10/3「絡まる釣り糸」
10/3「絡まる釣り糸」
309年11月。ついに第二の戦いが始まる。ネーデルラント・ロックウェルと睨み合うサンティアゴ兵団がネーデルラントの戦力と一戦を交えたのである。共和軍最強の戦力と相対したのはネーデルラントの自衛軍と正規軍第6艦隊である。
この戦いは歴史上でも語られることがないことを語られる凡戦と記されている。地球連合軍2%。火星共和軍1%という微細な損失によってこの戦いは終結する。
火星側本営はこの戦いをより多くのダメージを与えた勝利とし、地球側本営は火星側に何の目的も達成させなかったとして勝利と訴えたが双方の広報官ともに本音ではもっと派手な結果を期待していたであろう。
この戦いにサンティアゴは勝利も敗北も考えていなかった。彼らの狙いは一点。距離の離れていないネーデルラント、ロックウェルの両拠点の戦力分担と連携を試すことである。
「ほぼ想定通りでしたな。ロックウェルからは即座に分艦隊が出撃。旗艦の配置から言って本隊と言えるのはネーデルラントの方でしょう。迅速さから言っても手ぐすね引いて待っていた、と」
クリーディーらの予想通り第6艦隊は戦力を分けて駐留していた。守る上でも、拠点負担を軽減する上でも妥当な判断である。短時間で陥落させるのでもなければ援軍は十分に間に合う。もともとこの2つの拠点が持っていた防衛構想を第6艦隊は忠実に踏襲していた。最適解と言える。しかし今回の場合はその動きは性急に過ぎたとも言うべきだろう。第6艦隊は自ら手の内を晒してくれたわけである。
「だが問題はここからだ。どうアプローチする?」
緒戦を大過なくまとめ上げたシュバルツが口火を切った。相手の方針は確かめた。それに対してこちらはいかような方針で挑むのか。
今のところシュバルツには有効な手立てが見当たらない状態だった。連合のドクトリンは万全に見える。サンティアゴ兵団だけでこの2つの拠点を叩こうとしても片方を相手にしているうちにもう片方に挟撃されるだろう。サンティアゴ兵団としては攻略戦でなく宙域戦に引き込みたいところだ。第6艦隊とサンティアゴ兵団だけなら戦力的にはそれほど差はない。それが致命的な差を生むのは両拠点の防衛設備と自衛軍の存在だ。つまり第6艦隊だけを釣り出せれば勝機はある。もちろん相手は簡単には乗ってこないだろう。この考えは他の幕僚たちも同じようなものだったので話は転がりようがなかった。
「まだいくつか足しておきたい情報がある」
クリーディーが話を引き戻したがそれに異論を挟むものはいなかった。判断材料が足りないのだ。何であれ欲しい。それがより悪い情報であったとしても。
「目下、近隣宙域の自衛軍がネーデルラント・ロックウェル双方に向けて移動している。規模としては少。ほとんど雑兵でまさに寄せ集めではあるが防衛で使う分には問題ないだろう」
敵は戦力を集結させている。守るだけであれば何も各コロニーの自衛軍まで動員する必要はないのだからこの目的は一つしか考えられない。
敵は攻めてくる。この明白な事実に幕僚たちは狼狽する。しかしシュバルツの見解は異なる。
「つまり敵が攻めてくるタイミングは来る、ということか」
拠点防備を固めた上で第6艦隊は打って出るつもりがあるわけだ。宙域戦をやるチャンスがあるとシュバルツは捉えていた。
「左様。しかし敵の準備が整うのを座して見守ることもない。終結する雑兵を駆逐し、体勢を整えさせないことで相手を引きずり出すという理屈もあるだろう」
クリーディーはシュバルツの切り口に賛意を示しつつも他の選択肢も提示する。こちらの方が難易度は高いが能動的に敵をおびき出すこともできる。
これに対してさらに別の切り口も提示された。
「敵が自衛軍を導入するということは各中小コロニーが手薄になっていることも意味しています。ネーデルラント・ロックウェル共に自立コロニーではありますがだい6艦隊を含めて今以上の戦力を駐留させるとなれば周辺コロニーからの支援を必要とするはず。また、これらのコロニーを守ることがネーデルラント、ロックウェルの存在意義でもあります」
クリーディーは表情を維持していたが心内では苦笑していた。実のところこの提案はクリーディーも考えていたものである。しかしシュバルツの好みではないだろうし、サンティアゴ兵団にも相応しくないと思って敢えて排除したものだった。
その手を取れば第6艦隊を引きずり出せる可能性は高い。しかし相手を怒らせることは現時点で得策ではない。
シュバルツはいかにも不愉快そうな顔をして言葉を探している。やれやれ、しょうがない。クリーディーはこれをさらに上回る悪辣な一手を披露することにした。
「ならばその役割、ボルトンに譲るとしましょう」
この言葉への反応は大半が驚きであるが黙していたサンティアゴは腹に一物を抱えて僅かに口角を上げた。
「現時点で作戦部の構想は我々に露払いをさせ、その後に本命であるボルトンを投入して決着をつけるというもの。逆説的にボルトンは御膳立てが済むまでは暇を持て余すと言うこと」
つまりこちらがどれだけ頑張ってもおいしいところはボルトンが持っていく公算が高いわけだ。しかしサンティアゴ兵団はそのための御膳立てを命令されているわけではないのだ。わざわざ名誉を傷つけるような選択をする必要はない。敵の本営とこちらが睨み合う間にボルトンには暴れ回って貰うという体裁に持っていけばこちらがボルトンを利用できよう。もちろんボルトンもバカではない。こちらの思惑には気づくだろうが連中にとっても決して悪い話ではない。ボルトンの志向は地球よりも火星に向いている。得られる戦果の捉え方がサンティアゴとは異なるのだ。
「それなら作戦部も動かせるかもしれんな」
サンティアゴは頷きながらもクリーディーの策にさらに一味を加えることができると示唆した。サンティアゴが直接ボルトンに要請するのでなくボルトンに戦果を渡したい作戦部に要請すればそれは正式な命令としてボルトンに降るだろう。これは作戦部に直接意見できるサンティアゴならではの案だった。
「さすがでございます」
司令官の一手上を行く策にクリーディーは素直に敬服する。このキース・サンティアゴという男は高潔なる軍人との評を持ち、実際にそれに違わぬだけの実績もある。しかし、だからと言って権謀術策に疎いわけではない。むしろ誰よりもその手の謀には精通しているかもしれない。だからこそその全てを看破し、打ち砕けてきたのである。
高潔であることと、あり続けることは違う。高潔であることなど簡単な話だ。理想と共に溺死すればいいのである。あり続けることこそが難しい。サンティアゴはこれを実現している。少なくともこれまでは。
しかし一方でクリーディーはこの兵団の在り方がいずれ破綻をもたらすことを危惧する。高潔であり続けようとすること。つまりその理念が選択を狭めることはままある。その時、汚泥を被ることをクリーディーは躊躇うつもりはない。もとより、そのための嫌われ役である。
この頃の共和軍作戦部は戦力の運用に四苦八苦していた。言うまでもなく火星の戦力規模は地球に大きく見劣る。にも関わらず総統府からの強い要請によってエレファンタ兵団を戦力構想から除外せねばならなくなったのである。
無茶苦茶だと文句を言うべきところ、作戦部はそれを了承する。エレファンタが軍内の勢力において完全に独立した存在だったこともあり、エレファンタが手柄を得ることを誰も望んでいないという不可解な理屈が作戦部の上層には存在している。また下層のものにとってもエレファンタ兵団の跳梁は目に余るところがある。ドースタン大会戦前の半ば強奪に近い艦艇の強制徴用など罪状はいくらでもあった。
灸をすえてやりたい。という程度の軽いものからいっそ失脚してしまえばいいというものまでエレファンタに対する内部的なヘイトはあった。これらの前段階があってエレファンタ兵団の事実上の謹慎がまかり通ってしまったのである。
そのツケはもちろん戦力の空白となって共和軍に突き付けられた。とはいえ、作戦部も全くあてがなくてエレファンタの後送を決定したわけではない。共和軍には切り札とも言える近衛兵団がある。主力4兵団と比較すると規模は劣るが人員、物資共に共和軍最高クラスにある。まずはこの戦力を投入すること。しかしこの手は誰にでも思いつくが実際に行うことは難しい。総統府、なかでも外務兼情報大臣のアマンダ・ディートリッヒが強硬に反対するのである。総統府、というよりもマルスの手にとって近衛兵団は自分たちが手に入れた公的な武力である。彼らは近衛兵団を自分たちの意思伝達手段と認識している。これを戦争の為に投入すれば自分たちが使いたいときに手元にないことになるのである。
「総統府はやはり首を振りませんか」
そう問う作戦部長は答えを期待しているようには見えなかったためマテシッツは沈黙によって答えた。
共和軍の統合幕僚長イーサン・マテシッツは共和軍上層部の中では例外的にエレファンタに肯定的な人物である。エレファンタが一介の将校であった時分に手腕を発揮していた場所が当時の主力兵団であったマテシッツ兵団だったためである。マテシッツは自らの栄達のためにエレファンタという才能を活用し、それが最終的にエレファンタ兵団に繋がっている。ゆえにマテシッツとエレファンタは師弟関係と認識されている。ただしエレファンタはマテシッツの軍勢力内からは遠く離れた位置にいる。エレファンタ自身も自分の立ち位置をそこに置いてはいないし、マテシッツもエレファンタをあくまで軍事上の道具としか認識していない。エレファンタが兵団司令として独立した時点で2人の関係は階級と肩書以上の関係性はないドライな関係になっていた。
ゆえにマテシッツはエレファンタの後送に関しては受け入れることができた。反発しても無意味であろうし、総統府のみならず作戦部の戦争計画においてエレファンタが危険なのも事実だった。ところが総統府は無責任にもそのための代案である近衛兵団の投入を渋っていた。自分たちの都合で戦力に空白を生じさせておいて穴はこちらで埋めろと言うのである。呆れ果ててこの件に関しては口を開く気すら失せていた。
その理屈も理屈だ。使いたいときに手元にないと困るというのである。解らないではない。確かに彼らにとってはそうなのだろう。しかし彼ら、政治家にとって武力を必要とする時とはいつ、何を目的にしているのか?考えただけでも悍ましくマテシッツは問いただす気にもならなかった。
「では、やはり例の引き抜き戦力を当てるしかありませんか」
マテシッツは不機嫌に唸った。連邦軍から引き抜いた戦力。連邦軍の基準から言えば上等なものだが共和軍の基準から言えばまだまだ低水準である。本来なら十分な訓練と編成を行ってから投入すべき戦力である。さらにマズいことに連邦軍である彼らは遠征経験など皆無だった。ノウハウが全くないのでそれを持っている者と組み合わせなければならない。しかしそのような俄か仕込みの戦力がまともに機能するのか。役に立たない、ならまだいいだろう。経験豊富なわけではないカルタゴやボルトンらの足を引っ張る可能性もかなり高い。マテシッツには暴挙としか思えない。
いましばらく時間を置くか、強硬的に投入するか。これに悩んでいる間も時は流れていた。マテシッツとしては近衛兵団を投入するという真っ当な策が諦めきれない。なぜその選択肢が封じられねばならないのか。味方に足を引っ張られているという意識がマテシッツに芽生えはじめたところに敵とも味方ともつかぬものが接触してきた。
「久しぶりだな。マテシッツ。5年ぶりくらいか?」
コーネリアス・リンツ。ドースタン会戦後の人事によって総統府から排斥された前資源大臣であり、今のところ最後の火星共和党員出身閣僚。そして5年前は国防大臣だった男である。その時の縁でこの男とマテシッツには多少の交流があった。
「エレファンタを封じられてお困りと聞いている。一つ提案があるのだが聞くかね?」
マテシッツは怪訝になった。政治屋の言うことには裏があるとマテシッツは考えている。リンツは火星共和党の出身であり、現政権から更迭されたばかりでもある。勢力争いに巻き込まれるのを警戒するのは当然だった。
「警戒しているな。君らしい。だがこの件に関しては君と私の思惑は一致するはずだ」
「どういうことでしょう」
「君は総統府が近衛兵団を手元に置いておきたがる理由に対して、嫌な予感を抱いている。違うかな?」
マテシッツは否定も肯定もしなかったがリンツはその沈黙が図星を突かれたからだと解釈した。
「私が同じ懸念を私が抱いていることは君も納得できるだろう。今の総統府が直接的に武力を持っていることは危険だ。だからそれを排除したい」
だからと言ってその片棒を担ぐことをマテシッツは受け入れられない。しかしリンツの策はマテシッツの想像を上回った。
「なに。やってもらいたいことはそう大したことではない。こちらが動く必要などないのだ。総統府を動かす必要もない。当の近衛兵団が自分から動いてくれればそれでいい。そうだろう?」
マテシッツは沈黙を貫いたが今度は驚きによって言葉を詰まらせたからだった。総統府ではなく、近衛兵団を説得すればよい。思わぬ切り口である。そのための理屈をマテシッツはすぐに思いついた。
「ボルトンと近衛兵団が相争う形を作れ、ということか」
ボルトンと近衛兵団。この2つは共にマルスの手に近い政治的なライバル関係にある。今まではボルトン兵団が一方的に近衛兵団をライバル視している状況だったがこのところはボルトン兵団が名を挙げたことで世間評では立場が逆転している。
これをさらに煽れば近衛兵団の者たちは手柄を欲し、前に出たがるだろう。作戦部ではなく、近衛兵団そのものからの要請であるなら状況は動くかもしれない。
なるほど。政治屋らしい発想だ。しかしマテシッツは気に入らない。これはつまり近衛兵団は政治屋の理屈で動くことを意味している。それはサンティアゴやカルタゴ辺りには理解されないだろうし、ボルトンとはもっと折り合わない。取り扱いには要注意と言うことだ。実態がどうであれ、軍人であれば同一の目的の下で結びつくべきであると考えているマテシッツにも許容しがたい習性であり、それを間接的に認めることには抵抗があった。
とはいえ、マテシッツにとってはとにもかくにも近衛兵団を動かすことが優先される。リンツとしても総統府と近衛兵団を密接な状況にしておきたくはないのだろう。その意図の裏にあるものが何であるのか。これに関してマテシッツは自身の関与すべき領分ではないと思うことにした。
不服ながらその手でいくしかない。マテシッツは最後に作戦部長に視線を向けた。作戦部長の方は横目でマテシッツに決断を促していた。マテシッツにぶら下がることで今の地位についたこの男はしかし忌々しいことにプライドや矜持などに興味はなく、それゆえに現実的で妥当な判断ができる軍人だった。彼の眼は、そうするのが賢明だと訴えている。
「助言を感謝します」
湾曲的な表現でマテシッツはこの提案を受け入れた。しかしマテシッツにはまだ考えねばならないことがあった。
作戦部が考えるべきことは戦力の問題だけではない。エレファンタを後ろに下げたままにしておく理由作りも彼らの仕事である。市民から見ればドースタン大会戦で決定的な役割を果たした兵団である。その活躍度合いは目下ボルトンを上回る。それを腐らせる理由が総統府からの要請では話にならない。エレファンタ兵団が激戦でそれなりのダメージを負ったことにしたもののそれでいつまでも留め置けるわけでもない。
しかしこの問題も近衛兵団を動かす算段にヒントが見えた。エレファンタを前線に出させないための理由をエレファンタではなく、ボルトンに求めることができることにマテシッツは気づいた。
要はボルトンにエレファンタを上回る結果を与えれば世間はエレファンタへの興味をなくすと考えたのである。この手は近衛兵団をより焦らせることができる。さらに総統府、つまりマルスの手に媚を売る上でも都合がよかった。
マテシッツは自身の思考がリンツに影響されていることに忌々しさを感じたがだからといって思考をやめることもできなかった。
問題はボルトンに戦果を与える、この点をどうするかである。必要なのはドースタンに匹敵するような派手な戦果であるが、現状ではそのような結果は求めようがない。このくらいのことはマテシッツも理解していた。
ではどうするか?これもまた直近の例がヒントになった。ないのならそう見せればいいのである。現実にそのような戦果が必要なわけではない。あるように見えればいい。
マテシッツはタイミングよくサンティアゴからボルトン兵団を動かしてはどうかと具申があったことを思い出した。この具申を受けた時点ではマテシッツの頭は戦力補強の課題が優先されており、そのような雑事に主力兵団を割り当てることに懐疑的だった。しかし、マテシッツの状況は変わった。
ともかくボルトン兵団に行動をとらせ、その戦果を過大に評価する。この考えを聞かされた作戦部長は困惑の表情を見せながらも「いけるでしょう」と答えた。
作戦部長は即座に行動に入ったが気乗りした風ではない。彼の困惑はこのような発想がマテシッツから出るとは思っていなかったからだった。
おかしなことになってきたぞ。論理的ではない不安を作戦部長は覚えた。この策は確かに近衛兵団を動かす、という目的には適うだろう。しかしそのための理屈が不純だった。戦果を得たい、というボルトンと近衛兵団の習性を利用する。なぜそのようなことをせねばならないのか。作戦部長は憮然とするし、マテシッツも同じだろう。それでもそうせねばならないというのはどこかあべこべだ。このめちゃくちゃな積み上げはいつか予測しようのない瓦解を生み出すのではないか。悪い想像を働かせながらも作戦部長には他に何か案があるわけでもなかった。
こうして作戦部より新たな任務がボルトン兵団に課された。戦果を上げたいボルトン、近衛兵団に動いてもらいたいマテシッツ、ボルトンに動いてもらいたいサンティアゴの利害が奇妙なところで噛み合い帰結したのである。
作戦部長の悲観予測は後に的中することになる。不純な理屈と同機が罷り通ったことで3者の筋金はねじ曲がり、その釣り竿の先端はそれぞれあらぬものを釣り上げることになるのである。




