俄かには信じられませんな。裏があるのでは?」

 ロンドン師団の主力将校の一人であるコルネウは屈託なく進言する。中老に差し掛かる男で公私に渡るMのパートナーである。

「そう思うのが妥当かもね。でも私のどこかがミラーは本気だと言っている」

 確かにミラーはワシントン師団の司令。つまりアメリカの意思代行者である。何の打算もなしに戦力を出すはずはない。しかしそれはミラーをあくまでワシントン師団の司令としか見ない場合の話だ。誰もがそうであるようにミラーもまた一人の人間である。与えられたロールとその意思が必ずしも一致しているわけではない。

「フランクリンベルトの件は相当引っかかっているのかもね」

「なるほど。望まない選択への代償行為というわけですか」

 コルネウは片眉を上げて想像を働かせる。自国民を見捨てての撤退。確かに自分がそんな選択を強要されたなら、何らかの形でそれを贖おうとするかもしれない。それにしても大胆な行動だ。

「もちろん、それが全てというわけではないでしょうけどね。ともかく、この件に関して私はミラーを信用する」

「仰せの通りに」

 Mの決断となればコルネウは異を唱えることはしない。しかし内心ではこの作戦に関して一つの懸念を抱いていた。この戦いは軍人としてのMの本懐に叶うものであろう。しかしMの軍人の枠に納まらない野望にとっては却って邪魔になりはしまいか。作戦は長期に渡りMの自由を奪うだろう。その間に地球で起こる状況の変化からMは遠ざかるわけだ。

 もっとも、このくらいはMも重々承知のはずである。矜持と野望、このどちらに重きを置くかを判断するのはM自身である。

 それにMのことを誰より知るコルネウである。矜持を取りながらもその野望に関しても諦めたわけではないはずだ。

 ジェンソン・ミラーほどの男が半ばMを頼る形で送り出す援軍。さらにはクリスティアーノという地殻変動の寵児との縁。いま大きな波が来ている。Mはこれに乗った。残り多くはないキャリアで一世一代の賭けに出たのだ。

 悪くないね。面白いじゃないか。コルネウはそう考えた。

 いや、しかしそれにしても。

 コルネウは一昔前では想像できなかっただろう状況を見直してウィットな感情に捉われた。

「こちらがモンティにならないように注意しませんとな」

 コルネウのジョークにMは礼儀的に苦笑してみせたがそれはM自身にとって必ずしもジョークでは済まない。ワシントンとロンドンの連合戦力。容易に御せる存在ではない。かつてのモントゴメリーのように大きな不和を呼ぶことは避けながらも、打たれ役という極めて難しい役回りを完徹せねばならない。難儀である。

 しかし一方でMにはこの戦いに単なる戦略以上の意義を感じている。歴史的にはアメリカの影に隠れてきた英国である。まさか!我が大英帝国がアメリカの戦力を従える時が来ようとは!

 最終的にこのワシントンの援軍はMに言い様のない覇気を与えた。Mは自分自身に発破をかける。これで負けるようなら貴様の墓碑に記されるMの文字はマザーファッカーの意味を持つことになるだろう。

 この時を持って作戦名「ボブの帰還」が発動する。

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