1/4「ドミノは倒された」
1/4「ドミノは倒された」
エリックは帰還したときのことをよく覚えていなかった。エドガーらパイロットに話かけられたはずだがよく覚えていない。整備スタッフに言われた通りにログを提出してシャワーを浴び、休憩室でミルクを飲んだところでエリックは我に返った。
後で聞いた話ではほとんど夢遊病者のような顔でロボットのような動きをしていて整備スタッフに気味悪がられていたという。しかし古参に言わせればそれは珍しいことでもなく、エリックのそれは大人しい方だという。同じルーキーで8番機のケイトリンは帰艦したなりにコクピットから飛び出し、盛大に階下に嘔吐したと思うと泣きじゃくり、しばらくすると電源が切れたように放心したという。
戦闘は無事終わった。内容的にも大成功だという。XVF15の2個小隊は敵機12を撃墜し、損害は0。エリックも初陣で敵機1機を撃墜した。これは上出来すぎる結果であり、何ら恥じるところはない。
しかしエリックの気分は暗澹としていた。何か思い出さなければいけない気がしているのに蓋でもされているのか考えは浮かんでこない。なぜかとても落ち着かない気分だった。いまになって身体に震えが走りはじめ、エリックはそれを否定しようと努めた。
試験小隊のテストパイロットにつき、初めての出撃で戦果をあげた。これ以上何を望める?
「オーライ、こっちは順調だ」
言い聞かせるように口をついた。震えてなどいない。そんな必要はないはずだ。全く順調だ。
「なんだそれは?」
不意に声をかけられてエリックは飛び上がらんばかりに驚いた。おかげで震えは吹き飛んだ。
声の主は休憩室の隅のテーブルにひっそりと座っていた。白磁のごとき銀髪と透き通り過ぎた白い肌の美貌の女性士官。見間違えようのない、その人物は試験小隊の司令官ルビエール・エノーだった。
人物の正体を確認してエリックは今度こそ飛び上がって椅子から立ち上がった。ルビエールは隊の最上位であり、本来なら同席することすらおこがましい。そんな先客に対して気づくこともなくくつろぐなど立場を重視する軍においては大失態と言っていい。
「し、失礼しました!」
エリックの最敬礼にルビエールは苦笑を浮かべた。
ルビエールにしてみれば夢遊病者のような新兵がやってきたかと思うと唐突に状況に不釣り合いな言葉を呟いたのだ。本音では関りになりたくなかった、しかし小隊指揮官として捨て置くわけにもいかない。脳内の人物リストから新兵の名前を検索してルビエールは話すべきことを考えていた。
立ち尽くすエリックの困ったような表情をみてルビエールは部下からの敬礼に対する返礼を欠いていたことに気付いた。今さらそれをやってもしょうがないと思ってルビエールは手で座れと示した。これは一般的軍人の規範からみればあり得ない対応でルビエールの精神状態を端的に表していた。
人のことをどうこう言える立場ではないなとルビエールも内心で溜息をついた。ルビエールも指揮官としては初めての実戦だった。しかも艦隊上層を混乱させるというやらかしをしたのだ。現在、イージス隊は艦隊司令部からは完全に放置されているが、何らかの処罰を与えられることも予想できる。新兵のフォローなどという気分ではなかった。
「初陣ご苦労だったな。スコアを上げたんだ。見事なものだ」
当たり前の言葉を口にしただけではエリックの表情はかわらなかった。自分でも気の利かない台詞なのは自覚していてもルビエールはその態度に少しばかり不満を覚えた。
「不服そうだな…」
「し、失礼しました!」
ルビエールの咎めるような視線にエリックは再び飛び上がって直立した。ルビエールの方も思っていない動作に一瞬固まってしまって苦笑を浮かべながらも再度座れと指示する。
自分はこの隊では最上位の立場だということを忘れていた。末端兵からはこういう扱いになるのだ。考えてみればこのような状況でマンツーマンのコミュニケーションをとったのは初めてのことだった。無体なことを言ってしまったというバツの悪さは多少なりルビエールの気分を弛緩させた。
「初めての生還と初めての撃墜か」
敢えて口に出すことでいま自分の考えていることを相手に認識させる。
それで、どうなんだ?とルビエールは自分に聞いてみた。自分の立場に置き換えてみようにも実感は湧かないというのが正直なところだった。自分には自身の命をチップにしてテーブルに置くような行動決断の経験はない。ほとんどの人間はそうだろう。
「率直に言えば君が抱えている問題は私にはわからん。聞かせてくれれば多少はそんなものかと納得はできるかもしれないが、どうかな?」
どうかな、と言われても。エリックは困惑した。一体何を求められてるんだ?ルビエールは部下との親睦を深めようくらいに思っているのかもしれない。しかし相手をする部下にすれば話し相手として最悪の一人だ。せめて誰か、エドガー辺りでも同席してくれないものか。
そう、エドガーだ。
「自分は少尉の超機動についていくので精一杯でした」
我ながら上手い言葉選びだとエリックは思った。ただあまり好ましい展開にはならなかった。
「なるほど。オーキッド少尉は生粋のエース枠だ。しかし私から見ればそれについていけるだけでも君はだいぶ逸材と思えるけど?」
ルビエールは気遣ってくれているのだろう。しかしその方向性はエリックにはありがたくなかった。ルビエールはその表情の変化を目ざとく察する。
「どうも。自分はその評価に相応しくないという風ね」
エリックの身体がこわばるのをルビエールは見た。それはある種の好奇心となってルビエールを刺激した。
何かがこのパイロットに自信を持たせることを邪魔しているようだ。それは彼をよい方向には導かないように思える。と、もっともらしく理屈をつけてもルビエールの本心はただその謎を解き明かしたいだけだった。
その謎はそう大したものでもなかった。エリック・アルマスは新兵であり、初出撃を経験したばかりだ。そうなるとそれ以前の「評価」となると一つしかない。
「養成校首席卒業、には見合わないとでも?」
エリックは何かを言おうとしてそのまま口をつぐんだ。
それは多くを望み過ぎだろう。と大抵のパイロットは思うはずだし、隊を指揮するルビエールの目からも望み過ぎに思える。首席卒業のパイロットは術からずエースの道を歩むわけでもない。むしろ首席卒業であっても初出撃を最後の出撃とする例がより多いかもしれない。それくらい現場では意味のない称号であった。
実はルビエールの推理は鋭いながら誤解もあった。エリックはどのように話を切り上げるかを考えていたのだが、その誤解は翻ってエリックに誤解を解くために話すという選択肢を与えた。
「あの、実は。それ違うんです。違うといいますか、あってるけど違うといいますか」
意を決してというにはしどろもどろながらエリックは口を開いた。ルビエールは首を傾げるだけに留めて続きを促した。
「その、自分を含む養成校の98期生はその校で創立以来最低の出来と言われてまして。自分は主席と言っても通例であるなら7~8番手辺りの成績で」
ルビエールは黙っていたが呆れたという表情は隠しきれてはいなかった。それをどう受け取ったのかエリックは一段と恐縮して声を大きく思っていることを吐露した。
「で、ですから自分は期待に応えられるようなパイロットではないんです。こんないい待遇にいるべきではないんです」
なるほど、わからん。ルビエールは全く共感できなかった。
ルビエールは頬杖をつくという上官としても人としてもあるまじき姿勢をとった。そんなくだらないことを考えていたのかとルビエールは思い、次の瞬間には言葉に出ていた。
「たわけ」
ルビエールの美貌から発せられたとは思えぬ言葉にエリックはたじろいだ。
沈黙が流れた。エリックの硬直は当然だった。ルビエールもまた自分が発した言葉の衝撃に軽いパニックに陥っていた。
エリックの考えていることを理解できないのはいい。ならばそれはそれでもっと言い様はあるはずだ。たわけはお前の方だと自分を罵った。
今になってルビエールは痛感した。自分は全く向いてないことやっている。いや、それ以前に他人とのコミュニケーションにバリエーションを欠いているのだ。目上の者や近しい者はともかく、距離の離れた部下との付き合い方をどうすればいいのかまるでわからない。若年であるのだからこれは当たり前でもある。21歳のルビエールにとって目下という存在は位階的なものでなく物理的な年下でほとんど全てであったのだ。
ルビエールは目上の者以外に対して無邪気に距離感を近づける習性がある。というよりも一定の距離感以外での経験をほとんどもっていない。他の方法を知らないとも言えた。
その時、部屋のドアが開いた。硬直した場に足を踏み入れてしまった伊達メガネの少年は二人の視線を同時に受けて足を止めた。
「お呼びじゃじゃないようですね」
「遠慮しないで。そこにいなさい」
ルビエールの容赦ない言葉に背中をビクリとさせるとマサトは停止した。その眼は「勘弁してください」という小動物のそれであったが、一方でルビエールだけでなくエリックの眼もまた「頼む」という懇願じみたものだった。ようするに二人とも収集をつけたい、しかしその目処のない状態に陥っているのだ。
マサトは天を仰ぐと一つの席に腰を下ろした。
「一体全体なにやってんですか」
状況を察してのことかマサトの口調も位階を無視している。
「今回の戦闘における総評をな」
ルビエールはすました顔で話題を強引にかえた。
おいおい、とマサトは顔を顰めた。部下との親睦というには不器用にもほどがある。
「それで参謀役殿の心証は?」
ルビエールの力業にやれやれ、とため息をつくとマサトは一考の後、一言に断じた。
「大惨敗。ですかね」
目の前で飄々と敗北を宣言した少年をエリックは奇怪なモノを見るようにして固まっていた。軍隊とは容易に負けを認めることはしないものだ。まして「大」と「惨」に彩るなど。まともな軍人であればありえない。呆気にとられているエリックを他所にルビエールは冷笑に近い表情でその言葉を受け入れていた。
表現として間違ってはいないのだ。むしろ気が利いているとすら思える。いま3人は―強引に―戦闘結果の総評をしているのだ。誤魔化しはいらない。
「戦術的な分岐点は、開戦時だな。艦隊は数の有利があるとみてCSAをしなかったが、これが結果的に相手の戦術に気付ける唯一のチャンスだった」
ルビエールは嬉々として語る。
CSAとは艦隊による長射程ミサイルの飽和攻撃によって前線HV部隊の突撃・後退を援護する戦術のことだった。コスト高であるため迎撃側の連合軍に行わなかった理由はあったが、仮に実施していれば元より数に劣る共和軍HV部隊は押し込まれ、ミサイル艦隊が馬脚を露す可能性は大いにあったとルビエールは振り返った。
「気付けるチャンスであって、勝てるチャンスではないのが肝ですね」
「そうだな。ピレネーの破壊は防げるが、戦力ダメージはむしろ増えたかもしれない」
マサトの皮肉めいた言葉にルビエールはむっつりと頷いた。
CSAを実行しなかったのはある意味で艦隊自身にとっては幸運なことだった。共和軍がそれを想定していないわけはない。恐らく、そうなった時点でミサイル艦隊はぶつける対象を連合軍艦隊に切り替えていただろう。ピレネー破壊ほどの鮮烈な勝利ではないにせよ次善の結果は得られる。
「それって最初から勝ち目がなかったってことですか」
エリックの言葉にルビエールは苦笑を浮かべた。
「常に何らかの正解が用意されている問題で人生が回っているならいいんだけど。世の中はそう甘くはない」
「そう言われたら返す言葉もありませんけど」
「戦場で相対してからが戦争じゃない、戦いはそれ以前から始まっている。気づいたら、詰んでいた。よくある話ね。そうならないようにあらゆる想定をするのも戦術・戦略・政治の仕事ではあるけど、それですべてを見通せるなら誰もミスを犯すことなんてない。そもそも策というものは人間が過ちを犯すという前提があるからこそ成り立つわけ。正解が常に用意されていて、それを見つけられるなら戦争は不要な手段に成り果てている。戦争が起こるのも結局のところ、正解がないからよ」
エリックの呆気に取られた顔に気付いてルビエールは気恥ずかしそうに咳ばらいをした。柄にもなく饒舌になっていた。しかも全く取り留めのないことを話している。
「絶好調ですねぇ」
マサトの冷やかしにルビエールは憮然とした表情を見せた。そこにマサトとエリックの二人は年相応の可愛らしさを見た。それと同時にルビエールはほとんど少女といって差し支えのない若さであることを思い出させる。
生じた間をチャンスと見たかエリックは自分の話に切り替えることを試みた。
「あぁ、そういえば中尉。あとでOSのことで質問があるんですが」
「…は?」
エリックのその言葉に驚いたのはルビエールだった。予想外の反応にエリックもギョッと動きを止める。再び、妙な間が場を支配した。
「あー、なるほど」
状況を察したマサトはバツ悪そうに頭を掻いた。
「一応ですね。僕もちゃんとプロジェクトの特別顧問ではあるんですよ。表向きの仕事もちゃんとやってるんです」
「建前だけかと思ってた」
「ひどい言われようですね」
そういうとマサトは胸ポケットからくしゃくしゃになっている名刺を取り出した。訝しげにそれをリーダーに通すとそこにプロファイルが表示された。
イスルギ社第三開発部部長。イスルギ社はクサカ社のグループ傘下にあるソフトウェア企業であり、XVF15に搭載されているOSの開発を担当している企業としてルビエールにも記憶されている。マサト・リューベックの肩書はそのイスルギ社の開発部部長となっている。本当かどうかは怪しいものだが。
「どこからどこまでが本当なんだか」
「えぇ、と一応なんですけど。OSのことは最終的に中尉に聞けと言われてます」
エリックの証言を受けてもルビエールは唸るだけで納得した風ではない。例えそれを事実としても正体不明であることは動かない。さらにその裏もあるはずだ。そうであるはず。もはや認めたくないという子供じみた感情で疑心をマサトに向けている。
ブリッジ内で起こっていることを知らないエリックにしてみるとなぜそういうことになってるのかが分からず困惑するばかりである。
「やれやれ、そんなに僕の正体が気になりますかね」
肩をすくめる少年の言葉に「むっ…」とルビエールは身構えた。それは迷いどころだった。封印されているにも関わらず、容易に明かすというのはその処置は正体を隠すためではなく、ある種の示威行為であることを意味している。関わるなという警告だ。
しかしル警戒よりも好奇心が勝っていて身構える以上のことをしなかった。マサトは意地悪く笑って項に手をやるとくるりと背を向けた。
髪の毛に隠れた首筋に異質なモノが現われた。それは何かをつなぐコネクターのように思われた。
「わかります?」
「バイオデバイスか」
初めてみる。機械と人間を繋ぐ技術は古来より試みられてきた。ネイバーギフトの技術は多くの場合でハードウェアに爆発的な発展をもたらしたがバイオサイエンスに与えた影響も少なくはない。肉体を機械的に置き換える義体技術は目覚ましく進歩した。その結果、人類は次の領域へと足を踏み出そうとしている。
「ILSと呼ばれています。脳と機械の接合、その一歩目と言ったところですね」
二人は同時に息を呑んだ。ようするにこの少年自身が「機密」なのだ。
「イスルギがいま開発している第五世代OSには二つのアーキタイプがありまして、そのうちの一つがいまXVF15に搭載されているものなんです。こいつはかなり野心的な設計をしていましてね。言ってみればパイロットをもう一人乗せるような代物なんです」
話の繋がりを見出せずルビエールは怪訝な顔をする。首筋を隠しながらマサトはまぁまぁと続きを話した。
「現行のOSは機体ごとに作れられて機体の性能を最大限に発揮できるように設計されています。ただこれは機体が複雑化すればするほどシステム全体が大きくなるものでして、特にXVF15のような基本性能に極振りした場合、その制御をパイロットの「操作」によって実現するのに無理があったんです。そこでイスルギでは2つの解決策を考案しました。一つはバイオデバイスを用いた制御。もう一つは人工知能を用いた制御です」
「いまXVF15に搭載されているのは後者というわけか」
「その通り」
ルビエールは首を傾げた。
「イヴィーの憂鬱問題は?」
「あれとはアプローチが全く違いますよ」
マサトはルビエールの質問をやんわりと否定すると目で隣のエリックは示した。エリックが少し顔を曇らせているのに気づいてルビエールは気まずげに咳払いをした。
イヴィーの憂鬱とは人工知能を用いた兵器開発において人類に立ちはだかった壁のことである。
かつて兵器開発のメインストリームを人工知能による自立型兵器とした時代がある。宇宙開拓歴以前の話だ。人工知能の判断スピード、合理性は人間のそれを上回る。人間同士で戦う意味はない、とされる時代があったのだ。
ただし、これは平時の理屈だった。
AI戦争は実際にはじまってみれば際限のない増産、ハード・ソフト両面の更新を求めるようになった。人工知能による戦いは妥協のない効率化を求めるのである。破壊と消費のチキンレース。それによって両陣営は資源破綻を起こし、最終的にその決着は人間同士の戦いによってみることになった。
お互いに殺し合いながら叫んだことだろう。こんなはずじゃなかった!その戦いは敗者にはもちろん、勝者にすら何の恩恵も残さなかった。
この経験は人類に極めて都合の悪い真実を突き付ける。要するに「人命を賭す方が効率的」という結論である。これは兵士にとって気持ちのいい話題ではない。彼らの戦場で命を懸ける最たる理由をコストとするのがイヴィーの憂鬱の主題なのだ。
一方でルビエールはこの事例はもう一つの重要な教訓を示していると考えている。「戦争には妥協が不可欠」ということだ。
ただイスルギのOSはこれまでの自立兵器とはアプローチが違うという。マサトは続ける。
「いまうちで開発している第5世代OSは自分で考えるタイプではありません。基本的な判断は全てパイロットに依存しています。まぁ、簡単に言えばパイロットの望みをOS側で解釈して実現するっていうのが基本的な考え方になるわけなんですが、これを機体固有でなく、パイロット固有に行う、というのが目玉なわけです」
ルビエールの表情がかわった。
「まて、つまり汎用OSなのか?」
「機体側に最低限の操作系統があればこちらのOSでそれを学習してパイロット固有の操作に合わせて最適化をするようになっています。つまり、機体のOSというよりはパイロットのOSってことですね。その気になれば現行機にも搭載できます」
ルビエールは唸った。にわかには信じがたい技術だった。これはつまり現行機のOSを一新することも可能であることを意味し、パイロットの機種転換も容易にする。なるほど極めて野心的だ。パイロットをもう一人乗せるという言葉の意味も解ってくる。
しかしそれとバイオデバイスはどうつながるのか?
「もともとXVF15に搭載されるOSの第一候補がバイオデバイスによる操作、つまり人間が手足を動かすのと同じ感覚で機体とパイロットを一体化させるという手法だったんです。が、これはあまりに荒唐無稽でしてね」
マサトは苦笑しながら項をピシャリと叩いた。
「まずパイロット全員を「改造」する必要がある。この時点で無理筋です。それに実際にそれを実現するためのハードルも高すぎるんですよね。現時点でILSに実現できているのは脳に機械的な情報を直接認識させるDisまでです」
ルビエールは腕を組んだ。確かにバイオデバイスの普及はそれを使う者全てに対応する処置を必要とする。つまり改造手術だ。コスト的に見ても非現実的なシロモノであるのは容易に想像つく。それでも驚くべき技術であり、次の技術に大きな意味を持つだろう。
そこまで考えてルビエールはようやくこの話の帰結が見えた。
「人工知能型はそっちを基にした?」
マサトは笑みで肯定を返した。
「正確には相互補完と言った感じですね。バイオデバイスによる操作を前提に構築されたシステムを人工知能に操作させる。一方でその人工知能が得た情報を基にバイオデバイスの開発に必要な経験値を蓄積させる。それがXVF15の本当の目玉なわけです」
内緒ですよ?とでも言うように人差し指を口に当てた。
「えぇ…と。そんな凄い技術だったんですね」
エリックの素朴な感想にルビエールは溜息をついた。新兵には理解の及ぶところではないのだろうが、とんでもない技術である。そして現実に完成すれば恐ろしい効力を発揮するだろう。つまり現有する機体を一つのOSで操作可能になる、だけではない。この先に開発される機体にも容易に適応するだろう。そして、それはHVだけにとどまらないのだ。最終的にほとんどの電子操作を意識のみで操作できるようにすることをこのシステムは目標としているはずだった。
「軍曹、この話は特級の機密情報だぞ」
「えぇ…」
機密情報と言われてエリックは怯んだ。
「ま、これのことだけ黙って貰えれば」
項に手をあててマサトは軽く言ってのけたがそう気楽な問題ではない。
「でも、そんなとんでもないプロジェクトになんで僕なんか選ばれたんでしょう」
エリックの言葉にマサトは小首を傾げた。
「アルマス軍曹は自分の養成校成績を気にしている」
エリックを差し置いてルビエールがそれをざっくりと説明するとエリックはあんたが言うのかよ、と恨みがましい顔をしてルビエールをみた。このあたりからエリックも指揮官に対する遠慮はなくなってきている。マサトは得心したようだが深刻には捉えてはいなかった。
「なるほどねぇ。まぁ僕も選定に多少は関わってますけど、その程度の情報がすり抜けるほど編成部も間抜けではないですよ。アルマス軍曹はそれでいいんです。元々このOSの課題としてパイロットごとに熟成にどれだけの差がでるかわからないという問題がありましてね。そのために経験の異なるパイロットを必要としたわけです」
なるほど。とルビエールはごちた。エース格の2名、スペシャリスト2名までは解るとしてルーキーとベテランの枠はパイロットごとのOS慣熟にかかる差を見るためのものということだ。ようするに経験値0に近いパイロットであれば死なない程度に優秀でさえあれば誰でもよかったというわけだ。
「と、いうことだ。軍曹。君の心配は杞憂というやつだ」
慰めを言いつつ、この話の示唆しているものにルビエールは気づいていた。
つまるところ、このプロジェクトの根幹にはパイロットの成果どころかXVF15そのものの性能すらあまり問題にしていない視点もあるということだ。
これは果たして大隊指揮官も知るところなのだろうか?
ピレネー要塞の破壊という情報はほとんど全ての陣営に驚愕をもって迎えられた。それは火星共和連邦ですら例外ではなかった。ことに外務大臣ジョセフ・ハーマンはもたらされた報に青ざめた。
勝ち過ぎだ。
ただ、ぶつかり合って勝ったのとはわけが違う、象徴的に過ぎる。顔面に泥をたたきつけられた地球連合の反応は激烈なものとなるし、国民の望みもまた熱烈になるだろう。
ハーマンは自らの仕事が火星共和の独立承認から全面戦争の回避へと変わったと認識していた。
その男は分厚い特殊ガラスの向こう側の宙空を見つめながら考えに耽っていた。
「これは、地球としてはどの程度の衝撃なもんかね」
ガラス反射越しに男は室内中央に設えた豪勢なカウチで足を組む大柄の人物に問う。
「戦争として考えてみれば大した敗北とは言えないだろうな。持て余されていた要塞を一時離脱させただけで、駐留戦力は無傷に近い。次の一手のための布石と考えれば見方はかわってくるが、今のところそこまで大規模な動きは見せてはない」
そう、ピレネー要塞破壊それ自体は極めてセンセーショナルな結果ではある、しかし駐留艦隊の戦力はほとんど失われていない。火星連邦は勝利を極めて効率的に得たが、それは形だけの勝利とも言える。問題はそんな極端な結果を求めた理由だった。
男は困ったような表情で唸った。子供が嫌いな食べ物を皿の端に寄せたのを見咎めた程度のものではあったが。
「どうにも意図が見えないな。やったのはボルトンだろ?カルタゴやエレファンタならまだわかるけど。あいつそんな奴だったか?」
その口調にはバカにするような響きを含んでいた、話し相手も同じ考えなのか嘲る口調で答えた。
「やり口は確かにエレファンタ辺りの考えそうなことだな。ロボットボルトンの「堅実」な用兵らしからぬのは確かだ。だがソウイチ、そんなことは大した問題ではないさ。やり口なんてものは誰かが入れ知恵しただけのことかもしれんし、ボルトン閣下が意趣変えしただけかもしれん」
「確かに、おっしゃる通り」
ソウイチと呼ばれた男は肩をすくめて室内に向き直った。
ジェンス・エンタープライズCEOソウイチ・サイトウは42歳という年齢通りの見た目をノーネクタイのスーツに包んでいた。指摘されなければ太陽系で最大企業の長であるとは認められない軽い風貌ではあったが、その眼には常人ならざる活力をみなぎらせている。
「まぁ、ジョセフ・ハーマンからすぐにでもコンタクトが入るだろう。そこで火星人どもの思惑はわかるさ」
皮肉そうな声を彼の腹心であるディニヴァス・シュターゼンは投げた。
各国に支社を持つジェンス社はそれを事実上の大使館として国交を持たない各国との交渉窓口の役割を果たしている。宇宙戦国時代の生み出した混沌の申し子。無国籍企業ジェンス・エンタープライズがそんな立場を得ていることは何とも皮肉なことだった。
彼らは人類圏全体の情報を集められる。それによってジェンス社は立場を絶対なものとしている。もはや企業体としてジェンス社に対抗できるようなものはおらず、その存在は国家とも企業とも異なる別種のナニかであった。
「あのジーサンも可哀想に」
心にもないことを口にしながらソウイチは大げさにかぶりを振った。
元々は腐敗と停滞によって政権を奪われたことからはじまったことなのだ。マルスの手の政権奪取の手際には悪辣と言える部分もあるが、衆愚に足元を掬われたことを同情する気はなかった。
さて、地球はどうでるだろうか。
人類の覇権国家を自称する地球連合にとって初めての敵対者の侵攻、そしてセンセーショナルな敗北。そのプライドはしたたかに打ちのめされたことだろう。加えて国家連合という性質上、彼らは常に内部で主導権を争っている。持たざる者は批判し、持つものは虚勢を張るだろう。荒れるのは間違いない。
講和?大いに結構。
ジェンス社は平和の使者として世界平和に貢献するだろう。
全面戦争?大いに大いに結構。
ジェンス社は死の商人として世界大戦に暗躍するだろう。
ジェンス・エンタープライズが歴史を動かすのだ。
ローマ師団司令官クリスティアーノ・マウラの邸宅はやはりローマの古き一族の占めるエリアの片隅にあった。
その腹心であるカリートリーにとってみれば車でしか行き来のできないこの場所に出向くのは気の進まないことであったが直接の呼び出しとなると断りようはなかった。
名士らしい古い建築を現代の技術で維持した豪勢な邸宅とそれすらちっぽけと思わされる広大な敷地に辟易する。
クリスティアーノの姿を邸宅脇のプールサイドに見つけるとカリートリーはげんなりした表情で歩み寄った。
「できれば通信で済ませて欲しいところなのですが」
「お前はこれを上司と親睦を深めるチャンスとは思わんのか。自宅に招かれたんだぞ」
ビーチチェアに寝そべって肢体を晒していたクリスティアーノの目線はサングラスに隠れてしれないが、口にしていることとはかけ離れたものであることは容易に想像できる。カリートリーはこの女の存在そのものを欺瞞だと思っている。
クリスティアーノ・マウラは名前とは逆に女性である。その家系「マウラ」はエノーと同じノーブルブラッドの家系でありクリスティアーノも青白い肌に銀髪を持つ典型的なスペシャルの容姿を持っている。
だがカリートリーはこの妙齢の女がそれらしい能力を発揮しているところを見たことがない。経歴をみても凡庸な士官学校成績、何ら特筆するところのない経歴―なんの脚色もないことはむしろ特筆すべきかもしれない―ノーブルブラッドの全てが目に見えるポテンシャルを持つとは限らない。つまりそれは名士というだけで自分自身の努力とは無関係のところで地位を決定していくことも証明しているわけだ。鼻白む。
しかし奇妙な、あるいはこれこそクリスティアーノのスペシャルであるのか。ローマ師団司令クリスティアーノ・マウラは「人間を使う」ことに特殊な才能を発揮する。
カリートリー自身もその才能によって見出された一人であり、散々に骨身を砕かされてきたのである。恩義ある一方でその100倍は恨みもある。
「で、どういったご用向きでしょうか」
身を起こしたクリスティアーノの放漫な胸が揺れるがカリートリーは鉄壁の意思で無視した。隙を見せればそれを確実に突いてくるのを知っているのだ。
「2つある。が、その前にピレネーに派遣していた例の小隊はどうなっている?」
「前線で活動していた旨は聞いております。戦闘そのものは恙なく…しかし、現場部隊とちょっとしたいざこざはあったようです」
「詳しく」
「……小隊司令のエノーは敵軍の狙いを看破したようで、それを上層に報告していたようです」
カリートリーはその顛末を軽々に拡げたくはなかった。現場ではこのことはなかったこととして扱われている。ルビエールの推測は的中していた。しかしそこからの行動は結果として混乱を招いた以上の成果を挙げなかった。なかったことにするのはルビエールの機微を活かせなかった現場失態を覆い隠す所業ではあるが、同時にルビエールの稚拙さもなかったことにすることでもある。
それはそれで納得のいくもので、あえて掘り下げてもしょうがないとカリートリーは思っていた。しかしクリスティアーノであれば政治的な駆け引きの弾に用いようとするかもしれない。
「なるほど。エノーのお嬢ちゃんもなかなかやるじゃない」
クリスティアーノはどこか嬉しげにつぶやくだけでそれ以上は何も言わなかった。
「この件に関してはこちらからやるべきことはないかと」
クリスティアーノが目を細めて見つめてきてカリートリーは余計なことを言ったのを悟った。
「無能なルークを落とすのに有能なポーンを使うなんて割に合わない。でしょう?」
カリートリーの考えを見透かして意地悪くクリスティアーノは笑った。
「お前の言う通り、こっちから特にやるべきことはない。試験小隊もそのまま運用を続けなさい。それで…主題に入るわよ」
隣のチェアを指し示されたのでカリートリーも腰を下ろした。クリスティアーノは相変わらず水着のままチェアに腰かけている。
「まず一つ目だ、近いうちに火星側が裏で交渉をかけてくるだろう、それで今回の件はなかったことに…なんてことにはなるはずはない」
カリートリーは頷いた、明白な事実である。
「戦端は開かれる。だが、野放図にそれを広げるわけにはいかない。まぁ実際には好き勝手になるだろうけど、それを抑制する手立てを講じたい」
「腹案がおありですか」
「ある。だが、我々では実現できん。うちは雑魚だからな」
雑魚と言われてカリートリーは押し黙った。ローマ師団は実際、規模で劣り屈強でもない。だからといって雑魚と言われて気持ちいいものではなかった。しかし肝心の司令官は度々それを口にするので立つ瀬のない思いをする羽目になる。
「そこで、大物を釣る必要がある」
「大物、ですか」
大物となるとそこまで数は多くない。地球連合軍において正規軍に属さずに各国の自由裁量で動かされる特殊戦略師団は正式なもので27ある。「師団」と銘打たれながらもその規模は各国で異なり「兵団」規模の実質的な第四軍であるものや、特殊な編成のスペシャリスト部隊など各国家の事情で異なってくる。師団とされるのは連合軍における最小構成規模が師団であるためである。
ローマ師団は規模としては小ながらそれでも師団規模は越えており、単体での作戦行動を可能としている。それよりも強大さを必要とするとかなりの大規模作戦なのだろう。
「どの程度の規模を想定されているのでしょうか」
「機動要塞1機とそれに収まるだけの兵力」
カリートリーはあんぐりと口を開けた。それを見てクリスティアーノは破顔した。
「我々はそれを失ったばかりですが…」
カリートリーのもっともな指摘は一笑に伏された。
「逆だ。浮いたんだ」
「…なるほど?」
カリートリーもしばらく考えた後に凡そ察しはついた。
「ピレネーはすぐに修復に回される。復帰は…凡そ8か月といったところか。その後にどこに回されるかは今の時点で決められるものじゃない。その頃には戦端も開かれて戦力構成も見直されるだろう」
「それを確保するということですね」
なるほど、大胆な発想の転換だ。
「取り合いにはなりませんか?」
「機動要塞1機を占有しようだなんて大それた発想を持つ奴がいて、そいつの戦略が妥当であるなら譲ればいいだけの話だ」
そんなものがあればだが、不敵な顔はそう言っている。
「手段には拘らないということですな。結構、それで私のタスクは?」
「ロンドンに飛んでもらう」
「ロンドン…。Mですか。確かに彼女らであれば不足はありませんが」
ロンドン。言うまでもなく第2特殊戦略師団、通称「ロンドン師団」のことだ。特殊戦略師団全体で言えば規模の上では中堅ながら最精鋭の呼び声高きエリート部隊である。その現在の司令官は「M」と呼ばれている。つまりそのMを説得することがカリートリーのタスクとなる。
「頼むぞ。ロンドンでないなら実質、この作戦は立ち消えだ」
にわかにカリートリーの顔は曇った。クリスティアーノの作戦がどういったものであってもロンドン師団で無理であるなら残る候補は規模・練度ともに最強を冠するワシントン以外はあり得ないということになるだろう。つまりその作戦はかなりの難題だということだ。
「仔細は後でサネトウに貰いなさい。あたしからは大まかにしか話さないわよ」
それはつまりクリスティアーノ本人はあまり理解していないのだとカリートリーは知っていた。クリスティアーノは決して暗愚ではないが軍事的な才能、特に発案する能力はお世辞にも高いとはいえない。その作戦も腹心であるサネトウたち幕僚の考案したものだろう。彼らは正規の軍人ではなく、マウラ家の召し抱えた食客であり、この邸宅にあってロンドン師団の戦略的、政治的な動きを司っている。
クリスティアーノの説明は大まかというよりは大雑把というほかなかったので早々にサネトウに聞いた方が建設的だとカリートリーは判断した。これはいつものことである。
「それで…二つ目をお聞きしましょうか」
「あー…うん」
珍しく歯切れの悪い口調でクリスティアーノは説明を始めた。
「恐らく近いうちに火星連邦から何らかの交渉を持ちかけてくるだろう、これはあまりにも入り混じっていてどういう結果になるか予測はつかない。それはお前にもわかるだろう」
「でしょうね」
「で、相手の思惑もわからんということもあって政府の方針も決まらん」
さもありなん。優柔不断は地球連合のお家芸だ。
「主要国は殴り返さないと気が済まないでしょう」
「さて…どこまで行って殴り返すかだな。あちらさんも困り果てている目も十分ある」
泥沼化は御免こうむりたい。これは地球連合だけでなく火星共和も含めての総意とみていいだろう。そうなれば猶更のこと先の戦闘の目的は気になるところだ。現時点で考えてもしょうがないことなのだろうが。
「うん。それでだ、困ったことにお上はいまパラノイアになっている」
忌々し気なクリスティアーノの言いざまにカリートリーは嘆息する。つまり2つ目のタスクはこのお上のパラノイアを発端としているのだ。これは高い確率でただお上の精神衛生を安定させるためだけの無益な仕事と思われた。
「ピレネーでの結果は地球連合の歴史でも類のない象徴的な「負け」だ。これが一時の敗北に過ぎないのか。より大きな敗北の序章なのか。これをはっきりさせることができれば話は簡単なんだがな。とりあえずの我々の目的はその動揺を鎮めること、ということになるだろう」
「それを私が?」
「高度な判断が必要になるだろうからな」
「過大評価に過ぎると思いますが…」
その繊細な判断を自分にさせることにカリートリーは率直に苦言を呈した。
「お前以外に誰ができる?」
カリートリーはその口車には乗らなかった。その種のプライドをカリートリーは持ち合わせていない。
しかし、クリスティアーノは顎に手を添えてからニヤリと笑みを浮かべた。
「なら、お前以外で誰を派遣するか。考えはあるか?」
他の誰かにその役割を任せることは想定していなかった。例えカリートリーと同じ判断のできる人間であるにしてもその役割を押し付けるという選択は気持ちの悪いものだ。
かなり長い沈黙のあとにカリートリーは折れた。
「微力を尽くさせていただきます」
「そうか、やってくれるか」
クリスティアーノは大げさに喜んだ。
女狐め!
「ではそっちの情報もサネトウに聞いてちょうだい。なお、この件で君、もしくは君のメンバーがどうなろうと当局は一切関知しないので悪しからず」
カリートリーはつぎの瞬間にこの上司が自動的に消滅してくれることを願った。
ピレネー駐留艦隊はただ多いだけではない。そのほとんどはピレネーからの補給・修理を行うことを前提としているためその再配置には多大な時間を要する。移動させるにもそのための資源を必要とするのだから先立つものも入用だった。ピレネーの編成部はじめ補給部などは大わらわになって溢れた部隊に行先を宛がい。間に合わせの物資を持たせて送り出していた。
そしてイージス隊は宙ぶらりんになっていた。正規の作戦部隊ではないためにここでも扱いに困られているのである。
ルビエールはこれに腹を立てなかった。事務方の苦労を知る身ではさもありなんと思っている。敗戦の処理だけではない。撤退した連邦軍を追撃した駐留艦隊の支援と救助―彼らはろくな補給なしで飛び出していた―。ピレネーの運営部は悲鳴を挙げているだろう。
しかしそれも1週間を越えてくるとさすがに困惑へとかわった。
まさか忘れられているのではないか?
「いやいや、僕なら意図的に無視しますね。君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし、雉も鳴かずば撃たれまい、藪蛇」
マサトは古風な紙媒体の本を読みながらさらっと言った。
ありうる話だ。確かに自分なら無視したいし、部下として気づいても敢えては触れまい。
部隊が宙ぶらりんであることはまだ大した問題ではない。自発的にルビエールから何かする必要はないだろう。この部隊の基本的な運営計画は大隊指揮官の預かりだ。しかし、それと同時に先の戦闘でのルビエールの処遇もまた宙ぶらりんになっていることは気持ちのいい状態ではない。
「食わせておいて、さてと言い。ま、伺い立てるなら大隊指揮官にした方がいいでしょうね」
「いい助言だ」
先のピレネー司令官との顛末を思い出してルビエールは肌をざわつかせた。
「それは残念な結果だったな」
通信画面の向こうで大隊指揮官は「感想」を述べた。
それだけ?と呆気にとられるルビエールをニヤニヤと観察しながら大隊指揮官は両手を組んで顎を乗せるいつもの姿勢で続けた。
「貴様の戦術眼が証明されたんだ、気落ちせずに職務に励めよ。新進気鋭の戦術家殿」
この件に関してケリはついている。処遇どうこう以前に問題として取りざたされることすらないということか。
拍子抜けする気持ちだったがすぐにルビエールは思いなおした。この上官はいずれこの件をエピソードとして利用するかもしれない。
「さて、長らく放置していてすまないが、次の戦区の調整が進んでいる。移動してもらうぞ」
欲しかった情報だ。ルビエールは身を引き締めた。
「リーズデンにいってもらう」
「リーズデン…ですか」
それなりに動きの激しい戦区だ。どちらかというと火星共和よりコロニー国家共同体の勢力圏に食い込んだ宙域にあるリーズデンは共同体に反目して地球連合側に組したコロニー群であり、宙域の支配権を巡って衝突を繰り返している。
「早すぎませんか」
ルビエールの率直な物言いは相手によっては不快の対象だろうが、大隊指揮官は気にする風もなかった。
「言いたいことはわかるんだがな。情勢が情勢だ。結果を急かされるのも時間の問題だろう。せめて共和連邦の影響が低い場所を選んだところくらいは汲んでくれ」
苦笑まじりに大隊指揮官は弁明した。
確かに事態は複雑化している。火星共和と事を構えている戦区では何が起こるかわからない。もともと厄介者扱いの部隊を受け入れてくれる現場もないだろう。かといって悠長にしていられるわけでもない。戦区選びの苦慮は察せられる。
「承知しました。準備ができ次第、移動します」
「うむ。ピレネーの駐留戦力にもリーズデンへ移動するものがあるはずだ。そちらに話をつけておく」
なるほど、効率的だ。しかしいまのピレネーの状況からすると進発はいつになることか。まだしばらくの間、イージス隊は宙ぶらりんのままになりそうだ。
何か暇を潰す方法が必要だ。ルビエールはそんなことを考えていた。
グラハム・D・マッキンリーの講義「ピレネー攻城戦」
UF309年、長い自然休戦期の終わりを告げる戦いが勃発する。
ピレネー攻城戦、あるいはピレネー事変と呼ばれる戦いがどういった理由・狙いではじまったのかを一言で説明するのは不可能だ。
火星共和の独立承認という建前、極右政権の内部向けパフォーマンスはあくまで戦いの動機であって、ピレネー要塞の破壊作戦という極端な性質のものになった経緯を記す歴史的な資料はない。
だが、俗説はある。あまり好ましい内容ではないんだがな。
当時の共和連邦軍には連邦圏内の守備を主任務とする戦力を基幹とした連邦軍。外征、攻勢を任とする共和軍2つの軍が存在した。その共和軍のなかで主力とされる4つの兵団はそれぞれ指揮する司令官の名を冠して呼ばれる。サンティアゴ兵団・カルタゴ兵団・エレファンタ兵団・ボルトン兵団。
ピレネー要塞の戦いに選ばれたのはスコット・ボルトン率いるボルトン兵団だ。この司令官は4将軍で比較すると評価はあまり芳しくない。と言ってもこれは後世の評価で、尚且つ、あくまで他の3将軍と比較しての話だってことは理解してくれ。一方でもっともマルスの手に近しい立場にあったと言われていた。つまり手柄を立てさせようとしたんじゃないかという噂があったわけだな。
彼は良くも悪くも堅実で、ロボットボルトンと言われていた。つまり勝つにしても勝ち過ぎないし、負けるにしても負け過ぎないと考えられていたんだろう。
そして彼は期待に応えた。必要以上に。
駐留戦力を無視したピレネー要塞破壊の一点突破。彼らしくもないこの大胆な作戦は当時から他者からの入れ知恵ではないかと言われていた。彼が手段にこだわることなく、軍人として最善の結果を出したことは火星共和にとって想定内だったのか外だったのか、彼の選択は吉だったのか凶だったのか。論議のしどころだ。
歴史を学ぶということは「選択の結果」を学ぶことではない、「選択の過程」を学ぶことにある。
これは私が人生の規範としている言葉だ。とかく結果ばかり重視される世の中だが歴史、つまり過去から学ぶべきことは結果ではない。過程だ。
なぜなら「賢人たちの選択」、「愚者たちの選択」。その違いは結果にはないからだ。賢人であっても間違った選択はするし、愚者であっても正しい選択を選ぶことはある。そもそも正しくも間違ってもいない選択もある。二元論で歴史は語れない。
忘れてはならないのは、我々はその選択の結果を知っているが、歴史上の人物はそれを知ることなく、決断を迫られていたということ。そして彼らに与えられた選択肢に正解が含まれているとは限らないということだ。先の全てを読み通せる人間などいるはずもない。歴史とは少なくない想定外によって動き、突如として突き付けられた選択が歴史上の人物たちの運命を分けている。
そんな環境のなかで、彼らは何を思って、どういった過程でその選択をしたのか。それを探ることに意義はあるのだ。
残念ながら歴史においてはしばしば結果で偉人か、狂人かが決まってしまうのも事実だがな。
なんにせよ。選択はなされた。結果もでた。
誰の望んだ結果だったろうか。私の考えでは誰も望んでいなかった結果だったんじゃないかと思っている。
それはつまり第二次星間大戦は誰も望んでない形で始まってしまったということだ。
多くの人間は思っただろうさ。
なんてこった!