1/3「激震」
1/3「激震」
戦いはこれと言った波乱もなく展開されていた。互いのHV部隊は正面から衝突し削り合いの様相を呈している。これといった小細工のない共和軍の戦術は戦いそのものを目的としているという見解を補強し、連合軍側もそれに付き合うだけでよいと判断していた。
イージス隊の新型機にとってはもっとも都合のいい形となった。
「順調じゃないですか」
マサトは感想を述べた。エディンバラも落ち着きを取り戻し、自社機の躍動に満足そうな表情を浮かべる。
一方でルビエールの意識は戦術画面上の動きに捉われていた。
確かに戦闘は順調そのものと言ってよかった。ほぼすべてのラインで連合軍は優勢となり、このままいけばほどなく共和軍のラインは崩れ、追撃戦に移るだろう。これは彼我の戦力差を考えれば当然の帰結である。誰でもこうなると予測出来ていたはず。つまり、相手にも。
なぜこんなに容易く進むのか。なぜ、こんなにも敵は弱いのか。
ルビエールの脳裏に警報が鳴り響いている。それはどんどん心触りを悪くしている。
ある教えをルビエールは思い出していた。軍人としての教育を受けていた時期の話。その中に奇術の類を専門にしている者がいた。彼の役割はそれら奇術の使い方ではなく看破する教えを主にしていた。
敵を罠にはめる方法には2種類ある。想定を外すことと想定を見せること。前者は言うまでもない、想定外の方法を叩きつければほとんどの者は泡立ち、冷静さを失う。もう一方、想定を見せるとはつまり相手の思惑通りに運んでいるように見せることだった。好事魔多し、上手くいっているときほど、破滅は致命的な近さに忍び寄っているのだ。
前線。最初に異変に気付いたのは3番機のマックスだった。彼はその役割上、誰よりも状況の変化に過敏であるように努めていた。
「あれ、なんか近くね?」
両軍の競り合う前線の後方。共和軍の艦艇の凡そ半数が必要以上に前にせり出ている。このことに気づくと同時に連合軍に広がったのは困惑だった。
艦隊司令コーネフ大佐は眉間に皺を寄せた。
「これはどういうことだ。奴らは何を考えている?」
誰が応えるべき疑問なのだろうか、幕僚たちは顔を見合わせた。誰一人答えを持ち合わせていなかった彼らは矛先を向けられることを恐れて声を挙げなかった。
彼らの予測によれば共和軍の侵攻はそれ自体を目的としていて戦術的な目標などなく、適度に応対すれば収束するであろうというものだった。このような積極的な戦術行動は含まれていない。
いまや敵軍艦隊はHV同士の乱戦の射程内に入らんという距離にまで接近しつつある。
「バカな。こんな戦い方があるか」
コーネフの脳裏に過ったのは宇宙艦隊戦黎明期の大失態とされるフォルティスの対消滅だった。第二次火星征伐のその戦い以降、艦隊同士の肉薄戦はタブーとされている。そのあまりの損失の大きさゆえにHV同士の白兵戦闘という形に宇宙戦争は発展したのである。敵は愚を犯しているとコーネフはいらだった、その考え方も実のなさという点で愚かだった。
「いかがなさいますか?」
幕僚の一人がようやく声をあげた。その言葉は、予測通り上官の癪に障ったもののかろうじて呑み込まれる。彼らを登用したのも分析を受け入れたのも最終的にはコーネフの責任に帰結するところだった。個人として詰ることはできても司令官としてそれを口にすることは許されない。何より彼自身、その分析を納得して受け入れていた。
そうはわかっていても憤懣は心の内に昇華されずにいた。敵に積極的な戦術行動の意思はないと分析したのは彼ら幕僚たちであり、その予測が外れたことは置いておくにしても、早急に対策を講じてこそ、その立場はあるのではないか。
この無意味なイラ立ちはコーネフの平静を奪うことになった。
状況の異常さに気づいたルビエールの最初の一手は迅速かつ、妥当だった。
「小隊を帰投させなさい、すぐに」
イージス隊の目的である戦闘の経験、それは十分である。この上、この場に留まって敵の意図にハマる必要は全くない。まして新型機を失うリスクは誰から見ても不要だった。
「敵の狙いは何なんでしょうか」
ルビエールの席の隣に控えているリーゼは訝しげにスクリーンを見やる。まるで素人の用兵だ。だが、かつてのフォルティスの対消滅はまさに宇宙戦争の素人同士の戦いで起こったものではなかったか。しかも後の戦史研究において共和軍はこれを承知で決戦に挑んだとも言われている。であるならば敵の目的を自爆特攻ではないと断定することはできないのかもしれない。
エディンバラには明らかな狼狽を見て取れた。彼らの相対するリスクの予測を大きく超えているので同情できるところではあるにしても、その動揺を同じ出向者たちに感染させられてはたまったものではない。リーゼは人知れず立ち位置を変えてエディンバラの姿をできるだけ周囲からは隠した。あまり効果のある処置ではなかったが。
一方でルビエールはもう一つの決断を迫られていた。HV部隊を引き上げた後のイージス隊の動き、つまり艦隊と行動を共にすべきか、独自に離脱するかの2択である。敵の戦術行動がHV部隊へのものなら問題はないが艦隊へのものであるなら行動を共にすることはそれに巻き込まれることを意味する。
リーゼと同様にルビエールの脳裏にもフォルティスの対消滅というワードはあったが、もう一方の独自離脱という手法も無視できないリスクを持つ。
この時、ルビエールはブリッジの中でただ一人落ち着いた様子の特務中尉に気付いた。
「中尉」
「はい?」
「次の手はどうすればいいか、考えはある?」
席から立ち上がったマサトは眼鏡を直す仕草の間に考えを巡らし、意地悪く笑った。
「艦隊から護衛をお借りして下がればよろしいかと」
ギョッとしてリーゼは振り向いた。ルビエールも一瞬唖然とし、その後の笑みも苦笑としか表現のしようのない歪み方だった。
「厚顔無恥も甚だしいけど、正しい方法ね」
確かにイージス隊だけのことを考えれば最善といっていい策だった。しかしまともな人間であれば実行性のない策だ。マサト自身もそんなことは百も承知だろう。その献策は全く別の意図を持っていた。
それを受けてルビエールは一旦考えをリセットした。「敵も人間である」という当たり前の前提に立ち返ろう。
「敵はフォルティスの対消滅をやろうとしていると思うか?」
「思いません。クレイジーです」
そうだ。まったくもってクレイジーだ。自分はフォルティスの対消滅という言葉に捉われ過ぎている。
相手の立場から考えてみよう。ボルトンは堅実な用兵家だ。それは虚実だったのか?いや、これは無意味な前提だ。そんな人間が兵団を率いる立場に座るには無数の奇跡を必要とするし、それだけの奇跡が情報部に見過ごされるとは思えない。彼が用兵の素人であるならそれはとっくに知るところとなっただろう。ボルトン以外の3将軍の評価から見てもボルトンは堅実であるかどうかは別として、用兵家として素人ではないと判断すべきだ。
では、素人でない用兵家はフォルティスの対消滅を企図するか。これこそクレイジーだ。例えボルトンの気が唐突に触れてしまったと仮定しても兵団の幕僚たちまでその凶行をそのまま実行に移すという筋書きには難がある。
つまり艦隊の前進は何かの意図をもっていると考えられる。それは成算のあるものであるはずだ。実行に際してプラスを見込める何か。そんなものがあるのか?火星にとってはここで戦術的な勝利を得る意味はない。
なら、火星のためでなかったら?
そうだ、そこに核心はある。それがもし共和軍のため、ボルトン自身のためであるとするなら?
ルビエールの中で何かが音を立てて組みあがった。正しい道筋を踏み出したという確信。その道筋はそれまでのあやふやな踏み心地ではなく確かな感触で進むべき方向はこちらだと訴えている。
火星共和軍の戦略と戦術に齟齬があるのだ。それは決して珍しいことではない。ボルトンの現在の仕事は戦略を戦術レベルで実行することにある。しかしボルトンには個人の功名心を満足させるために戦略を独自に解釈する選択もあるのだ。ボルトンが自らの裁量権を行使しているとするならば。
「ボルトンが個人的な手柄を立てることを企図していると仮定することは?」
ルビエールの投げかけにマサトは一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに表情を戻し、一考の後に答えた。
「ありえますね」
ルビエールは頷いた。そうであるなら戦略的な視点から動きを予測することに意味はない。利己的、局地的な勝利となると取るべき戦術的選択も大幅に増えるのではないか?
「だとすれば、何が一番理想的な勝ち方か」
明確なわかりやすい勝利の形。正攻法でそれを得ることは極めて困難なのは間違いない、こちらの想いのよらない設定なのかもしれない。それはつまり奇襲・奇策の類である可能性は高い。それこそ艦隊を前面に押し出している理由につながるはずだ。もしくは艦隊を前面に押し出している事実から逆算することもできるかもしれない。
艦隊は陽動なのか?
そう考えを巡らせたとき、次の動きは起こった。
それを最初に捉えたのは艦隊の後衛艦であった。
「4時半の方角に敵影!」
「伏兵か?」
「HV、凡そ100」
「殊勝なことだ、迎撃機出せ!返り討ちにしてやる」
後衛艦の報告を受け取ったコーネフ大佐の心情はむしろ安堵に近いものだった。ほぼ同時に敵艦隊の速度が緩むのも観測された。これで敵の行動予測からフォルティスの対消滅は除外されたと判断できる。敵の正面戦力の少なさも説明できる。状況が理解の及ぶ範疇になって満足感すら覚えたコーネフだったがすぐに気を引き締めて側面警戒の強化を伝達した。
正面戦力と差し引いてもまだ別動隊はあると予測できる。この予測は的中し、もう一隊がほぼ正対する位置に出現した。いずれも大した問題ではなく、ほどなく退けられるだろうと考えられた。
多くの連合軍人が納得した状況変化にルビエールはむしろ困惑の色合いを濃くしていた。
「いやいやいや…これは質の悪いプレゼントですね」
マサトの笑顔は引きつっていた。2人にはこちらこそ陽動であるように見えた。その仮定が正しければ陽動は極めて有効に機能している。
しかしこの時点でもまだ敵の狙いは判断できない。敵はこのケレンの塊のような戦術の裏でどんな勝利を狙っているのか。
勝利、勝利の定義とはなんだ。この場合、戦略的には無意味でも構わない。
旗艦の撃破ではどうか。古来より敵将の首級を狩り取ることは象徴的でわかりやすい功績だ。それだけであれば可能なレベルだろう。だが腑には落ちない。それくらいなら犠牲を惜しまなければそれほど難しくはないというレベルであり、何より完全な勝利というよりは欺瞞的な勝利と言うべきものだ。いま相対している大げさな陽動はもっと大それたことをやろうとしているように思える。
犠牲。その言葉が頭の隅に引っかかっている。フォルティスの対消滅。艦隊同士の撃ち合い。それは多数の艦船の撃沈という結果を生んだ。
違う。その方向ではない。
犠牲。犠牲にするだけの価値のあるもの。艦隊よりも価値のあるモノ?いや、逆に無価値なモノ。
ルビエールは悪寒を感じた。
「敵艦隊の陣容は?」
「N640キャシャロット級、N830グランパス級。他支援艦ですが、何か?」
リーゼは即座に答えたがその質問の意図を理解できてはいなかった。その意味をより理解したのはマサトの方だった。
「押し出された艦隊のほぼ全部がキャシャロット…。これはこれは…言われてみればあんな船でよくここまで来ましたねぇ」
マサトは頭をかいた。キャシャロット級は現役の軍用艦艇としては最古参のロートル。それに対してグランパス級は現役バリバリの共和軍主力艦である。この編成はかなり違和感のある編成だった。キャシャロット級はもはや一線級で活躍することを期待できる艦艇ではない。地方部隊ならともかく一線級の主力部隊に編成されるような艦ではない。逆にグランパス級は主力に相応しい艦と言える。つまりボルトン兵団は本来組み込まれるべき中間世代の艦艇がごっそり抜け落ちたアンバランスな編成をしているのである。そしてそれが前衛を務めていることも不自然だった。
「キャシャロット級の就役は60年くらい前だったかしら?」
マサトはそれを思い出そうとしてすぐにやめた。それに大した意味はない。
「ようするに使い捨てにするつもりですか」
「もっと単純じゃないかと私は思ってる」
状況証拠はほぼ出そろいルビエールの中では確信に近いものとなっていた。
「連中はキャシャロット級をミサイルにするつもりよ」
リーゼはギョッとした。
「戦闘艦をですか?」
「自爆特攻よりも建設的でしょ。あれには多分誰も乗ってない。載ってるのは爆薬」
「伏兵を合わせても多いとはいえない投入HV戦力、戦闘艦なら装甲も十分、いつ退役してもおかしくない老朽艦だから失っても痛手にはならない。なるほど」
マサトは憮然とした表情をしていたものの、これはルビエールの推論に批判的なのではなかった。ルビエール自身もわかっていることなのだ、この推論を確定させるには敵艦を撃沈してみないことには立証できず、それを確認できるようになった後では遅すぎるのだ。そして何より最大の問題は、これに気付くべきなのはルビエールたちではないということだった。
「敵前衛艦に攻撃を仕掛けることはできませんか?」
確かに先んじてHVで敵艦に攻撃を仕掛ければ検証は可能だ。リーゼの言うことはもっともなのだが、イージス隊の機体はつい先ほど収容したばかりだし、部隊の性質を考えればそのようなリスクはとれない。やるとすれば司令部に上申して予備兵力を投入してもらうことだが、伏兵の登場でその予備兵力もどれだけ残っているか。
「無理だろうな。対艦兵装に転換した上で、敵防空をすり抜ける。時間的にも戦力的にも足りるとは思えない」
遅きに失した。ルビエールは爪を噛んだ。
「で、どうしましょうかね?下手なことをすると藪蛇になりかねませんけど」
むしろ状況はよりややこしくなったのではないか?とマサトは思った。イージス隊としてできることはない。それはルビエールにもわかっていた。ミサイル艦の巻き添えを食らうことは御免被りたいので後退しておきたい、さりとて見なかったことにするわけにもいかないだろう。
「中尉の考えは?」
「これはあくまで僕らの推論にすぎませんからね。根拠を求められたら手も足も出ませんし、実際求められると思います」
マサトとしては我関せず、見なかったことにする。その選択肢は大いにありだと思っている。司令部は根拠を求めるだろう、それは確信を得たいためでなく、自分たちの考えこそ正しいという結論を出したいがために。
マサトの言葉を吟味してルビエールの視線はリーゼに向いた。
「上申だけは行うべきと考えます。その後のことは司令部次第かと」
一般論を提示する役割であるリーゼですらその言葉に含みを持たせる辺り思うところは複雑なようだ。
これはイージス隊という部隊の性格をどう捉えるかという問題だった。員数外であるから関わらないでいることも可能だし、員数外であることを利して司令部に上申することも可能ではある。しかしどちらを選んでもイージス隊にとって有利に運ぶ可能性は低い。さらに言うなら連合軍にとってもプラスに転ぶかどうか怪しい、すでに対処可能なタイミングを逃しているのである。
ただリーゼは上手くすればルビエール・エノーという個人の評価向上に繋げることは可能だと考えていた。リーゼの立場はルビエールの副官である。そのリーゼにとってイージス隊とはルビエールのキャリアの一つでしかない。一方で当の本人はその出自故にその手の意識にかなり欠けていた。そういった部分をフォローすることも自身の役割とすべきか、まだリーゼにもわからなかった。軍人として副官として、そこにある矛盾にリーゼは今になって気づいた。
一方、ルビエールにとって評価というものは常に「エノー」という名前と血に付随するものだった。それは基本的に上限に設定されている。にも関わらず周囲の人間はそれに対して否定的な材料を探し求める傾向にある。このためルビエールの思考は評価を上げることよりも隙を見せないことの方を重視する。そのような教育を受けてきたし、環境にあった。皮肉なことにリーゼもその思考形成に一役買っている。
しばしの躊躇の後にルビエールは後ろ向きに決断し、渋々と通信士官を呼んだ。
「敵部隊に自爆攻撃の兆候を見る、注意されたし。そんなところかしら」
とりあえずはこれでいいだろう。いまだ納得している風ではないルビエールはこの選択が余計な波風を立てないことを願った。
しかし既に波はうねり、津波へと変わるところだった。それは誰の予想にもない場所を襲うことになる。ルビエールはこの時点で共和軍の作戦をある一点を除いて看破していた。ただ一点、目標だけは見誤っていた。ルビエールにとって幸か不幸か。それが問題になることはなかった。員数外のイージス小隊の電信は艦隊司令部に無視されたのである。
「突撃艦。すべて配置につきました」
火星共和軍のボルトン兵団を率いるスコット・ボルトンは通信士官の報告に満足そうに頷いた。
筋骨逞しいこの男は兵団のトップという席よりは前線の指揮官という立場を楽しんでいるようだった。よもやこのような辺境の1戦に兵団トップが座上しているとは思うまいという悪戯心も彼を高揚させている。
「はじめますか?」
兵団幕僚のポートマンは居心地を悪そうに聞いてきた。彼は兵団旗艦に遥かに劣る一般艦に不満を抱いているようだった。
「もちろんだ、はじめようか」
勢いよくシートから立ち上がるとボルトンはその巨躯を誇示した。
「諸君、勝敗は既に決している!この一撃が長きに渡る地球との因縁の決着、その機先となるのだ。歴史の最初の1ページを記す栄誉は諸君らにある」
ボルトンの高説にポートマンは内心で首を傾げていた。この男は果たしてこんなことを言うタイプだっただろうか。もっと言えばこのような作戦を採用するタイプであったろうか。
ロボットボルトンという評は彼を面白味のない用兵家と軽蔑する表現ではあるものの軍人としては真っ当な存在であることも意味している。
もちろん、彼がその評価を面白く思っていないのであれば、この一戦をその名を返上する好機と捉えていてもおかしくはない。
それにしても、だ。この作戦はやり過ぎているとポートマンは考えていた。成功の可否は問題ない。ボルトンの言う通り勝敗は既に決したと言っていい。ただ、結果があまりに苛烈すぎる。本当にこれは政府上層の設定どおりであるのだろうか。
とはいえ、ことは戦略よりも政治の領域にあってポートマンには口出しのできない分であった。ボルトンは現政権のマルスの手と非常に近しいという噂は半ば公然の事実となっている。ボルトンの解釈を即ちマルスの手の意向とするのはボルトン兵団の幕僚たちの共通認識となっている。
キャシャロット級の艦列は一斉にブーストをかけ猛烈な勢いで加速していった。そのはじめは壮観ですらあったが慣性制御も振り切った加速は役割を終えた老朽艦を暴力的な鉄の牡牛に変貌させる。こうなればもはや止めることはできない。身を挺して阻止したところでこちらに痛手はない。
この戦いは決した。その戦いの先に不安を抱きながらもポートマンは直にもたらされるであろう激烈な破壊に高揚を覚えずにいられなかった。
ほとんど全ての艦艇からもそれは見えた。想定外の闖入者の突進によって連合軍側の前線はパニックに陥いる。不運にも大質量体の猛烈な突進に巻き込まれた機体は雨滴の如く弾き飛ばされた。攻撃を浴びせてもHVの基本的な兵装では巨体の突進を止めることは不可能だったし加速しきった牡牛を追うことすら叶わない。
彼らは呆然とその突進を見送る。共和軍はこの機に乗じて撤収を開始しており、混乱から立ち直ったとき、彼らは自分たちの戦いが既に終わっていると気付くことになる。
試験機を収容し終えたイージスは戦線を離脱し、猪突する特攻艦艇の突進ルートからは外れている。イージス隊独自の動きとしてみれば百点満点。完璧な対応。ただルビエールはそれを喜べるような気分ではなかった。
仕事は全て終わっている。やるべきことはやったとルビエールは考えるべきなのだろう。しかし満足のいく結果ではなかったことに忸怩たる思いを抱えている。
ここに至って連合軍艦隊も敵の意図に気付き特攻艦隊を避けるべく散開しはじめた。しかし遅い、いくらかの味方艦は避けきれず接触、大規模な爆発を起こす。僚艦の爆発に逃げ場を失った艦も緊急機動を余儀なくされ、艦列は乱れ、逃げ場をなくした艦とで連鎖的に特攻艦の直撃を受けた。
あまりの光景にブリッジの誰もが息を呑んだ。
特攻艦隊の接近を許した時点でこの戦いはほぼ決してしまった。連合艦隊は比較的マシな回避行動を見せているものの、それでも艦艇を失うという被害はHVを失うのとは比較にならない損害となる。艦そのもののコストもさることながら人的資源は以前と同じレベルに回復させるのは極めて困難だった。
全て遅すぎた。ルビエールの電信がもっと早ければ状況は良くなっただろうか?
ルビエールのこの疑問に意図せず異議が投げかけられた。
「早すぎる」
マサトが深刻そうにそう呟いたのだ。ルビエールの意識は一気にその言葉に捉われた。
早い?何がだ、散開?それはない。敵艦の誘導はある程度の誘導性を持たせられているかもしれない、しかしあそこまで加速していれば艦隊の散開に対応できないはずだ。
いや、待て。ルビエールは薄ら寒いものを感じて自分の推論を見直した。
共和軍は艦隊の散開を許している。艦隊を散開させれば特攻艦にもある程度対応が可能になる。実際、連合軍艦隊の大部分は回避に成功している。
これでは片手落ちではないか。それに特攻艦を突入させると同時に部隊を下げているのも不可解だった。この状況に合わせてHV部隊を突撃させればより大きな戦果を見込めるはずだ。そもそも側面陽動部隊を突入させるタイミングからしておかしいのだ。
もっとあるのだ。艦隊に特攻艦を炸裂させるための手立てはいくらでもある。ここにきて急に詰めが甘くなっている。
そもそも、艦隊を狙っていない?
ようやくルビエールは真実にたどり着き、青ざめた顔で叫んだ。
「艦隊司令部に通信を繋いで、いますぐ!」
困惑した通信士官のモタモタする間もルビエールは1秒ごとに猪突をする艦隊を苦悶の表情で睨んでいた。
この時点でルビエールは平静を欠いていた。通信が開かれ、艦隊幕僚が映ると同時にルビエールは何の前置きもなしに言葉を叩きつけた。
「いますぐ艦隊を回頭させて敵艦隊を攻撃する準備をしてください!」
ルビエールの進言とは到底呼べない台詞は艦隊幕僚だけでなくコーネフにも届いたが単に不快さを与える以外の効果を発揮しなかった。艦隊司令部では特攻艦隊を回避するための管制で手一杯であった。ルビエールの言はその繊細な工程に砂利を撒くような行動に捉えられた。独立愚連隊のごとき立場も悪い方に作用する。
「実に大胆な進言方法だな、大尉。さすがにノーブルブラッドはやることが違う」
コーネフは余裕をもった口調だったがその言葉に闖入者に対するイラつきと見下した感情を含んでいるのは明らかだった。
ルビエールの後ろでリーゼもまた困惑の表情で状況を見守っている。マズい手だったと思わずにいられなかった。
しかしルビエールにはそんなことにかかずらっている余裕はなかった。次にルビエールの口にした言葉はそれ以上に相手を困惑させ、同時にフリーズさせる一撃になった。
「敵の狙いはピレネーです!」
その時、ボルトンは連合軍の間抜けな行動に失笑という風な顔を浮かべていた。
彼ら共和軍から見れば、連合軍の散開は目標に向けて道を空けてくれたようなものだった。共和軍の特攻艦の真の狙いは連合軍の機動要塞ピレネーそのものだった。敵艦隊に肉薄しての突撃は相手にその目標を誤認させると同時に迎撃態勢を取らせないためのものだった。連合軍はこの動きにまんまと騙され、ほとんどの突撃艦をスルーした。
とはいえ、自分も同じ立場に立たされてそれを看破できるかと言えば不可能だろう。艦隊のど真ん中に向けて艦隊を突進させられたとき、適切に分析し、選択し、実行させられるか。この3つ全てにおいて時間は足らないだろう。
ボルトンの予測通り、全てにおいて時間は足らなかった。
状況に気付いた時に連合軍に残された選択肢は何れも実行不可能なカードとなっていた。
「全艦反転だ、特攻艦を攻撃せよ!」
この命令も既に遅すぎた。特攻艦とすれ違うように機動していた艦隊を急遽反転回頭させる。これには各艦の位置を把握した綿密な航法管制を必要する。決して経験豊富とは言えない艦隊には到底無理な要求だった。しかも特攻艦は既に最大限に加速しているのだ。回頭を終えたころには艦砲の射程圏から離脱していることは明らかだった。
コーネフはそれを認めたとき、順序を間違えたことを自覚した。それでも尚その選択をするのに数秒を要した。
「ピレネーに報告。特攻艦が向かっている。ただちに迎撃、表層区画からの退避を」
艦隊司令部の全ての人間は為す術なく特攻艦隊を見送った。あとはピレネーの守備隊の働きに任せるしかない。
絶望の色にコーネフの顔は覆われた。いくらかはピレネーの砲火によって迎撃されるだろう、しかし突進するキャシャロット級の数が多すぎるし、早すぎる。そもそも150もの充分な装甲を有した大質量体を完全消滅させられる通常兵器などこの世に存在しなかった。
コーネフが順序を間違えず、迅速にピレネーにこの事を報告していればいくらかの将兵は生存権を得ていたかもしれない。このことは今後、大いにコーネフを苦しめることになる。彼にとって慰みとなったのはピレネーの防御指揮官スティーブン・フライ准将の機転であった。彼は猪突する特攻艦隊を見て取ると確実に阻止可能なモノを除いて無理な防御を行うことを早々に断念した。
ピレネー要塞はその古い設計思想から重要施設のうち、艦艇を収容するドック、工廠、それらにつながるポートなどは要塞表面、ないしは表層に位置している。もちろん、それらは厚い防備と偽装、さらに防衛部隊の守備に覆われているので、生半可な攻撃によって貫徹できるものではなかったが、特攻艦のそれが生半可であるはずもない。フライは着弾予測ルート上の艦艇の退避と区画の避難を最優先に命じると後はピレネー自身の防御力に全てを委ねた。ダメージコントロールの優先。どちらかと言えば後ろ向きな発想だった。
爆発が生じ、ピレネーはその巨体を揺り動かした。一発だけであればほとんど無傷と言っていいダメージであったろう。しかし連続的にとなると話は全く違ってくる。ピレネーの外郭は特攻艦の突撃を数発耐えた後に屈服した。一艦が外郭を貫通し、その爆発を内側で炸裂させた。こうなれば被害は二乗的に膨れ上がる。外郭の各所に穴が穿たれ、そこに艦が飛び込み炸裂してさらに穴を大きくし、ついには内部区画に到達した。要塞内は炎によって蹂躙され、不幸にも逃げ遅れた区画作業員の生存圏を奪い去る。この時に数百に及ぶ人命が失われた。
オペレーターは甚大な被害を叫んでいたがフライの指示は後になって振り返れば白眉な対応と言えた。ダメージを最小に留めた対応とは言えないにせよ迅速かつ割り切った決断によってダメージをピレネーの外郭に限定して、後の対応を容易にしたのである。
とはいえピレネー要塞そのもののダメージは重篤だった。この攻撃によりピレネーは要塞としての機能の3分の1を喪失した。特にドック・工廠及んだダメージは深刻で、移動要塞の役割を基準に言えば致命傷と表現してよく、復旧に要する期間を算出しようとした者は顔を横に振った。
移動要塞ピレネーの破壊。その復旧までの期間。そこに何らかの大きな戦いのはじまりを皆が予見したのである。